第一篇:《お金から坊ちゃんの恩情観を见る》中文版
お金から坊ちゃんの恩情観を見る
夏目漱石的中篇小说《少爷》叙述的是一个不谙世故、憨直忠厚的青年在四国一所乡村中学短暂的教书期间,目睹教育界邪恶势力横行,并与之进行坚决斗争,最后愤然辞职,返回东京的经历。文中多次描写到和钱有关的情景,皆表现了“我”的性格特征。其中有关少爷对欠女佣阿清的钱和欠“豪猪”掘田的态度尤为引人注目。为什么会有这样的态度呢?本文将对此稍作分析。
相关情节为:学校里,正直不阿的豪猪和诡计多端的红衬衫针锋相对。起初少爷不知内情,受到赤衣狂的挑拨后开始怀疑他曾经颇为信任的豪猪,并想起过去豪猪曾经请他喝过一杯一分五厘钱的冰水。于是他执意要把那一分五厘钱还给豪猪。他认为“被这位人前一套、人後一套的两面人请喝冰水,实在是一种耻辱。我只喝了一杯,算是欠他一分五厘的人倩,接受这种诈欺似的恩情,我一辈子都不会舒坦”。了解真相后,他又毅然站到了豪猪那一边,并把一分五厘钱收回,后来还和豪猪一起教训赤衣狂。
看起来小小的一分五厘钱,对少爷来说,却是他和豪猪之间的关系的象征和纽带。他认为“若接受别人施恩,即使只是一杯冰水或甜茶,不急著回报对方,是把对方当成值得结交的朋友一般尊重的意思,否则我大可自己付自己的份,不欠任何人情。就因为我一份惜缘之意,才接受施予的,这种作风不是金钱买得到的回报。即使没名没气,也是个堂正独立自主的人,这种人愿向人低头领情,才真的是万金难买的珍贵呢!”
少爷具有刚正不阿、不计个人厉害得失的品性,对弱者、受害者很同情,对伪善、奸猾、邪恶的行为嫉恶如仇,对自身的错误能坦荡面对。所以当他以为豪猪表里不如一时,他感受到了最敏感的“背叛”问题,认为豪猪已经不值得他尊敬了,从而有了激烈的还钱反应。但当解开误会以后,他发现豪猪性格好爽、为人正派、同情弱者、好打抱不平,和自己其实是同一类人,属于正义的一派,便正式把他当成了值得结交的朋友,不再还那一分五厘钱。期间,少爷还想到“以前我向阿清借三块钱,到五年後的今天还没还,不是还不起而是不想还,根本没想到有一天要还她,她也从没指望我赚钱还她,我也不会像个外人一样向她保证:‘有一天,我一定还给你。’如果我为那三块钱而耿耿于怀的话,等於糟踏阿清那高洁善良的灵魂。不还阿清钱不是瞧不起她,而是将阿清视为我今生今世的伙伴。”
少爷从小就是一个不受父母宠爱的孩子,“父亲一点也不喜欢我,母亲则只宠爱哥哥”,可是女佣阿清却对他倾入了深厚的感情。因为亲情的冷漠,起先他也对阿清的无缘无故的宠爱感到怀疑。但随着时间的累积,阿清取得了少爷的信任和尊敬,成为他至亲至爱的人。所以她的三块钱也是理所当然不用还的。
笔者认为,少爷的这种“恩情”态度究其原因有两点。
一是作者夏目漱石的意识的反映。
夏目漱石自小就被送人作养子,经历了“出生——送人——回家——又送人——又回家”的生活轨迹,不受亲生父母的宠爱,对亲情既渴望又怀疑。这直接反映在了他的作品中,使他笔下的少爷与女佣阿清之间形成了一种特殊的关系。养父母对年幼的他倾注了深情,他受到了严格的汉文化教育,有很高的汉文化修养。所以他对养父母的恩情有着深刻体会。但随着养父母的失和与争吵,他的生活还是充满了阴影。这些经历使得他对“恩情”异常敏感。另外,夏目漱石所处的明治--大正时期,虽然武士阶层的社会地位已大幅度下降,“武士”已成为一个转身而去的历史背影,但是武士人格、武士精神、武士道已经融进了日本民族的血液中。夏目漱石笔下的少爷“以前也是个旗本,旗本从前是清和源氏,是多田的满仲之后裔”(旗本是江户时代武士的一个阶级,家禄一为石以下、五百石以上,有资格晋见德川幕府将军),他的恩义观、他的个性,皆有着武士精神的影子。
二是日本人的共性。
少爷的这种心理并非是他独有的,而是日本人共有的一种心理:当别人施恩于你,你向别人致谢时,心中肯定有这样的想法,日后回报。如果回报不能实现,则要一辈子记住别人的恩。所以接受别人的恩惠未必是件快乐的事情,甚至令人有一种束缚之感。因此轻易不会接受别人的恩情。
参考文献:
从《哥儿》看夏目漱石的内心世界
浅析夏目漱石在《》中的人物形象塑造
浓浓的“落语”味——《哥儿》的艺术魅力之源
一篇讨伐日本教育界腐败的文——论夏目漱石的小说《哥儿》
第二篇:日本语の男女用语から日本社会を见る
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8888 学 院
本 科 生 毕 业 论 文
论文题目: 日本語の男女用語から日本社会を見る
作
者: 99
专业班级:99
指导教师:
学
号: 99
2012年4月20日
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郑重声明
本人的毕业论文(设计)是在指导教师冯莉的指导下独立撰写完成的。毕业论文(设计)没有剽窃、抄袭、造假等违反学术道德、学术规范的侵权行为,本人愿意承担由此产生的各种后果,甚至法律责任;并可以通过网络接受公众的质疑。特此郑重声明。
毕业论文作者:
2012年 4 月 20 日
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要 旨
日本語は、性別によることば違いが著しい言語であると言われる。その相違によって生み出した男ことばと女ことばの使い分けには日本語の特徴が集中的に表現できると考えられている。本研究は主に歴史文献や調査データを基礎として、日本語における男女用語の歴史変遷および男女ことばの特徴を探究してみようとする。そこから、日本の社会、歴史、日本人の思想、心理変化などを分析してみたい。、本研究はまず、問題の提出、日本で男女用語についての研究現状と本稿の立場を述べ、先行研究に基づいて、日本語の男女用語の歴史変遷及び差異を探究して、現代日本社会の各方面を分析していたのである。長期にわたる封建社会で、日本女性の社会地位が低下して、男性に対して従属的な地位にいる。女性用語は依然として弱者層の特徴を保留する。21世紀に入って以後、西方の男女平等の思想が日本人に浸透してきた。男女用語の中性化現象が生まれた。日本文明が開化とともに、教育が普及している。家庭制度が衰えている、日本社会も一層平等になる。
キー・ワード:男女用語;歴史変遷;差異;日本社会
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摘 要
在世界各种语言中,日语被公认为是一门性别差现象极显著的语言。由性别差产生的男性语与女性语是日语特征的集中表现。本论文将主要以历史文献、调查数据为基础,探究日语男女用语的变迁以及男性用语和女性用语的特征。以此分析日本的社会、历史、日本人的心理、思想变化。
本论文首先提出问题,简单阐述在日本关于男女用语的研究现状以及本稿的立场,在先行研究的基础上,深入探讨日语男女用语时代变迁以及其差异,来分析日本社会的各方面。在长期封建社会中,日本女性的社会地位低下,处于从属于男性的次要位置,女性用语一直保留弱势群体的特点。进入二十一世纪,西方男女平等思想渗透日本。男女用语中性化现象出现,日本文明开化、教育普及,家庭制度衰败,社会更加公平。
关键词:男女用语;历史变迁;差异;日本社会
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目 次
はじめに…………………………………………………………………………………..1 Ⅰ.日本で男女用語についての研究現状と本研究の位置づけ...……...……5 Ⅱ.日本語の男女用語の歴史変遷………………………………….…..…………6
2.1平安時代以前のことば…………………………………………………………7 2.2平安時代の男女ことば…………………………………………………………8 2.3室町時代から江戸時代以前までの男女ことば………………………………8 2.4江戸時代の男女ことば…………………………………………………………9 2.5明治時代と昭和時代の男女ことば……………………………………………10 2.5.1明治時代の男女ことば…………………………………………………10 2.5.2昭和初期の男女ことば…………………………………………………10 2.6戦後の男女ことば………………………………………………………………11 2.7まとめ……………………………………………………………………………12 Ⅲ.現代日本語における男女ことばの差異……………………………………12
3.1日本語の終助詞から見られる男女差…………………………………………..13.2日本語の人称代名詞から見られる男女差……………………………………..13
3.3日本語の感嘆詞からみられる男女差…………………………………………..13.4日本語敬語からみられる男女差………………………………………………..14
Ⅳ.男女用語の変遷と差異から見る現代の日本社会………………………..15 おわりに…………………………………………………………………………………..15 参考文献…………………………………………………………………………………..16
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はじめに
日本語を勉強しているうちに、日本語における女性語と男性語がたくさん出てきた。女性語と男性語が違う特徴を持っていると分かるが、実際の言語使用においてよく迷っているのに気づいた。それに、こういう男女ことばの区別と言語から社会現象を分析にも大きな興味を持っているのである。
「言語は社会的現実への道しるべ」と言語は一種の社会現象だと言える。言語は社会現象として、社会の仕組みと社会的な価値観と緊密に結びついている。皆の知られるように、日本は古くから、男性優位社会である。女性は劣位にいる。だから、男性語と女性語が出てきて、日本社会を側面から現れる。本論では、まず、日本年代の順にしたがって、男女用語の変遷をたどって、それから、男女用語の差異を探求してみる。最後、この変遷や差異などから日本社会の変化を表してみよう。
なお、本論でいう男性語女性語とは実際に男性、または女性によって使用されている語という意味ではない。男性らしいと感じる語、女性らしいと感じる語という意味である。これは「使用的実相を下敷き形成される使用者のその語に対する感覚」なので主観的であり、個人差が尐なからずあると思われる。
1日本で男女用語についての研究現状と本研究の位置づけ
1970年以前頃、日本における男女用語は伝統的な範囲で行われていた。二十世紀の七十年代には、日本の学者は「女房詞」と「遊女語」など伝統的言語現象を重点として研究し、女性語は位相語と位置づけられて研究されていた。代表的な学者は真下三郎、国田百合子、田中章夫、鈴木丹士郎などである。真下三郎氏は(1949)『婦人の研究』という論文で「女房詞」の類型をまとめている。国田百合子氏(1964)は『女房詞の研究』という著作で、現代婦人語残っている女房詞を「御さかな(うお)」などと挙げている。田中章夫氏(1979)は『国語語彙論』で、「語彙の面における男女の違いとして、最も注目されるのは、人称代名詞である。」と指摘している。それについて、芝元一氏によって現代の小説・劇曲の対話部における、自称と対称の人称代名詞を対象にして行われた調査を分析している。さらに、語種については、「男が漢語系統の用語を多く使い、女は和語を用いる傾向がある。」とせつめいしている。鈴木丹士郎氏(1982)は『日本文法事典』で、位相語の一種として男 女ことばについての特徴、美化表現及び女房詞などを分析している。
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七十年代以後、女性語の研究重点は現代女性語の表現の特徴に移った。学者の中でも、大きな影響を与えたのは寿丘章子、井出祥子、遠藤織枝などである。日本語と女性について、初めて現代的な視点から論じたのが、寿丘章子の『日本語と女』(1979)であった。寿丘章子氏(1979)によれば、「言語は社会の特質を反映するが、社会を規定することもある。日本語は日本社会での女の位置を見事に反映している言語であり、同時にそのような言語のありようが、女の生き方に深刻な影響を与えている。」ということである。自らの調査による国語学研究に基づき、初めて社会言語学の角度から日本語と女のあり方との相互関連を考察している。同じ年に、井出祥子氏が『女のことば男のことば』を出版した。従来、女と男の二つの性を並べる際、男が先にきていたのを、その本で「女の言葉」を先に出す書名にしたことは画期的であった。遠藤織枝氏(2002)は『男性のことばの文末』という論文で、1993の東京で有職の20代~50代の男性を対象にして行われた調査に基づき、職場の男性は雑談でも敬体をつかうことが多く、「あら」「のよ」「わ」の使用などから、従来女性専用とされている語を使用する例があり、男性的語句の使用が減ってきていることを説明している。
以上をふまえて、本稿は歴史文献や様々な調査データおよび会話例文を資料として、自分の考え、意見などを羽織り込んで、具体的に分析を展開してみよう。まず、日本年代順によって、日本語における男女ことばの起源と変遷を探求して、次に日本語における男女ことばの特徴を検討してみたいと思う。それらに限らず、男女ことばの変遷から日本社会、日本人の思想、心理の変化を検討してみたいと思われる。
2日本語の男女用語の歴史変遷
2.1平安時代以前のことば
古代日本では、女性は政治的に権利を持っていた。日本最古の書物『古事記』の中に日本の国を生み落とした男神と女神の会話のやりとりが描かれている。二人の神の会話を見ると、ことばに性差はみられないのである。日本の最初の歌集である『万葉集』には、収められている短歌、長歌に性差も見られない。2.2平安時代の男女ことば
平安時代になり、男性は段々政治の中心となり、女性は政治の中心から離れ、政治的な権利を段々失った。この時代の日本は隋唐文化に非常に憧れていたので、遣隋 7
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使と遣唐使を大量派遣し、中国の文化を習っていた。これを契機に、漢詩や漢文学が大量に日本に伝わっていた。同時に、「男尊女卑」という思想が社会に浸透していた。統治中心となった貴族男性が漢語や漢文学を習っていた。宮廷の女性達は男性への尊重と敬意を表すために、できるだけ男性と同じ文字を使うのを避け、仮名を多く使うようになった。
また、平安時代は男性中心の時代、女性は言葉を慎むことを要求され始めた。この時代から、女性が使う言葉は男性と違ったところが出始まった。2.3室町時代から江戸時代以前までの男女ことば
この時代、日本社会は封建時代に入った。中国の儒教著作が伝わってきた。「男尊女卑」という儒教思想が統治階級に利用され、武士社会の男女地位が次第に大きくなった。男性は依然として社会の中心である。
男が以前のように、漢語を多く使う。女性は依然として男性と同じ言葉を話すのを避け、同時に「女らしさ」を求められていた。そして、当時の宮庭や貴族女性にとって、言葉を厳しく選び、柔らかく優雅な言葉遣いが修養の標準となったのである。しかし、この時期に、女性ことばの中に、「女房詞」が生まれ、貴族女性の中で発展していた。女房詞が生まれたのは女房が日常生活に深い関係のある物や行動を一般的言い方では言わなくて、別の名称で名づけ、仲間の間で使い始めたからである。女房詞は最初に宮中の女性が作り出した隠語である。その発展とともに、次第に社会に広まっていた。
2.4江戸時代の男女ことば
江戸時代になって、武家社会が成熟した。この時代に、身分等級制度が行って、士農工商の階級を設けた。また、中国の男尊女卑という儒教思想が日本の支配層により一層社会に広く浸透していた。江戸っ子の言葉として、有名な「・・てやんでい、べらぼうめい」などが男性の言葉である。この時期、武士文化の発展が頂点になり、男性はよく漢語を使う。そこから、自分の身分を表した。だから、時々男性も乱暴なことばを使い、自分の力を示す。
一方、女言葉づかいへの制約を強く強化した。女の生き方、考え方を細かく規定した女訓書がいく種も出され、弱き性、劣る性とされた女性は、女房詞を手本とした、「女らしい」美しい、上品なことばを強制されてゆく。そして、女房詞は段々庶民に受け継がれ、女中詞、遊里語となり、変質した。他方から来た庶民が上流家庭の女中
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になり、花柳界出身の女性が政治家の妻になったことによって、女中詞、遊里語も上流に入るようになった。食べ物や器物名に限らず、家庭内の日常行動に至るまで使用範囲が広がり、制限の多い女性語の発展は全盛期に入った。
また、この時代、女訓書、作法書がたくさん出ていて、女性の生き方や言葉づかいを規定していた。女言葉のしつけは一本化して流れこみ、明治以降の女性全体を縛りつけることになる。
2.5明治時代と昭和時代の男女ことば 2.5.1明治時代の男女ことば
この時代に、文明開化とともに導入された人権思想も男女平等も、富国強兵と軍国主義の疾風に吹き飛ばされた時代で、女と男は教育もことばも区別された。天皇性の家庭版である家父長制に囲いこまれた女たちに、良妻賢母と「女ことば」が刷りこまれてゆく。
明治期に男性女性がどのように話していたかを直接示す資料は得られないので、当時の小説の会話から推測してみたいと思われる。男性と女性の話しことばの差をみるために、男女の会話の場面をいくつか拾い出してみる。
坪内逍遥の『当世書生気質』(1885年)、徳富蘆花の『不如帰』(1898年)、夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905~1906年)などの作品の男女の会話から見ると、人物の個性により、尊敬語のレベルに違いはあっても、これら小説中の女性が相手男性の動作を尊敬語を使って表現している点では変わりがないとわかる。女性から尊敬語を使われ、丁寧体で話されても、男性の方は敬体を使わず、ぞんざいで、結果として見下ろした感じを与える文末表現に終結している。女性の言葉の中に、上品に話す言葉づかいは遊ばせことばと言われていた。この時期、国家的教育の中で女性のことばの枞をはめ、性差が確立して、女ことばが制度化して定着したと言える。2.5.2昭和初期の男女ことば
昭和前期になると、男ことばと女ことばは交わり、性差が徐々になくなってきている。この時期には遊ばせことばから性差を解消していく傾向があったことが見られる。
昭和のはじめ、「モダンガール」、「モダンボーイ」という新しい風俗が生まれた。若い女性が男性言葉を使うのが特徴であった。「モダンガールの一つの特徴は、男をキミとよび、自分をボクと言ったりすることであったようだ。モダーンすなわち近代をあらわすのは、男も女も同格という平等意識の下に、女が男の言葉をつかったりし
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たものであろう。」つまり、当時の女性は自由への憧れ、自由を求めることが分かった。この時、女性の間にすでに「敬語法を吹き飛ばそうとする風潮」があったことがわかる。
2.6戦後の男女ことば
第二世界大戦後、日本社会の民主化が進むとともに、女性の社会地位と観念は男性との違いが段々縮まってきた。女性用語と男性用語の差別も次第に縮まっていた。以下のように表現された。
(1)男女通用の言葉や表現が増え、「男性言語女性化」と「女性言語男性化」という現象が生まれた。以前女性専用の言葉は男性に受けられ、例えば、男性が「お」を頻繁に使うようになり、「お酒、お茶、おなか、お水」などの言葉がほとんど中性語になった同時に、ほとんど女性に使われた「食べる、おいしい、あげる、よろしい」などの言葉も男性に多く使用されるようになる。
(2)教育の普及で、高等教育をうける女性が増えた。書面語の影響を受け、話し言葉でも、女性は前の時代より「漢語」を多く使うことになった。
(3)女性は使っている敬語の量が尐なくなった。社会民主化のため、階級意識が薄くなり、敬語は階級を表し、高い敬意を表す言葉として扱わなく、礼儀や教養のあることとして受けられるようになった。女性はわざと「敬語」を使って認めてもらう必要がなくなった。
2.7まとめ
中世時代以前、日本語の男女用語の差が明らかではない。平安時代から徐々に性差の兆しが見え始めた。平安時代に、男性は漢語を使うが、女性は漢語の使用を避けて、和語を使った。また、最初の女性表現用語の「斎宮忌言葉」が出てきた。室町時代に男性が依然として漢語を使った。この時期に、封建社会の男尊女卑思想が社会に浸透していた。女性は言葉を厳しく選び、柔らかく優雅な言葉を使った。そして、「女房詞もこの時期に出てきた。江戸時代に、社会等級身分制度が行った。女性の地位も低下している。そして、女性語の発展は全盛期に入った。明治時代に、伝統的な男尊女卑の思想を受け続いて貫かれるものでった。男性の方は敬体をつかわず、ぞんざいであるが、女性が敬語を多く使って、上品に話す言葉づかいは遊ばせことばと言われていた。この時期、性差が確立して、女ことばが制度化して定着した。ところが、昭和時代に、性差が次第に縮まって、女性が自由を求めた。戦後、民主化が進み、男女平
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等の思想が段々社会に浸透していた。男性と女性の性差が縮まって、女性の地位が以前よりずっと高いのである。「男性語女性化」と「女性語男性化」の現象がうまれ、言語中性化が現れた。
3現代日本語における男女ことばの差異
3.1日本語の終助詞から見られる男女差
日本語の終助詞は、人称代名詞と共に男女差が最も現れるものの一つである。終助詞のうち、女性語と記述してある辞書数の多い順に並べると、「わ」「かしら」「て」「てよ」「こと」「の」「のよ」「わよ」「よ」「たら」「いとなり」同様に男性語として多い順に並べると、「ぜ」「い」「な」「よ」「ぞ」「さ」「かい」「だい」となる。典型的な女性語は「わ」「かしら」、男性語は「ぜ」「い」などである。小川早百合(2004)は 「話し言葉の男女差―定義・意識・実際―」に、1996年に首都圏の大学生127名に親しい者同士の会話を録音してそれを文字化してもらった。その中から、条件にあった51組、129名、(女性65名、男性64名)、666の発話(女性330、男性336)を採用し、終助詞を使っている文を取り出し、男女別の使用状況を調査した。ここで使われた終助詞を使用頻度の高い順に並べると、以下のようになる。
女性の使用 ①よ95 ②の78 ③ね61 ④よね35 ⑤かな17
⑥のよ12 ⑦さ10 ⑧な5 ⑨のね4 ⑩わ3
⑪かね・なよ・のよね・わよ2 ⑮のかな・や1(回)
男性の使用 ①よ105 ②の65 ③な43 ④ね33 ⑤よな・よね17
⑦かな12 ⑧ぞ11 ⑨ぜ10 ⑩さ7 ⑪か4
⑫かよ・なよ・のかな・や・わ2 ⑰かい・わね1(回)
辞書の説明での女性語と比較すると、一致しているものとしては「わ」「のよ」「わよ」である。辞書で説明されていた「かしら」「て」「てよ」「こと」「たら」などは、現代の日常の語彙とはかけ離れた存在になっているためか、女性語として意識われないようである。男性語も同様に比較すると、辞書と意識が一致するのは「ぜ」「ぞ」「な」である。またその中に、女性語としての「の」は、今、男性も使う。男性語としての「さ」「な」は、今、女性も使うのである。
上記から見ると、現在、男性は女性のことばを使うことがある。女性も男ことばを 11
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使うことがある。これは「男性語女性化」と「女性語男性化」の現象でしょう。これは男女の地位の変化と関係があると思われる。3.2日本語の人称代名詞から見られる男女差
人称代名詞の中には、一人称代名詞、二人称代名詞、三人称代名詞があるのである。日本語の人称代名詞は、終助詞と共に、男女差がもっとも現れるものの一つである。中国の研究者叔陽は「女性言語における終助詞と人称代名詞の使用状況考察」の中に、90年代以後のドラマ、「妹よ」、「ロングバケーション」、「あすなろ白書」と「いたずらなキス」のセリフに出てくる人称代名詞のデータをベースとして、一人称代名詞、二人称代名詞、三人称代名詞について、辞書における標準的な用法の男女差と反逆している現象を考察している。叔陽の結論で、「あたし」は「わたし」の変形で、下品に感じられることが多いから、あまり使われていないことがわかる。二人称代名詞に関しては、男女とも、「君」「お前」「自分」と「そっち」を使って、相手を指す場合もある。また、三人称代名詞に関しては、インフォーマルな、私的な場面で、男性も女性も「こいつ、あいつ、そいつ」「~やつ」という乱暴な、ぞんざいな言葉を使ったこともある。
以上から見ると、現代、男女の人称代名詞の差も段々縮まってきた。女性も男性の人称代名詞を使うのである。また、女性は男性と平等になるように、下品に感じられる詞があまり使われていない。ここから女性が平等、差別することが嫌だと分かる。現代の女性の地位が上昇しているとも反映させられる。3.3日本語の感嘆詞からみられる男女差
感動詞すなわち感嘆詞は、感動や情緒を主観的未分化のままに直接に表すことばである。女性は驚いた時や感嘆する時に、「あら、ちょいと、まあ、おや、ねえ」などを使う。例えば、「あら、かわいい。」「ちょいと、おまえさん。」その中、「あら」は女性専用感嘆詞だと考えられる。この詞は終助詞の「わ」と同じ、女性の親切言語特徴を表す。他の感嘆詞は現代日本語の中に、男女通用である。また、男性の感嘆詞は「おい、やあ、ほう、なあ、くそ」などである。例えば、「ほう、なるほど。」「おい、ちょっとこい。」
また、男性は女性より感嘆詞の使用回数が頻繁である。そして、男性の感嘆詞の種類がもっと多い。日本大学生の日常会話についての調査の結果は、男女各1000句の発言の中に、男性は665個の感嘆詞を使い、女性は395個を使う。そして、男
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性の方が独特である。今、女性も男性の感嘆詞を使い、男性も女性の感嘆詞を使うのである。
3.4日本語敬語からみられる男女差
平安時代から、日本は中国の文化に深く影響された。この時代から、「男尊女卑」の思想が日本に浸透してきた。女性が優しい言葉を使わなければならない。女性が男性に対し、敬語を使うはずである。江戸時代にいくつかの教訓書が作り出さられ、女性の話し方、言語、生活全般に対する戒めやしつけを説いた。また江戸時代の遊女語は主なものは敬語である。戦後、民主化が進んでいるとともに人と人の関係が変わった等のため、現代敬語の多くのは、人の社交性また教養性を表す言語である。女性も男性も使うのである。また、敬語は優雅の感じを人にもたらすので、女性の使う頻度が男性より高い。美化語の「お」がいつも女性の口から出ている。もちろん、男性も使うのである。
当然、文体、文の構造、文字使い、発音などの面においても、男女言葉が違っている。ここでは、一つ一つ詳しく考察しないことにする。
4男女用語の変遷と差異から見る現代の日本社会
上記から見ると、男女用語の発展歴史、変化、また男女用語の特徴差異から、日本社会の男女用語の差が縮まっていることが分かった。近代に入ると、欧米の男女平等の思想が日本に浸透してきた。新憲法の男女同権も徐々に理解された。社会民主化のため、階級意識が薄くなる。男女平等の進めにつれて、日本の女の社会地位もだんだん高くなって、男女ことばは同言化の現象も出てきた。「男性語女性化」と「女性語男性化」の現象が生まれた。女性語と男性語が中性化しつつある。古代の「男尊女卑」の思想が段々なくなる。そして教育の普及のため、高等教育を受ける女性が増えた、女性も社会の重要な一部である。また、男性の面で、乱暴な言葉じゃなくて、文雅な言葉を使うのである。だから、優しい男性も出てき、以前の乱暴な言葉を使う男性を一変して、優しい男性が人気がある。例えば、優しい男性の代表―歌手と俳優としてのSMAPは日本の女性に愛されている。そして、最近、26歳の美人議員立川明日香は日本で話題になっている。ここからは、現代日本の女性が政治に参加できることが分かった。これも日本女性の地位が高くなるの印である。
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おわりに
本稿では、日本の男女用語について、その変遷、及び男女用語の差異を考察しながら、現代日本の文化、日本人の思想も探究してみた。
古代の日本は、言葉には性差の差異が見られない。男女用語がない。平安時代に入ると、性差が見え始めた。男尊女卑の思想が中国から伝わってきた。男性は中国の漢文を使うので、女性は漢文の使用を避ける。そこから女性は男性に尊敬の意を表す。室町時代、日本は封建社会になり、女房詞の現出がこの時代の印である。女房詞を手本にして、江戸時代の町人の娘の女言葉が出来上がった。男性が乱暴な言葉を使うのが普通である。明治時代は国家的教育の中で女性のことばの枞をはめ、性差が確立した。戦後、女性が解放され、男性も優雅を求め、言葉の制約がとり除かれてきた。「男性語女性化」「女性語男性化」の現象が現れた。
日本語における女ことばと男ことばの違いが、終助詞、人称代名詞、感嘆語、敬語などから表れている。終助詞の面で、女性が男性ことばの「さ」「な」も使い、男性も女性ことばの「の」を使うのである。人称代名詞の面で、現代日本女性は男性と平等になるように、下品に感じられる詞があまり使われていない。また感嘆詞の面でもこの現象があるのである。現代敬語の多くは、人の社交性また教養性を表す言語である。古くの上下関係また男尊女卑の表す言葉ではない。現代女性は平等を追求している。
この男女用語の言葉の変化から、日本の男女平等の思想が人の心の浸透していると分かった。女性が男性の付属ではない、自立を持っている。女性の地位が段々高くなった。実は日本には男女同権が社会的に実質に確立した。男女は中性化になっている。日本の経済は発展とともに、文化も開放になる。男女が互いに尊敬して、男性がもっとジェントルマンになる。日本の家庭制度も次第に衰えている。
日本語の男女用語についての研究を通して、日本文化は皆に更に知られるのためである。これから、日本人と深く交流できればと思われている。
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参考文献
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謝
辞
本論文を仕上るまでに多くの方々が力になってくださいました。記して感謝の意を表したく存じます。
指導教官の99先生からは、研究に臨む基本姿勢とともに言葉を研究することの楽しさを学びました。
馮莉先生に論文についてたくさんの貴重なコメントをいただきまして、心底から感謝の意を表明します。
先生のご激励と惜しみないご協力なくしては、本論文がこのような姿になることはありませんでした。
本当にありがとうございました。