第一篇:海外の日本语教育における日本文化の学习を促すコースと教师の役割
海外の日本語教育における日本文化の学習を促すコースと教師の役割
一、研究の目的・意義
日本文化の学習は、海外での日本語教育にとっても重要である。外国語の学習は、目標文化の理解なくしては成り立たない。現在の日本語教育の現場でも、日本の文化や社会に何の言及もなしに、狭義の日本語を教えることは、まずないだろう。ネウストプニーの提唱してきたJapan Literacy(1989)という考え方があるが、その中でも、社会文化能力、社会言語能力、言語能力のすべてが重要で、言語能力の習得は社会文化、社会言語能力の習得に支えられて起こるものとされている。しかし、宮崎(2000)にあるように、日本における日本社会文化、或いは、日本事情の学習と、海外におけるその学習は、異なったものとして考察される必要があると思う。
海外の日本語教育現場は日本国内での日本語教育と比較して、学習者が接触可能な日本文化リソースがその量、バラエティーともに限定されていることである。国内・海外という両極的な括り方は不適当であることは承知しているが、ここではあえて海外という用語を使い、程度の差こそあれ、日本社会文化リソースが限定された現場を指すこととする。つまり、海外の日本語教育現場では、日本の社会文化に浸った国内での日本語教育の現場より、さらに意識的な日本文化、日本事情の学習が目指されなければならないという点を念頭において、海外の日本語教育を取り上げて考察する必要があると考える。
海外の日本語教育現場では、学習者が直接日本に触れること、日本人・社会と相互作用を持つこと、そして、自己検証していくことが、実際問題として難しい。しかし、日本文化を自らの知識として構築していくことが真の学習であることは、海外においても同じであり、日本事情を学ぶべきであること、つまり、自律的な学習者になるべきことも、また同じである。
二、研究内容
五つの部分に分けて、検討していきたい。1、日本文化の画一化と多様性
この部分の中に、海外の日本語教育現場での日本文化の現状について簡単に紹介したい。一般的に言って、教師による文化の提示は一方的な知識の伝達に終わり、学習者にとっては面白みがなく、学習効果もないことが多い。しかも、教科書、ビデオなどの教材から、または、一教師の経験から、ある事象を日本文化の表れとして提示し、それを一般化し、画一的に扱ってしまうことが往々してある。学習者が批判なく受け入れてしまうことが考えられる。現在、日本はその急変とともに様々な分野での多様化が認められてきている。日本在住の日本語学習者はその多様性を肌で感じ、画一的な文化の提示を受けたとしても、それに疑問を抱くきっかけがあるだろう。2、海外で得られる日本文化学習リソース
海外の日本語教育現場で得られる日本文化学習リソースは、その立地環境によって量、質ともに差が大きい。ここでの日本語教師の役割は、学習者がこれらのリソースに気付くきっかけを作り、また、それを活用していけるような動機づけ、理由付けをしてやることにある。そして、例えば、学習者が、地域社会の様々な人的リソースに出会うことで、日本人日本教師だけを見て形成してきた日本人像が崩れ、学習者なりの日本人像を再構築できろことが望ましい。3、学習者の自律
学習者が自分なりの日本人像を構築するということ、1歩進んで、学習者が自分なりに日本文化を理解していくことは、教師中心の一斉授業、教師からの一方的で画一的な、しかも、脚色された日本文化、社会の提示を離れ、学習者を自律した一個の人間として認めていくことにもつながる。4、ステレオタイプ
日本文化の意味形成はどこから始まるのか。その始まりがステレオタイプであってもよいのではないかと考えている。5、ニューサウスウェールズ大学の試み
ニューサウスウェールズ大学では、中級日本語コースで過去5年間にわたり、シドニーで入手可能なリソースを活用し、スキーマを増やして行くことによって、学習者が自分達なりにバランスよく日本を理解していけるような日本語教育活動を目指して、学生に調査研究を課している。
三、研究方法 1、2、本研究に関連する文献レビューを行う。先行研究をまとめて、定義、学習者グループが小規模な調査研究を行う。分析などを参考する。
四、期待された結果
海外の日本語教育の現場でも、一律の教材を使うことから離れて、学習者がそれぞれ様々なリソースを持ちより、それを分かち合い検証しあうことで、できる限りバランスの取れた日本文化理解を学習者の自律性を生かしながら目指していけることを示したい。海外の日本教師は、日本にいる場合以上に教師の役割に注意を払う必要があると思われる。
第二篇:新闻における日本语由来の新语に関する一考察
新聞における日本語由来の新語に関する一考察
譙燕(2008)は、『新聞における日本語由来新語の使用状況に関する調査研究』のなかで、「20世紀70年代の中日国交正常化以来、中日両国の文化交流が著しく発展することに伴って、中国語には日本語由来の新語が非常的多く現れるようになった。」と述べている。現在は、経済、科学のような分野で日本語由来の新語が比較的多く使用されているといえる。赤潮のような語は、これから中国語に定着していくものがあると考えられる。プランクトンの異常増殖のために海水さが変色して現れる「赤潮」という日本語由来の新語は、『现代汉语词典(第五版)』(2005年)に収録されている。辞書によって、現在は専門用語として、中国語に定着していく。
経済のニュースでは「融資」のような日本語由来の新語が比較的多く使用される。『现代汉语词典(第五版)』(2005年)に収録されている。中国語に定着していく。
そういうような新語、つまり漢字の字形を使用する、日本で創造され、経済、科学など分野のものを表す語彙は、中国語の新語になり、定着することが少なくないと考えられる。つまり、経済、科学のような分野で、中国語が無いの概念を現れるの語彙は中国語に定着することは多くなっていくというわけである。今後、中国と日本の科学、経済の交流が続くことにより、中国語に定着していく言葉が多くなっていくと思われる。
参考文献
譙燕(2008)「新聞における日本語由来新語の使用状況に関する調査研究」 戴宝玉編 『日本語研究』 上海外語教育出版社
中国社会科学研究院语言研究所词典编辑室編(2005)『现代汉语词典(第五版)』 商务印书馆