第一篇:很爱很爱你 日语歌词
長い間
長(なが)い間(あいだ)待(ま)たせてごめん
また急(きゅう)に仕事(しごと)が入(はい)った
いつも一绪(いっしょ)にいられなくて
淋(さび)しい思(おも)いをさせたね
逢(あ)えない時(とき)受話器(じゅわき)からきこえる 君(きみ)の声(こえ)がかすれてる
久(ひさ)しぶりに逢(あ)った時(とき)の
君(きみ)の笑顔(えがお)が胸(むね)をさらってゆく
気(き)づいたのあなたがこんなに 胸(むね)の中(なか)にいること 愛(あい)してる まさかねそんな事(こと)言(い)えない
あなたのその言葉(ことば)だけを信(しん)じて
今日(きょう)まで待(ま)っていた私(わたし)
笑顔(えがお)だけは 忘(わす)れないように
あなたのそばにいたいから
笑(わら)ってるあなたのそばでは 素直(すなお)になれるの 爱(あい)してる でもまさかねそんな事(こと)言(い)えない
気(き)づいたのあなたがこんなに 胸(むね)の中(なか)にいること 愛(あい)してる まさかねそんな事(こと)言(い)えない 笑(わら)ってるあなたのそばでは 素直(すなお)になれるの 爱(あい)してる でもまさかねそんな事(こと)言(い)えない
気(き)づいたのあなたがこんなに 胸(むね)の中(なか)にいること 愛(あい)してる まさかねそんな事(こと)言(い)えない 笑(わら)ってるあなたのそばでは 素直(すなお)になれるの 爱(あい)してる でもまさかねそんな事(こと)言(い)えない
第二篇:很爱很爱你日语歌词
長い間
長い間待たせてごめん
また急に仕事が入った
いつも一緒にいられなくて
寂しい思いをさせたね
逢えない時 受話器から聞こえる
君の声が掠れてる
久し振りに逢った時の
君の笑顔が胸をさらっていく
気付いたのあなたがこんなに
胸の中にいること
愛してる
まさかねそんな事言えない
あなたのその言葉だけを信じて
今日まで待っていた私
笑顔だけは 忘れないように
あなたの側にいたいから
笑ってるあなたの側では 素直になれるの愛してる でもまさかねそんな事言えない気付いたのあなたがこんなに
胸の中にいること
愛してる まさかねそんな事言えない
笑ってるあなたの側では 素直になれるの愛してる でもまさかねそんな事言えない
気付いたのあなたがこんなに 胸の中にいること愛してる まさかねそんな事言えない
笑ってるあなたの側では 素直になれるの愛してる ではまさかねそんな事言えない
第三篇:很爱很爱你_日文版歌词
なが
あいだ ま
长 い 间
待たせてごめん
让你等了那么久真对不起
しごと
また急に 仕事 が入った
我又突然有急事去工作了
いしょう
いつも 一绪 にいられなくて
我们一直不在一起
さび
おも
淋 しい 思 いをさせたね
这使你觉得很寂寞吧
あ
逢えないとき
无法见面的时候
じゅわき
受话器 からきこえる
能从电话里听见
きみ
こえ
君 の声 がかすれてる
你的声音变得沙哑
ひさ
あ
とき
久 しぶりに逢った时 の
很久没见之后的相逢
きみ
えがお
むね
君 の笑颜 がを胸 さらっていく 你的笑容总会充满在我的心里
き
気づいたのあなたが
我觉察到了
むね
なか
こんなに 胸 の中にいること
你在我心里已经如此地重要
あい
爱 してる まさかね
想说我爱你
こと い
そんな事 言えない
但这种话我说不出口
ことば
しん
あなたのその言叶 だけを信じて
我只相信你说的那些话语
きょう
ま
わたし
今日 まで待っていた私
一直等到现在的我
えがお
わす
笑颜 だけは 忘 れないように
只是你的笑脸 似乎我就难以忘却
そば
あなたの侧 にいたいから
因为我想一直留在你身边
わら
そば
笑ってるあなたの侧 では
在你的身边微笑着
すなお
素直になれるの
我觉得很自在
あい
爱 してる でもまさかね
想说我爱你
こと い
そんな 事 言 えない
但这种话我说不出口
き
*気づいたのあなたが
我觉察到了 むね
なか
こんなに胸 の中 にいること
你在我心里已经如此地重要
あい
爱 してる まさかね
想说我爱你
こと い
そんな事 言えない
但这种话我说不出口
わら
そば
笑ってるあなたの侧では
在你的身边微笑着
すなお
素直になれるの
あい
爱してる でもまさかね
こと い
そんな事 言えない 我觉得很自在
想说我爱你
但这种话我说不出口
第四篇:很爱很爱你杂文随笔
上午老大说他前几天看见了刘若英的新书,打算带给我,回头找不到了。
我一个人哈哈笑了半天。
说,她目前只有新电影要上映,新书是没有的。
喜欢刘若英这件事早就不是什么秘密了,至少有我朋友圈,微博,以及QQ的人都知道。
前两年每次去看演唱会的前夕总要提前跟老大打声招呼,不然假期是没有的。他总是说,好的,趁着年轻多恣意妄为下也是不错的。
而爸妈也总是在周末看完我朋友圈怪异的定位时会打个电话追问我在哪?
实话实说,在某某地看演唱会。
他们一准知道是刘若英。也不多说什么,只是叮嘱我注意安全。
偶有抱怨说,花个好几千,舟车劳顿去听几首歌这事不值当。
我也不好辩驳,谁让他们是长辈呢!
同事有时也会说一起去看,让我提前订票。于是就有了金华,扬州的恣意妄为。
昨天网易云收回了她的歌的版权,各种社交软件一派祥和。毕竟又可以去她的歌底下写故事评论了。
至今我都无法定义她在我心目中是一个怎样的存在?
反倒后来听懂了几首歌,在某些情感濒临绝境时。
每年放长假回来上班时,心里总是有种欲罢不能的挫败感。远距离的想念,以及开始几天的无所适从,特别痛恨离别这个字眼。
虽然在外的生活条件比家里舒服,虽然待在家里总是有不厌其烦的唠叨,虽然抱怨一年不如一年的节日氛围,但或短或长的人生,相见的次数终归是屈指可数的。此生父母子女一场,终归是场渐行渐远的旅程,总有一个人要先离开。
刚到上海站,已经快晚上九点了。身心疲乏地拖着行李箱进地铁站,却乘反了方向,发觉时,半个小时已经过去了。
不知道最后一班公交是几点,拿出手机随意的查询了起来。手机播放器里随机播放到她最近一场演唱会live版本的歌,顿时心里像被什么温暖过一样。
远距离的焦虑,旅程的困乏,都被抛之脑后。人生好像有了新的可能。
如果人生必须要感谢一些人的话,她应该排得上前三吧!
其实一向以来都是安静惯了的,不会主动去维系什么情感,对这个世界也是保持着一定的距离。
本质上的东西未曾背离过,比如老友有什么需要,总不会推脱。但鲜少去闲聊,或者见面也只是回程停留时大家吃个饭。现在这种机会就更少了。有的人甚至一两年都未曾见面,都活在彼此的朋友圈里。
前天老友生日,看见她刷微博。我还诧异说,不应该是隔天的吗?
晚上发了条讯息简单的祝福了下。
数字记忆能力简直白痴,但总是在每年过完年的时候知道心里还有件事,但永远记得的那天是比她生日晚一天。也算是无心之过。
她说,除了家人,就是你了。
正因为自己秉持的这种信仰,十二年,甚至更久远的日子里,换了多少播放器,可她的歌依旧保留在最重要的位置上。
有人评价过她的歌,千万不要在难过的时候听,不然整个人会彻底奔溃的。
我试过,就在上海的最后一天。把《很爱很爱你》听到麻木。
因为有了信念,才决定要付诸行动。
咬牙跺脚买了上海返场的门票,日子慢慢靠近,心情愈发紧张。为这人生的第一场演唱会,也为这第一次会面悸动到失眠。
我不知道她当天要唱什么,于是用了一个下午整理出了她二十几张专辑的所有歌,想挑一些来推荐,可是最后无法删减,于是只能选几张自己特别喜欢的专辑。
可能是心诚则灵吧!无意去圈她,却被她点赞了。由于这篇浅薄的文字,认识了老谭。
加了微信,约着一起去看下一场。
绍兴我去了,是他给我匀的票。我去了,他也去了,但并没有像网上说的那样,网友见面,相见恨晚。
我们只是在不同的区域分享,收获着各自的感动。
也是因为这里,才误打误撞地见了正正两面。可能就此误了终身。
也是加微信,一开始各种拘谨,像两个淘宝客服在聊天。后来三个人建了个群,一起开荤段子。有可能彼此性格上有棱角,然后互删了彼此。
我一直郁闷了很久。谁不是宝宝来着,谁没有个脾气,绝不认输。
微信虽然拉黑了,但微博还关注着。
某天老谭私信说,上次多有冒犯,微信还是加回来吧!
我也不好故作矜持,顺势回了句,我不记得你号码了。
这是一次。
正正是第二次,好像是前不久通过老谭又加回了我微信。
我不再问为什么了,感觉多认识一些人总是好的。且三观五官还能有得聊。
开年第一天上班,就被告知要收拾收拾去小城上班。折腾了一个礼拜,待回上海时,只一天的时间。
觉得要郑重告别,不留遗憾。
至今都觉得北京那一次过于仓促,还有那么多的地方没有去过,想着来日方长,却也是未有归期。
也就是因为这几天和正正偶有聊天,知道他失恋了。正好我也有空,要不大家聚聚?
一拍即合。
临了要见面时却有点后怕,想临阵脱逃。可是人生总是要有第一次的孤勇去见面的,何况在这之前已经有了两面之交。微博,微信也有聊过。
怕只怕我们都太闷了。
结果是闷的,舒适且不尴尬的沉默,只做到了后五个字。但彼此间的气场是有所了解了。
期间三个人的微信群又热闹起来了,老谭在异国他乡发来贺电,恭喜两位网红合体。发红包要合照,又说了好多有的没的。
看完电影回去时,第一场春雨拍打在脸上,耳机单曲循环着《很爱很爱你》。
只想谢谢刘若英,谢谢Renext我敢,谢谢正正,谢谢老谭,也谢谢我自己。
在这座不太喜欢的城里,感受到了同温层,甚至更深刻的情感。
三年半时间在这座城发生的所有不愉快,我们一笔勾销。愿改天回来,我们依旧半生少年模样。
第五篇:很爱很爱你啊,亲爱的老妈杂文随笔
手腕上有一只很细的银镯,非常普通的款式,上无任何修饰。若说它有任何特别之处,那就是它的内侧刻有「长命富贵」的字样。一直都不太喜欢带首饰,因为觉得累赘。这个手镯是我妈不知从何处得来的,特要我戴着的。
嗯……开始时的确觉得新奇好玩,所以欣然从命。现在嘛?赏之无味,弃之又不忍。好歹是我妈的心意,总不忍心辜负啊。从前一直以为我妈通达事理睿智明哲是个不信神佛的人呐,不晓得从何时起竟也如此认真“迷信”起来。算来也近知天命的年纪了,怎么反而信了命运的邪啊?
还记得过年的时候,老妈一脸虔敬,向她的神佛求祈,祈愿家人平安顺遂。我还跟她玩笑说,我向来运道不佳,不如帮我来年转运啊?这世上恐怕只有母亲会把儿女的戏言当真,更何况命途一事于她们而言「兹事体大」。所以,除夕之夜,我妈特特跑到老家附近村庄一个不知来历的小庙去烧香……
若换了平常,我定又要笑她痴愚了。还会义正言辞地告诉她神佛之乌有,求拜之徒劳。告诉她,如来原是幻,何以渡苍生?但是看着她一遍遍地重复着在我看来可笑无谓的求祷,看着她一次次满怀期待地跳入众神的樊篱……这些话,我实在说不出口。
是啊,如来是幻,但母亲对子女的希冀与祈愿真实无虚!一次次的真心枉付,一次次的徒劳无功,是她们无以安放的牵挂和盼望啊~ 还有,我觉得有时候是非真相可能真的没那么重要,抵不上一句「我喜欢、我愿意」。所以,她开心就好咯O_o
PS:不知道是不是老妈的祷告起了作用呢,我今年直到目前为止运道尚佳。但我可不谢神佛,我要谢我老妈多年来无私的枯荣,谢她无时或放的挂牵。我未做过母亲,但我已了然身为母亲所有的牵念、惧怕、欢欣、失落……我未见过神明,但我见过比神明更让我叹服到几乎要俯首下拜的母亲。那么多的生命由她护佑,那么多的愿与盼由她一力承担,众多牵念相连才有了绝美的人间如我们所见!
祝愿所有的母亲安乐无虞!