第一篇:书き取りの答え
2011-3-8
1.ぬヌnu2.ちチchi(ti)3.ねネne4.ふフfu(hu)5.そソso6.ひヒhi
7.なナna8.ほホho9.けケke
10.せセse
1.すこし
3.ちかい
5.のこす
si スコシsukoshi チカイchikaitiノコスnokosutu 2.つくえツクエtsukue4.ねこ ネコneko
第二篇:论文の书き方
論文の書き方
論文では、論理の展開や書き方に違いがあるといわれてきた。基本に違いはないと考えるべきである。
内容に間違いがない。故意の間違い(=研究者として自殺)は論外として、データの間違いから文法・単語の間違いまで様々なレベルの間違いが考えられるが、あらゆる点で間違いがないことが論文には要求される。ただし、間違いがないことは、正しいということとは異なる。(たとえばハドレーの論文の内容は歴史とともに修正されたが、最も偉大な論文の一つである。)
文章が正確で厳密であること。これは上記の間違いがないということとは異なる。文章が正確で厳密であるということは、誰がどのように読んでも、著者が意図したこと以外の意味を持たない、つまり二意性が完全に排除されていなければならないということである。
基本的に1論文、1主題である。解説や総説と異なり、学術的な原著論文では、一つひとつの論文は、独立で単体である。その中に込められる主題はひとつであるべきである。では、「主題」とはなにか、これは著者がどれだけ具体的なものに絞り込めるかによる。
論文の形式にあっていること。論文には形式がある。一般的に共通する形式から、ジャーナル毎に細かく決まっている形式まで様々なレベルでの形式がある。分かりやすさとも共通するが、論文が読まれてわかりやすいものであるためには、形式にそうものでなければならない。
アウトラインは資料から生まれる。まず、選定したテーマから具体的な論題を決定する。その論題に対する仮説を立てるために、資料を読み込み分析し、資料を配列し比較することにより、論文の全体構想が浮かび上がり、徐々にアウトラインができてくる。
論文全体の構成は「序論 本論 結論」に大きく分けて構成する。序論は本論で論じる問題について予告であり、論題を選んだ理由、動機を書く。論文の目的、研究の範囲、意義、方法を述べる。本論は論文の主体である。ここでは論旨を展開する。自分の主張を引用文やデータを使い証明する。結論は論文の終わりである。序論に示された目的、範囲、研究法などが結実されていなくてはならない。そして将来への発展の道を示唆する。
第三篇:卒业论文の书き方(毕业论文写作方法)
以下では、卒業論文の書き方についての一般的なガイドラインを示します。なお、卒論の作成・提出方法は各研究室で異なるので、各研究室の指導教官の指示に従って下さい。
★ 卒論作成のスケジュール
卒論の提出時期は、大体、2月下旬から3月初めです。従って、そこから逆算すると 1月中に研究を完成させ、2月に入ったら卒論を書きはじめることを目標にすればよいでしょう。論文をはじめて書く人がほとんどだと思うので、草稿が書けた段階で指導教官に見てもらう ことが必要になります。指導教官からアドバイスを受けて修正することを何回か繰り返すことになるので、修正の期間として最低1週間は見ておいた方がよいでしょう。なお、この頃になると時間的にも余裕がなくなってきます。マシントラブルが起こって、折角書いた論文のファイルが消えてしまったり開けなくなると取り返しがつかないことになります。重要なファイルは必ずバックアップを取っておきましょう。
(先生の内輪話)
卒業論文は通常、卒論発表会で先生の間で回覧されます。発表会では一人当りの発表時間は限られているので、先生は論文全部を詳しく読む時間はありません。この限られた時間で先生が目を通すのは 論文の概要です。したがって、ここだけはきっちり書いておきましょう(^o^)。それから参考文献が尐なすぎると、勉強不足、調査不足が露呈します。尐なくとも5つ。教科書的なものだけでなく、関連研究の論文を引用した方がよい。研究会などで自分の研究を外部発表した場合も、その論文を参考文献のところに含めておきましょう。ページ数は 12ポイントで 20ページ程度が平均的。あまりにもページ数が尐ないと目立つので、図を入れたり章と章の間の余白をうまく活用しましょう(^_^;)。以下では、具体的な書き方について説明します。
★ 卒業論文の書き方
卒業論文は LaTeX や Word などのワープロで書きます。なお、卒論を LaTeX で作成する場合のテンプレート(sotsuron.tex)は ここに、見本の PDF ファイル(sotsuron.pdf)は ここにある。(行数、文字数、テキスト幅などは特に決っていないので、このテンプレートはあくまでも標準的なものです。)論文の構成は大体、以下のようになります。
o 表紙
o 概要(1ぺージ)
o 目次(1ぺージ)
o 本論(10ページ以上)
o 結論(1ページ)
o 付録(5ページ以下)
o 参考文献(1ぺージ以上)
以下、それぞれの書き方について述べましょう。
■ 表紙
標準的な形式は以下のようなものである。
┌┐
XXXX卒 業 論 文
(研究テーマ)
XXXX年YY月ZZ日 ←提出日
△△△△学科
(学生番号:********)
□□ □□← 氏名
◯◯大学◯◯学部
└┘
■ 概要
研究論文の内容について、500-600 字程度でまとめる。この概要を読めば、何を研究したのかがわかるように書く。具体的には、どういう問題について、どのような研究を行って、その結果どのような結論が得られたか、というポイントについて簡潔にまとめる。
■ 目次
章立てと対応ページを書く。
(書き方の例)
目次頁
第1章はじめに3
1.1 研究の背景3
1.2 研究の目的4
1.3 本論文の構成5
第2章準備6
第3章本論11
3.1問題提起11
3.2研究の説明13
第4章 考察18
第5章 結論20
参考文献21
付録2
2章は必要に応じて増やしてもよい。
■ 内容
研究論文の本体で、以下のような構成で書く。
(なお、以下の章のタイトルは各自で適当に変えてよい)
o 第1章 はじめに
研究の背景・動機・目的などを述べる。研究の背景については、自
分が行った研究分野において、これまでどのような研究が行われて
きたかを、文献などを参考にして記述する。なお、文献の引用は以
下のように書く(参考文献の書き方参照)。
....問題解決にはさまざまな探索法が用いられている [1]。このうち、ゲームにおける探索戦略としては α-β 法 [2] がある。...研究の背景を書くのは実は難しい。これは、それなりの文章を書くためには、その分野の十分な知識が必要とされるからです。卒業研究をする学生は、当然、キャリアが浅いため、教科書や参考文献に書いてある文章を参考に書くことが多くなります。しかし、文献に書いてある文章をそのまま丸写しをしてはいけない。これは著作権の問題とも絡みます。では、どうすればよいか? 文献に書いてある文章を自分の言葉で言い替えること、それから尐なくとも2つ以上の文献を調べて、複数の文献に書いてある文章から必要な文章を取り出して、自分流にアレンジすればよいのです。文献に書いてある文章をそのまま引用する必要がある場合は「」などでくくって、....人工知能の未来について、アメリカの計算機科学者カーツワイルは 1998年の著書[3]の中で以下のように予言している。「2029年までにダウンロード可能な思考が登場し、2099年までには肉体を持たない知性体が出現することは間違いない」....のように書きます。
研究の動機・目的については、上述した背景において現状でどのような問題があり、その問題を解決するためにどのような手段で研究を行い、その結果どのような効果が期待されるか、といったことを記述する。また、章の最後に論文の構成について手短かに書く。
(書き方の例)
..........研究の背景・動機・目的など...........本論文では....について研究を行う。
本論文の以下の構成は次のようになっている。
第2章では、本論文で使用する諸概念について述べる。
第3章では、....の問題に対して、....のアルゴリズムを提案し、第4章では、提案されたアルゴリズムの評価を行う。
最後に、第5章で本論文の結論を述べる。
なお、付録として......を加えた。
o 第2章 準備
この論文で使う概念や用語の定義を説明する。文献にある定義を使
う場合は引用先を明示する。
o 第3章 本論
研究の内容について述べる中心部分。構成としては、本研究で対象
とする問題は何かを説明し、その問題に対して、本研究ではどのよ
うな手法により、どう問題を解いたのかを具体的に詳しく書く。各
章は内容を分けて、3.1, 3.2...のように細分化してもよい。また、論文の読みやすさを向上させるために、文章だけでなく、図や表な
どを使って、内容を視覚的に表現する工夫も必要。
o 第4章 考察
本研究の結果について、客観的な評価・考察を行う。本研究によっ
て、どのような有効性が確かめられたか、関連研究と比較してどの
ようなメリットがあるか、などを書く。またプラス面だけでなく、本研究の限界、問題点などについて言及することも必要である。ま
た、こうした問題点がなぜ生じたのか、その問題を解決するために
はどうすればよいか、などを考察する。
o 第5章 結論
本研究で何を明らかにしたのか、また、今後の課題としてどのよう
な問題が残されているのか、といったことをまとめる。
o 謝辞
本研究でお世話になった人へのお礼を簡潔に書く。
例:本研究を行うに当たり、ご指導を頂いた□□教授に感謝します。また、日常、有益な議論をして頂いた研究室の皆様に感謝します。
o 参考文献
論文を書く上で参考にした文献を、番号を振って列挙する。書籍の
場合は、(著者、本の名前、出版社、発行年)、論文や雑誌の解説記
事の場合は、(著者、論文名、出典、ページ、発行年)を書く。
(例)
[1] 長尾真:知識と推論,岩波講座ソフトウェア科学14(1988)
[2] 実近憲昭: ゲームと AI,人工知能学会誌 vol.5, pp.527-537, 1990.なお、LaTeX の bibliography 環境を利用すると、参考文献に番号が振られ、本文中で cite{長尾} のように引用すれば、自動的に文献番号が引用される。
o 付録
プログラムや実行結果など、本論を補足する上で必要と思われるも
のがあれば付録としてつける(なければつけなくてよい)。
※ 卒論を書く上での一般的注意
文章の文尾は、「~です」「~ます」ではなく、「~である」「~する」を使う。また、「~だろう」「~と思われる」「~のようだ」などのあいまいな表現は避け、「~である」「~と考えられる」「~と予想される」といった断言的な言い
回しを使う。
■ 論文の提出
提出用の卒論はプリントアウトしたものを市販のファイルに綴じる。ファイルが指定される場合もある。pdf ファイルなどの電子形式を提出することもある。
■ 論文の発表
PowerPoint などのプレゼンテーションソフトを使う。
■ 合否判定
卒論の内容・発表会の結果に基づき、学科の審査会で決定される。※ 発表スライドの構成について
発表時間が10分の場合、枚数は表紙を除いて 15 枚前後を目安にする。構成としては、o 表紙
o 研究の背景・動機(1~2ページ)
o 研究の目的(1ページ)
o 準備(2~3ページ)
o 本論(4~5ページ)
o 考察(1~2ページ)
o 結論(1ページ)
といった感じ。書き方としては、論文のように長い文章をそのまま書くのではなく、ポイントを箇条書きに書く。また、図・表・グラフ・デモなどを用いて、視覚的に訴えることを考える。
※ スライドの準備に当たっての注意事頄
これまで見てきた発表で悪いスライドの例をいくつか挙げる。
o 文章がぎっしり書かれている。字が小さくて読めない
スライドは論文ではありません。必要最小限の文章を箇条書きに。
小さくて読めない字は情報量ゼロ。聴く人にストレスを与えるだけ。o 論文の図をそのまま張り付け
論文の図やグラフをそのまま張り付けると、必然的に字が小さくな
ります。面倒でもスライド用に編集しなおしましょう。
o グラフに単位が書かれていない
縦軸、横軸の単位が書かれていないグラフには意味がないと考えて
下さい。
o 書いてあることが説明できない
専門用語など、質問されても答えられるように。知らないこと、説
明できないことをスライドに書いてはいけない!
o 前置きが長くて本論がなかなか始まらない
発表時間は限られています。前置きはそこそこに。肝心の研究内容
を発表する時間がなくなります。
文章が変なところで切れて改行されている
例えば、以下の表は、本アルゴリズムによるシミュレー
ションの結果である。
o 何も考えずに文章を書いていると、このように単語の途中で改行が入り、読みにくいスライドになります。
また、例えば、.......シミュレーションの結果、以下の表のようにな った。
o は、.......シミュレーションの結果を以下の表に示す。
o と書けば行数も1行減って見やすくなります。
第四篇:『甘えの构造』读书 心得
『甘えの構造』
首先,谈一下《日本人的心理结构》。这本书是土居健郎先生写的,他生于1920年,毕业于东京大学医学部精神病科,是一位临床心理专家。全书共五章,目前我才看完了第三章。
第一章阐明依赖心理的概念。作者以自己在美国的生活时经历过的事情为例,阐明了日本人和美国人的思维方式,内心感受之不同。譬如:吃冰激淋事件,I'am sorry事件,请客吃饭时对待客人的礼貌方式等等。文中通过对日本作家室町犀星的小说《杏子》和外国作家萨冈的小说《你好,乡愁》进行对比,阐述了日本与西方亲子关系的不同。作者还通过对“依赖”和“自我”意识之间的研究,说明了日本和西方的心理结构的不同。同时作者还通过对《桃太郎于全日本学生运动联合会》的文章分析,阐明了自己并没有像当时的某些评论家那样,把学生们一概视为不谙世事的年轻人,而是主张只责怪他们,是收拾不了事态的发展,因为较学生们的幼稚的依赖心理,社会权威的丧失乃是更为严重的问题。作者还通过依赖心理的分析,阐明了“全共会”的走向暴力极端的原因。这一章里,出现了很多有代表性的人物和专业术语。诸如:本尼迪克特,投射法心理检查,大佛次郎,森田正马,恋母情结,弗洛伊德,自爱欲,中村元,丸山真男等。
ひがひね
第二章作者力图阐述日本是一个彼此依赖的社会。通过一些日文词汇,企图从语言的角度考察文化。譬如:甘い、すねる、僻む、捻くれる、恨む、ふてくされる、やけくそになる、頼む、拘る、気兼ね、わだかまり(隔阂)、照れる等词语。并且详细解释了すみません的来源和各种用法。作者认为其既可以表示道歉又能表示感恩。作者补充了本尼迪克特的观点,认为日本人对别人的诚心帮助,不满足于仅仅表示谢意,他们总是在考虑给对方增添了麻烦,所以要表示歉意。作者认为“对不起”的心理与日本人的罪恶感,欺辱感密切相关。作者还就人情和义理展开论述。认为两者既对立又不可分割。作者把义理比作容器,把人情比作器中之物。就“他人”与“客套”来讲,日本除了亲子关系,其他的人际关系都是向外延伸的,逐渐疏远的。此外,作者还就内与外展开了论述。作者强调日语中的“内”一般说的是家庭内部,或者是团伙,或是指某一个集团,不同于英语的“个人权利”,专指个人本身。在日本既没有确立脱离集团的个人自由,更缺乏超越集团或个人的所谓“公共精神”。此外,作者还说明了日本“顺从”和“吸收”的特点。强调日本在接受外来文化时,似乎采取全盘接受,不加任何批判的态度,这实际上是有利于维护彼此依赖的人际关系,“吸收采纳”本身也是依赖心理的一种延续。作者还试图通过历史上的战争胜利,说明日本“顺从”和“吸收”的优越性。此外,作者还就本尼迪克特的罪恶感文化和耻辱心文化谈了自己的观点。通过举例说明耻辱文化比罪恶文化更进步。诸如:乃木将军的切腹自杀为明治天皇殉死事件等。最后,作者りこう就依赖心理的来源,谈了一些个人的见解。他认为日本人到成年后还始终保持着一种童心。举例诸如:坊ちゃんはお利口さんですね。お嬢ちゃんの洋服はきれいですね等。这一章中出现了的代表性人名和专业术语有:柳田国男,亚里士多德Aristoteles,朋霍斐尔Bonhoeffer等。
第三章谈了依赖的逻辑。作者首先分析了语言和心理的关系。认为语言结构的差异影响了人类精神发展。并且引用了哥德的话说:“不懂外语的人也不会真正懂得本国的语言。”作者认为,语言并不仅仅是人们表达感情的手段,而是在语言形态本身之中已刻下了人们各种心理活动的烙印。作者试图分析日语中甘い的词源,认为这与儿语ウマウマ有关。作者还借用了泉靖一等的看法。即他们认为日本人 1
心目中的天空是“连接大地的天空”,而游牧民则是“与大地隔绝的天空”。作者还就依赖心理和日本人的思维方式展开论述,对日本人的审美观进行了若干考察。提到了日本人最为欣赏的是“寂寞”和“孤高”。作者还就“洒落”谈了一些看法。认为其既含有孤高自傲,又要依赖别人。之后,著者就依赖和自由谈了自己的看法,并且就此说明人本的自由和西方的freedom的区别。其中引用了文艺复兴时期的学者比维斯的一段话:“要想接受爱就得感谢对方,感谢之情又往往夹杂着羞耻心,羞耻心自然又会妨碍感谢之念〉”。作者说到导致中世纪欧洲封建政治体制崩溃的原因自是很多,其中一点是欧洲近代初期个人的自由以及政治的自由观念深入人心。作者反问所谓的西方自由究竟要把人类引向何处?说穿了不就是满足个人欲望,追求与参与者的一种连带吗?若如此,就同日本的依赖心理殊途同归。最后,作者叹了关于“气”的概念,企图说明日本固有的“気の病”、“気ちがい”比西方的原文更能表达神经症和精神病的原意。这一章出现的代表性人名有:铃木大拙,本居宣长,西田几多郎,津田左右吉,奥古斯丁Augustinus,马丁路德,马克思,尼采,萨特等。
第四章作者从偏执症的心理分析,对人恐怖症,执着,同性恋感情,懊悔和遗憾,受迫害感,没有主见等七个方面对依赖心理的病理展开了分析。森田正马认为“偏执症”是由于注意力过度集中而产生的一种神经质病症。在临床治疗时大夫会提醒患者,你对某一事物过分注意了。如果病情较轻,一直以为自己有什么病,抱有恐惧感的患者,听了医生的这番提醒后,他们往往会放松情绪,其病症也随之而消失。作者认为“偏执症”作为日本独特的神经症理论,其心理与依赖有关,可以理解为是依赖心理的一种病态。在治疗过程中频频显露出种种猜疑,顾忌和拘泥。另外,作者还就“对人恐怖症”多见于日本的原因作了说明。作者认为羞耻感在传统的日本社会里会得到格外的关照,爱护。但在近代以来受西方文化的影响,人与人之间的这种相互理解越来越少,羞耻感成了消极因素,他们渐渐趋于内向,变得越发固执,出现了见人脸红,怕人说丑,畏人眼目等。作者认为导致日本人从面对周围意识到羞耻变为面对周围产生恐惧感的根本原因是整个社会逐渐失去了对个人羞耻的理解和尊重。就日本人的执着而言,作者认为日本人生性喜欢互相依赖,而实际上又很难去实施,于是他们要拼命否定依赖,最终陷入执着的苦海中不能自拔。著者对同性恋感情作了说明,强调了其与同性恋的区别。它是指同性之间的依恋情感强于异性,类似于我们通常所说的友情。作者通过对夏目漱石的名作《心》的分析,借主人公“先生”之口,阐明了自己对同性恋感情的看法。即:“当你回想起曾经跪倒在他的膝下,今天你会恨不得一脚踏在他的头上。正因为我不愿将来忍受侮辱,所以现在才拒绝你,而宁可忍受眼前的寂寞。我们生逢在这自由,独立,充满自信的现代社会里,却不得不去忍受孤独之痛苦。”作者认为把同性恋感情的本质看成是依赖心理比较合适。在弗洛伊德理论中令人感兴趣的一点,在于他指出神经症和精神病患者导致发病的真正原因是同性恋感情在背后作怪,实际上同性恋感情在弗洛伊德理论中是一个及其关键的概念。夏目漱石认为同性恋感情挽救不了人类与生俱来的寂寞孤独之感,它只能使人陷入痛苦的深渊,这种满足只是一事的,终归要破灭。置身于“自由,独立,从满自信的现代社会”,希求依赖获得连带感只能是海市蜃楼般的一场空幻。作者例举了「悔やむ」,「悔しい」,「悔いる」等词语,阐述了后悔,懊悔,遗憾的区别。懊悔完全是内向的,而遗憾有意识到外部的一面,比如说“这次输得真遗憾”,具有向外发泄,又有面向自己的特点。弗洛伊德已经指出抑郁症的特征之一就是患者过度的自我责备,并且由此再进一步涉及懊悔心理,以阐明自责的性质。欧美人复仇的观念基于正义感,而日本人则与依赖心理有关。作者例举了源义经,楠正成,四十七勇士,西乡隆盛等败走麦城的英勇将士来进行说明这一观点。作者用了邪魔する、邪魔になる、邪魔にする来说明受迫害感。作者认为正常人受害意识并非个人问题,它与自己所属的集团不可分离,与此相反,受害妄想症的患者认为唯有自己一个人遭受迫害,在三合会上自己完全被孤立起来。他们很少体验过凭借依 2
赖而获得的与他人的共感。作者通过对「自分がない」的分析,说明主见的含义及人本人于西方人在有无主见上的差别。正如康德说:“人们及时在尚未能用语言表现自我时,当他用第一人称说话时,所有语言便不得不要思考自我了。”作者阐述了歇斯底里的概念:其行动动机在于吸引周围的注意,一方面敏感地对周围的动向做出反应,一方面常常会不择手段地采取过激行动。作者认为在普遍信仰个人重于集体的西方人心中同样存在着归属欲望,也就是一种依赖心理。这一章里,出现了很多有代表性的人物和专业术语。诸如:疑病素质,同性恋感情,柏拉图,康德等。
第五章,作者从青少年的反抗心理,现代人的异化,父权失坠的社会,连带感罪恶感受害者意识,叛逆的时代阐述了依赖心理与现代社会的关系。弗洛伊德把精神病的根源看作是恋母情结,换个角度说就是两代人的纠葛。父母本生有病症的倾向,夫妻不和家,造成父母的某一方与子女关系异常亲密。在这种情况下不会出现两代人之间的恋母情结,反而会出现所谓两代人界限不清的现象。这也正是一般精神分裂症患者的家庭关系。在谈到现代人的异化时,作者采取了消极的态度对待科学的进步。作者认为人类的生存不可能被对神的信仰或纯粹的理性所支配,正如文艺复兴是用纯粹理性的兴起来对抗神的启示一样,现代人正试图通过恢复自身生存的应有权利来对抗纯粹的理性。浮士德放弃任何思虑,任凭魔鬼梅菲斯特诱惑摆布,挺身冒险,在所不辞。歌德让浮士德探索终生而用不得满足,剧终,天使高声唱道:“让女性永远引导我们向前!”日本父权失坠的原因有两个方面,第一战败使旧的道德观受到了沉重打击,以往作为国民精神支柱的忠孝道德被全面否定了;第二,人们推崇的西方国家也陷入空前的混乱,世界思想潮流日趋向着否定父权的方向发展。这些weuyi也对日本直接或间接地产生了影响。弗洛伊德的精神分析有一点我很是匍匐。即,人的意识受无意识支配,高等精神作用与本能之间存在着密切的内在关系。这些对现代人的意识革命产生了极大的影响。有关日本的连带感罪恶感受害者意识,作者总结说,过于强调连带感可能抹杀个人独立的价值,即个人通过连带关系才能获得价值,个人为了拯救自我不得不去希冀连带。作者还分析了“全共斗”提出的自我否定论。作者认为这是他们通过与受害者的同化来否定自我本身的存在,进而消除自身的罪恶感,他们就是这样把集资变成受害者,诅咒那些对受害者不予关心的人,积极展开对施害者的攻击。在这种情况下,自我否定的原因越是牵强,其行动就必然会越发凶暴,残忍。作者还通过举例来说明现在是叛逆的时代。譬如:把カッコいい故意说错成儿语的カッチョイイ等。作者认为所谓的颓废其实从心理学上看,是一种幼儿性多重倒错现象的延长。即如同顽童一般,遇事易冲动,或者太任性等。上世纪的六十年代出现的嬉皮士现象就是典型的证明。作者对此现象不置可否,因为没有谁敢肯定,倒退究竟是一种不可救药的病态还是属于恢复健康的征兆。这一章里,出现了很多有代表性的人物和专业术语。诸如:黑格尔Hegel,荣格,婴儿的多重倒错等。
第五篇:私の好きな季节
私の好きな季節
皆さん、こにちは。私は二年二組の董娜娜と申します。どうぞよろしくお願いいたします.今日、わたし発表のテーマは私の好きな季節です。
一年間には四つ季節があります.春は暖かくて、万物がよみがえ;夏は熱くて、生活の希望も夏の陽光みたいに燃える;秋は涼しくて、働き者がちゃんと自分の成果をたのしめる;冬は寒くて、世界は静かになります。
私の好きな季節は春です。小さい頃から、春の緑色が大好きです.晴れた日には、澄み青い空を仰ぎ、柔らかい風に吹かれ、心地よい鳥の鳴き声を聞き、こんな日はとても幸せだと感じています.雨の日でも、小さな傘を指し、傘に落ちてくる雨つぶの音を聞き、風に揺れる花や草をみて、こんな雨の日もとても涼しいと思います。
「自然の色は何色ですか?」と聞かれると、私はもちろん「緑色」と答えます。緑色は春が至ることの象徴です。その中で最も美しいのは、早春の草木の色、つまり「新緑」だと思います。草木が芽を出して、虫や動物は冬眠から目覚めます。大自然はこの時期、自身の生命力を示します。この生命の新しい始まりを象徴する「新緑」を見ることは、いつも私を励ます。
私は「四節の春」はもちろん、「人生の春」も好きです。「人生の春」は青春だと思います。青春時代は人生で一番楽しく、これ同時に一番短い時代かもしれません。何の悩みもなく、毎日ただ夢に浸かっていました。季節の春は毎年一度やって来て、しかし、青春時代は一度しかありません。考えてみると、「時間を大切にする」と言う意味を教えてくれる気がします。
総じて言えば、春は自然の美しさを感じるとともに、自然から知恵を感じ取れます。これが、私は春が好きな理由です。
以上です。ご清聴ありがとうございました。