第一篇:《日本的温泉》 中国大学生参加日语自命题演讲比赛获奖作品(本站推荐)
日本的温泉
日本の温泉
“穿过县境的长长隧道,就是雪国了„„”这是我钟爱的日本大文豪川端康成的巨作《雪国》的开卷语,这段话在日本人中几乎是尽人皆知,无人不晓。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
日本大文豪川端康成さんの大作である「雪国」の冒頭の名句がご存知でしょうか。おそらく日本では知らない人がいないものと思います。もちろん、私も大好きです。
今年年初,爸爸的弟弟慷慨解囊,让我这个日本迷终于有了去往岛国探秘的机会。去年适逢川端康成百年诞辰,又是其代表作《雪国》一书面世60周年庆,国内的旅行社也适时地推出了“日本文化游”这样的宣传,我也就终于来到了新泻县汤泽,泡上了大名鼎鼎的“驹子汤”。之所以有名,是因为它名字就来自《雪国》一书中的主人公—驹子。
今年の年明け、日本にいる父の弟から送金してもらったおかげで、貧しい、日本びいきの私にはとうとう、いままで憧れていた島国の秘所を訪ねることができるようになりました。去年、「川端ご誕生百年祭」及び代表作「『雪国』刊行60週年祭」にあたる年で、国内の観光業者らは時に応じて「日本文化の旅」というPRをしていました。そこで、新潟の湯沢へ来てもう名を馳せた駒子湯との触れ合いが実現できました。駒子湯が有名な理由は「雪国」の主人公である駒子の名を取ったからです。
我今年19岁,还从来没见过温泉,就更别说泡了,不过自己的这一处女之泡竟然要在温泉的圣地得以实现,既好奇,又忐忑。
私は今年19歳です。かといって、温泉って行ったことなければ、温泉入浴なんて、もちろんしたこともありません。ですから、いよいよ人生初めての温泉との触れ合いは、温泉の聖地で行う時となると、わくわくしてから、びくびくもし始めていました。
晚饭后,准备泡温泉。
夕飯が済み、さあ、これから温泉だ。
导游姓林,来自台湾,没过几天就混熟了,他把我们召集到一起,开始上课:“今天我们泡混浴,必须赤身入浴,不允许穿泳衣,也不允许把毛巾带入池子里。”他好像非要看看大家的反应似,停了停,然后接着说:“各位,见着女的了,用不着紧张,你那玩艺儿,没人会觉得新鲜,用不着怕人看。再者说了,里面雾气腾腾的,想看明白也不那么容易。听了这番话后,那些年纪大点的叔叔大爷好像很兴奋,可是,我当时还真的就紧张起来了。ガイドさんは台湾人で、何日のつきあいで、すでに古い友人のようになっています。彼はツアーメンバを集め、講義を始めました。「大陸のみなさん、今日は、混浴ですよ。水着はだめ、裸で入浴、タオルをプールに持ち込んでもだめ。」そして、わざと僕たちの反応を確かめてみようかとのように、話をいったんとめてまた始めました。「皆さんはですね。女性の方に逢ったら、緊張しないで、あそこに付いているやつは別に珍しくされないし、見られても恥ずかしくしないでくださいね、しかも、水蒸気がもやもや立ち上っていますので、そう容易に確かめることではできないでしょう。」周りのじいちゃんたちの表情を見るとなんか刺激を受けて興奮しているように見えましたが、僕だけは、その場で心ぼそい気持ちでした。
来到了更衣间,就在这些粗壮的叔叔大爷中把自己给脱光了,看了看旁边的镜子,心里一凉,在这些人中,我的身材真是没什么可以自豪的,瘦瘦的,白白的,甚至还有几分自卑。犹豫再三,我还是披上浴衣,像一个迟到的学生怕被老师看到一样,悄悄地往里面溜去。更衣室に入ってたくましい体つきの爺ちゃんの中で服一枚も残さずに脱ぎ、横の壁にかけてある鏡を見ると、かなり萎縮していました。白くて痩せていている自分の体には自慢
できるところは何一つありませんでした。ためらったりした最後、浴衣を着て、まるで先生に見つけられたら大変だと思う授業に遅れた学生が教室に忍び込むように。
这时,就听后面有喊道:“客人,穿浴衣的不行!”我定眼一看,还是两个温泉里做事的中年妇女,我的个妈呀!快跑吧。我刚往前跑了两步,还是被截住了,我本能地捂紧浴衣,结果,一个在前面拦着,一个便开始脱我浴衣,我,只得乖乖地束手就擒,两只手自然而然也就放在了在中国都不好意思说起的地方。
突然、後ろから注意の声が聞こえました。「お客さん、浴衣姿はだめです。」と。足を止めて振り返ると、しまった!温泉の制服を着ている中年女性がふたりいるんじゃないですか!逃げようとしたが、緊張のあまり、逃げ切れませんでした。中年の女性は一人僕の前に、もう一人は後ろに来ていました。本能的に浴衣を脱がれないように抵抗していましたが、結局無理矢理に脱がれて降参。裸にされ、両手も中国では言っても恥ずかしいあそこに置いてあれを隠そうと必死でした。
我僵硬地弓着身子来到了浴池,哇,这地方太美了,它就坐落在怪石林立的山谷之间,翠绿的松针下是皑皑的白雪,温泉升腾起的水汽到了树上又结成了冰挂,风景煞是好看。几位先来的叔叔大爷们泡在里面不停地搓着身子,我也找了个地儿下到了温泉里,此时才长长舒了一口气,,。
僕は不自然にしゃがんでプールに来ました。わあ!なんと素敵なところでしょう。怪石林立の山谷にあり、麓にある緑色の松の下には残雪に覆われていました。絶え間なく立ち上がっている水蒸気が木の枝に絡まってつららに変わっています。こんなすばらしい風景をいままで拝見したことはありませんでした。爺ちゃんたちはプールに浸かって楽しんでいました。僕も入り安いところから入り、なんだか落ち着けるようになりました。
过了一会儿,就听一位大爷说了一声“哎呀我的妈呀!”我抬起头一看,入口处走来了赤裸着上身,把毛巾挡在私处的美女,从她们的对话听得出,这是一对儿日本美女。来到池边时,极其有礼貌地对我们微笑致意,然后,下到水里,毛巾搭在背上,尽情享受起这上天恩赐的神汤了。泡了一会儿,那些叔叔大爷们相互间挤眉弄眼地,努努嘴,紧紧鼻子,传递着自己的疑惑。不知什么时候,也不知哪个带的头,竟然不好意思地一个个侧着身子一声不响地爬上去溜了,,。
しばらくすると、「あ、たいへんだ!」と。ある爺ちゃんの驚嘆の声が聞こえました。顔をあげてと、二人のべっぴんさんが嘘のように、ただ腰の当たりをタオルで隠し、上半身裸のまま、入り口から歩いてきました。使っていることばから間違いなく日本人であることが分かりました。礼儀作法正しく、会釈してくれながら、プールに入り、タオルを首に巻き、思う存分に神様から受け賜った神湯を楽しめ始めました。爺ちゃんたちはお互いに目をぱちぱちさせたり、口を尖らせたりして怪訝な気持ちを伝えていましたが、いつの間にか、誰が先かわからずに次々に体の側面を美女の二人に向けながら、音も立てずに上がって逃げてしまいました。
我鼓起勇气,用结结巴巴的日语说道:“我在这里没问题吧”其中的一位回答道:“当然,没问题,你们是中国人吧?”我说:“是”。之后,我竟然紧张得大脑一片空白,三年的日语这一刻也不知道飞到哪儿去了,,。最终我还是熬到两位美女走后才离开露天温泉,僕は勇気を出して、どもりどもり、日本語で「僕、ここにいて大丈夫ですね?」と聞きました。「もちろん かまいませんわ。中国の方かしら?」という二人の一人が答えました。僕は「はい」と言えただけで、緊張のあまり頭の中が真っ白になり、三年かけて習得した日本語はどこへやらと。その二人のお嬢さんが上がってから、やっとのことで、この
露天プールを這い上がることができました。
夜深了,我一个人躺在床上静静地思量起傍晚发生的这一幕。为什么平时衣冠楚楚的日本人能够在此时此景下如此大大方方地把自己的裸体展示在陌生人的面前?为什么不嫌弃别人的体味而愿意共浴一池?我想,这其实就是在还原真实之美。当我们脱光遮在身上的这些衣物的时候,我们就是自然中的一份子,没有了卑贱贫富,没有了男尊女卑,在自然中陶醉,在自然中净化我们那受到严重污染的心灵,其实答案已经有了,赞美驹子的川端先生已经告诉我们了,那两位美女不就是日本的活体维纳斯嘛,她们不就是川端康成笔下的驹子吗?
深夜になり、ひとりでベットに横たわって、ついさっき起こった事を思いめぐらしていました。どうして、普段、服も礼儀もちゃんとしている日本の方はその場合、その時に限って正々堂々と自分の裸姿を見せてもかまわないのか、知らない人の体臭が入っているに違いないプールに喜んで入るその理由はいったいなんなんでしょうか。よく考えると、「雪国」の中で主人公である駒子さんの美を称えた川端康成さんがもう答えをくれたのではありませんか。人間ってとうてい同じものです。違っているのは着ている服としている仕事しかありません。このような外殻を剥くと、男女の違いも、貧富の違いも無くなり、自然そのものの一つになって自然の中で平等に付き合い、人間の生まれたところに戻り、昔そのままの、真実な美を還元できるのではありませんか。まさか、都市文化にひどく汚された僕の心がこのときこそ浄化され、あの傍若無人に温泉を楽しめていた日本人の若い子は生きているブ-ナス、康成さんに賞賛された駒子そのものと思います。
完
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