第一篇:鸠山由纪夫辞职演讲
国民の皆さんの昨年の暑い夏の戦い、その結果、日本の政治の歴史は大きく変わりました。
それは、国民の皆さんの判断は決して間違っていなかった。私は今でもそう確信をしています。
若いすばらしい国会議員がすくすくと育ち、国会の中で活動を始めてくれています。
それも、国民の皆さんの判断のおかげでございます。
政権交代によって、国民の皆さんのお暮らしが必ず良くなる。
その確信のもとで皆さん方がお選びいただき、私は総理大臣として、今日までその職を行ってまいりました。
皆さんと協力して日本の歴史を変えよう、官僚任せの政治を変えよう、政治主導、国民の皆さんが、主役になる政治をつくろう。そのように思いながら、今日まで頑張ってきたつもりでございます。
私はきょう、お集まりの国会議員の皆さんと一緒に、国民のための予算を成立させることができた。そのことを誇りに思っています。
ご案内の通り、子ども手当もスタートいたしました。高校の無償化も始まっています。
子どもに優しい、未来に魅力のある日本に変えていこう、その私たちの判断は、決して間違っていない。そう確信をしています。
産業を活性化させなきゃならない。特に1次産業が厳しい。農業を一生懸命やっておられる方々の個別所得保障制度、お米からではありますが、スタートさせていくこともできています。
そのことによって、1次産業がさらに、2次産業、3次産業と合わせて、独自産業として大いに再生される日も近い、私はそのようにも確信しています。
さまざまな変化が国民の暮らしの中で起きています。
水俣病もそうです。
さらには、医療崩壊が始まっている地域の医療をなんとかしなきゃいけない。
厳しい予算の中で、医療費用をわずかですが、増やすことができたのも、国民の皆さんの意思だと、私はそのように思っています。
これからもっともっと、人の命を大切にする政治、進めていかなければなりません。
ただ残念なことに、そのような私たち、政権与党のしっかりとした仕事が、必ずしも国民の皆さんの心に映っていません。国民の皆さんが、徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった。
そのことは残念でなりませんし、まさにそれは、私の不徳の致すところ。そのように思っています。
その原因、2つだけ申し上げます。
やはりその1つは、普天間の問題でありましょう。
沖縄の皆さんも徳之島の皆さんにも、ご迷惑をおかけしています。ただ、私は本当に、沖縄の外に米軍の基地をできるかぎり移すために努力をしなきゃいけないと。
今までのように、沖縄の中に基地を求めることが当たり前じゃないだろ
う。
その思いで半年間、努力をしてまいりましたが、結果として、県外にはなかなか届きませんでした。
これからも、県外にできるかぎり、彼らの仕事を外に移すように、努力をしてまいることはいうまでもありませんが、一方で、北朝鮮が韓国の哨戒艦を魚雷で沈没させるという事案も起きています。
北東アジアは、必ずしも安全安心が確保されている状況ではありません。
その中で、日米が信頼関係を保つということが、日本だけでなく、東アジアの平和と安定のために、不可欠なんだと。その思いのもとで、残念ながら、沖縄にご負担をお願いせざるを得なくなりました。
そのことで、沖縄の皆さまにもご迷惑をおかけしています。
そして特に、社民党さんに政権離脱という、厳しい思いをお与えしてしまったことを残念でなりません。
ただ皆さん、私もこれからも、社民党さんとはさまざま、国民新党さんとも共にはありますが、一緒に今まで仕事をさせていただいてきた。これからもできるかぎりの協力を、お願いを申し上げてまいりたい。さらに、沖縄の皆さん方にも、これからもできるかぎり、県外に米軍の基地というものを尐しずつでも、移すことができるように、新しい政権としては努力を重ねていくことは、何より大切だと思ってます。
社民党より、日米を重視した。けしからん。
その気持ちもわからないでもありません。
でもどうぞ、社民党さんとも協力関係を模索していきながら、今ここはやはり、日米の信頼関係を何としても、維持させていかなきゃならないという悲痛な思い、ご理解を願いたいと思っています。
私は、つまるところ、日本の平和、日本人自身でつくりあげていくときを、いつかは求めなきゃならないと思っています。
アメリカに依存し続ける安全保障、これから50年、100年、続けていいとは思いません。
そこのところもぜひ皆さん、ご理解いただいて、だから鳩山が何としても、尐しでも県外にと思ってきた。
その思い、ご理解を願えればと思っています。
その中に、私は、今回の普天間の本質が宿っている。そのように思っています。
いつか、私の時代は無理でありますが、あなた方の時代に、日本の平和をもっと日本人自身で、しっかりと、見つめあげていくことができるような、そんな環境をつくること。
現在の日米の同盟の重要性はいうまでもありませんが、一方で、そのことも、模索をしていただきたい。
私はその確信の中で、しかし、社民党さんを政権離脱という、大変厳しい道に追い込んでしまった。
その責任は取らなければならない。そのように感じております。今1つは、やはり、政治とカネの問題でありました。
そもそも私が、自民党を飛び出して、さきがけ、さらには民主党をつくり
あげてまいりましたのも、自民党政治ではだめだ。もっとお金にクリーンな政権をつくらなければ、国民の皆さん、政権に対して決して好意を持ってくれない。なんとしても、クリーンな政治を取り戻そうではないか。その思いでございました。
それが結果として、自分自身が政治資金規正法違反の元秘書を抱えていたなどということが、私自身、まったく想像だにしておりませんでした。
そしてそのことが、きょうご来会の議員の皆様方に、大変なご迷惑をおかけしてしまったことを、本当に申し訳なく。
何でクリーンであるはずの民主党の、しかも代表がこんな事件に巻き込まれるのか。
皆さんもさぞご苦労され、お怒りになったことだと思います。
私はそのような政治とカネに決別させる民主党を取り戻したいと思っています。
皆さん、いかがでしょうか。
このことで、私自身もこの職を引かせていただくことになりますが、この問題は、小沢幹事長にも政治資金規正法の議論があったことも皆様方、承知のことでございます。
先般、2度ほど幹事長ともご相談を申し上げながら、私も引きます。しかし、幹事長も恐縮ですが、幹事長の職を引いていただきたい。
そのことによって、新しい民主党、よりクリーンな民主党をつくり上げることができると、そのように申し上げました。
幹事長もわかったと、そのように申されたのでございます。
決して受動的という話ではありません。
お互いにその責めを果たさなくてはならない。
重ねて申しあげたいと思いますが、きょうも見えております小林 千代美議員にも、その責めをぜひ負っていただきたい。
誠にこの高い壇上から申し上げるのも恐縮でありますが、私たち民主党を再生させていくためには、とことんクリーンな民主党に戻そうじゃありませんか、皆さん。
そのためのご協力をよろしくお願いいたします。
第二篇:鸠山由纪夫辞职报告
今天上午,鸠山在日本国会内民主党的参众两院议员会议发表了长约20分钟的辞职演说,原文如下: ●简短开场:政权交替是国民的正确选择
お集まりのみなさんありがとうございます。そして国民の皆さんありがとうございました。昨年の暑い夏の戦いの結果、日本の政治の歴史は大きく変わった。国民の判断は決して間違っていなかった。若く素晴らしい国会議員がすくすくと育ち、国会の中で活動を続けています。国民の判断のおかげであります。
政権交代によって国民の皆さんの暮らしが必ず良くなるとの確信の下で、皆さんにお選びいただき、首相として今日までまいりました。皆さん方と協力して「日本の歴史を変えよう。官僚任せの政治ではなく、政治主導、国民が主役になる政治をつくろう」と思いながら今日まで頑張ってきたつもりであります。
今日お集まりの国会議員と一緒に、国民のために予算をつくれたことを誇りに思っています。子ども手当、高校無償化も始まっています。子どもにやさしい、未来に魅力ある日本に変えていこう。決して間違っていないと確信をしています。産業を活性化しなくてはいけない。特に1次産業が厳しい。農業の戸別所得補償制度がスタートしています。1次産業が2次産業、3次産業とあわせて再生する日も近いと確信しています。
さまざまな変化が国民の暮らしに起きています。水俣病もそうです。医療崩壊が始まっている地域をなんとかしないといけない。医療費をわずかですが増やすことができたのも国民の意思だと思っています。●辞职原因一:普天间基地问题
残念なことに、私たち政権与党の姿が国民の心に映っていません。徐々に聞く耳を持たなくなってしまった。そのことは残念でならないし、不徳の致すところと思っています。その原因を二つだけ申し上げます。
一つは普天間(飛行場移設)の問題でしょう。徳之島の皆さんにもご迷惑をお掛けしております。ただ、本当に沖縄の外に米軍基地をできる限り移すため努力しないといけない。沖縄の中に基地を求めることがあたりまえではないだろうと、半年間努力してまいりましたが、結果として、できませんでした。これからも県外に移すよう努力することは言うまでもありませんが、一方で北朝鮮が韓国の哨戒艦を沈没させる事案が起きています。
日米の信頼関係を保つことが東アジアの平和のために不可欠との思いで、残念ながら沖縄に負担をお願いせざるを得なくなりました。沖縄の皆さんにもご迷惑をお掛けしています。
社民党さんに政権離脱という厳しい思いをさせたことが残念でなりません。国民新党とともに一緒に今まで仕事をさせていただいた。これからもできる限りの協力をと、申し上げたい。さらに沖縄の皆さんにも、できる限り県外に米軍基地を少しずつでも移すことができるよう、新しい政権として努力していくことが大切だと思います。
「社民党より日米を重視した。けしからん」との思いも分からないではありません。日米の信頼を何としても維持していかなければいけないという悲痛な思いを、ぜひご理解願いたいと思います。
いつかは日本の平和を日本人自身でつくりあげていくときを、求めないといけない。米国に依存を続けて良いとは思いません。ここをぜひご理解いただき、鳩山の「少しでも県外に」との思いをご理解願えればと思います。その中に私は普天間問題の本質があると思っています。
あなた方の時代に、日本の平和を日本人自身で見詰めることができる環境をつくることを、日米同盟の重要性は言うまでもありませんが、一方でも模索していきたい。
社民党を政権離脱という厳しい道に追い込んでしまった厳しい責任は負わないといけない。
●辞职原因二:金钱与政治问题
いまひとつは「政治とカネ」の問題でした。自民党を飛び出し、さきがけ、さらには民主党をつくってきたのも「自民党政治ではダメだ。もっとお金にクリーンな政治をつくらねば」との思いでした。結果として自分自身の政治資金規正法違反の問題で大変なご迷惑をおかけしたことは申し訳ない。なぜクリーンであるはずの民主党の代表がこんな事件に巻き込まれるのかと、お怒りになったことと思います。
そのような「政治とカネ」の問題に決別する民主党を取り戻したいと思っております。皆さんいかがでしょうか。
私自身も、この職を引かせていただくことになりますが、小沢(一郎)幹事長にも政治資金規正法の議論があるのは周知のことと思います。先般、2度ほど幹事長ともご相談しながら「私も引きます。幹事長も恐縮ですが、幹事長の職を引いていただきたい。そのことによって新しい民主党、よりクリーンな民主党をつくりあげることができる」と申し上げました。幹事長も「分かった」と申されたのでございます。
小林千代美議員にも責めを負っていただきたい。高い壇上から申し上げるのも恐縮ですが、クリーンな民主党に戻そうではありませんか。そのための努力を皆さんにお願いします。
そうなれば必ず、国民の皆さんがまた民主党に対して聞く耳を持ってくれる。国民の皆さんの声が通る新しい政権に生まれ変わると。
●浅谈自己的政治抱负
しばしば宇宙人だと言われております。勝手に解釈すれば、今から5年、10年、20年先の姿を国民に申し上げている姿が、そう映っているのではないかと思います。
例えば地域主権。原口(一博総務)大臣が先頭を切って「国が上というのはおかしい。地方が主役になる日本にならなきゃならない」と。国会議員や官僚が威張っていた中央集権の世の中に風穴があいた。一括交付金など大きな変化ができつつある。5年、10年たてば「こういうことだったのか」と分かってくれると。
「新しい公共」もそうです。今までの仕事を「公」に開くことをやろうじゃありませんか。国民の皆さんが主役になる、そういう政治をつくりあげることができる。まだ「新しい公共」自体がなじみが薄くてよく分からないと思われているかもしれません。官僚独占ではなく、できるだけ民ができるように変えていく、そういう力を貸していただきたいと思います。
東アジア共同体もそうです。必ずその時代がくるんです。国境を感じなくなる時代をつくっていく。新しい民主党の、新しい政権を皆さんでおつくりいただきたい。
韓国の済州島に行って、ホテルの部屋の先にテラスがありました。テラスに1羽のヒヨドリが飛んでまいりました。わが家のヒヨドリが飛んできたと勝手に解釈して、この鳥も「早く自宅に戻ってこいよ」と招いているように感じたところであります。
雨の日には雨の中を、風の日には風の中を自然に歩けるように、国民の未来を見詰めながら、対話の中で新しい時代をつかみ取っていこうではありませんか。
そのことを申し上げながら、ふつつかな私ではありますが、8カ月余り先頭を立って歩ませてもらったことに感謝を申し上げ、国民の皆さんへのメッセージとさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
第三篇:本首相鸠山由纪夫辞职演说(全文)
本首相鸠山由纪夫辞职演说(全文)
来源:沪江博客 | 2010-06-02 | 作者: | 浏览:5651 [划词已启用] 分享到人人
编辑点评:日本首相鸠山由纪夫在日本国会内民主党的参众两院议员会议发表的辞职演说全文。
今天上午,鸠山在日本国会内民主党的参众两院议员会议发表了长约20分钟的辞职演说,原文如下:
●简短开场:政权交替是国民的正确选择
お集まりのみなさんありがとうございます。そして国民の皆さんありがとうございました。昨年の暑い夏の戦いの結果、日本の政治の歴史は大きく変わった。国民の判断は決して間違っていなかった。若く素晴らしい国会議員がすくすくと育ち、国会の中で活動を続けています。国民の判断のおかげであります。
政権交代によって国民の皆さんの暮らしが必ず良くなるとの確信の下で、皆さんにお選びいただき、首相として今日までまいりました。皆さん方と協力して「日本の歴史を変えよう。官僚任せの政治ではなく、政治主導、国民が主役になる政治をつくろう」と思いながら今日まで頑張ってきたつもりであります。
今日お集まりの国会議員と一緒に、国民のために予算をつくれたことを誇りに思っています。子ども手当、高校無償化も始まっています。子どもにやさしい、未来に魅力ある日本に変えていこう。決して間違っていないと確信をしています。産業を活性化しなくてはいけない。特に1次産業が厳しい。農業の戸別所得補償制度がスタートしています。1次産業が2次産業、3次産業とあわせて再生する日も近いと確信しています。さまざまな変化が国民の暮らしに起きています。水俣病もそうです。医療崩壊が始まっている地域をなんとかしないといけない。医療費をわずかですが増やすことができたのも国民の意思だと思っています。
●辞职原因一:普天间基地问题
残念なことに、私たち政権与党の姿が国民の心に映っていません。徐々に聞く耳を持たなくなってしまった。そのことは残念でならないし、不徳の致すところと思っています。その原因を二つだけ申し上げます。
一つは普天間(飛行場移設)の問題でしょう。徳之島の皆さんにもご迷惑をお掛けしております。ただ、本当に沖縄の外に米軍基地をできる限り移すため努力しないといけない。沖縄の中に基地を求めることがあたりまえではないだろうと、半年間努力してまいりましたが、結果として、できませんでした。これからも県外に移すよう努力することは言うまでもありませんが、一方で北朝鮮が韓国の哨戒艦を沈没させる事案が起きています。
日米の信頼関係を保つことが東アジアの平和のために不可欠との思いで、残念ながら沖縄に負担をお願いせざるを得なくなりました。沖縄の皆さんにもご迷惑をお掛けしています。
社民党さんに政権離脱という厳しい思いをさせたことが残念でなりません。国民新党とともに一緒に今まで仕事をさせていただいた。これからもできる限りの協力をと、申し上げたい。さらに沖縄の皆さんにも、できる限り県外に米軍基地を少しずつでも移すことができるよう、新しい政権として努力していくことが大切だと思います。
「社民党より日米を重視した。けしからん」との思いも分からないではありません。日米の信頼を何としても維持していかなければいけないという悲痛な思いを、ぜひご理解願いたいと思います。いつかは日本の平和を日本人自身でつくりあげていくときを、求めないといけない。米国に依存を続けて良いとは思いません。ここをぜひご理解いただき、鳩山の「少しでも県外に」との思いをご理解願えればと思います。その中に私は普天間問題の本質があると思っています。
あなた方の時代に、日本の平和を日本人自身で見詰めることができる環境をつくることを、日米同盟の重要性は言うまでもありませんが、一方でも模索していきたい。
社民党を政権離脱という厳しい道に追い込んでしまった厳しい責任は負わないといけない。
●辞职原因二:金钱与政治问题
いまひとつは「政治とカネ」の問題でした。自民党を飛び出し、さきがけ、さらには民主党をつくってきたのも「自民党政治ではダメだ。もっとお金にクリーンな政治をつくらねば」との思いでした。結果として自分自身の政治資金規正法違反の問題で大変なご迷惑をおかけしたことは申し訳ない。なぜクリーンであるはずの民主党の代表がこんな事件に巻き込まれるのかと、お怒りになったことと思います。そのような「政治とカネ」の問題に決別する民主党を取り戻したいと思っております。皆さんいかがでしょうか。
私自身も、この職を引かせていただくことになりますが、小沢(一郎)幹事長にも政治資金規正法の議論があるのは周知のことと思います。先般、2度ほど幹事長ともご相談しながら「私も引きます。幹事長も恐縮ですが、幹事長の職を引いていただきたい。そのことによって新しい民主党、よりクリーンな民主党をつくりあげることができる」と申し上げました。幹事長も「分かった」と申されたのでございます。小林千代美議員にも責めを負っていただきたい。高い壇上から申し上げるのも恐縮ですが、クリーンな民主党に戻そうではありませんか。そのための努力を皆さんにお願いします。
そうなれば必ず、国民の皆さんがまた民主党に対して聞く耳を持ってくれる。国民の皆さんの声が通る新しい政権に生まれ変わると。
●浅谈自己的政治抱负
しばしば宇宙人だと言われております。勝手に解釈すれば、今から5年、10年、20年先の姿を国民に申し上げている姿が、そう映っているのではないかと思います。
例えば地域主権。原口(一博総務)大臣が先頭を切って「国が上というのはおかしい。地方が主役になる日本にならなきゃならない」と。国会議員や官僚が威張っていた中央集権の世の中に風穴があいた。一括交付金など大きな変化ができつつある。5年、10年たてば「こういうことだったのか」と分かってくれると。
「新しい公共」もそうです。今までの仕事を「公」に開くことをやろうじゃありませんか。国民の皆さんが主役になる、そういう政治をつくりあげることができる。まだ「新しい公共」自体がなじみが薄くてよく分からないと思われているかもしれません。官僚独占ではなく、できるだけ民ができるように変えていく、そういう力を貸していただきたいと思います。
東アジア共同体もそうです。必ずその時代がくるんです。国境を感じなくなる時代をつくっていく。
新しい民主党の、新しい政権を皆さんでおつくりいただきたい。韓国の済州島に行って、ホテルの部屋の先にテラスがありました。テラスに1羽のヒヨドリが飛んでまいりました。わが家のヒヨドリが飛んできたと勝手に解釈して、この鳥も「早く自宅に戻ってこいよ」と招いているように感じたところであります。
雨の日には雨の中を、風の日には風の中を自然に歩けるように、国民の未来を見詰めながら、対話の中で新しい時代をつかみ取っていこうではありませんか。
そのことを申し上げながら、ふつつかな私ではありますが、8カ月余り先頭を立って歩ませてもらったことに感謝を申し上げ、国民の皆さんへのメッセージとさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
民主党は4日、鳩山由紀夫首相(党代表)退陣に伴い、新代表を選ぶ両院議員総会を国会内で開き、党所属国会議員423人による投票の結果、菅直人副総理兼財務相(63)が過半数を獲得、樽床伸二衆院環境委員長(50)を破り新代表に選出された。任期は鳩山氏の残任期間の今年9月まで。
【中文相关新闻】
6月4日上午举行的日本新首相推选中,原副首相兼财务大臣菅直人以优势胜出,成为新一任的民主党领军人。他将通过国会提名,并由日本天皇确认后,成为继鸠山由纪夫之后的第94任日本内阁总理大臣(首相)。
(以上中文新闻来源于中国新闻网)
【菅直人小档案】 菅直人(かん なおと、1946年10月10日-)は、日本の政治家。1946年10月10日、山口県宇部市に出生。厚生大臣、社会民主連合副代表、新党さきがけ副代表、民主党代表、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)などを歴任した。
菅直人出生于1946年10月10日,日本政治家、现任日本内阁副总理大臣、国家战略大臣、兼任财务大臣、众议院议员。前任民主党代表,现任民主党代表代行。出生于山口县宇部市,籍贯为冈山县建部町。
第四篇:我对鸠山由纪夫的看法
我对鸠山由纪夫的看法
1321190240
市场营销13乙
龚琰驰
这学期的选修课我选了东亚的历史与展望,这几节课老师讲了周围的几个国家的历史风俗习惯还有和中国的关系,但我印象最深刻的还是我的邻国日本—这个和我们中国最多恩怨的国家。
说到日本的时候老师特别的讲了一个人鸠山由纪夫。鸠山由纪夫的生平1947年2月11日出生。日本政治家,日本前首相。1996年,鸠山由纪夫与菅直人,小泽一郎组建民主党,并担任党首。2009年8月30日,鸠山由纪夫带领民主党在众议院选举中取得历史性的胜利,终结了自民党长期的执政地位。2010年5月28日,由于未能兑现将普天间迁到冲绳县外承诺,鸠山政权面临瓦解危机。2010年6月2日,鸠山由纪夫辞职。
其实鸠山由纪夫的辞职有很多原因,表面上是因为政治献金丑闻和未能兑现将普天间迁到冲绳县外承诺,但其实跟日本民众觉得他亲华,觉得他是日奸然后和他政治上比较软弱大家都觉得他只是学者而不是政治家有关。那我们先要了解一下他的执政理念。鸠山由纪夫执政理念
第一,友爱外交。鸠山主张外交更应考虑如何构筑关系,使价值观不同的国家实现共存共荣、自立共生。
第二,修改宪法。鸠山是积极的修宪派,鸠山认为,宪法条文与政治现实背离,剥夺了日本政治的现实主义选择,失去了国际社会的信赖,必须在新的国际环境中重新对宪法进行定义。
第三,对于“慰安妇”问题,鸠山表示:“国家必须对受害人进行赔偿和恢复名誉。国会必须承认事实,推动该问题进一步的审议。”
第四,对于日本战争罪行问题,从1999年开始到2006年,鸠山与共产党和社民党议员在国会4次提出《恒久和平调查局设置法案》,但3次都成为废案。为推动该法案,鸠山还牵头成立了跨党派议员联盟。这个法案要求在国立国会图书馆设置恒久和平调查局,查明从七七事变到战败投降期间日本所犯的战争罪行。
第五,对于靖国神社问题,鸠山历来反对首相参拜靖国神社,2009年大选前曾再度明确表态称,如果成为首相,决不参拜靖国神社,同时将约束阁僚的参拜行为。
从鸠山由纪夫的执政理念可以看出他是比较正视历史的,有点像德国的前首相维利·勃兰特,他想帮助日本处理好和中国和东亚其他国家的关系。他一直想推动建立东亚共同体。但这些执政理念触犯了其他的政客,而且会体现出日本的软弱,导致民众的不满,日本传媒指责他优柔寡断,政策主张常常摇摆。最后导致了他的下台。
激进的言语总能激起民众的欢呼和追捧,但社会的进步与发展需要我们冷静的面对。鸠山由纪夫
第五篇:鸠山由纪夫:日本一些政治家没有直面历史的勇气
鸠山由纪夫:日本一些政治家没有直面历史的勇气
2014-07-21 第 038期
说到鸠山由纪夫,中国人一定不陌生。这位日本前首相在1996年组建了民主党,并在2009年成功结束了自民党长期的执政地位,但在2013年,他退出了这个自己一手创立的政党,并在自己主办的东亚研究所继续关注研究日本与中国、韩国等邻国的关系。
鸠山由纪夫一直以“对华友好”的姿态出现在公众视野中。2013年,他访问中国并参观了南京大屠杀纪念馆,并先后两次为日军侵华的暴行进行道歉,而他承认钓鱼岛主权存在领土争议的言论也在日本国内引起了轩然大波。
正值甲午中日战争120周年,鸠山由纪夫在接受凤凰网采访时仍在强调“价值观不同的国家实现共存共荣”以及他的“东亚共同圈”理想。而对于中日两国近来逐渐升级的矛盾,鸠山表示,要想完全解决矛盾,就需要解决心理层面上的问题,尤其是日本人的心理,但很可惜的是,日本一些政治家并没有直面历史的勇气。
凤凰网特约撰稿人:蒋丰
日本政府鼓吹中国威胁论、解禁集体自卫权是不可原谅的
凤凰网资讯:今年是甲午战争120周年,但是在日本相关的报道非常少,在中国的各个台都争相的报道,有分析称,在现在的120年后的今天,日中两国的关系和地区局势与120年前有很多相似的地方,比如说日本鼓吹中国威胁论等等。鸠山先生您对这个问题是怎么看待的?就是对120年前的这场战争。
鸠山由纪夫:当时欧美强烈奉行殖民统治的原则,日本在清朝看到了机会,因为这是一个所谓的脱亚入欧与欧美列强比肩的一个很好的机会,因此他们才希望把清国和朝鲜作为自己的殖民地,发动了这场战争。在当时来说,这种殖民统治的思想在全世界蔓延。但是现在来看这种行为是不应该的。作为现在的日本人来讲,只能是铭记历史,并且时刻牢记今后不要再去侵略别国。历史已经证明了,依靠行使武力去征服别国的人民是不可能的。因此现在是需要以和平的手段构筑区域和平的年代,这就显现出国家之间的对话的重要性。然而日本政府现在鼓吹所谓与中国的价值观不同,所谓的中国威胁论,包括他们通过的解禁行使(集体)自卫权,这就是要使用武力的手段,但是以武力的手段是不可能构筑所谓区域和平的。我觉得日本政府现在的这种做法是不可原谅的。
因此,日本应该反省甲午战争的教训,在120周年这样的一个特别的纪念日里更是要思考曾经发生过的事,但是很可惜,日本媒体并没有进行这种思考。
凤凰网资讯:鸠山先生您提倡东亚各国要构筑东亚共同体,我个人认为120年前的甲午战争时期并不是中日两个国家之间的战争,而是日中朝三个国家之间的战争,因此可不可以被称之为是在东亚地域内进行的战争呢?您认为现在应该从当年的甲午战争中学习什么内容呢?
鸠山由纪夫:我认为我们能从甲午战争中学到的东西有很多。比如现在正是东亚整个地域需要和平相处的时候,日本却采取了一种只对相同价值观的国家表示友好,对不同的国家就想要使用武力的这样一种方法,我觉得日本不应该有这种想法。
中日两国的历史文化和思想意识当然是不同,正是因为如此,双方更应该承认这种不同,而不能再像120年前一样,因为某一个国家经济比较差、国力比较弱就将它变成自己的殖民地,这种办法是不可行的。现在的东亚 1 更需要大家互相承认对方的不同,欣赏对方的不同,东亚正是因此才变得多元化、多样化。我认为应该构筑这样的国际社会。我认为日本应该担负起这种国际社会的责任。
日本一些政治家没有直面历史的勇气
凤凰网资讯:在第二次世界大战结束之后,日本与德国在战后和解和反省战争罪行的方面表现出了完全不一样的态度,您认为根本的原因在哪?
鸠山由纪夫:我想根本的原因在于政治家有没有直面历史的勇气。对于日本的一些政治家来说,1972年中日恢复邦交正常化的时候,发表的共同声明中,写到中国政府放弃对日的战争赔偿,因此他们就觉得这个赔偿已经结束了,谢罪也已经谢过了,因此它已经结束了。但我想,对于这些在战争中受到伤害的人来说,他们的伤口是永远不会消失的。
无论国家政府如何说对外赔偿已经结束,但是双方之间还是有各种各样的问题有待解决。反观德国,历史上曾经出现了首相下跪谢罪这样的事情,所以对纳粹曾经犯下的罪行、大屠杀等罪行,德国人上到政治家,下到民众他们都铭刻在心,时刻保持着这种反省和谢罪的心情,这也表现在他们在战后的经济合作、战争赔偿上的表现中。他们市场想要积极的去解决这些问题。
然而,日本的政治家们却一直在强调过去的事情我们已经解决了,从今天开始就面向未来,但是在战争中受到伤害的人,他们的受到的伤痛是无法言喻的。我觉得日本的政治家是做了很错误的、很草率的判断。
另外,日本的政治是以官僚为主体在运转的,他们就会觉得如果我们现在再对中国谢罪的话,那随之而来的就会有赔偿的问题,预算就会很紧张,所以不如就直接把这个门关掉,就对外宣称这件事已经过去了。日本的官僚们在这一点上是有着相同的认识的。
凤凰网资讯:我想请问鸠山先生,在一般普遍的民众,比如说德国的国民跟日本的国民在对战争反省的问题上他们有什么不同呢?
鸠山由纪夫:在这方面当然也是不一样的。因为德国的国民他们知道纳粹曾经对犹太人,对其他国家的人做了很残酷的事情,因此他们觉得肩负着一种责任,那就是不让相同的事情,再次发生,战争不能再次发生。因此这也反应到每一个国民身上,他们每一个人都在进行着这种努力。结果就是普通法国人甚至都对德国人都抱有好感。反观日本国民就缺乏这种意识,这也可能是中国人一直讨厌日本人的原因。
现在安倍首相一直在推动解禁集体自卫权,将来很有可能再次发生战争。他们鼓吹所谓的中国威胁论,说中国可能会侵略日本,但是曾经真正的侵略国是日本,感到威胁的应该是中国人才对。但是日本完全不理解中国人的这种心情,从普通国民到政治家,再到媒体,都在煽动一种情绪,觉得中国就要打过来,我们要做好战斗准备的这种的感觉。
在欧洲有欧盟,因此欧洲已经构筑了在不会再发生战争的环境。但是反观日本、亚洲就没有这种环境,这也是大家感到不安的原因。
凤凰网资讯:有关靖国神社的问题。自民党现在有各种各样的参拜靖国神社所谓的理由,但是我认为在8月15日这一天,日本的政治家,包括议员,包括右翼团体,包括民众,他们同时在一个时间集中在靖国神社去进行参拜,这说明了什么呢?您觉得日本的政治家与右翼团体同时参拜代表了什么?
鸠山由纪夫:我想还是有很多人没有去的。比如说日本的天皇。天皇对战争的反省意识很强,因此在甲级战犯被供奉在靖国神社之后,天皇就没有再去参拜过靖国神社。我想这是一个非常有说服力的事实。
在中国也是一样,周恩来总理曾经在中国人民对日本最厌恶的一个时期,提出了中国必须要与日本建交。当时的焦点问题之一就是历史问题和靖国神社参拜问题。在中国人看来,日本人不可以一概而论。当时中国的领导人提倡要把日本人分开来看,只有一部分人才是所谓的战争犯罪者,其他大多数的日本国民也是战争的受害人。在这种判断和意识的前提下,中日两国才恢复了邦交正常化。在靖国神社供奉了甲级战犯之后,对中国来说,最不想看到的就是日本的首相去参拜这里。但是中国的底线,日本国民没有完全了解,因此很多,无论是右翼还是普通的民众,他们都觉得,我们去参拜靖国神社有什么错呢?
中国的人民曾经将甲级战争和普通的民众区别来看,但是到了现在,日本的国民、日本的首相还要去参拜供有甲级战犯的靖国神社。对于中国人的来讲,这是不能接受的。因此我认为日本应该加强这方面的教育,让日本人能够冷静的学习和了解这方面的事实。创造一个能让天皇再到靖国神社去参拜的环境。比如说把甲级战犯分开去供奉等等,有很多种方法,来打造一个真正的国民墓地。如果仍然是每一次政治家去参拜都会触动其他国家的底线,那么日中韩三个国家的关系会永远的僵持下去。
我曾经就将甲级战犯迁出靖国神社,也与某位要人协商过。他给我的回答是我们祭祀死去的死者有什么错呢?但是我想,如果想祭祀死者的话,有很多种办法,这种政治家和国家领导人执意要去靖国神社的做法,他们的政治目的是要传递某种政治信息,因此我认为日本的政治家和国家领导者是绝对不应该去参拜靖国神社的。因为这件事左右了日中、日韩等几国关系的好转或者是恶化。
凤凰网资讯:接着您刚才的话说,您说天皇在二战之后靖国神社供奉了甲级战犯之后就没有再去参拜过。但是中国有很多学者指出,天皇制度的保存,正是日本不能完全正视战争罪责的原因。您对此怎么看?
鸠山由纪夫:我想战后日本的国家经济体制能够得以保存和快速发展,正是因为有了天皇制度的存在和延续,天皇在日本是一种象征,因此如果否定天皇制度,那么日本的国民意识将会出现大的混乱。当然天皇,尤其是昭和天皇与战争问题是密不可分的。但是我想昭和天皇他自身应该充分的认识到自己的战争责任。因此,我还是认为我们的政治家应该理解这种战争反省的意识,在天皇制的引导下进行深刻的反省。我认为在政治家反省的方面,日本是不充分的,正是因为现在天皇陛下对战争有着深刻的认识,因此日本的国民才能在天皇制的引导下进行深刻的反省。
凤凰网资讯:南京大屠杀是中日之间不可回避的一个重要问题,在日本国内有很多关于这一历史事实的很多看法,我们知道鸠山先生您也去过南京大屠杀纪念馆,请问您是如何看待这件事的呢?
鸠山由纪夫:首先第一点,我认为日本人必须要承认南京大屠杀是一个历史事实。我想作为一个普通人,也就是普通日本国民,在当时军队中杀了一个中国人,也是不可饶恕的罪行。我想应该从心底里对这件事表示谢罪。虽然我不知道当时具体的死亡人数,但是中国的老百姓被日本的军人杀害了,这是历史事实。因此,日本国民应对中国人一直保持谢罪的心情,我是这么认为的。
今年1月我本人也到了南京大屠杀纪念馆,向中国人民表示了我谢罪的心情。让我感动的是当时的纪念馆馆长,他并不是要以此来批评、批判日本人,而是应该时刻紧记不要再发生这种事情,这是面向未来的一种想法。
要解决中日矛盾需解决心理层面问题
凤凰网资讯:明年就是日中战争结束70周年,但是从现在的情况来看,日中、日朝或者是日韩还没有达到完全的民族和解。包括最近又新出来的领土问题等等。双方的矛盾还是非常的激烈。请问您认为应该如何才能做到日中、日韩之间的民族和解呢?
鸠山由纪夫:我认为这不是一个简单的问题,因为他关系到心理层面,特别是日本人的心理。我身后的这一张照片是中国前总理温家宝在任时和我的一张合影。当时温总理主动对我说,现在因为领土问题造成的中日两国关于东海油气田的协议停滞了,我们争取将它早日的恢复起来。也就是说温总理有一种将纷争海域变为友爱海域的愿望。比如德国和法国这两个国家,他们二战时期是互相憎恨的,之间发生了很激烈的战争。但是二战之后,两国为了消除这种憎恨,决定一起构筑一个在石炭铁工方面的一个共同体,通过两国人民一起共同的去开发这些能源,逐渐的化解了相互间的憎恨,增加了相互间的理解,也构筑了现如今这种相互协力的关系,后来这种关系又上升到了欧盟这样的一个大的角度。
因此,我觉得中日两国也可以像法德两国一样,通过对东海油气田的共同开发,构筑一种相互的理解和信任,这种相互协作的关系。
下面这个问题更严重,是环境问题。这个问题不仅困扰着中国,也困扰日本、韩国,甚至世界各国。中日韩三国可以从保存和改善环境入手、加强合作。通过类似于这样的一些共同的活动,来加深相互间的合作和理解,这样一来就能超越国界的概念。
另外,我现在正在提倡的,在校园内,在教育方面也要加强日中韩三国间的交流。通过这种方式,让年轻人通过更多的交流网,到对方的国家去学习、工作,这样能让大家意识中国界的概念越来越淡薄,这就回到我一开始说的,心理意识的问题。因此,找出这些东亚各国间可以具体合作的领域和项目,是我在自己创设的东亚研究所正在研究的东西。