第一篇:我的早稻田大学留学生活
我的早稻田大学留学生活
日本留学网|免费留学评估|2016-08-22|推荐访问日本留学生活早稻田大学留学日本留学 分享到:
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日本教育事业比较发达,早稻田大学是日本的一所一流名校,在世界教育史上占有一席之地。那么,留学生在日本早稻田大学的留学生活是什么样子的呢?下面让我们和出国留学网一起来看看吧。
1、学习
我没想到早稻田的研究生会如此用功,他们对于学术的热爱和钻研精神令我叹为观止。研究生的讨论班中老师几乎不讲课,而是将上课的九十分钟都让给学生发表自己最近的研究成果。每个学生在期末的时候就会被分到自己下学期要担当分析的作品,然后开学就根据早先就安排好的时间表一个个轮流进行发表。你可不要小看这一个半小时,实际从搜集论据到打印成稿至少都要花一个月以上的时间来准备。因为要证明自己的论点,必须搜集许多证据,而不能只是泛泛而谈自己的主观想法。
你也许会觉得日本研究生比较死脑筋,因为他们都喜欢刨根问底,沿着线索,查到原典,眼见为实,而不是完全轻信一些已经发表的学术论文,甚至是字典。为了每门课的“发表”,他们会没日没夜地泡在图书馆中翻阅资料。因为课程重,大家基本都是学习到凌晨三四点钟才休息。这也许就是为什么日本会有“过劳死”这个单词吧。
在国内读书时,我如果是因为学习而到夜里十二点不睡觉,就觉得自己够刻苦了。但是在早稻田大学读研究生,如果在这个时间睡觉就绝对是懒学生,是件奢侈的事情。为了不给母校复旦丢脸,我也按照日本学生的模式,准备每一次的“发表”。刚开始实在顶不下来,只有靠拼命喝咖啡来提神。
2、师资
我也没有想到早稻田的教授会这么敬业。我在国内读书,对复旦老师的敬业态度一直引以为豪。到了早稻田,我发现日本老师的敬业精神令我感动。我的日本导师高松教授是研究日本古典文学的专家。为了了解中国古典诗歌对古代日本人的影响,不懂中文的他将中国的先秦六朝唐代文学都翻了个遍。当我问高松老师是如何把《全唐诗》之类的书籍看完时,他告诉我,他就靠着读中国古诗的基本规律,然后一个一个字查字典来弄懂其含义的。即使一个中国人读完这么多堆起来比人还高的中文古书也并非易事,更何况是一个外国人。
谷肋教授是研究日本江户时代文学作品的第一人,年近古稀。对于早稻田研究生学术发表大会,像他这样的大家完全没必要浪费时间来听我们这些“小朋友”的幼稚言论。而他却西装笔挺地前来聆听了每次的发表大会,并且还频频发问,让年轻人又有了新的思考方向。后来我从他的弟子口中得知,谷肋先生身患癌症,今年已经动了多次手术了。
3、学习环境
我还没想到早稻田的学习环境会如此便利。我只想从“免费复印”这一点来让大家看看早稻田的小创意。“免费复印”的创意来自于从早稻田大学毕业的大学生创业者。所谓“免费复印”,并不是我们概念中所认为的“用雪白的复印纸复印资料而不收费”的意思。其特殊之处在于复印的纸张。它们都是些广告纸。大学生们可以自由地使用这些“特殊”的复印机进行资料复印。毕竟很多资料只是给自己做参考阅读,而并非用在正式场合,所以利用广告纸张的空白背面来复印就足矣啦。对于小公司而言,花不高的价格提供这样的“特殊复印机”,既节省了分发广告的人工费用,又将大家看完随手一扔的广告用纸进行了物尽其用,同时也达到了原有的宣传效果,还可以为我们这些穷学生提供便利,真可谓是“一举四得”啊。
我更没有想到早稻田的服务会如此周到。在去早稻田之前,日本文部省寄给我一份录取通知书。当我收到那个快递打开一看时,顿时有些惊呆,那么一份重重的快递里其实只有一张薄薄的纸,为了保护这张通知书不被折坏,他们用了两块很厚的硬板纸把这张薄薄的纸片给保护了起来。也许你会觉得日本人真傻,多了这两块不值钱的硬板纸,即使不考虑高额的快递费,包装起来也麻烦了不少。但是日本人就是这样较真,把每件事情做到完美,考虑得甚至比你还要周到。
一天,我寝室的一支日光灯坏了,报修后,修电灯的物业就立刻赶来了。他看了看我房中其他几支日光灯,便对我说他要重新去拿灯管,因为他带来灯管的成色和我现在屋里的灯管亮度有些不同。我仔细查看,才发现只是白色的亮度稍有不同而已,就这样他来来回回跑了四五次,不仅替我把坏了的灯管换成了新的,还将我另外几个灯管也都换成了白色成色相同的灯管,这才满意地离去。面对这位想得比我这位业主还要周到的修理工,我顿时感悟到“世上怕就怕认真两字”的真谛。
第二篇:日本留学成功案例—早稻田大学G30修士
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日本留学成功案例—早稻田大学G30修士
【学生基本信息】
姓名:T同学;毕业院系及专业:西南财经大学-会计学; 英语等级:托福98;
录取院校:早稻田大学 经济学; 【申请过程分析】
我们今天要分享的是T同学的申请过程。T同学是国内某财经类院校的一名本科生,会计专业出身,由于在会计学专业的课程中,发现自己愈发对经济学领域的研究感兴趣,于是萌生了赴日留学攻读经济学硕士的想法,但是T同学没有日语等级,只会简单的日语寒暄。
经过专业的评估后,T同学选定了G30项目,在选定五所知名学校的研究科后,便正式展开了申请。我们的研究指导老师在与学生沟通的过程中发现,学生虽然是会计专业出身,但是与经济学相关的课程却只有宏观经济学、微观经济学等为数不多的两三门课程,所知道的经济学理论和经济金融类的基本知识都远远达不到日本大学院的要求。而另一方面,不论是日本的国公立学校还是私立学校,对申请者的学术水平都有一定的要求,学生目前的状态几乎无法完成研究计划书的构想和写作。但是,我们的研究指导老师也发现,T同学虽然专业知识积累稍显不足,但胜在英语能力比较强。托福成绩98分,口语也比较流利,这无疑为T同学增加了竞争力。
在与T同学充分沟通后,确定了研究计划书的题目,同时对该同学相关的毕业论文进行了修改和润色,使其进一步体现学生的学术研究能力。而在此期间,我们的文案老师则指导学生进行各种申请材料的办理,申请材料递交后,学生提出需要更换面试地点,文案老师不厌其烦积极联系学校,将实际情况告知学校,取得学校理解和同意后,重新按照学生的意愿及便利程度安排了二轮口试地点。
很快,T同学便等来初审通知,有两个研究科由于竞争激烈,T同学并未进入下一轮面试。该学生情绪明显受到了影响,甚至有些气馁。但是我们的指导老师和学生分析了失败的原因,并调整了下一步申请方案。很快,T同学便得到了早稻田大学经济学研究院初审通过的通知,并告知二轮面试的时间和地点。研究指导老师根据多年指导经验第一时间制作好面试指导文档,并进行了三次模拟面试,纠正学生的发音,告知面试注意事项,帮助学生深化理解研究计划书的内容。学生本身口语不错,加上之前的几次模拟培训,顺利通过了面试,拿到了录取通知书。
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由于T同学所选专业中,还有未开始申请的研究科,但该同学对早稻田大学经济学研究院的合格结果非常满意,便自动放弃了剩余研究科的申请,全力以赴配合指导老师积极办理早大的各项入学手续。
在赴日留学的道路上,T同学无疑是幸运的,一方面得益于该同学良好的语言能力,另一方面得益于该同学在申请道路上与蔚蓝的默契配合。T同学终于如愿以偿进入喜爱的研究科进行深造,未来也许会成为某领域的专家,也许会成为某公司的要员,但美好的人生之路就此开启,这一点毋庸置疑。如果你想赴日留学却苦于没有日语等级,如果你想省去语言学校的过渡直接攻读硕士,那就加入我们吧,让你尽享私人订制般的留学规划。
第三篇:曼彻斯特大学留学生活感受
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曼彻斯特大学留学生活感受
在英国曼彻斯特大学学习已有一年多的时间了,这里带给我成长,带给我不一样的视角和精彩,越来越喜欢这里,关于海外学习,关于海外生活有很多想要跟大家分享的。
About课堂:不一样的课堂,不一样的Feel~
和国内上课很不一样,同一门课会分为正课和seminar两部分。Seminar 大概就会讨论和应用一下正课所讲的知识,比国内的实在多了。另外讲课的老师不一定会是中国人,我碰到过的就有中东的,希腊的,印度的等等。特别是印度老 师,那口音实在是不敢恭维了。其实对于不是以英语为母语的学生来说,做好课前准备还是很有必要的,翻翻书或者提前打出老师的课件都很有用,万一课上走了神 也不怕,大概的重点还是能把握住的。对于想象着上课能大展身手大秀英语的筒子来说,基本是不可能的啦。中国人特别的内敛,就算知道了答案也不会和老师有太 多的互动的,基本互动的都是本地学生,所以啊看到这样子的现象也不用奇怪了。
About师生:不懂就问,老师很Nice~
大部分老师面对面说话的时候都是特别直接的,而且人也很nice。不懂得东西随便问,不用担心说问的问题很弱智啥的,他们都很耐心解答,而且,仅限于是自己的学生哦。要是别的学生问非自己上课的教授或讲师,他们就不一定 会很乐意回答了。再一个,千万不要相信老外的表情。为什么这么说呢,有的老师整天笑脸和蔼可亲,可实质改起卷子文章评起分来那叫一个严苛啊。还有一些老师 一脸严肃跟门神似的,其实人说不定很好的。一般跟老师发邮件沟通直呼名字就好了,不用那么多繁琐的称呼。
说了这么多剖几张学校的图吧,有图有真相:
学校很美,图片是校园的主要路段,很多教学楼都分布在两侧。
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www.xiexiebang.com 要提前预定。期末考试的时候尤为火爆。
About美食&交友:中国味道走遍全球,杠杠的。
学校还配有可以让学生小组讨论的多媒体自习室,一个个小房间,可容纳2至10余人不等,不过一般
英国几乎没有美食啦,连英国人都赞中国烹饪好吃,英国食物很烂。有时候中餐馆炒出来的菜比我们在中国吃的要差远了,可是老外们还是吃得津津有味了。想想要是他们来中国,那得重多多少斤呐。如果实在是想尝试英国食物,可以在圣诞market的时候出去逛逛,会有挺多在卖吃的。至于交友嘛,我觉得好多中国人出门还是会多和中国人接触,毕竟生活背景和习惯相似嘛。老外的话,不是说他们不接纳你,是你总觉得难以融入他们的圈子。
About新人:温馨实用小Tips
英国是个很人性化的国家,而且对人也是充分的信任。举个栗子,超市会有self-check out的机子,能自助结账。这个在国内就没有了。至于人性化嘛,再举个栗子,火车公交上下车的时候,残疾人坐着轮椅都可以让司机或者乘务员帮忙搭起一个斜坡,方便轮子上下,而且周边的人都会很自觉地让轮椅先上,至于推婴儿车的大家都会不自觉地搭把手。
在这里给大家几个在英国生活的小tips。
一,如果是full-time 的学生或者是年龄在16-25岁之间的学生都可以花30英镑在各个火车站办一张young person card,买了之后这一年坐火车都能享受30% off的优惠。二,出门记得带上学生卡。购物的时候多询问一下时候有student discount,很多商家都会有的,只要把学生卡拿给他们看,就会有折扣的,折扣从5% 到20%不等。另外如果要想趁低价买入自己喜欢的东西,可以选择在六七月以及圣诞后这两个时间段购买,商店都会有很大的sale的。
三,万一出门有啥不懂,直接问路人,一般都会很耐心地解答的,甚至还会帮你带路啥的。四,国外的超市商店(Morrisons,Sainsbury等的便利店的除外)一般很早就会关门,剩下的就只有酒吧了,晚上出门还会遇到各种酒鬼,要小心了。
第四篇:胡锦涛主席早稻田大学演讲稿中日对照
尊敬する白井克彦総長、尊敬する河野洋平先生、諸先生方、学生の皆様、友人の皆様、まず始めに、白井克彦総長の招きに感謝申し上げます、本日は有名な学府であるここ早稲田大学に参りまして、若い皆様や諸先生方と一堂に会する機会を得ましたことを大変嬉しく思います。中国人民を代表して、ご臨席の皆様、日本国民の皆様に心よりご挨拶と祝福を申し上げたいと存じます。
早稲田大学は中国の人々によく知られている学府であり、中国と深い繋がりがあります。早くも20世紀の初頭において、早稲田大学は数千人もの中国からの留学生を受け入れました。中国の近代史において重要な影響を持つ廖仲恺先生、李大钊先生、陈独秀先生、澎湃先生等はここで学問に励んだことがあります。今日、早稲田大学は中国の多くの大学及び研究機関と良好な関係を持ち、幅広い学術交流展開し、両国の人的文化交流を推し進めるために、積極的な役割を果たされました。
ここに参りまして、私はすぐに私が存じ上げている日本の何人かの友人、例えば、竹下登先生、海部俊樹先生、小淵恵三先生、森喜朗先生、福田康夫先生、河野洋平先生などです。彼らは皆早稲田大学の出身者でありまして、日本の発展のために、そして、中日友好事業のために貢献された方々です。昨年、早稲田大学創立125周年の時,御校は世界市民を育成する世界的な大学、21世紀へ挑戦する開かれた大学を目指すことを打ち出しました。それはまさに時代の流れが求めているものです。今後がより多くの英才を育成し、日本の経済と社会の発展のために、人類の進歩のためにより大きな貢献をすることを心からお祈り申し上げます。
中日両国は一衣帯水の隣国であり、両国関係はまさに新たな歴史のスタートラインに立ち、新たな発展のチャンスに直面しています。この度、私は中国国民の日本国民への友情を、そして、中日関係の発展への真摯な期待を抱いて、貴国を訪れました。中国政府と中国国民は日本政府及び日本国民と共に努力して、相互信頼を強化し、友情を深め、協力を進め、未来への道筋を描き、中日間の戦略的互恵関係の全面的発展の新たな局面を切り開いていくことを切に願っています。諸先生方、学生の皆様、友人の皆様、「世界の道は早稲田に通じる」これは早稲田大学の名言であります。中日関係の長期的、健全的、かつ安定した発展を推進し、両国国民の世世代代の友好を実現するには、両国国民同士の相互理解を絶えず深めていかなければなりません。ここで、私は歴史と現実の視点から中国のことについてお話したいと思います。皆様の中国に対する認識をより深めることにお役に立てば幸いです。
中国は悠久なる歴史を有する国であり、また大きな変革が起こりつつある国でもあります。5千年あまりにわたる長い文明の発展の過程において、中華民族は勤勉さと英知に富んだ民族性、鋭意進取の創造力、自ら励んでやまない奮闘精神を持って、輝かしい中華文明を創造し、人類文明の進歩のために重要かつ、大きな貢献をしました。他方、中国は苦難に満ちた道を歩んできました。とりわけ1840年の鴉片戦争以降、封建統治の腐敗と帝国主義列強の侵略によって、中国は艱難辛苦を嘗め尽くしてきました。貧弱で虐められる状況を変え、民族復興の夢を実現するため、中国人民は奮いだって戦い、確固たる決意で自立を求めてきました。1911年の辛亥革命によって、数千年にわたり、中国を統治してきた専制君主制度を打ち倒して以来、中国の発展は主に三つの段階を経ってきました。まず、一つ目に1911年から1949年まで中国人民は長きにわたり多大な犠牲を払って奮闘した結果、民族の独立と人民の解放を実現し、人民が主人公となる新しい中国を樹立しました。これにより、中国の発展と繁栄のために、根本的な条件を作り上げました。二つ目に1949年から1978年までです。中国は社会主義制度を確立し、歴史上もっとも重大な社会的変革を実現しました。中国人民はなみなみならぬ努力を経って国家建設の大きな業績を成し遂げました。三つ目は1978年から今日までです。中国人民は果敢に改革開放の偉大な道を歩み始め、新たな歴史的条件のもとでの偉大な革命を始めました。
今年は中国改革開放30周年であり、中国と中国人民にとって、特別な意義を持つ年であります。30年来、中国は高度な中央集権的な計画経済から活力に満ちた社会主義市場経済へ、そして、閉鎖的あるいは半閉鎖的な状況から全方位の開放へと偉大な歴史的な転換を成功裡に実現しました。中国の経済規模は世界の第11位から4位に躍進し、中国は世界第三の貿易大国となり、中国人民の生活水準も衣食にも欠ける状態からまずまずの生活を送れるところまで発展しました。中国は歴史的な変貌をとげたのです。
改革開放の偉大な実践において、私たちは競争が激しさを増す今日の世界において、一つの国、一つの民族が発展するには、鋭意改革を推進すること、発展に力点を置くこと、開放を堅持すること、人間を一番大事にすること、調和を促進することが極めて重要だということを認識しました。鋭意な改革とは、時代の流れに順応し、勇敢に変革し、新たなものを作り上げ、発展を妨げるあらゆる思想と観念を断固に破り、発展を束縛するあらゆる規定とやり方を変え、発展にマイナス影響を与えるあらゆる体制の歪みを取り除いて、社会の発展と進歩に強い原動力を提供することであります。発展に力点を置くとは、終始発展何よりも重要な任務として、科学的発展を堅持しながら、発展の原理を把握し、発展の理念を新たにし、発展の方式を転換し、発展の難題を解明することに力を入れ、社会の生産力を絶えず解放発展させ、経済と社会の良好で快速な発展を実現することであります。
開放堅持することは門戸を開いて、国づくりに取り組み、互恵と互いに利益を得る関係の上に立って、すべての国と経済と技術協力を行い、人類社会が作ったあらゆる優れた文明の成果を学び、吸収し、世界の平和を守ることをもって、自ら発展させると同時に、自らの発展をもって世界の平和を守っていくことであります。人間を一番大事にすることは人民のために発展し、人民に頼って発展し、人民に発展の成果を分かち合ってもらい、人民の主体的地位を尊重し、人民の創造的自主性を発揮し、終始人民の声を最優先し、人民の利益を一番に据え置き、絶えず人民の物質的、文化的生活レベルを高め、人間の全面的な発展を促進することであります。調和を促進することは人民の最も関心を持っている、最も直接かつ現実的な利益問題の解決を重点とし、社会の公平と正義を促進し、社会の創造力を強めることに力を入れ、最大限に調和の要素を増やし、不協和音を減らして、人民が安住し、楽しく働き、社会が安定と秩序を保ち、国家が末永く安定を保つのを確保することであります。
「誠に日に新たにせば、日々に新たにして、また日に宇宙万物新たならん」「天行は健なり、君子もって自強して休まず」、これは中華民族の賢人たちがを観察した上で、重要な思想であると同時に、中華民族の自らが励んでやまない民族の精神を明らかに示したものであります。従ってこれは中華で千年にわたって伝わってきて格言であります。今日の中国人民の価値観はいまの時代における豊富な実践からだけでなく、奥の深い中華文明によるものでもあります。これらは中国人民が変革と創造を行い、時代とともに進む、強い精神力となっています。
中国の改革開放にプロセスを総括し、中国人民は揺るぎない結論を得ました。すなわち過去30年間の中国の急速な発展は改革開放によるものであり、中国の将来の発展も改革開放に頼らなければなりません。改革開放は現在の中国の運命を決める重大な決断であり、13億の中国人民がともに下した決断でもあります。
かつてないほど大きな発展を遂げたにもかかわらず、中国は依然として世界最大の発展途上国であることを私たちははっきりと認識しております。中国は人口が多く、基盤が弱く発展がアンバランスであり、発展の中に生じた矛盾や問題はその規模にしても複雑さにしても、いずれも世界で稀に見るものであります。十数億の人々に利益をもたらす、より高いレベルの社会を建設し、近代化と国民全体の裕福を実現するには、まだまだ長い道程があり、根気よく努力を続けていかなければなりません。
中国は引き続き中国の特色のある社会主義の道に沿って前進していきます。私たちは鄧小平理論と三つの代表の重要思想を指針とし,科学的発展観をさらに徹底的に実施し、都市と農村の発展、地域の発展、経 済と社会の発展、人と自然の調和の取れた発展、国内の発展と対外開放など総合的に計画して、民生問題の解決と発展の協調性の強化をより重視し、経済建設、政治建設、文化建設、社会建設を全面的に推進し、生産が発展し、生活が裕福で、生態が良好な文明発展の枠組みの構築に努力していきます。
中国は終始変わることなく、平和的な発展の道は歩みます。これは中国政府と人民の戦略的な選択であります。この戦略的な選択は中国の実情に立脚し、時代の流れに順応しており、中国の国内政策と対外政策の統
一、中国人民の根本的利益と各国人民の共通利益の統一を表しており、中華民族の偉大な復興を実現するための道であります。中国は確固として独立自主の平和外交政策堅持し、互恵と相互利益の開放戦略をより深く堅持し、国際関係の民主化を推進し、経済のグローバリゼーションが均衡に誰もが利益を得る方向に向かって発展するのを推進し、人類文明の交流を促進し、人類が生きるこの地球を守り、世界各国とともに、発展のチャンスを分かち合い。リスクとチャレンジに対処して、恒久的、平和、共同繁栄の調和社会の構築に推進していきます。中国は防御的な国防政策をとり、軍備競争をやらず、いかなる国に対して、軍事的脅威にならず、永遠に覇権を称えず、拡張しません。諸先生方、学生の皆さん、友人の皆様:
中日両国人民の友好往来は2000年以上に渡っています。これを世界民族交流史上の奇跡といえましょう。長い歴史の中で中日両国人民は学びあい、互いに参考にしあい、融合しあい、それぞれの国の進歩を促進すると同時に、東アジア文明と世界文明の宝庫も豊富なものにしました。近代に入りまして、日本軍国主義が中国に対して、侵略戦争を起こしたことによって、両国の友好関係は大いに破壊されました。この不幸な歴史は中華民族に莫大な災難をもたらしただけでなく、日本国民にも、大きな被害を与えました。歴史はもっとも哲理に富んだ教科書であります。私達は歴史を銘記する強調していますが、恨みを抱き続けるためではありません、歴史を鑑とし、未来へ向かうためではあります。そして、平和を大切にし、平和を守るためであり、中日両国人民が子々孫々に渡って、友好的に付き合い、世界各国人民が永遠に平和を享受するためであります。
1972年、中日国交正常化が実現され、両国関係の新たなページが開かれました。それ以来、中日関係が各分野において、大きな発展を成し遂げました。両国間の貿易額は国交正常化当時の11億ドルから今日では2360億ドルに増えまして、昨年末までに、両国の友好都市は236組になり、また、人的な往来は、延べ544万人に達しました。中日関係の改善と発展は両国と両国の国民に実際の利益をもたらし、アジアと世界の平和と発展に重要な貢献をしました。
今年は中日平和友好条約締結30周年であります。私たちは中日平和友好条約の重要な歴史的な意義を改めて考えるになったとき、中日の友好事業のために、多くの心血を注がれ、多大な努力を払われた古き世代の指導者と各界の有識者の方々を深く偲んでやみません。また、今日にあたった中日友好協力の局面は実に容易なことではなく、これより大切にすべきこと、いっそうに感じます。
中日関係は今新たな歴史のスタートラインに立ち、さらなるの発展の新たなチャンスに恵まれています。経済のグローバル化が深まりつつある中、中日両国の共同利益は絶えず広がり、協力の可能性が絶えず拡大し、国際社会と地域で担うべき責任はますます重くなっています。昨日私は福田総理と実り多い相談を行いました。われわれは双方が中日戦略的互恵関係を全面的に深めることについて、幅広い共通認識に達し、両国関係の長期的な、健全なあすかず安定した発展の全体的な枠組みを確定いたしました。双方はともに努力し、戦略的な相互信頼を増進し、互恵協力を深め、人的文化的交流を拡大し、アジアの振興を推進し、グローバルな挑戦に対処し、中日の戦略的互恵関係をともに推進していくことについて一致しました。私はこのことについて、次のような考え方を皆さまにお話したいと思います。
まず、第一は、戦略的相互信頼の増進についてです。人間同士が、友人になる前提としては、やはり、相互信頼です。国と国との関係を安定させる基礎も相互信頼にあります。中日両国はともにアジアと世界の重要な国であり、双方はお互いに相手の発展について、客観的にかつ正確に認識し、相手を協力のパートナーと見なすべきであり、ライバルと見なすべきではありません。そして、互いに、相手の平和的に発展を支持し、相手の発展を脅威ではなく、チャンスと見なすべき、互いに相手の重大な関心と利益を尊重しあい、対話と協議を通じて、意見の相違を解決すべきであります。
次に、互恵協力を深めることについてです。中日両国はお互いとてももっとも重要な経済貿易のパートナーであります。両国の長年にわたる経済貿易の協力の良好な枠組みを大切にし、両国経済の強い相互補完性、協力の大きな潜在力を十分に生かし,省エネ、環境保護、金融、情報、知的財産権保護などの重要な分野の協力を強化し、両国の経済貿易の協力を絶えずより高いレベルに引き上げ、両国関係の物質的な基礎を強固なものにすべきです。
三番目に、人的文化的な交流の拡大です。人的な交流は両国国民の相互理解を深める架け橋です。文化交流は両国の国民の感情つなぐ絆です。わたしたちは両国の人的文化交流を根気よく継続し、そして、両国青尐年交流の長期的なメカニズムを構築に力を入れ、中日の世世代代友好の社会的基礎をしっかりとしたものにすべきです。
四番目は、アジアの発展を促進することです。アジアの発展は中日両国の協調と協力を抜きにしては語れません。私たちは日本側およびアジア諸国と共に努力して、さまざまな形での地域協力、サブ地域協力を推進し、共同の安全を強化し、東アジアの平和と安定を守り、東アジアの協力のプロセス及び東アジア共同体の建設を共に推進し、アジアの振興促進する中で中日共同の発展を実現したいと考えています。
第五に,グローバルナ挑戦に対処することについて、本日の世界が臨んでいる共通の挑戦は日増しに増えています。テロ、気候変動、エネルギーの安全、食料の安全、金融リスク、重大な自然災害、重大な伝染病、大量破壊兵器の拡散など、これは各国の発展と安定に影響を及ぼします。各国は手を携えて、これに対処することに必要です。中国は日本と共に、各分野における国際協力に積極的に参加し、様々な挑戦に協力して対処する能力を高め、共に人類の平和と発展という崇高なる事業推進していきたいと考えています。諸先生方、学生の皆さん、友人の皆さん
中日友好は両国国民の共同事業です。両国国民はこのため弛まぬ努力することが必要です。日本国民との幅広い触れ合いを通じまして、私は中日友好の発展は日本においてしっかりとした社会的基盤があると強く感じました。長期にわたり、日本国民及び社会の各界、そして友好団体の方々が中日の交流を積極的に推進し、友好協力は始終両国の関係の発展の主流になりました。中国の近代化建設において、日本政府は中国に円借款の協力を提供し、中国のインフラ建設、環境保護、エネルギー開発、科学技術の発展を支持し、中国の現代化建設を促進する上で、積極的な役割を果たしました。日本の各界の方々は様々な形で、中国の現代化建設に暖かい支援を提供してくださいました。大勢の日本の方々が中日友好事業のために、心血を注がれたことを、中国人民は永遠に銘記しています。
日本の国民は勉学に励み、そして創造に長けており、勤勉で、英知と向上心に富んでいます。早くも1400年余り前、日本は20回以上にわたり、中国に遣隋使や遣唐使を派遣しました。そして、中国の制度、法令,律令を参考にし、仏教、漢字、技術を導入し、自国自分自身の状況に合わせて、独特な日本の文化を形成させました。明治維新以降、日本国民は世界の先進的な文明を学ぶことに努力し、吸収し、日本をアジア最初の現代国家に発展させました。日本国民は限られた国土と資源のもとで世界の注目を集めるような発展の業績を成し遂げました。日本は製造業、情報、金融、物流などの分野において、世界をリードし、世界 4 一流の省エネと環境保護技術を有しています。これは日本国民の誇りであり、中国国民が学ぶべきものであります。
ここでは、私は両国青年の皆様にお話したいと思います。かつて御校で勉強した李大钊先生は「世界文明をつくり,人類に幸福をもたらし、青春のわれを持って、青春の人類を創造しよう」とおっしゃいました。両国青年は、中日両国友好進める新しい力であり、中日友好の未来はみなさんによって、切り開かれていくのです。私はかつて長きにわたり青年にかかわる仕事を携わってきました。ですから、青年の皆様に特別な思いがあります。青年のみなさんと一緒にいると、いつも青春の力と命の活力を強く感じ、うれしく思います。1984年中国政府は3000人の日本青年を中国に招き、大規模な中日青年友好大交流の活動を行われました。私は最初から最後までその交流に参加し、ずっと日本の青年たちに同行する中で,深い友情を結びました。昨年6月、私たちは、その1984年の中日青年友好大交流に参加した日本の皆さんを中国に招聘しました。皆様と再び一堂に会し、まさに感無量でございました。その時私は挨拶の中で「月日は人々の容貌、姿、形を変えることができますが、友情を変えることはできません」と申し上げました。
このような経験から、私は青年時代に撒いた友好の種は永遠に人生に伴っていてくれるんだということを教わりました。私たちは共に努力し、中日友好の種を広く撒き、中日友好の旗印を子々孫々にわたって、伝わっていかなければなりません。
今年は中日青尐年友好交流年であります、双方は豊富で多彩な、様々な友好交流行事を行うことになっています。ここで発表いたしますが、中国政府は100名の早稲田大学の学生の皆さんを中国に招聘することを決定しました。ぜひご在席の皆様もこの交流プロジェクトに参加し、中国に来て、中国を見てくれるよう望んでいます。
先生方、学生の皆さん、友人の皆様
あと3ヶ月で、第29回夏季オリンピック競技大会が北京で開かれます。福田総理から1964年の東京オリンピックに対する日本の国民の深い気持ち、感動を聞かせていただきましたが、私もそれを聞いて深い感銘を受けました。中国人民は心を込めて北京オリンピックの成功を願っています。私たちは「一つの世界、一つの夢」というスローガンを打ち出しましたが、まさに北京オリンピックを通じて団結·友情·平和のオリンピック精神を発揚し、世界各国の国民同士の相互理解と友好を増進するために、このスローガンがありました。この場を借りまして、日本政府及び各界の日本の皆様から北京オリンピックへのご支援をいただいたことに感謝し、日本の各界の方々が観戦のために北京を訪れることを歓迎し、そして日本の選手たちが北京オリンピックで多いに健闘されることをお祈りいたします。先生方、学生の皆さん、友人の皆様
早稲田大学の演劇博物館のアーチに「全世界は劇場なり」とのシェスクピーアの名言が刻んであります、古今東西を見渡すと、世界の舞台で、演出されたすべての演劇のその主役はいずれも各国の人民でありました。私は中日両国の人民は手を携え、肩を並べて、中日協力の大舞台において,またアジアを振興し、世界の平和と発展を促進するという大舞台において、共に中日関係をより美しい未来を作り上げ、共に世界のより美しい未来を作り上げていくことを願っております。
ご静聴ありがとうございます。尊敬的白井克彦校长,尊敬的河野洋平先生,老师们、同学们、朋友们:
首先,我感谢白井克彦校长的邀请。有机会来到著名学府早稻田大学,同青年朋友和老师们相聚一堂,我感到十分高兴。我代表中国人民,向在座各位朋友,向日本人民,表示诚挚问候和良好祝愿!
早稻田大学是中国人民熟悉的学府,与中国有着很深的渊源。早在上世纪初,早稻田大学就招收了数以千计的中国留学生。在中国近代史上有着重要影响的廖仲恺、李大钊、陈独秀、彭湃等曾在这里负笈求学。今天,早稻田大学同中国许多大学和研究机构保持着良好关系、开展着广泛的学术交流,为推动两国人文交流发挥了积极作用。
来到这里,我不禁想起我认识的几位日本朋友,他们是竹下登、海部俊树、小渊惠
三、森喜朗、福田康夫、河野洋平先生等。他们都是贵校的校友,为日本发展作出了贡献,也为中日友好事业作出了贡献。在去年早稻田大学建校125周年时,你们提出要建设“培养世界人的世界性大学”、“挑战21世纪的开放大学”。这符合时代要求。我衷心祝愿贵校培养出更多英才,为日本经济社会发展、为人类进步事业作出更大贡献。
中日是一衣带水的邻邦,两国关系正站在新的历史起点上,面临进一步发展的新机遇。我这次来贵国访问,怀着中国人民对日本人民的友好情谊,带着中国人民对发展中日关系的真诚期待。中国政府和人民真诚希望,同日本政府和人民一道努力,增进互信,加强友谊,深化合作,规划未来,开创中日战略互惠关系全面发展新局面。
老师们、同学们、朋友们!
“世界的道路通向早稻田”,这是早稻田大学的一句名言。我们要推动中日关系长期健康稳定发展、实现两国人民世代友好,就要不断增进两国人民的相互了解。这里,我想从历史和现实的视角谈一谈中国,希望有助于大家更加深入地认识中国。
中国是一个具有悠久历史的国家,也是一个正在发生深刻变革的国家。在5000多年文明发展的漫长进程中,中华民族以勤劳智慧的民族品格、不懈进取的创造活力、自强不息的奋斗精神创造了辉煌的中华文明,为人类文明进步作出了重大贡献。同时,中国也走过了艰难曲折的发展道路。特别是1840年鸦片战争以后,由于封建统治的腐朽没落和帝国主义列强的侵略蹂躏,中国饱经磨难、历经沧桑。为改变受人欺凌、积贫积弱的境遇,实现民族复兴的理想,中国人民奋起抗争、前仆后继、发愤图强。1911年辛亥革命推翻统治中国几千年的君主专制制度以来,中国的发展历程大致可以分为3个阶段。从1911年到1949年,中国人民经过长期浴血奋斗,实现了民族独立和人民解放,建立了人民当家作主的新中国,为实现中国发展繁荣创造了根本条件。从1949年到1978年,中国建立了社会主义制度,实现了历史上最深刻的社会变革,中国人民经过艰辛努力取得了国家建设的巨大成就。从1978年到现在,中国人民毅然决然地踏上改革开放的伟大征程,开始了新的历史条件下新的伟大革命。
今年是中国改革开放30周年,对中国和中国人民来说是一个具有特殊意义的年份。30年来,中国成功实现了从高度集中的计划经济体制到充满活力的社会主义市场经济体制、从封闭半封闭到全方位开放的伟大历史转折,中国经济总量从世界第十一位跃至世界第四位,中国成为世界第三大贸易国,中国人民的生活水平从温饱不足发展到总体小康,中国的面貌发生了历史性变化。
在改革开放的伟大实践中,我们深刻认识到,在当今世界日趋激烈的竞争中,一个国家、一个民族要发展起来,必须锐意改革、着力发展、坚持开放、以人为本、促进和谐。锐意改革,就是要跟上时代潮流,勇于变革、勇于创新,坚决冲破一切妨碍发展的思想观念,坚决改变一切束缚发展的规定和做法,坚决革除一切影响发展的体制弊端,为社会发展进步提供强大动力。着力发展,就是要始终把发展作为第一要务,坚持科学发展,6 着力把握发展规律、创新发展理念、转变发展方式、破解发展难题,不断解放和发展社会生产力,实现经济社会又好又快发展。
坚持开放,就是要打开国门来搞建设,在互利共赢的基础上同所有国家开展经济技术合作,吸收和借鉴人类社会创造的一切优秀文明成果,既通过维护世界和平发展自己,又通过自身发展维护世界和平。以人为本,就是要坚持发展为了人民、发展依靠人民、发展成果由人民共享,尊重人民主体地位,发挥人民首创精神,始终把人民呼声作为第一信号,把人民利益放在第一位置,不断提高人民物质文化生活水平,促进人的全面发展。促进和谐,就是要以解决人民最关心、最直接、最现实的利益问题为重点,着力促进社会公平正义、增强社会创造活力,最大限度增加和谐因素,最大限度减少不和谐因素,确保人民安居乐业、社会安定有序、国家长治久安。
“苟日新,日日新,又日新。”“天行健,君子以自强不息。”这既是中华民族的先哲通过观察宇宙万物提出的重要思想,也深刻揭示了中华民族自强不息的民族精神,因此成为中国的千年传世格言。今天中国人民秉持的价值观念,既来自自己在当今时代的丰富实践,也源于中华文明的深厚根基,成为激励中国人民变革创新、与时俱进的强大精神力量。
总结中国改革开放的历程,中国人民得出了一个不可动摇的结论,这就是:中国过去30年的快速发展,靠的是改革开放。中国未来的发展,也必须靠改革开放。改革开放是决定当代中国命运的关键抉择,也是13亿中国人民的共同抉择。
我们清醒地认识到,尽管取得了前所未有的发展成就,但中国仍然是世界上最大的发展中国家。中国人口多、底子薄、发展很不平衡,在发展中遇到的矛盾和问题,无论是规模还是复杂性,都是世所罕见的。中国要建成惠及十几亿人口的更高水平的小康社会,要实现现代化、实现全体人民共同富裕,还有很长的路要走,必须持之以恒地艰苦奋斗。
中国将继续沿着中国特色社会主义道路前进。我们将以邓小平理论和“三个代表”重要思想为指导,深入贯彻落实科学发展观,统筹城乡发展、区域发展、经济社会发展、人与自然和谐发展、国内发展和对外开放,更加注重解决民生问题,更加注重增强发展协调性,全面推进经济建设、政治建设、文化建设、社会建设,努力构建生产发展、生活富裕、生态良好的文明发展格局。
中国将始终不渝走和平发展道路。这是中国政府和人民作出的战略抉择。这个战略抉择,立足中国国情,顺应时代潮流,体现了中国对内政策与对外政策的统一、中国人民根本利益与各国人民共同利益的统一,是实现中华民族伟大复兴的必由之路。中国坚定不移地奉行独立自主的和平外交政策,坚定不移地奉行互利共赢的开放战略,致力于推进国际关系民主化,推动经济全球化朝着均衡、普惠、共赢方向发展,促进人类文明交流互鉴,呵护人类赖以生存的地球家园,同世界各国一起分享发展机遇、共同应对风险挑战,推动建设持久和平、共同繁荣的和谐世界。中国奉行防御性的国防政策,不搞军备竞赛,不对任何国家构成军事威胁,永远不称霸,永远不搞扩张。
老师们、同学们、朋友们!
中日两国人民的友好交往绵延2000多年,堪称世界民族交往史上的奇迹。在漫长的历史进程中,中日两国人民相互学习、相互借鉴、相互交融,促进了各自国家发展进步,丰富了东亚文明和世界文明宝库。
到了近代,由于日本军国主义对中国发动侵略战争,两国友好关系受到严重破坏。这段不幸历史,给中华民族造成深重灾难,也使日本人民深受其害。历史是最富哲理的教科书。我们强调牢记历史并不是要延续仇恨,而是要以史为鉴、面向未来,珍爱和平、维护和平,让中日两国人民世世代代友好下去,让各国人民永享太平。
1972年,中日实现邦交正常化,揭开了两国关系新篇章。从那时以来,中日关系在各个领域都取得长足发展。双边贸易额由实现邦交正常化时的11亿美元增加到去年的2360亿美元。截至去年年底,两国友好城市达到236对,人员往来达到544万人次。中日关系的改善和发展,给两国和两国人民带来了实实在在的利益,为促进亚洲和世界的和平与发展作出了重要贡献。
今年是中日和平友好条约缔结30周年。在重温中日和平友好条约重大历史意义的时刻,我们深切缅怀那些为中日友好事业呕心沥血、辛勤耕耘的老一辈领导人和各界有识之士,更加感到今天中日友好合作的局面来之不易,值得倍加珍惜。
中日关系正站在新的历史起点上,面临进一步发展的新机遇。随着经济全球化深入发展,中日两国的共同利益不断拓展、合作空间不断扩大,在国际和地区事务中肩负的责任也不断加重。我昨天同福田首相举行了富有成果的会谈。我们就全面深化中日战略互惠关系达成广泛共识,确定了两国关系长期健康稳定发展的总体框架。我们一致同意,双方要共同努力,增进战略互信,深化互利合作,扩大人文交流,推动亚洲振兴,应对全球挑战,共同推进中日战略互惠关系。我愿就这几个问题谈些看法。
第一,增进战略互信。人与人要成为朋友,前提是互信;国与国关系要稳定,基础也在于互信。中日两国都是亚洲和世界的重要国家,双方应该客观认识和正确对待对方发展,相互视为合作双赢的伙伴,而不是零和竞争的对手;相互支持对方和平发展,视对方发展为机遇,而不是威胁;相互尊重对方的重大关切和核心利益,坚持通过对话协商解决分歧。
第二,深化互利合作。中日互为最重要的经贸伙伴。双方应该珍视长期以来两国经贸合作形成的良好格局,充分利用两国经济互补性强、合作潜力大的优越条件,加强两国节能、环保、金融、信息、知识产权保护等重点领域的合作,不断把两国经贸合作提升到更高层次,巩固两国关系的物质基础。
第三,扩大人文交流。人员交往是增进两国人民相互了解的桥梁,文化交流是沟通两国人民感情的渠道。我们应该持之以恒地开展两国人文交流,着力建立两国青少年交流长效机制,夯实中日世代友好的社会基础。
第四,推动亚洲振兴。亚洲振兴离不开中日两国的协调和合作。我们愿同日方及亚洲各国一道努力,推进多种形式的区域、次区域合作,加强共同安全,维护东北亚和平稳定,推进东亚合作进程和东亚共同体建设,在促进亚洲振兴中实现中日共同发展。
第五,应对全球挑战。当今世界面临的共同挑战日益增多,恐怖主义、气候变化、能源安全、粮食安全、金融风险、严重自然灾害、重大传染性疾病、大规模杀伤性武器扩散等影响各国发展和稳定,需要各国携手应对。中国愿同日本一道,积极参与各领域的国际合作,提高协作应对各种挑战的能力,共同推进人类和平与发展的崇高事业。
老师们、同学们、朋友们!
中日友好是两国人民的共同事业,需要两国人民为之不懈努力。通过同日本人民的广泛接触,我深深感到,发展中日友好在日本有着深厚的社会基础。长期以来,日本人民、社会各界和对华友好团体积极推进中日交流,友好合作始终是两国关系发展的主流。在中国现代化建设的进程中,日本政府向中国提供了日元贷款合作,支持中国的基础设施建设、环境保护、能源开发、科技发展,为促进中国现代化建设发挥了积极作用。日本各界友人以不同形式对中国现代化建设提供了热情帮助。对日本众多友好人士为中日友好事业倾注的心血,中国人民将永远铭记。
日本人民善于学习、善于创造,勤劳智慧、奋发向上。远在1400多年前,日本就先后20多次向中国派出遣隋使、遣唐使,借鉴中国的制度、典章、律令,引入佛教、汉字、技术,结合自己的实际形成了独具特色的 日本文化。明治维新以后,日本人民努力学习吸收世界先进文明成果,逐步发展成为亚洲第一个现代化国家。日本人民以有限的国土资源创造出举世瞩目的发展成就,日本在制造业、信息、金融、物流等领域位居世界前列,拥有世界一流的节能环保技术。这是日本人民的骄傲,也值得中国人民学习。
这里,我要对两国青年朋友说几句话。曾在贵校学习过的李大钊先生说过,为世界进文明,为人类造幸福,以青春之我,创建青春之人类。两国青年是中日友好的生力军,中日友好的未来要靠你们开创。我曾多年从事青年工作,对青年朋友有着特殊感情。我喜欢同青年朋友们在一起,感受青春的活力,感受生命的火红。1984年,中国政府邀请3000名日本青年访华,举行规模盛大的中日青年友好联欢活动,我全程参加了那次活动,同日本青年朝夕相处,建立了深厚友谊。去年6月,我们邀请参加1984年中日青年友好联欢活动的日本朋友访华,大家再次欢聚,百感交集。我在致辞中表示:“岁月可以改变人们的容颜,但改变不了人间的友情。”这样的经历告诉我,青年时代播下的友谊种子,将永远伴随着我们的人生。我们要共同努力,让中日友好的种子广泛播撒,让中日友好的旗帜代代相传。
今年是中日青少年友好交流年。双方将开展一系列内容丰富、形式多样的友好交流活动。在这里,我愿宣布,中国政府决定邀请100名早稻田大学学生访华。希望在座的青年学生能够加入这一计划,到中国去看一看。老师们、同学们、朋友们!
再过3个月,第二十九届夏季奥运会将在北京举行。福田首相曾对我谈及日本人民对1964年东京奥运会的真挚情感,闻后感同身受。中国人民真诚希望办好北京奥运会。我们提出“同一个世界,同一个梦想”的口号,就是要通过北京奥运会,光大团结、友谊、和平的奥林匹克精神,增进世界各国人民的相互了解和友谊。借此机会,我愿感谢日本政府和各界人士对北京奥运会筹办的支持,欢迎日本各界朋友到北京观看奥运会,预祝日本体育健儿在北京奥运会上创造佳绩。老师们、同学们、朋友们!
早稻田戏剧博物馆门楼上嵌刻着莎士比亚的名言“世界是一个大舞台”。古往今来,世界大舞台上演出的所有戏剧,主角始终都是各国人民。我衷心期望,中日两国人民手牵手、肩并肩,在中日合作的大舞台上,在振兴亚洲、促进世界和平与发展的大舞台上,共同创造中日关系更加美好的明天,共同创造世界更加美好的明天!
谢谢大家。
第五篇:早稻田大学顶新奖学金简介
日本早稻田大学
顶新国际集团康师傅控股有限公司奖学金简介
顶新国际集团康师傅控股有限公司奖学金(以下简称顶新奖学金)是根据2009年10月21日顶新国际集团康师傅控股有限公司与早稻田大学签订的奖学金合作协议,授予通过早稻田大学本奖学金入学考试被录取的学生。奖学金总金额约1.8亿元,项目为期5年,意在资助中国优秀学生前往早稻田大学就读硕士课程。
第一批奖学金已于2010年9月正式启动,奖学金前两年在国内项目试点高校开展,今年扩大到中国(包括港澳台地区)所有大学。
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早稻田大学顶新国际集团康师傅控股有限公司奖学金
-招生课程:正规硕士课程(最长2年)
-招生对象: 本科在校学生(限中国国籍,包括港澳台地区)。
不限专业,英语、日语生均可。
-奖学金内容:1)全额免除硕士课程学费
2)提供生活费(每年150万日元)
-报名费:5,000日元
-官方网站:
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报考要求及时间等信息请参考:
附件
1、早稻田大学顶新奖学金赴日前选考申请指南(2012年9月及2013年4月入学者用)附件
2、早稻田大学顶新奖学金各研究科简章公布时间及下载地址(2012年9月及2013年4月入学者用)
早稻田大学 国际招生中心 南京连络处(洪武路23号隆盛大厦1608室)
电话:025-8689-9245
中国地区免费咨询电话: 800-828-9832
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