第一篇:『甘えの构造』读书 心得
『甘えの構造』
首先,谈一下《日本人的心理结构》。这本书是土居健郎先生写的,他生于1920年,毕业于东京大学医学部精神病科,是一位临床心理专家。全书共五章,目前我才看完了第三章。
第一章阐明依赖心理的概念。作者以自己在美国的生活时经历过的事情为例,阐明了日本人和美国人的思维方式,内心感受之不同。譬如:吃冰激淋事件,I'am sorry事件,请客吃饭时对待客人的礼貌方式等等。文中通过对日本作家室町犀星的小说《杏子》和外国作家萨冈的小说《你好,乡愁》进行对比,阐述了日本与西方亲子关系的不同。作者还通过对“依赖”和“自我”意识之间的研究,说明了日本和西方的心理结构的不同。同时作者还通过对《桃太郎于全日本学生运动联合会》的文章分析,阐明了自己并没有像当时的某些评论家那样,把学生们一概视为不谙世事的年轻人,而是主张只责怪他们,是收拾不了事态的发展,因为较学生们的幼稚的依赖心理,社会权威的丧失乃是更为严重的问题。作者还通过依赖心理的分析,阐明了“全共会”的走向暴力极端的原因。这一章里,出现了很多有代表性的人物和专业术语。诸如:本尼迪克特,投射法心理检查,大佛次郎,森田正马,恋母情结,弗洛伊德,自爱欲,中村元,丸山真男等。
ひがひね
第二章作者力图阐述日本是一个彼此依赖的社会。通过一些日文词汇,企图从语言的角度考察文化。譬如:甘い、すねる、僻む、捻くれる、恨む、ふてくされる、やけくそになる、頼む、拘る、気兼ね、わだかまり(隔阂)、照れる等词语。并且详细解释了すみません的来源和各种用法。作者认为其既可以表示道歉又能表示感恩。作者补充了本尼迪克特的观点,认为日本人对别人的诚心帮助,不满足于仅仅表示谢意,他们总是在考虑给对方增添了麻烦,所以要表示歉意。作者认为“对不起”的心理与日本人的罪恶感,欺辱感密切相关。作者还就人情和义理展开论述。认为两者既对立又不可分割。作者把义理比作容器,把人情比作器中之物。就“他人”与“客套”来讲,日本除了亲子关系,其他的人际关系都是向外延伸的,逐渐疏远的。此外,作者还就内与外展开了论述。作者强调日语中的“内”一般说的是家庭内部,或者是团伙,或是指某一个集团,不同于英语的“个人权利”,专指个人本身。在日本既没有确立脱离集团的个人自由,更缺乏超越集团或个人的所谓“公共精神”。此外,作者还说明了日本“顺从”和“吸收”的特点。强调日本在接受外来文化时,似乎采取全盘接受,不加任何批判的态度,这实际上是有利于维护彼此依赖的人际关系,“吸收采纳”本身也是依赖心理的一种延续。作者还试图通过历史上的战争胜利,说明日本“顺从”和“吸收”的优越性。此外,作者还就本尼迪克特的罪恶感文化和耻辱心文化谈了自己的观点。通过举例说明耻辱文化比罪恶文化更进步。诸如:乃木将军的切腹自杀为明治天皇殉死事件等。最后,作者りこう就依赖心理的来源,谈了一些个人的见解。他认为日本人到成年后还始终保持着一种童心。举例诸如:坊ちゃんはお利口さんですね。お嬢ちゃんの洋服はきれいですね等。这一章中出现了的代表性人名和专业术语有:柳田国男,亚里士多德Aristoteles,朋霍斐尔Bonhoeffer等。
第三章谈了依赖的逻辑。作者首先分析了语言和心理的关系。认为语言结构的差异影响了人类精神发展。并且引用了哥德的话说:“不懂外语的人也不会真正懂得本国的语言。”作者认为,语言并不仅仅是人们表达感情的手段,而是在语言形态本身之中已刻下了人们各种心理活动的烙印。作者试图分析日语中甘い的词源,认为这与儿语ウマウマ有关。作者还借用了泉靖一等的看法。即他们认为日本人 1
心目中的天空是“连接大地的天空”,而游牧民则是“与大地隔绝的天空”。作者还就依赖心理和日本人的思维方式展开论述,对日本人的审美观进行了若干考察。提到了日本人最为欣赏的是“寂寞”和“孤高”。作者还就“洒落”谈了一些看法。认为其既含有孤高自傲,又要依赖别人。之后,著者就依赖和自由谈了自己的看法,并且就此说明人本的自由和西方的freedom的区别。其中引用了文艺复兴时期的学者比维斯的一段话:“要想接受爱就得感谢对方,感谢之情又往往夹杂着羞耻心,羞耻心自然又会妨碍感谢之念〉”。作者说到导致中世纪欧洲封建政治体制崩溃的原因自是很多,其中一点是欧洲近代初期个人的自由以及政治的自由观念深入人心。作者反问所谓的西方自由究竟要把人类引向何处?说穿了不就是满足个人欲望,追求与参与者的一种连带吗?若如此,就同日本的依赖心理殊途同归。最后,作者叹了关于“气”的概念,企图说明日本固有的“気の病”、“気ちがい”比西方的原文更能表达神经症和精神病的原意。这一章出现的代表性人名有:铃木大拙,本居宣长,西田几多郎,津田左右吉,奥古斯丁Augustinus,马丁路德,马克思,尼采,萨特等。
第四章作者从偏执症的心理分析,对人恐怖症,执着,同性恋感情,懊悔和遗憾,受迫害感,没有主见等七个方面对依赖心理的病理展开了分析。森田正马认为“偏执症”是由于注意力过度集中而产生的一种神经质病症。在临床治疗时大夫会提醒患者,你对某一事物过分注意了。如果病情较轻,一直以为自己有什么病,抱有恐惧感的患者,听了医生的这番提醒后,他们往往会放松情绪,其病症也随之而消失。作者认为“偏执症”作为日本独特的神经症理论,其心理与依赖有关,可以理解为是依赖心理的一种病态。在治疗过程中频频显露出种种猜疑,顾忌和拘泥。另外,作者还就“对人恐怖症”多见于日本的原因作了说明。作者认为羞耻感在传统的日本社会里会得到格外的关照,爱护。但在近代以来受西方文化的影响,人与人之间的这种相互理解越来越少,羞耻感成了消极因素,他们渐渐趋于内向,变得越发固执,出现了见人脸红,怕人说丑,畏人眼目等。作者认为导致日本人从面对周围意识到羞耻变为面对周围产生恐惧感的根本原因是整个社会逐渐失去了对个人羞耻的理解和尊重。就日本人的执着而言,作者认为日本人生性喜欢互相依赖,而实际上又很难去实施,于是他们要拼命否定依赖,最终陷入执着的苦海中不能自拔。著者对同性恋感情作了说明,强调了其与同性恋的区别。它是指同性之间的依恋情感强于异性,类似于我们通常所说的友情。作者通过对夏目漱石的名作《心》的分析,借主人公“先生”之口,阐明了自己对同性恋感情的看法。即:“当你回想起曾经跪倒在他的膝下,今天你会恨不得一脚踏在他的头上。正因为我不愿将来忍受侮辱,所以现在才拒绝你,而宁可忍受眼前的寂寞。我们生逢在这自由,独立,充满自信的现代社会里,却不得不去忍受孤独之痛苦。”作者认为把同性恋感情的本质看成是依赖心理比较合适。在弗洛伊德理论中令人感兴趣的一点,在于他指出神经症和精神病患者导致发病的真正原因是同性恋感情在背后作怪,实际上同性恋感情在弗洛伊德理论中是一个及其关键的概念。夏目漱石认为同性恋感情挽救不了人类与生俱来的寂寞孤独之感,它只能使人陷入痛苦的深渊,这种满足只是一事的,终归要破灭。置身于“自由,独立,从满自信的现代社会”,希求依赖获得连带感只能是海市蜃楼般的一场空幻。作者例举了「悔やむ」,「悔しい」,「悔いる」等词语,阐述了后悔,懊悔,遗憾的区别。懊悔完全是内向的,而遗憾有意识到外部的一面,比如说“这次输得真遗憾”,具有向外发泄,又有面向自己的特点。弗洛伊德已经指出抑郁症的特征之一就是患者过度的自我责备,并且由此再进一步涉及懊悔心理,以阐明自责的性质。欧美人复仇的观念基于正义感,而日本人则与依赖心理有关。作者例举了源义经,楠正成,四十七勇士,西乡隆盛等败走麦城的英勇将士来进行说明这一观点。作者用了邪魔する、邪魔になる、邪魔にする来说明受迫害感。作者认为正常人受害意识并非个人问题,它与自己所属的集团不可分离,与此相反,受害妄想症的患者认为唯有自己一个人遭受迫害,在三合会上自己完全被孤立起来。他们很少体验过凭借依 2
赖而获得的与他人的共感。作者通过对「自分がない」的分析,说明主见的含义及人本人于西方人在有无主见上的差别。正如康德说:“人们及时在尚未能用语言表现自我时,当他用第一人称说话时,所有语言便不得不要思考自我了。”作者阐述了歇斯底里的概念:其行动动机在于吸引周围的注意,一方面敏感地对周围的动向做出反应,一方面常常会不择手段地采取过激行动。作者认为在普遍信仰个人重于集体的西方人心中同样存在着归属欲望,也就是一种依赖心理。这一章里,出现了很多有代表性的人物和专业术语。诸如:疑病素质,同性恋感情,柏拉图,康德等。
第五章,作者从青少年的反抗心理,现代人的异化,父权失坠的社会,连带感罪恶感受害者意识,叛逆的时代阐述了依赖心理与现代社会的关系。弗洛伊德把精神病的根源看作是恋母情结,换个角度说就是两代人的纠葛。父母本生有病症的倾向,夫妻不和家,造成父母的某一方与子女关系异常亲密。在这种情况下不会出现两代人之间的恋母情结,反而会出现所谓两代人界限不清的现象。这也正是一般精神分裂症患者的家庭关系。在谈到现代人的异化时,作者采取了消极的态度对待科学的进步。作者认为人类的生存不可能被对神的信仰或纯粹的理性所支配,正如文艺复兴是用纯粹理性的兴起来对抗神的启示一样,现代人正试图通过恢复自身生存的应有权利来对抗纯粹的理性。浮士德放弃任何思虑,任凭魔鬼梅菲斯特诱惑摆布,挺身冒险,在所不辞。歌德让浮士德探索终生而用不得满足,剧终,天使高声唱道:“让女性永远引导我们向前!”日本父权失坠的原因有两个方面,第一战败使旧的道德观受到了沉重打击,以往作为国民精神支柱的忠孝道德被全面否定了;第二,人们推崇的西方国家也陷入空前的混乱,世界思想潮流日趋向着否定父权的方向发展。这些weuyi也对日本直接或间接地产生了影响。弗洛伊德的精神分析有一点我很是匍匐。即,人的意识受无意识支配,高等精神作用与本能之间存在着密切的内在关系。这些对现代人的意识革命产生了极大的影响。有关日本的连带感罪恶感受害者意识,作者总结说,过于强调连带感可能抹杀个人独立的价值,即个人通过连带关系才能获得价值,个人为了拯救自我不得不去希冀连带。作者还分析了“全共斗”提出的自我否定论。作者认为这是他们通过与受害者的同化来否定自我本身的存在,进而消除自身的罪恶感,他们就是这样把集资变成受害者,诅咒那些对受害者不予关心的人,积极展开对施害者的攻击。在这种情况下,自我否定的原因越是牵强,其行动就必然会越发凶暴,残忍。作者还通过举例来说明现在是叛逆的时代。譬如:把カッコいい故意说错成儿语的カッチョイイ等。作者认为所谓的颓废其实从心理学上看,是一种幼儿性多重倒错现象的延长。即如同顽童一般,遇事易冲动,或者太任性等。上世纪的六十年代出现的嬉皮士现象就是典型的证明。作者对此现象不置可否,因为没有谁敢肯定,倒退究竟是一种不可救药的病态还是属于恢复健康的征兆。这一章里,出现了很多有代表性的人物和专业术语。诸如:黑格尔Hegel,荣格,婴儿的多重倒错等。
第二篇:日语 欢迎用语 出迎えの挨拶
出迎えの挨拶
皆様こんにちは。道中お疲れ様でございました。大連旅行社の一同を代表いたしまして、皆様のご到着を心より歓迎いたします。この旅皆様のお世話をさせていただくことになりました○○と申します。どうぞよろしくお願いします。お気軽に○○とお呼びください。こちらの運転手は○○です。
皆様が大連をご旅行の期間中は私どもが皆様にご満足いただけるサービスができるよう精いっぱい努めさせていただきます。何かおきつきの点がございましたらいつでもどこでもお気軽におもし付けください。どうなちいさなことでもかまいませんからね,私どもも皆様に外国いながらアットホムでおだやかなふんいきのなかご旅行を満喫していただければと思っております。
ここ中国では ふるくから 友あり 遠方より来る また 楽しからずやと申しますが、私どもが今そうな気がしております。遠路はるばるいらっしゃた皆様のこのご旅行が楽しく順調に進みますように心からお祈りしております。さて 皆様たくさんのお荷物 トランクですとか、お手荷物ですとかをお持ちになっていらっしゃるわけですが さぞかしお疲れになりましたでしょう。まず直接ホテルの方へと向かいまして そちらでチェックイン それぞれのお部屋でお荷物をご確認になりましたのち しばしお寛ぎいただくことになっております。本日 ご宿泊のホテルは大連ホテル 市の中心部にございまして 空港からは40分ほどで到着いたします。
さて ホテル到着前に 中国での旅につきまして いくつか注意事項を申し上げます。まずは時差についてです。ご存じのように中国と日本との間には一時間の時差がございます。集合時間などすべて中国での時間を基準にしておりますので、ご注意ください。まだ お済みでないお客様は時計の針を一時間お戻しくださいますようお願いいたします。
次に、水についてです。日本では蛇口をひねれば どこでも水が飲めますが、中国ではホテルなど特別場合以外では 水道の生水を直接お飲みになりませんようお願いいたします。日本の軟水とは違って,中国の水道の水には鉱物がふまれている硬水が多いためで 慣れない場合日本とおなじつもりでがぶがぶ飲んだりしますとおなかを壊したりしてしまう恐れがございます。ホテル備付の給水機、あるいは市販されているボトル入りの飲用水をご利用ください。
三つ目ですが 中国の道路では車が右側通行となっています。また,二車線の道路の場合 手前の車道の車は左から右に走っています。ですから道路を渡る際はまず左側をご確認になりまして それから 右側を見てお渡りください。
最後に 貴重品の管理についてです。貴重品はホテルのロビーにあつけていただくのが最も安全です。ご自分でお持ちになる場合は市場などの人通りの激しいところでは特にご注意ください。また 大連の治安がいくらよいと申しましても ズボンの後ろポケットなど他人の目につきやすいところには できるだけ入れない方が無難です。
第三篇:书き取りの答え
2011-3-8
1.ぬヌnu2.ちチchi(ti)3.ねネne4.ふフfu(hu)5.そソso6.ひヒhi
7.なナna8.ほホho9.けケke
10.せセse
1.すこし
3.ちかい
5.のこす
si スコシsukoshi チカイchikaitiノコスnokosutu 2.つくえツクエtsukue4.ねこ ネコneko
第四篇:学习先进事迹の心得
学先进、比先进,建雷锋式警队
——学习骆科盛、汪绍敏、张小军先进事迹的心得体会
按照立军副市长在市委政法委《关于向汪绍敏骆科盛张小军三名同志学习的决定》上作出的重要批示,近期,市局政治部发出了通知,号召全市公安机关向汪绍敏、骆科盛、张小军三名同志学习。通过对骆科盛、汪绍敏、张小军三名同志先进事迹的学习,我深深被他们的所作所为打动,深刻认识到,群众利益无小事,我我们公安工作也不仅仅只做大事,只抓坏人的。
一.学先进,树正确人生观、价值观
学习先进事迹,就要树立正确的人生观、价值观,不要把个人得失看得太重,要扩展胸襟,心怀百姓,将个人利益缩小化。真正做到情为民所系,利为民所谋,以为困难群众雪中送炭为己任,不辱保卫人民生命财产不受侵犯的使命。无论官职大小,无论地位高低,尽自己所能,帮助别人,为他人服务,执政为民,立党为公,用自己的付出和行动,密切警民关系,增加鱼水之情,巩固执政之基。在现实工作中我们更应该时刻以“全心全意为人民服务”为宗旨,用实绩交答卷,赢得群众的好口碑,得到群众内心的感谢和拥护。
二.比先进,认识不足,提升自身综合素质
汪绍敏、骆科盛、张小军三名同志都是我们公安队伍中普通的一员,可他们却在他们普普通通的工作岗位上做着不普通的事情。他们坚持走党的群众路线,以群众的利益为重,积极深入的了解群众的疾苦,为人民群众办实事,办好事,为人民群众排忧解难,十几年如一日。他们是一个小人物,却感动着每一个人,教育着每一个公职干部,每一个党员干部。因为,他们对得起这一身警服,对得起党和人民的重托。诚然,我们在现实工作中还存在着诸多不足之处,思想观念尚且跟不上新形势要求的步子,在工作中对新形势、新情况、新问题缺乏深入研究,开拓创新意识不强,习惯于老眼光看待新事物,用老办法处理新问题,思想保守,办法不多等等,但在今后,我们将以高标准严格要求自己,积极进取,绝不满足于现状,要和工作好,工作能力强的同志学习,取长补短,积极发挥主动能动性、举一反三,针对实际提出相适应的措施,尤其是在自已的工作中,要讲究方式方法,灵活运用,既要讲政策,讲原则,又要注意工作的方式,真正做到急民之所急,想民之所想,为人民群众办实事,办正事。
三.创优争先,建雷锋式警队
要创优争先,光靠说的那是没有用的,得实际去做,这就必须做到:
1、树立高度责任感。我们常讲没有责任的事业是没有希望的事业,责任是一个人道德水准和精神境界的体现,也是推动事业发展的强大动力,这就要求我们每一位民警都要树立高度的责任感,以保卫人民群众的生命财产安全为己任,思民之所思,想民之所想,为人民群众办实实在在的事。
2、扎实工作,深入社区,了解民众之疾苦。社区工作琐碎而细致,群众工作更是要善于倾听,学会处理疑难问题,学会化解矛盾,推动工作。
3、提高服务质量。争创一流,工作中要主动热情,态度诚恳,行为文明,服务周到,要耐心倾听,全面细致地解答清楚,严格遵守单位制定的各种规章制度,依法办事,严格办事程序,优质服务,树立人民警察的良好形象。
通过学习先进事迹,使我受到了深刻教育,心灵受到震撼,思想得到升华。在学习先进事迹后,我对照三名同志的先进事迹,认真查找思想上的差距,进一步强化自己工作责任心,把心思用在出思路、谋发展上,做好本职工作;学习他们高度的政治觉悟,强烈的事业心,崇高的思想境界,严谨的工作作风,高尚的情操,实实在在地做事,以他们为榜样,不断加强世界观改造,严格要求自己,认真做好本职工作,在自己的工作岗位上作出应有贡献。只要我们每一位人民警察坚持把群众的利益放在心上,从“小事”做起,我们社会就会更加和谐,“五个重庆”建设就会更加快速、健康地向前迈进。
第五篇:明治维新の日本に与える影响に関する考察
明治維新から日本に与える影響に関する考察
要旨:日本はひとつ資源の貧しい島国の発展からひとつの経済の世界第二番に位置するせんしんこくにほんしげん
まず
しまぐに
はってん
けいざい
せかいだいにばん
い
ち先進国になって、日本はひとつ神話を創造した。これは値打ちがある我が国の学習のである。本文は日本に発展途上国から経済強国のひとつ重要な転機を変えさせることである─明治維新について考察したい。
キーワード:明治維新
資本主義
経済
近代化
はじめに
日本の歴史上、特に近代史に於いて明治維新は最も感心の高い分野だ。明治維新は、近代日本の出発点となった大改革であり、日本は明治維新によって「近代化」の第一歩を踏み出したといえる。
開始時期については諸説あるが、狭義では明治改元に当たる明治元年旧9月8日(1868年10がつ23にちかいしじきしょせつ
きょうぎ
めいじかいげん
あ
めいじがんねんふるい9がつ8にち
1868ねんめいじいしん
しほんしゅぎめいじいしんこうさつほんぶんにほんはってんとじょうこく
けいざいきょうこく
じゅうよう
てんき
かにほんしんわそうぞうねうわくにがくしゅう10月23日)となる。しかし一般的にはその前年にあたる慶応3年(1867年)の大政奉還、王政復古以降の改革を指すことが多い(日本の歴史学界における明治維新研究では、まえだんかいおうせいふっこいこうかいかく
さ
おお
にほん
れきしがっかい
めいじいしんけんきゅう
いっぱんてきぜんねん前段階である江戸幕府崩壊期(天保の改革あるいは黒船来航以後)も研究対象とされるが、維新体制が整う以前の政治状況については幕末の項で扱うものとする)。終了時期についても、廃藩置県の断行(明治4年、1872年)、西南戦争の終結(明治10年、1877年)、内閣制度の発足(明治18年、1885年)、立憲体制の確立(明治22年、1889年)までとするなど諸説ある。
短期間にほぼ独力で近代国家を整備し、西欧列強に比肩する国家を築き上げたことは諸外国からは奇跡と見られ、とくにアジア諸国にとって近代革命の模範となった。この革新の象徴となり、アジア初の本格的立憲君主となった明治天皇について、諸外国では日本以上に高く評価されることもある。
このような変革を明治維新という。この新しい時代を明治時代という。長い封建社会が終わり、近代社会という新しい時代に時代に入ったのである。近代日本の出発点である。
一、背景
明治維新は、黒船来航に象徴される欧米列強の経済的、軍事的進出に対する抵抗運動(攘夷運動)に起源を持つ。アヘン戦争以後、東アジアで欧米による帝国主義の波が強まる中で、長年の国是であった鎖国体制を極力維持し、旧来の体制を維持しようとする思想が現えどばくふほうかいきてんぽうかいかくくろふねらいこういごけんきゅうたいしょう
れた。しかし江戸幕府は、朝廷の意に反する形で開国、通商路線を選択したため、攘夷運動は尊王論と結びつき、朝廷の権威のもと幕政改革と攘夷の実行を求める尊王攘夷運動として広く展開されることとなった。一方、開国・通商路線を是認する諸藩の中にも、いわゆる雄藩を中心に、欧米列強に対抗すべく旧来の幕藩体制の変革を訴える勢力が現れた。これらの勢力もまた朝廷を奉じてその要求を実現させようとしたため、幕末は京都を舞台に朝廷を巡る複雑な政争が展開されることとなった。
二、改革の内容
この近代化とは、西洋の知識、制度、技術などの導入を通じて西洋化し、欧米列強にかたきんだいかせいよう
ちしき
せいど
ぎじゅつ
どうにゅう
つう
せいようか
おうべいれっきょう肩をならべる国家を築きあげることが主眼とされました。
明治政府はすぐ西洋の、強い資本主義国をモデルにして、日本を近代国家にしようとした。近代国家の特徴は、政治では立憲主義、経済では資本主義である。近代国家建設を助けた。
1、廃藩置県
新政府の首脳部は財政、民政、兵制、司法、教育などの全般にわたって、全国的に統一して改革を行うことの必要性を切実に自覚し、まず政治の近代化に取り組んだ。
全国を藩に分けていたのを止めて、県という、中央政府の行政区に変えた。藩は財政力と兵力を持っていたので、これをなくす必要があったからである。このようにして、明治政府は中央集権の国家体制をつくりあげた。2、新しい身分制の成立
江戸幕府下の「士農工商」の別を廃止し、「四民平等」を謳った。しかし、明治4年に制定された戸籍法に基づき翌年に編纂された壬申戸籍では、旧武士階級を士族、それ以外を平民とし、旧公家、大名や一部僧侶などを新たに華族として特権的階級とすると同時に、宮内省の支配の下に置くことになった。
華族と士族には政府から家禄が与えられ、明治9年の秩禄処分まで支給された。同年、廃刀令が出され、これにより士族の特権はなくなり、のちの不平士族の反乱(佐賀の乱、萩の乱、秋月の乱、神風連の乱)につながる。
こうして制度上は、国民はすべて平等にあつかわれることになり、このころ盛んに「四民平等」の言葉が使われた。
3、経済産業
富国強兵、殖産興業のスローガンの下、工部省(のちに内務省)が中心となり、政府主導の産業育成が始まる。
富岡製糸場をはじめとする官営模範工場が作られるなど、西洋式工業技術が導入された。金融制度でも旧幕府時代の貨幣制度を改めて、通貨単位として「円」を導入(明治4年(1871年)。新貨条例を参照)、また国立銀行条例による国立銀行(ナショナルバンク)を経て、通貨発行権を独占する中央銀行としての日本銀行設立(明治15年、1882年)など、資本主義的金融制度の整備も行われた。
このように、ありとあらゆるインフラが整備されていった。
4、軍隊
新政府は富国強兵を図った。産業を盛んにして、国の富を多くし、軍隊を持って、兵力を強くするよにした。徴兵令を導入し、近代的な常備軍を最初に作ろうとしたのは大村益きんだいこっかとくちょう
せいじ
りっけんしゅぎ
けいざい
しほんしゅぎめいじせいふせいよう
つよ
しほんしゅぎくに
も
で
る
にほん
きんだいこっかこっかきずしゅがん
次郎であったが、かれが暗殺されてしまったため、山縣有朊に引き継がれた。明治3年、徴兵規則がつくられ、翌年の明治4年に廃藩により兵部省が全国の軍事力を握ることとなり、明治5年には徴兵令が施行され、陸軍省と海軍省が設置される。徴兵制は主に農家のニ、三男を対象にするので,農家にとっては労働力を失うことになった。しかし、こうして近代的な常備軍が創設された。
5、文化
明治政府は国民生活と文化の近代化も進め、これに民間の知識人やジャーナリズムが連動し、文明開化の動きが加速する。近代的な制度や技術を直接取り入れるために,明治政府は政府の使節や留学生をアメリカの国々に送った。一方、政府は技術者や学者などをアメリカから招いた。日本の近代化のモデルがアメリカの国々であったからである。このような人々をお雇い外国人という。このことから、短い間に、日本の近代化が急いで行ったことが分かる。
西洋の新しい考え方、つまり自由主義や個人主義などの近代思想も,日本語で紹介された。義務教育の制度を確立する。こうして、新時代「明治」の雰囲気が醸成されていった。19世紀後半の日本は新政府が中心となって、欧米の先進的な資本主義に追いつくために、急いで近代化、軍事化の道を歩み始めたといえる。
三、改革の影響など 明治維新において、日本の歴史上初めて人民衆が政治生活に積極的に参加して政治的社会的変革を成し成し遂げる。また、日本人の単一不可分の国家的統一を成立させ、能率的な中央集権の統治機構を作り上げ、欧米列強の半植民地的地位からの民族解放を勝ちとる第一歩を踏み出すなど、それまでの日本の歴史上のいかなる変革にも勝る重大な進歩的意義がある。
明治維新の諸改革は、新たな制度で生じた矛盾をいくらか孕みながらも、概ね成功を収め、短期間で立憲制度を達成し、富国強兵が推進された。
明治維新は欧米列強に抑圧されたアジア諸国にとって近代化革命の模範ともなったが、やがて日本自身が列強側の国家として、帝国主義的な領土、権益獲得の立場となった。日本は明治維新によって列強と化した事により、アジア諸国では数少ない植民地にならなかった国となったのである。一方、ほとんどのアジア諸国で挫折ないし不可能だった近代化革命が、なぜ日本においてのみ成功したのかについても近年研究が盛んとなっている。維新成功の背景として、その前段階たる江戸時代における日本人の労働生産性、教育水準、遵法意識の高さや、近世においてすでに近代的科学精神を受け入れる素地、教養が準備されていたことなども要因と考えられ、江戸時代の再評価のきっかけにもなっている。
明治政府は、資本主義社会の育成を根底として、行政、軍事、社会、経済、教育、文化に至るまであらゆる方面にわたって大改革と構築を行った。こうして官僚独裁のもとに西洋の近代文明の物質的成果が、急速に学びとられていった。西洋文明の摂取、いわゆる「文明開化」は民族の風俗にも及び、「ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」などともてはやされた。しかし、このような風俗や教育など全てにわたって政府の強制のもとに施行され、上からの近代化が下からの近代化を圧倒しました。こうして明治維新以降の官僚独裁的な西洋文明摂取は、当時の支配に反対する人民の立場に立った理論、思想も芽生えさせ、自由民権運動、立憲制による新たな天皇制の確立へと移行する。
おわりに
その期間は、日本では決定的な改革された一連の措置は、日本が植民地のような状況を回避するために採用した。それ以来、日本、立ち上がり国力の成長繁栄は、最終的に世界の工業の国となる。日本の固める信念、思い切りが良い策略は我が国も学んだのである。だから、私達は経験を総括して、よくないものを取り除いて、我が国の経済発展に利益がある良いものを吸収するべきだと考えている。
参考文献:桑原武夫『明治維新と近代化』1962年http://www.yahoo.cajp
竹越与三郎『新日本史』第七版民友社1893http://www.yahoo.cajp 清水行健『簡明日本史教程』武漢大学出社 2008年 諾曼 赫伯特『日本維新史』姚曾廙訳吉林出版社 2008年