第一篇:日语演讲稿-我的梦想(私の梦)
私の夢
しんけんよう
皆さん、こんにちわ。私は******と申します。私のスピ-チのテ-マは「私の夢」です。
私には大きな夢がありません。私の夢は家族がずっと楽しく暮らすことです。
私は一人っ子だったので子供の時から家族に大事に育てられました。それで、私は自分のことを王子(おうじ)様だと思っていました。家族の気持ちを考えていませんでした。とてもわがままだし、利己的(りこてき)でした。自分がしたいことはすぐしていました。もし家族は反対しても、私はそうしました。今思い出してみると、両親はあの時とても悲しかったはずです。
その後、私は年を取れば取るほど家族といるのが嫌になリました。家族と話したいこともなかったうえに、家族としたいこともなかったからです。それに毎日家族からいろいろうるさく言われていたからです。そのせいで、家族といるのは面白くなかったです。
その後、私は高校を卒業しました。私は***大学を選びました。理由が二つありました.ひとつは外の世界を見たかったからです。もうひとつの理由は家族といるの生活に飽(あ)きたからです。大学に入ったあと、とても楽しいことがたくさんありました。家族がそばにいないことは自由だと思いました。それから、六ヶ月はずっと故郷(ふるさと)に帰りませんでした。帰るとき、家族は少しも変わっていないと思いました。でも、帰った時私が予想していたものとは違いました。家族ははっきり年を取っていました。その上、母は重病(じゅうびょう)にかかっていました。その時、私は始めて怖くなりました。私は初めて家族と過ごせる時間があとどのぐらいあるんだろうと、自分の中で考えてみました。自分が家族のために何かしたかと反省(はんせい)しました。本当に怖くなりまぃた。
だから、私は今の生活を大切にしたいです。これから、私は家族を守ります。家族が幸せに暮らせるようにするのは私の責任(せきにん)ですから。
以上です.ご静聴(せいちょう)ありがとうございました。
第二篇:日语作文 私の大学生活
私の大学生活
私は開封から来た魏海麗です。2007年の夏、私は西安交通大学に入りまし た。その時は、優秀な大学生になるのを決心しました。そして、3年間に経済 学部で私は努力に勉強しっています。専攻学科の知識は勉強して、おもしろい だと思います。はじめの時は、大学で言葉や食事のことなどがとても苦手でし た。大学生活に慣れるために、生徒会やいろいろなクラブに入りました。3年 間で、たくさんの友達に付き合って、知識を勉強していました。私の大学生活 はおもしろく、豊富だ思っています。今私はよく仕事を探されたいです。3年 の大学生活を思い出して、幸せと満足を感じしています。大学に入ってから、もうそろそろ3年が終わりました。わたしの大学生活につ いて言えば健康の方式だと思います。私は毎朝7時に起きます。それから友達 といっしょに食堂で朝ご飯を食べます。授業は 8 時に始まります。大学では、専攻は勉強ということが忘れではいけないです。そして、よく図書館に行きま す。図書館で本を読むことを通じて、いろいろな知識を勉強することができて、暇の生活も豊かになれる。9 時ごろ寮に戻ります。寮は 4 人部屋です。みんな は、仲のいい友達です。週に2回くらいスポトをします。ときどき映画を見て、音楽を聞きます。土曜と日曜は休みです。私はよく友達にyいっしょに遊びに 行きます。西安の観光地を観覧の時をきっかけにして、歴史を知っていました。ほんとに楽しかったです。大学の自由時間は高等学校のよりもっと多いです。週末には、普通に寮でネッ トサーフィンをしています。ンターネットで世界中のことを知ることができま
す。そして私は暇な時間に日本語を勉強しています。私は日本が大好きですか ら、日本語を勉強して以来、日本との距離がますます近く感じるようになりま す。それで、日本語の勉強はもっと積極です。日本のドアマとテレビ番組はい つも見ています。卒業までに、わたしの目標は日本語能力試験の二級をとるつ もりです。大学で、毎日時間がとても楽しくて、多くの友達を知って、多くの知識を勉強 してます。私の大学生活はまだ続いています。もっともつと勉強して、いろん なことを挑戦したいと思います。今后の大学生活を楽しみにしています。この 学期は、仕事を探したら、きっと最高の楽しく旅行が期待します。大学で勉強 した知識を活用して、自分の目標を達成できるように頑張ってと思います。私 は将来の生活に大きな期待をしています。
私の大学生
第三篇:日语作文 我的一天 私の一日
私の一日
毎朝七時に起きます。顔を洗います。七時半ごろ飯を食います。私は八時から十一時四十分まで授業します。十二時ごろ飯を食います。午後一時ごろ休みます。午後二時から五時四十分まで授業します。毎晩勉強します。十二時ごロ寝ます。毎週月曜日から木曜日まで働きます,土曜日と木曜日は休みです。私は先週の土曜日散髪しました。美容院はがつこうの近くにあります。試験は来週始まります、私は昨日の晩勉強しました。
第四篇:【私の大学生活】我的大学生活,日语演讲稿,初级(大一水平)
みんな皆さん、おはようございます。始めましで。私は林晨昕と申
しょうじきいいまみんなまえたたいへんわたしりんきんしんもします。正直に言いますと、今こうして皆さんの前に立ち、大変
きんちょう緊張しております。私は日本語7カ月ぐらい勉強しましたが、じょうずこんかいたいかいわたしにほんごねつべんきょうあまり上手ではありません。でも今回のスピーチ大会はどてもいい
べんきょう勉強のチャンスですから、私はこの大会に参加できることを光栄
おもわたしだいがくせいかつしょうかいわたしたいかいさんかこうえいに思っています。でわ私の大学生活について紹介させていただきたいと思います。
では、始めます。
わたしはじおも私は去年の9月にこの大学に入りました。近くの出身ですけ
まえいちどがっこうきわたしじもときょねんくがつだいがくはいちかしゅっしんど、その前に一度もこの学校に来たことがありません。私たち地元
の人にとってもこれはあまり有名な大学ではありません。でも実際に来てみればとても綺麗な所です。特に春が来ると。校庭に色色なはなききれいところとくはるくこうていいろいろひとゆうめいだいがくじっさい花が争うように開き、とても感動させられます。
がっこうあらそひらかんどう学校の外に小さな川が流れて、川沿いに公園があります。そこで皆は運動をしたり、本を読んだり、雑談をしたりします。余暇を過ごすいい場所です。
大学の生活はとても規則的です。毎朝6時半起きます。それから、ルームメートと一緒に運動をします。食堂へ朝ご飯を食べに行きます。いつも友達と話しながら食べます。朝の食堂はとてもにぎやかです。
それから、クラスメイトと一緒に教室へ行きます。七時から八時まで日本語の暗唱をします。でもちょっと疲れます。授業はじにほんごあんしょうつかじゅぎょういっしょきょうしついしちじはちともだちはなたあさしょくどういっしょうんどうしょくどうあさはんたいだいがくせいかつきそくてきまいあさじはんおすばしょみんなうんどうほんよざつだんよかそとちいかわながかわぞこうえん
午前は八時半から11時半まで、午後は1時半から3時までです。そして、寮へ帰ります。
私の寮は6人部屋です。とても広いです。最初にここに来たとき、非常に綺麗だと思いました。しかし、十分な収納スペースがありません。だから私は服をどこに置けばいいか分かりません。もちろん、現在解決策を見つけました。
「時間が矢の如し」と言われているように、大学に入ってからもう少しで一年が経ちます。この一年間で私は色色な人と知り合い、いい友達になりました。そして尊敬する日本語科の先生方に教わることができて、はんとうに幸せだと思います。今回の日本語スピーチ大会を契機に私は日本語の勉強をもっと頑張りたいと思います。
いじょうたいかいけいきわたしにほんごべんきょうがんばおもしあわこんかいにほんごともだちそんけいにほんごかせんせいかたおそすこいちねんたいちねんかんわたしいろいろひとしあじかんやごといだいがくはりげんざいかいけつさくみわたしふくおわひじょうきれいおもじゅうぶんしゅうのうわたしりょうべやひろさいしょきりょうかえごぜんはちじはんじゅういちじはんごごいちじはんさnじ以上です。皆さん、どうもありがとうございます。
第五篇:日语作文《私の父亲》
私の父親
学校:渤海大学 班级:11级.十六班 姓名: 熊月影
私の父は平凡な社会人です。これと言って取り柄はないけれど、私にとってはヒーローみたいな存在です。
若い頃の彼はの経験が今の彼を形成するに至ったのでしょう。そんな彼の若い頃の経験をここで話してみたいと思います。
小さい時の父は遊びが大好きだったそうです。仲間と一緒に川で泳いだり、蝦を捕まえたり、時には隣りの庭の果物を盗んだりして、悪がきでいつもばかなことしていましたが、素直に育ちました。そういう楽しい思い出ができて本当によかったと私は思います。
学生時代の父はとても頭のいい人だったそうです。いい成績でその時代の数少ない高校に入りました。家族の期待に答えるため必死に勉強しましたが、やはり自制心がなくて、友達とタバコを吸い始め、カコフーを始めました。そればかりでなく、父は山を超えて隣村の友人とギャンブルをして本当に不良少年のようでした。このようにして三年が過ぎた後、やはり大学の試験に落ちました。
父はそれでももう少しで受かるところだったそうです。もしもうちょっと勉強して大学に受かっていたらどんなにいいことだったでしょう。それから、友人と上海に行きました。そうして中国では有名な許文強のような成功者になるという夢を持って上海で生計を立てました。世間のことはあまり知らないからこの世の中を簡単に見ていました。いろいろ苦労したけれど、とうとうお金がないためご飯に調味料を入れて食べることも出来ない状況となりました。こんな状態となったからには、結果は言わなくてもお分かりでしょう。上海で戦い、成功する夢も破れてしまいました。
その後、北京とかたくた人の所を回って、家族のために随分苦労しました。その間に、騙されたこともあれば、事故で怪我をしたこともありました。にもかかわらず、私たちのために頑張ってきました。父は味わった苦労は私には想像できません。ただ、感謝するのみです。
父は迷っていました。自分の生活にも、未来にも。でも、私達がいるからここまで辛抱してきました。近頃よく父と話をして、父の気持ちがだんだん分かってきたような気がします。「もう迷わない。何のために生きてゆくのかもう分かった。生活の意味も命の意味も分かった。」と父が言いました。それを聞いて私も本当に安心しています。
「望みは何かと訊かれたら、君がこの県に居てくれることだ、君を思えば立ち迫れることだ。」これは日本の有名な歌の歌詞です。でも、この歌詞はまさに私の本音を代弁しています。父がそばにいるから、私も頑張れる気がします。
父は今居る北京は冬がとても寒いです。年を取り始めた父は一人で過酷な環境の下で頑張っています。でもきっと父は家族のために何かができることを幸せだと思っているでしょう。
最後にここで父に言いたいことがあります。「お父さん、ありがどう。私達のためにここまで頑張ってきてくれて本当にありがどう。体に十分気を付けてね。私もここで一生懸命頑張るから。」
以上でスピーチを終わります、ご静聴ありがどうございました。
2013年11月15日金曜日