初级日语学习心得

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第一篇:初级日语学习心得

公选课名称:班

级:学

号:姓

名:

《初级日语》

时间如奔腾的江水急速而又一去不复返,几周来的日语课已接近尾声,对课堂上的那种学习日语的激情却依依不舍。说实在的,现在日语作为一门小语种在中国很流行,许多学生学习日语的原因各有不同,有的为考研,有的为出国留学,有的为了将来能够找到高薪的工作,还有的只是个人爱好等等。总之,我觉得比别人多掌握一门外语就是优势,无论将来做什么。

谈起我学日语的兴趣,可以说是从高三就开始了,记得当时一位同学家的姐姐在日本留学,高考前打国际长途为她加油。当时很羡慕她姐姐能出国,我就想着我也要学习日语,将来有机会也去日本深造。慢慢地,我进入了大学,听老师说学计算机的学生可以学习日语,现在对日外包的软件项目很多,了解一点日语肯定会有好处的。这更加点燃了我学习日语的激情。所以从那时刻起,我开始从网上查找、下载一些初级日语的教程来学习,开始“”的学习起日语的五十音图来,日语的语音分为平假名和片假名,我就一遍一遍的听,一遍一遍的写,但是当时临近期末考试复习,所以对日语的初步学习也就搁置一旁。当了今年这学期,我留意到公选课里开设了初级日语,所以我就毫不犹豫的选了这门课。到了第四周开始《初级日语》这门课时,我记得当时我们的教室都爆满了,同学们对学习日语的激情都很高涨,教我们日语的是我们学校安全学院的鲁老师,在他的带领下,我们一遍一遍的大声朗读,真的很有气氛。我记得最深的是他的一句话,他总是说他在学习日语时,外面的一切事物都与他无关,他的头脑里只有日语单词和他自己。老师的这种精神很值得我们每一个学生学习,我想无论学习什么东西,如果达到了这样一种如痴如醉的忘我的境界,迟早都会开花结果的。课后我也不断从网上学习一些句子来记忆日语单词,也朗读日语课文来掌握初级日语里的一些词汇及简单的语法。慢慢地,同学也被感染了,开始学习起日语来,我们就每天“”的那样打招呼,晚上“”的那样问好,我不断地练习自我介绍“”,通过一遍又一遍的听、读、写、说,我感觉我每天的学习生活都充满了乐趣。我觉得学习日语就像我们学习英语一样,我们需要循环往复的记忆大量的单词,需要不断的联系听和说的能力,学习日语不是一朝一夕就能卓有成效的,掌握一门语言是需要时间的积累的,我们只有持之以恒才能小有成就。总之,学外语,听说读写译,各个都很重要。但是什么最重要呢?当然是听了!不然怎么会把“听”给排在第一位呢?

但是练习听力没有捷径,它是一个循序渐进的过程,并且在过程中,你可能感觉不到自己有所进步提高,但要耐心坚持,总有天你会突然发现自己的听力有了明显的提高的。练习听力,需要根据自己的实际水平和情况,制定适合自己的比较好的练习方法。这个制定过程需要慢慢摸索。我们都知道小孩学习语言非常快,那么小孩是怎么学会语言的呢?要记得刚出生的婴儿,什么都不会,不会说也不会写。但是他们可以用耳朵来听!这“听”可是天生的能力,所以往往婴儿特别集中注意力去听,听清了然后模仿。我想我们就应该学习这种类似婴儿学语言的方法——初期时大量广泛地听,仔细认真地听,精听、泛听都要练。所以我就平时休息的时候,看一些日语原声的动漫剧、情景对话,在不知不觉的环境中来提高我的听力。课堂上,老师也给我们放一些基础日语语音及单词的小动画,老师也说我们赶上了好时代,可以通过网络视频来学习日语,比他们那时候幸福多了,真的,通过灵动的图画来记忆单词真的很有效果。另外,经过同朋友们的交流,她们说平时的时候,你多看点日剧、听听日语广播、访谈、综艺类的节目会对你有所帮助的。简而总之,听力很重要,否则的话,学习过之后只会做题,看看文章,不会听也不会说,就成了哑巴日语了。它就像学习英语一样,培养我

们的语感,久而久之,耳濡目染,我们慢慢也就有所提高啦。只要听力能听懂,那么我们的读写译也就变得容易了。

我认为学习日语同别的学科一样,首要的是要有兴趣,有了兴趣,我们才能更有激情的去学习,因为要记忆日语的大量词汇也是很繁琐的一件事。课堂上老师说,如果你们有机会出国一趟,在那样的语言环境里待上一段时间,你就会了。是啊,环境也很重要,现在我们可能没有那么好的环境,但是需要我们自己去创造,就好比,你对着镜子说日语。要不然,学习起来会越来越觉得累,逐渐的就放弃了、淡忘了。另外,我觉得学习日语的另外一个重要的方面,就是要做足够的阅读,这是我从英语的学习中感悟出来的,记得是当时考六级时,我觉得单纯的背单词,遗忘的速率很大,所以我每天都做一定量的阅读训练,遇到不懂的单词就去翻字典,读得多了,见得多了,慢慢地词汇量也提高上去了。所以说学习日语也一样,听力很重要,但是阅读多了也会有效果的,俗话说嘛,一回生二回熟。而且,不是有句话这样说吗,就是荀子在《劝学》里的一句话“不积跬步,无以致千里;不积小流,无以成江海”可见,积累是很重要的。这都是我平时积累的感悟,我想利用这种方法学习日语也是行得通的。

此外,日语的语法也是需要牢牢掌握的,在我们做朗读或是练习的时候,分析句子的结构组成也是至关重要的。

日语课即将结束,说真的,老师教会了我们很多啊,虽然只是短短几周的时间。我们都知道,大学生学习最重要的一条就是要有自己的一套方法、一个完整的思路,老师给了我们学习日语的敲门砖,那么,剩下的就靠我们自己的勤奋了加汗水了。我会以饱满的热情与浓厚的兴趣继续学习我的日语,我始终相信一句话,那就是“贵在持之以恒”。

第二篇:初级日语作文

我的大学生活

种类によっての热心な出现は时间に素晴しい教授で教师、思考の列车に近く学友と坐るために、歩行者がすべて妨げたそれらを座席のための一见引き出す教科书を、终日大学生命始めてしまった道の歩行者のプロローグを次第にであるずっとクラスに出席した多数、壊したキャンパスの静けさを、すぐに、雑谈していた最后の夜スポーツが一致する教室の教室の方に动かされて非常に速く浸るある恐れられていた軽いステップを置くことを可能にしたこと、ちょうど照らされた私の大学生命天候が何人かの人々阴の外国语を読むキャンパスで见る教师と上向きに飞んで、表面の古い教授は时间后に学校からの休暇に青年辉きの午后をある最も忘れられない渡している、これは行くために自分自身が割り当てる时间、割り当てられたアクセス网、一绪に、そしてまたそう食事した任命同时にだった各种类の活动が行なった元気づけた学生のサッカー竞技场のグループの文学様式ホールからの音、送信された时间蹴る球をだったが、また何人かの何人かの若いメス学生はだったこの2 年に、住むために燃料を补给された叫ぶこと......意识不明に2 年の大学渡されて実际によかったそして、成长した育つ、自身の梦に日刊新闻の私达がすべて次第に先に行ってもいかにが生命の悪い状态にすべてある

「私の友達」

私は積極的な性格ですから、友達がたくさんいます。しかし一番仲が良いのは你来我网さんという友だちです。彼女と初めて会ったのは、高校生になった時です。你来我网さんは私は反対に、女らしく優しくて、すなおです。私と同じ年ですが、いつも私の悩みを聞いてくれて、私には本当のお姉さんのような人です。私が寂しい時や困ってにる時は、いつでも力になってくれました。你来我网さんは、今、ゲザイナーになって有名な洋服の会社につとめ、毎日いそがしいようです。私が日本へ来ているので会えませんが、暇があれば手紙を書き、電話も時時かけています。これからもずっと仲良くしていきたいと思ってにます。

「私の梦」

(日本人は理想よりも、梦と言う言叶を使っていると思いますので。)

私はまだ子供のころ、空を见上げることが大好きでした。青々と広がっている空を、ふわふわしている云が、のんきそうに漂っていくのを见て、心が愈されるような気がします。ですから、私はそのとき、「将来パイロットになりたい」と心で决めました。飞行机にのって、鸟のように、空を、云の间を缝いでいくことを、すばらしく思っていました。头が空っぽになって、すべての悩みが忘れられるようなので。

まだちっちゃいので、パイロットになるために、どうしたらいいのかまだ考えていませんでした。その后、パイロットはみんな2.0以上の视力がなければならないと闻いて、近视眼である私はただ、空しく叹くしか、しようがありませんでした。

高校に入って、私はサッカーに兴味を持ち始めました。サッカー选手たちが、竞い合っている姿に、私は惚れていました。あのスピード、パワー、テクニック、あれこそが、男のあるべき姿ではないかと、私は思いました。そして同时に、新たな梦が私の心に芽生えま

した。それは、「中国一のゴールキーパーになって、中国チームを世界の顶点に送るのに、私は自分の力を捧げたい」と思いました。しかし、それには、身长が必要です。1.80ちょうどの私には、中国一は无理だったのかもしれません。大学に入って、身长がほぼ固定された私の新たな梦は、无残にも破られてしまいました。

日语

大学では、日本语を専攻しました。正直、初めの顷は、梦なんて、まだ见つけていません。目の前の道をただ走るのみ、そこには私の梦とか、意志とか、ありませんでした。勉强していく中で、ちょっとした问题に気づきました。それは、必死に勉强している人ほど、成绩が低く、ということでした。そのとき私はこっそり考えました。実は彼らは努力が足りないってわけではありません。努力の方なら、私なんかより、ずっとたくさんしていると思います。残念なことに、彼らは勉强の仕组み、つまり勉强の方法を知らないだけに、こういう「空振り」の学习を缲り返しているです。そこで、私は「将来日本语の教师になって、知识だけではなく、勉强の仕组みを、御绍介させていただきたい」という、梦を持つようになり、そして今までに至っています

我的家乡

私は上海に生まれました。故郷は上海だと思います。上海は中国の中では、最も都会らしい都会です。上海には名所名迹が少ないが、中国最大の商业、工业、港湾地帯として特徴づけられている。

今、上海の人口がもうすでに1250万人を超え、世界一のマンモス都市となった。改革开放によって、上海が大きく変わりつつある。毎年上海に帰省するたびに、その発展ぷりに惊き、上海の一员として、夸りと喜ぴを持っている。

上海は长江の南侧、支流の黄浦江の西侧に拓かれた街だ。今世纪の初めに黄浦江西侧のバンドと呼ばれる地区は、港湾设备が整备され、その周辺に各国の租界か集中されていた。上海はまた「冒険家の楽园」と呼ぱれ、このバンドは国内だけでなく海外でもよく知られており、観光客が必ず访れる所となっている。バンドは上海・シンポルとも言え、バンドの周辺に立ち并ぷ建物はそれぞれ风格を持ち、「万国の建筑物」と言われる。

バンドの近くから始まり、市中心まで伸びる世界でも有名な南京路がある。东京の银座より人がいっぱいで赈やかである。南京路にある第一百货店は毎日20万人ほどのお客さんを迎え、祝日になると30万人を超えるほどだ。(你我 日语)

さらに、夜のバンドと南京路はまた格别だ。ネオンサインがまぷしいほど辉き、日本人は上海の夜景を「五つ星」と绝賛している。

谁にも故郷がある。故郷を离れれぱ离れるほど故郷が恋しくなるのが人情だと思う。上海に帰る回数が増えれぱ増えるほど恋しくなる私の大好きな上海である。

「自己紹介」

私は中国から来た「ぼくのゆめ」です。今島根にある寮に住んでいます。外国人は私一人です。ですから、はじめのころは、言葉や食事のことなどでとても苦労【くろう】しました。お風呂に入る時も恥ずかしくて嫌でした。でも、今はもうすっかり寮の生活にも慣れて、みんなと仲良くなりました。私は料理が得意なので、休みの日は、寮の友だちにごちそうします。すると、みんなとてもよろこんでくれます。私は好奇心が強く

いろいろなことを体験してみたいと、いつも思っています。それで、以前から趣味のあった日本へ来たのです。今熱中していることは生け花です。次は、お茶をやってみたいと思っています。にほんへ来る前は、病院に勤めていました。日本語の勉強が終わって帰国したら、日本語や日本で学んだことをどんどん仕事に生かしたいと思っています。

星期日(にちようび)

昨日は日曜日で、とてもいい天気でした。あんなにすばらしい天気はほんとにめずらしいです。留学生の田中さんは日本語科の趙さんと一緒に自転車で淮海路(わいかいろ)行きました。そして、淮海路のショッピングセンターで買い物をしました。趙さんは文房具や食べ物を買いました。買い物のあと、二人はレストランへ行きました。そこで、二人で食事をしました。それから、田中さんと趙さんは公園へ行きました。そこで三十分ぐらい散歩しました。そのあと、二人は映画館でとてもおもしろい映画を見ました。

译文:

星期日

昨天是星期日,天气非常好。那么好的天气真是非常少见。留学生田中和日语系的小赵一起骑自行车去了淮海路。然后在淮海路的购物中心买了东西。小赵买了文具和食物。购物之后,两个人去了餐厅。在那里,两人吃了饭。然后,田中和小赵去了公园。在那里大概散步了三十分钟。之后两人又在电影院看了非常有趣的电影。

人生

私は一本の長い階段を設ける。一年三百六十五日たつと、一段上にのぼる階段である。その階段の六十八段目の一番上のところに私が腰を降ろしている。そして妻、二人の息子、二人の娘、その配偶者、そして孫たちというように、長い階段のところどころに、十何人かの男女が配されている。

下から二段目のところに、去年(昭和四十八年)生まれた幼児二人が、転がらないように紐で結び付けられている。どちらも男の子である。まだ這うこともできず、口もきけない。しかし、なんといっても、この英児二人が際立って溌剌としている。声から何十段でも階段をのぼって行くエネルギ―を、その小さい体に詰め込み、いかなることでも、実現できる可能性を身内に貯えている。まだ人生のいかなる汚れにも染まっていない。本能的に母を求め、乳を欲しがる以外、いかなる欲望も持っていない。人を羨むことも、人を憎むことも、歓心を買うことも知らない。栄誉も、金も無関係である。時時笑うが、神様が笑うことの練習をさせているとしか思わない。ただ無心に笑うだけである。

人間はみな、この英児から出発している。そんな思いが突き上げてくる。この二人の英児が私の腰をかけているところまでのぼるのは大変である。英児のいる二段目のところから上を仰ぐと、気の遠くなるような遠さであろうと思う。三十段目から四段目あたりにかけてばら撒かれている息子や娘たちは、いつか青春期をぬけて、壮年期に入ろうとしている。当然私などの知らないそれぞれの人生の哀歓を経験しているところであろうと思う。私は残念ながら、そこへ入って行ってやることはできない。いかなる問題があろうと、それぞれ自分たちで処理してゆく他はない。父親がくるしんだように悲しまなければならないであろうと思う。そういう自分で歩き、自分で処理していかねばならぬものが、人生

というものであろうからである。

「私の一日」

私は毎朝6時半に起きます。そしてラジオの中国語の勉強を始めます。中国語の発音は大変難しいです。7時半ごろ朝ご飯を食べます。私の家は郊外にあります。会社は町のまん中にあります。家から駅まで10分あまり歩きます。そして電車で会社へ行きます。家から会社まで55分かかります。電車はいつもたいへんこみます。会社は9時に始まります。仕事はたいてい6時に終わります。どきどき駅からタクシーで帰ります。3分ぐらいです。170円かかります。私の会社は旅行会社にいます。支店は全国に八か所あります。仕事はたいへんおもしろいです。私はよく出張します。来週は九州へ行きます。しかし、出張はとても疲れます。日曜日はほんとんどの会社は休みます。しかし、わたしの会社はめったに休みません。社員は交替で休みます。休みの日は一か月に4回とどです。その日は昼ごろに起きます。あまり外出しません。家でゆっくり小説を読みます。夜はビールを少し読みます。そしてステレオで音楽を聞きます。ときどきテレビも見ます。

私の家族(我的家庭)

私の家族はたくさんの上海の家族と同じ、幸せな3人家族です。父、母とかわいい私です。

父は见るのがちょっと厳しいですが 実は日常の生活中に 时々人に笑われることをします。母はふだんにぶつぶつ言うことがありますが 私と父に対して母はいないと 生活ができない人です。

私は 幸せな家庭があって 未来 両亲は私に対して 最重要な人です。

私は父と母を爱しています。

夢を叶える―今考えている『夢』と『現実』について―

『私は将来、なりたものはあるのか』そんなことを尋ねられて『うん、あるよ』と平然と答えられるような夢を、正直言うと私は持ってはいない。夢を持っていたとしても、きっと家族や身近にいる人間にも影響、迷惑、負担をかけてしまう可能性があるからである。おそらく、という私が推測する上では、夢のことを打ち明けたとしても家族は反対するだろう。

その夢のひとつが、『小説家』。

このメビウスリングというサイトでも、私は小説を連載している。正直言うと文章構成などはかなり得意分野でもあるし、その勉強にはかなり力を入れている。自分が今、何よりもなりたい職業――夢。

だがそれを現実的に考えてみると、小説家という職業は売れて生活できるものである。普通のサラリーマンとは訳が違う。本業としても売れなければ、必ず家族のほうに私の生活費を負担させてしまうだろう。私の家族は七人。祖母と祖父、両親に二人の姉がいる。

将来のことを考えてみれば、きっと姉は二人ともどこかで一人暮らしたり、新たな家族を持つことになるだろう。そうなれば、何よりも両親に負担がかかるのだ。

それが、怖かった。

今までずっとわがままを聞いてくれていた両親に、大人になってまでも負担をかけるなど…。

だが私はずっと、この夢をあきらめたことはない。

第三篇:日语初级自我介绍

みなさん・和怜挫。暴・わたし・は・・と賦・もう・します。書定・ことし・は22嗷・さい・で

書・いま・・わたしの晩云囂・にほんご・はただ兜・はじ・めてなので、酒・・かんたん・な晩云囂・にほんご・しか聞・つか・えません。・ima no nihongo wa tada hajimete na no de, kantan na nihongo shika tsukaemasen・。

でも、これから適薦・どりょく・に茶膿・べんきょう・するつもりです・demo, korekara doryoku ni benkyo-suru tsumori desu・。

そして、わたしの茶膿薦・べんきょうりょく・と癖丞ソΓ┐討④・Δ蠅腓・・・殖┐弔茖・ぁ△修Δいψ墅釘┐犬靴鵤・・孱┐癸・辰討襪・蕁■бoshite, watashi no benkyo-ryoku to tekio-ryoku ga tsuyoi, so-iu jishin ga motteru kara・。

これからお弊三・せわ・になって、どうぞよろしくお垳・ねが・いします。・korekara osewa ni natte, do-zo yoroshiku onegaishimasu・。

暴・わたし・の來鯉・せいかく・は苧・あか・るくて繁・ひと・との俊乾・せっしょく・がうまいです。夭販湖・せきにんかん・が膿・つよ・くて、この碧並・しごと・に・・む・いていると房・おも・っています。

徭蛍・じぶん・が桐・きた・えの嶄・なか・で貧序・じょうしん・し、碧並・しごと・のほうもよくできるようがんばります。

第四篇:日语日记初级

2015年3月26日

木曜日

晴れ わたしは 一年間らい 日本語を 勉強しました。しかし、まだ あまり できません。今日は 日本語で 日記を書きます。少し 簡単な文法が 分かりましたが 上手ではありません。

毎朝 6時40分に 起きて、顔を洗います。いつも 7時20分頃 出ます。食堂で 朝ご飯を食べます。そのあと、教室で 本を読んで宿題をします。それから 授業を受けます

昼 半時間をかけて ご飯を食べた 後 2時間 休みます。午後 また 授業があります英語の文法が 嫌いですが 毎週 勉強しなければなりません。休みの日、私も授業を受けます楽しくないです。

夜 図書館で 勉強しに 行きません。よく 寝室で 宿題をします。大学院生に なりたいです。でも、難しいです。今、まだまだですから わたしは もっと頑張ります。

趣味は アニメを見ることです。ときどき 小説を読みます。よく 2時間くらいかかります。音楽も好きです。毎晩、寝る前に 音楽を聞きます。

いつも どこかへ 行きたいです。しかし どこへも 行着ませんでした。時間も お金も ありませんから。いつか 日本へ 行きます。日本で 日本のおいしい食べ物が ぜひ 食べたいです。アニメが 好きですから 秋葉原に 行きたいです。

毎日、頑張ります。

第五篇:初级日语作文

我的大学生活

种类によっての热心な出现は时间に素晴しい教授で教师、思考の列车に近く学友と坐るために、歩行者がすべて妨げたそれらを座席のための一见引き出す教科书を、终日大学生命始めてしまった道の歩行者のプロローグを次第にであるずっとクラスに出席した多数、壊したキャンパスの静けさを、すぐに、雑谈していた最后の夜スポーツが一致する教室の教室の方に动かされて非常に速く浸るある恐れられていた軽いステップを置くことを可能にしたこと、ちょうど照らされた私の大学生命天候が何人かの人々阴の外国语を読むキャンパスで见る教师と上向きに飞んで、表面の古い教授は时间后に学校からの休暇に青年辉きの午后をある最も忘れられない渡している、これは行くために自分自身が割り当てる时间、割り当てられたアクセス网、一绪に、そしてまたそう食事した任命同时にだった各种类の活动が行なった元気づけた学生のサッカー竞技场のグループの文学様式ホールからの音、送信された时间蹴る球をだったが、また何人かの何人かの若いメス学生はだったこの2 年に、住むために燃料を补给された叫ぶこと......意识不明に2 年の大学渡されて実际によかったそして、成长した育つ、自身の梦に日刊新闻の私达がすべて次第に先に行ってもいかにが生命の悪い状态にすべてある

我的大学生活

天色刚亮,就可以看到校园里有人在树阴中读外语了,那种专注的样子,让行人都放轻了步子,怕打扰了他们.找个座位坐下来,掏出课本,一天的大学生活拉开了序幕.渐渐路上的行人多了,打破了校园的宁静,快到上课的时间了,和同学边聊着昨晚的球赛,边走向教室.课堂上很快就沉浸到老师精彩的讲课中去,思绪跟着老师在飞扬,年迈的教授脸上透着青春的光彩.下午放学后的时光是最难忘的,这是自己可以分配的时间了,可以去上网,约会,聚餐,等等,同时也是各种活动举办的时间,从文体馆传来喝彩的声音,足球场上一群学生在踢球,还有几个小女生在喊着加油......不知不觉度过了两年的大学生活了,这两年中真的是酸甜苦辣都有.不管怎么样,我们都在一天天的长大,成熟,一步一步向着自己的梦想前进着.「私の友達」

私は積極的な性格ですから、友達がたくさんいます。しかし一番仲が良いのは你来我网さんという友だちです。彼女と初めて会ったのは、高校生になった時です。你来我网さんは私は反対に、女らしく優しくて、すなおです。私と同じ年ですが、いつも私の悩みを聞いてくれて、私には本当のお姉さんのような人です。私が寂しい時や困ってにる時は、いつでも力になってくれました。

你来我网さんは、今、ゲザイナーになって有名な洋服の会社につとめ、毎日いそがしいようです。私が日本へ来ているので会えませんが、暇があれば手紙を書き、電話も時時かけています。これからもずっと仲良くしていきたいと思ってにます。

「私の梦」

(日本人は理想よりも、梦と言う言叶を使っていると思いますので。)

私はまだ子供のころ、空を见上げることが大好きでした。青々と広がっている空を、ふわふわしている云が、のんきそうに漂っていくのを见て、心が愈されるような気がします。

ですから、私はそのとき、「将来パイロットになりたい」と心で决めました。飞行机にのって、鸟のように、空を、云の间を缝いでいくことを、すばらしく思っていました。头が空っぽになって、すべての悩みが忘れられるようなので。

まだちっちゃいので、パイロットになるために、どうしたらいいのかまだ考えていませんでした。その后、パイロットはみんな2.0以上の视力がなければならないと闻いて、近视眼である私はただ、空しく叹くしか、しようがありませんでした。

高校に入って、私はサッカーに兴味を持ち始めました。サッカー选手たちが、竞い合っている姿に、私は惚れていました。あのスピード、パワー、テクニック、あれこそが、男のあるべき姿ではないかと、私は思いました。そして同时に、新たな梦が私の心に芽生えました。それは、「中国一のゴールキーパーになって、中国チームを世界の顶点に送るのに、私は自分の力を捧げたい」と思いました。しかし、それには、身长が必要です。1.80ちょうどの私には、中国一は无理だったのかもしれません。大学に入って、身长がほぼ固定された私の新たな梦は、无残にも破られてしまいました。

日语

大学では、日本语を専攻しました。正直、初めの顷は、梦なんて、まだ见つけていません。目の前の道をただ走るのみ、そこには私の梦とか、意志とか、ありませんでした。勉强していく中で、ちょっとした问题に気づきました。それは、必死に勉强している人ほど、成绩が低く、ということでした。そのとき私はこっそり考えました。実は彼らは努力が足りないってわけではありません。努力の方なら、私なんかより、ずっとたくさんしていると思います。残念なことに、彼らは勉强の仕组み、つまり勉强の方法を知らないだけに、こういう「空振り」の学习を缲り返しているです。そこで、私は「将来日本语の教师になって、知识だけではなく、勉强の仕组みを、御绍介させていただきたい」という、梦を持つようになり、そして今までに至っています

我的家乡

私は上海に生まれました。故郷は上海だと思います。上海は中国の中では、最も都会らしい都会です。上海には名所名迹が少ないが、中国最大の商业、工业、港湾地帯として特徴づけられている。

今、上海の人口がもうすでに1250万人を超え、世界一のマンモス都市となった。改革开放によって、上海が大きく変わりつつある。毎年上海に帰省するたびに、その発展ぷりに惊き、上海の一员として、夸りと喜ぴを持っている。

上海は长江の南侧、支流の黄浦江の西侧に拓かれた街だ。今世纪の初めに黄浦江西侧のバンドと呼ばれる地区は、港湾设备が整备され、その周辺に各国の租界か集中されていた。上海はまた「冒険家の楽园」と呼ぱれ、このバンドは国内だけでなく海外でもよく知られており、観光客が必ず访れる所となっている。バンドは上海・シンポルとも言え、バンドの周辺に立ち并ぷ建物はそれぞれ风格を持ち、「万国の建筑物」と言われる。

バンドの近くから始まり、市中心まで伸びる世界でも有名な南京路がある。东京の银座よ

り人がいっぱいで赈やかである。南京路にある第一百货店は毎日20万人ほどのお客さんを迎え、祝日になると30万人を超えるほどだ。(你我 日语)さらに、夜のバンドと南京路はまた格别だ。ネオンサインがまぷしいほど辉き、日本人は上海の夜景を「五つ星」と绝賛している。

谁にも故郷がある。故郷を离れれぱ离れるほど故郷が恋しくなるのが人情だと思う。上海に帰る回数が増えれぱ増えるほど恋しくなる私の大好きな上海である。

「自己紹介」

私は中国から来た「ぼくのゆめ」です。今島根にある寮に住んでいます。外国人は私一人です。ですから、はじめのころは、言葉や食事のことなどでとても苦労【くろう】しました。お風呂に入る時も恥ずかしくて嫌でした。

でも、今はもうすっかり寮の生活にも慣れて、みんなと仲良くなりました。私は料理が得意なので、休みの日は、寮の友だちにごちそうします。すると、みんなとてもよろこんでくれます。私は好奇心が強くいろいろなことを体験してみたいと、いつも思っています。それで、以前から趣味のあった日本へ来たのです。

今熱中していることは生け花です。次は、お茶をやってみたいと思っています。にほんへ来る前は、病院に勤めていました。日本語の勉強が終わって帰国したら、日本語や日本で学んだことをどんどん仕事に生かしたいと思っています。

星期日(にちようび)

昨日は日曜日で、とてもいい天気でした。あんなにすばらしい天気はほんとにめずらしいです。留学生の田中さんは日本語科の趙さんと一緒に自転車で淮海路(わいかいろ)行きました。そして、淮海路のショッピングセンターで買い物をしました。趙さんは文房具や食べ物を買いました。買い物のあと、二人はレストランへ行きました。そこで、二人で食事をしました。それから、田中さんと趙さんは公園へ行きました。そこで三十分ぐらい散歩しました。そのあと、二人は映画館でとてもおもしろい映画を見ました。

译文: 星期日

昨天是星期日,天气非常好。那么好的天气真是非常少见。留学生田中和日语系的小赵一起骑自行车去了淮海路。然后在淮海路的购物中心买了东西。小赵买了文具和食物。购物之后,两个人去了餐厅。在那里,两人吃了饭。然后,田中和小赵去了公园。在那里大概散步了三十分钟。之后两人又在电影院看了非常有趣的电影。

人生

私は一本の長い階段を設ける。一年三百六十五日たつと、一段上にのぼる階段である。その階段の六十八段目の一番上のところに私が腰を降ろしている。そして妻、二人の息子、二人の娘、その配偶者、そして孫たちというように、長い階段のところどころに、十何人かの男女が配されている。

下から二段目のところに、去年(昭和四十八年)生まれた幼児二人が、転がらないように紐で結び付けられている。どちらも男の子である。まだ這うこともできず、口もきけ

ない。しかし、なんといっても、この英児二人が際立って溌剌としている。声から何十段でも階段をのぼって行くエネルギ―を、その小さい体に詰め込み、いかなることでも、実現できる可能性を身内に貯えている。まだ人生のいかなる汚れにも染まっていない。本能的に母を求め、乳を欲しがる以外、いかなる欲望も持っていない。人を羨むことも、人を憎むことも、歓心を買うことも知らない。栄誉も、金も無関係である。時時笑うが、神様が笑うことの練習をさせているとしか思わない。ただ無心に笑うだけである。

人間はみな、この英児から出発している。そんな思いが突き上げてくる。この二人の英児が私の腰をかけているところまでのぼるのは大変である。英児のいる二段目のところから上を仰ぐと、気の遠くなるような遠さであろうと思う。三十段目から四段目あたりにかけてばら撒かれている息子や娘たちは、いつか青春期をぬけて、壮年期に入ろうとしている。当然私などの知らないそれぞれの人生の哀歓を経験しているところであろうと思う。私は残念ながら、そこへ入って行ってやることはできない。いかなる問題があろうと、それぞれ自分たちで処理してゆく他はない。父親がくるしんだように悲しまなければならないであろうと思う。そういう自分で歩き、自分で処理していかねばならぬものが、人生というものであろうからである。

「私の一日」

私は毎朝6時半に起きます。そしてラジオの中国語の勉強を始めます。中国語の発音は大変難しいです。7時半ごろ朝ご飯を食べます。

私の家は郊外にあります。会社は町のまん中にあります。家から駅まで10分あまり歩きます。そして電車で会社へ行きます。家から会社まで55分かかります。電車はいつもたいへんこみます。会社は9時に始まります。仕事はたいてい6時に終わります。

どきどき駅からタクシーで帰ります。3分ぐらいです。170円かかります。私の会社は旅行会社にいます。支店は全国に八か所あります。仕事はたいへんおもしろいです。私はよく出張します。来週は九州へ行きます。しかし、出張はとても疲れます。日曜日はほんとんどの会社は休みます。しかし、わたしの会社はめったに休みません。社員は交替で休みます。休みの日は一か月に4回とどです。その日は昼ごろに起きます。あまり外出しません。家でゆっくり小説を読みます。夜はビールを少し読みます。そしてステレオで音楽を聞きます。ときどきテレビも見ます。

私の家族(我的家庭)私の家族はたくさんの上海の家族と同じ、幸せな3人家族です。父、母とかわいい私です。

父は见るのがちょっと厳しいですが 実は日常の生活中に 时々人に笑われることをします。母はふだんにぶつぶつ言うことがありますが 私と父に対して母はいないと 生活ができない人です。

私は 幸せな家庭があって 未来 両亲は私に対して 最重要な人です。

私は父と母を爱しています。

夢を叶える―今考えている『夢』と『現実』について―

『私は将来、なりたものはあるのか』そんなことを尋ねられて『うん、あるよ』と平然と答えられるような夢を、正直言うと私は持ってはいない。夢を持っていたとしても、きっと家族や身近にいる人間にも影響、迷惑、負担をかけてしまう可能性があるからである。おそらく、という私が推測する上では、夢のことを打ち明けたとしても家族は反対するだろう。

その夢のひとつが、『小説家』。

このメビウスリングというサイトでも、私は小説を連載している。正直言うと文章構成などはかなり得意分野でもあるし、その勉強にはかなり力を入れている。自分が今、何よりもなりたい職業――夢。

だがそれを現実的に考えてみると、小説家という職業は売れて生活できるものである。普通のサラリーマンとは訳が違う。本業としても売れなければ、必ず家族のほうに私の生活費を負担させてしまうだろう。私の家族は七人。祖母と祖父、両親に二人の姉がいる。将来のことを考えてみれば、きっと姉は二人ともどこかで一人暮らしたり、新たな家族を持つことになるだろう。そうなれば、何よりも両親に負担がかかるのだ。

それが、怖かった。

今までずっとわがままを聞いてくれていた両親に、大人になってまでも負担をかけるなど…。

だが私はずっと、この夢をあきらめたことはない。

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