第一篇:稲盛先生の6つの精进
稲盛先生の6つの精進 6つの精進
1.誰にも負けない努力をする 2.謙虚にして驕らず
3.毎日の反省(利己の反省及び利己の)
4.生きていることに感謝する(幸せを感じる心は“足を知る”心から生まれる)5.、を積む
6.感性的な悩みはしない
日々新た に創造する
仕事に就いて、最初からいい仕事にめぐりあえるわけではありません。まずは、自分に与えられた仕事を、明るさと素直さを持ち続けながら、粘りに粘ってやり続けることが必要です。絶対にやめてはいけません。それは、苦労に苦労を重ねてただ一つのことを極めた人だけが、素晴らしい真理に触れることができるからです。しかし、最初に決まった仕事を、生涯の仕事としてただ辛抱すればいいというわけではありません。ひたむきに努めながらも、常にこれでいいのかということを考えるのです。決して、昨日と同じことを、同じ方法で、同じ発想でやってはいけません。小さなことでも、毎日これでいいのかということを反省し、改良するのです。あらゆるものに対して、「これでいいのか」という問いかけをするのです。これを長年繰り返しますと、素晴らしい進歩を遂げるはずです。基礎を教わったら、自分自身で工夫をしていく、これが創造です。
日々新たな創造をしていくような人生でなければ、人間としての進歩もないし、魅力ある人にはなれないだろうと思います。
大胆にし て細心であれ
人間には、大きく分けて、緻密で繊細できちょうめんな内気な人と、豪快で大胆で外向的な人の二つのタイプがあります。私は、仕事をしていくには、この両面をあわせ持つことが必要だと考えています。テレビの時代劇を見ていると、着流しで、そのうえ酒まで食らっていながら、背後から忍び寄る敵の足音に気づいて、肩越しにバッサリと切る剣豪がいます。そんなシーンに私たちは喝采を送り、一見豪快に見える主人公の中に、一分のすきもない繊細な神経を見いだすのです。
ただ単に大胆なだけでは、パーフェクトな仕事はできません。一方、繊細なだけでは、新しいことにチャレンジする勇気は生まれません。仕事をする場合、どうしても豪快さと緻密さという、二律背反するような性格を備え、局面によって使い分けられる人が必要です。私は、繊細でシャープな神経の持ち主が、場を踏むことによって、真の勇気を身につけていったときにはじめて、本物になると思っています。しかし、最初からそういう人が多くいるわけではありません。繊細な神経の持ち主は、積極的に機会と場を求め、勇気と大胆さを身につけていくことが必要です。
人生・仕事 の結果=考え方×熱意×能力
この公式は、平均的な能力しか持たない人間が偉大なことをなしうる方法はないだろうかという問いに、私が自らの体験を通じて答えたものです。
能力とは、頭脳のみならず健康や運動神経も含みますが、多分に先天的なものです。しかし、熱意は、自分の意志で決められます。この能力と熱意はそれぞれ0点から100点まであり、それが積でかかると考えると、自分の能力を鼻にかけ、努力を怠った人よりも、自分には頭抜けた能力がないと思って誰よりも情熱を燃やして努力した人の方が、はるかに素晴らしい結果を残すことができるのです。そして、これに考え方が加わります。考え方とは、人間としての生きる姿勢であり、マイナス100点からプラス100点まであります。つまり、世をすね、世を恨み、まともな生き様を否定するような生き方をすれば、マイナスがかかり、人生や仕事の結果は、能力があればあるだけ、熱意が強ければ強いだけ、大きなマイナスとなります。素晴らしい考え方、つまり人生哲学を持つか持たないかで、人生は大きく変わってくるのです。
足るを知 る
「足るを知る」という仏教の教えがある。人間の欲望にはきりがない。だから、その欲望を満たすことを考えても意味はない。現在の姿をあるがままに受け入れ、それを素直に感謝する。「これでもう十分じゃないか」「もうこれくらいでいいではないか」と欲望の肥大化を自ら否定する。こうして「足るを知る」なかに本当の幸福があるという教えである。私は、この教えのなかに地球環境問題を解決するためのヒントがあると思う。我々はいつまでも豊かさを追いつづけることはできない。永久に経済的な成長を続けることは、この地球上ではできないのである。日本は世界第2位の経済大国、大変国になった。だから「足るを知り」、現在の豊かさに感謝し、これ以上の物質的繁栄を追い求めることはもうやめるべきではないか。そのような考え方を持つべきときがきていると思う。
私自身も1人の経済人として、環境問題を解決しながら、経済的成長を追い求めたいという気持ちはある。しかし、現在、環境の破壊も汚染もすでに限度を超えつつある。だから、私はせめて経済的な豊かさをすでに獲得している先進国の人々は、「足るを知る」という考え方をベースに経済社会のあり方を見直すべきだと思う。自分の運命は自分で管理しなさい。でなければ、あなたはだれかに自分の運命を決められてしまう。素晴らしいチャンスは、ごく平凡な情景の中に隠れています。それは強烈な目的意識を持った人の目にしか映らないものなのです。目標を持たないうつろな目には、人生のどんな素晴らしいチャンスも見えることはありません。
自分で道を切り開く
時として、不運と思われるような出来事が、結果的には幸運であったということがあります。
私が京都の小さな企業に就職した時の状況は、大変ひどいものでした。給料は遅配され、ボーナスは出ず、この会社での将来に希望を失いかけていました。
私は会社を辞めようと真剣に考えました。しかし、兄は私を叱りつけ新しい就職口が簡単に見つかるはずはなく、家族は私の仕送りを必要としていることなどを諭し、思いとどまらせてくれました。私には選択の余地はありませんでした。会社に留まるほかなく、私は、自分でコントロール可能なもの、すなわち自分自身を変えることにしたのです。仕事に対する態度を改め、仕事に喜びを見出すように努力することにより、この悲惨な状況から抜け出そうと決心したのです。
そして、研究に没頭し始めると、すばらしい結果が出てくるようになったのです。会社には際立って優秀な人材はいませんでしたので、私は目立つようになりました。上司から褒められ、より一層がんばって働くようになりました。そしてその努力が経営陣からも認められるようになったのです。それ以後、私の人生は大きく開かれていきました。
もしも最初からもっと良い仕事や環境に恵まれていたなら、今日の私はなかったでしょう。
自分の置かれている状況に不平不満の声をあげるばかりで、その可能性に対して心を閉じていると、人生の本当の恵みを見極めることはできないのです。
第二篇:刺青についての感想文
刺青についての感想文
最近、谷崎潤一郎の「刺青」という小説を読んだ。「刺青」は谷崎潤一郎の処女作で、作者自身にとって重要であることは言うまでもなく、以後の谷崎文学の基礎になると言われている。
「刺青」は刺青師の清吉の快楽と宿願をめぐって書かれた小説である。清吉の快楽は苦しむ男を見ることで、宿願は男を苦しませる女を創造することである。いずれもマゾヒズムとサディズムという作者の主張を表している。そのほか、作者の絶対的な美に服従する態度からみて、この作品は彼の耽美主義の宣言とも言える。
主人公の清吉はマゾ的な喜びを楽しんでいる。例えば「大抵の男は苦しき呻き声を発したが、その呻き声が激しければ激しいほど、彼は不思議に言い難い愉快を感じる」という表現があるが、マゾヒズムなどは普通変態な心理だと認められる。たぶん作者にとってのマゾヒズムは社会的に受け容れられないからからこそ、かえって人に異常な快感を与えるものと考えられるのだろう。そして、作者は絶対的な美を崇拝する。「すべて美しいものは強者であり、醜いものは弱者であった」。それに、作者は美しい者を追求する方法も普通の人間と違う。たとえば、女が針に刺されて、色揚げをするために湯がしみたときの半死半生の有様は清吉にとって、残酷だが、これ以上美しい者はない。
しかし、私は作者の観点について納得できない。マゾヒズムなどは歪曲した人間性のことである。他人の苦痛を見て、自分が至福の喜びを感じるなんて、はっきり言うなら悪魔である。このような心理や行動を認めるが、なかなか納得できない。そして、作者の美しいものを追求する行動にも納得できない。美しい者を追求するのはよくないとは言えないが、自分の価値を否定するまで追求するなんて本当によくないと思う。「彼はそれに我が魂の色を見た」「その刺青こそは彼が生命の全てであった」美しい者を追求することは大事だが、自分の価値を認めることも大事だ。不平等な地位で美しい者を追求するのはそのものの真の美しさを感じることができないと私は思う。
私は作者の観点について納得できないが、作者の観点から色々なことを勉強した。作者は普通の作者と違って、善良な面からではなく、悪の面から人間性を分析する。これによって、ただ肯定的な面からものを考えるだけでは物事の全体を認識することができないと分かるようになった。悪のものはよくないが、客観的な存在として認められるべきだ。
「刺青」は社会の主流の考え方で書かれたものではないが、深い意味のある作品である。作者は違う角度から人間性を描写して、新しい視点で人間性を認識させることができた。
第三篇:新入社员のあいさつ
新入社員のあいさつ
営業部に配属になりました###と申します。どうぞよろしくお願いします。私は##省##市出身で、###大学を卒業しました。このような立派な会社で、社会人としての第一歩を、ここに並んでいる仲間とともに迎えられたことをたいへん嬉しく思っています。
まだまだ学生気分の抜けない私、人生経験にとぼしいです。また、学生時代の専攻は日本語科という分野で、営業経験もあまりないです。しかし、どんな仕事にも、青春のエネルギーを思い切りぶつけていく覚悟です。今日は初めての出社ですごし緊張していますが、一日も早く職場の皆さんと仲良くなりたいと思います。慣れない仕事でご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、やる気だけは人一倍あります。また、与えられた仕事はきちんとやります。一日も早く、一人前のビジネスマンとして会社のお役に立てるよう、どうか先輩の皆様方、公私ともにご指導のほどよろしくお願いいたします。
第四篇:雑种文化についての感想文
雑種文化についての感想文
———日本における外来文化の受容
0904403021 朱银晗
日本文化は大量に外来文化を受容したもとで、形成された雑種文化である。受容、選択、融合、一つ欠けてはいけない。日本は外来文化を受容する面で、成功の例だと思う。今の世界で、お互いに交流したり、学んだりすることを通して、自国の文化が発展できる。それに文化の多様性の確保によって、価値観などが統一して、世界平和を実現することが可能になると思う。ここでは外来文化を受容する仕方について考察しようと思う。
一、大化改新と隋唐文化の吸収
法律の面では、政府は唐律令を模倣し、「近江令」や「養老律令 」などの律令を次々と頒布した。官制と兵制の面では、中央集権の制度により改定し、地方の行政組織も唐制を真似て、国、郡と編成した。教育の面では、教育制度と教育内容も唐制を真似て、中国儒家の経典を教材にしたが、科挙制を取り入れなかった。日本は、身分制の世襲制で官僚を任命した。文学の面では、唐文学が日本に移植され大きな発展を成し遂げ、唐詩の影響が一番大きかった。唐詩は日本の和歌の創作にも大きな影響を与えた。書道の面では、漢字を使った毛筆による造形芸術として唐代に発達した書道芸術は、日本に伝わり、大きな影響を与えた。王義之の作品が、日本書道界ブームを起こした。絵画の面では、唐の絵画の影響が大きい。中国の人物画、山水画が日本に伝わり、日本の絵画が中国から伝わった様式、技法、題材を取り入れた。医学の面では、唐時代の医薬の薬典などが伝わり、日本古代医学の発展を促進した。鑑真のような医術にも詳しい中国人の渡日もあったが、医学の勉強のため中国への留学生も多かった。唐代の体育娯楽も日本に伝わり、その多くは現在の日本の生活とも深い関係を保ってきた。
二、明治維新と西洋文化の吸収
西洋教育制度の移植の面では、明治政府は、改革の重点を教育に置き、教育上の平等主義を主張し、以後大学から小学校までに至る制度を整えた。日本は一方で西洋の近代教育の学制と科学的な内容を吸収した。もう一方では、封建主義教育の精神面の拘束を強調した。近代科学の創立の面では、日本は西洋の近代科学を取り入れ、明治時代になったから、外国の専門家の招聘、留学生の派遣などの方法で大規模に西洋の科学技術を取り入れた。近代産業と経済制度の移植の面では、明治政府は「富国強兵」の目的を達成するために、「殖産興業」という手段で西洋の産業と経済制度を移植した。司法制度の改革の面では、西洋の法律の採用に関しては、長い期間がついやされた。刑法、民法がフランスの法典を基礎にして制定されたが、商法はドイツの法典を基礎に制定された。
三、敗戦とアメリカ文化の吸収
アメリカ文化の影響の面では、第二次世界大戦敗戦後、アメリカの「社会心理学」「文化人類学」などの学問が、日本で流行した。アメリカとアメリカ式の英雄人物が日本の教材に登場し、日本の青年に大きな影響を与えた。アメリカ式の生活方式が、日本人に大きなショックを与えた。アメリカ生活方式の魅力の面では、服から見ると、戦前日本の女性は和服が多かったが、戦後からは洋服を着用するようになり、現在では和服は伝統的な服装とした、特別の日に着るものになった。食については、戦前、朝食はご飯に味噌という伝統的なものであったが、戦後はパンとチーズやコーヒーやミルクといった洋式のスタイルも普及した。
四、他の文化の吸収
朝鮮文化の吸収の面では、日本の神宮、神社の原形が新羅の祖先を祭る儀式を起源していた。朝鮮半島からの移民の多くは、戦乱を避けるため日本に渡来したが、日本は朝鮮半島を通して中国文化を吸収した。インド文化の吸収の面では、インドの神々は日本人の生活の中に影響を与えた。インドの神Yamaが、日本の「閻魔」になった。インドの佛教思想が、日本の政治に大きな影響を与えた。インドの佛教は日本美術に大きな影響を与えた。まだ、日本五十音図の発明は、インド文字の影響も受け、日本語の中のインド語も少なくない。南蛮文化の吸収の面では、南蛮文化は、日本にキリスト教を伝えただけではなく、宣教師らにより当時の欧州の思想、論理、教育、科学技術、文学、音楽などが日本に伝わり、大きな影響を与えた。
五、外来文化の吸収の特徴
まずは、選択的に吸収だ。日本人は外来文化を取り入れる時、そのままの形で受け入れることはしなかった。長い歴史の中で、徐々に日本人が 形で変化させ取り入れたのである。その中で、日本人の強い実務精神がある。この実務精神に励んで、積極的に外来の優秀な文化を吸収するだけではなくて、彼らが外来文化の中で自分に合わない内容を改造、鑑別することを行った。次は、融合的に吸収 文字の面で、日本は中国から漢字を取り入れた。しかしその漢字を全て使っているわけではなく、漢文のようにそのまま使ってもいない。平仮名を作り、一部を取り出しカタカナを作り出して、日本人が使いやすいように変化させた。このように日本は外来文化を独自の形にして取り込む能力に優秀な民族と言える。
第五篇:日本社会の家庭内暴力について
日本社会の家庭内暴力について 日本社会的家庭暴力
日本人邻居交往。
日本家庭主妇间的交往。日本人の職場意識について 论日本人的工作意识