第一篇:日语作文——环境(定稿)
今日は七月二十三日です。
今日は二十四節気の大暑で、一年中で最も暑い時代です。梅雨が終わりを告げると、空は突然夏の色に変わりました。このごろ、朝から三十度を越える日もあれば、風がまったく吹かない日もあり、暑さで有名な地元育ちの私にとっても決して過ごしやすい気候ではありません。多くの人々が夏の服装になる六月に入ると、雨の日が続く梅雨が始まりました。季節の変化がはっきりしていて、季節感を大切にする南方では、梅雨の終わりの頃には、例年集中豪雨で水害が発生することもあります。ときには、梅雨の季節のはずなのにほとうど雨が降らない空梅雨と呼ばれる年もある。一方、今年の夏の梅雨が降り続いています。雨が降るの上で、命の旅「雨が川に、川が海に、海から雲に雲があめに。生きれ香おり、めぐりつづ毛る、終わりのない、いのちの旅。春が夏に、夏が秋に、秋が冬を越え。生まれ変わり、めぐりつづける、終のない、いのちの旅。」を思い出します、改めて中の境地をかみしめます。
最近友達たちの間でよく話題になるのが、北極の氷が溶け出している、白いクスが飢餓状態で絶滅の危機に瀕している、といった環境問題です。このごろ、天気が異常を感じます。私にも「地球の環境保護」という課題は社会にも個人にも突きつけられている重要な問題であるという気持ちがますます強くなっていくのです。中国は 30年近く改革.開放政策を推進した結果、驚異的な高度成長を遂げています。しかし、それに伴う環境劣化も深刻になり、国内外から注目されています。毎年9%程度の経済成長率の増加は中国経済の驚異的な発展ぶりを示しており、世界から注目されています。しかし、それと同時に、このような高度成長は環境破壊の高い代価を払っています。言い換えれば、中国の環境劣化の程度は経済の高度成長と同じように、国際社会を驚かしています。他の発展途上国と同じように、中国の環境問題は重層的な社会問題を抱え、環境危機発生の背後には政治、経済、社会構造の歪みが潜んでいます。今日の中国は、ハイテク産業などを持つ工業国でありつつも、他方では、低所得農村地域を抱える国内の「南北問題」という富と貧困の格差構造を抱えています。その上、拝金主義や政治権力の腐敗などの現象が環境問題の深化をなお一層加速させています。したがって、今の中国を考える際には、以上のような二つの異なる面が巨大な人口と国土に共存していることに対する理解が不可欠であります。
中国の環境問題を克服するには、科学的な行政管理や環境政策の作成と執行に取り組みます。また、地球全体の環境変化に重大な責任を持つ立場から、中国は、環境問題を解決するには国際協力が欠かせないということを認識しています。それで、ここ 20数年間、中国は環境保全領域における国際協力を進め、国際的な力で環境保全事業の改善と発展を求めようとしています。
第二篇:ごみと人间(日语作文环境)
ごみと人間
ごみは人間経済の発展にしたがって生み出された副産品ということです。世界ではどの国にもゴミがあるのですが、ある国の環境にゴミによる損害が多いです。そして、近年環境問題は悪化しつつあります。私は人間として本当に心配ですね。ところが、中国ではごみはただ間違った場所に置いている資源だけだということわざがあります。それでは、ごみは人間のごみに対する態度と深い関係があると思っています。
第一はごみを再利用する程度ということです。日本は江戸時代からゴミの再利用をとても重視したのです。今までも日本ではごみを充分に再利用するためにごみが幾つかの種類に分かれるそうです。これはごみを重視する伝統と言えますね。燃えるゴミとか、燃えないゴミとか、国民はごみを捨てる時、必ずごみがどちらの種類に属すると確認して、相応のごみ箱に捨てるらしいです。それのみならず、毎週には固定時間に固定場所でごみを回収する制度もあると聞いたそうです。本当に感心ですね。さすがにごみの再利用を注意する日本だけあって、ごみを最大限までに再利用して、自然環境に最小限までに悪い影響を齎しました。これは日本国民に美しい生存環境を与える一つの原因だと思います。
第二はごみに対する道徳心ということです。ごみの処理あるいは分解の過程中、微生物の作用を無視していけないとは言え、最も重要なのはやっはり私たち人間のことです。山岸先生は中国の保定市に着たばかり時、皆さんに「あの男の子は考えずに手の中の棒を地面に捨てました」と言った話を今まで覚えいるだけでなく、その時、先生の驚いた表情も私に深い印象を残っています。どうして山岸先生はこんな小さいことを注意するの、どうして先生はそんな驚いた表情を示すの、あの男の子の行為は中国人に普通なのにと考えている人が多いようです。だが、私が理解できるのです。先生は日本人ですから。先生はごみに道徳心を持っていますから。もっと深い面から考えれば、先生の反応から日本全国の国民もごみに道徳心を持っていることを推測できるのかな、先生本人は普通の日本人ですから。この点から見ると、日本はそんなクリーンな生存環境と奇麗な自然がある原因のもう一つは普通の日本人はごみ、自然に道徳心を持つことだと言っても言い過ぎではないと思います。
むろん、古くから日本人のごみに対する態度はひとり中国人のみならず、全ての人間も良く反省すべきだと思います。いずれにしても、人間の明らかな将来のために、ごみの処理を大切にしよう、自然環境を大切にしよう。
第三篇:日语作文
日语作文范文 18 篇
1.「私が住んでいる部屋」
日本は土地の値段が非常に高い。そのため、家を建てるにも部屋を借りる にも、かなり费用がかかる。私がいま住んでいる部屋も、私の国と比べると、かなり高い。
畳の部屋に 2 畳くらいの台所トイレが付いて 3 万円である。风吕付きの 部屋がほしかったが、高すぎて借りることができなかった。今でも少し残念に 思っているが、しかたがない。
风吕は近くの銭汤で我慢している。だが、私の部屋は二阶の南向きで日当 たりがよく、また、向かいは公园なので、环境はとてもいい。地下鉄の駅は歩 いて 10 分位である。学校にも 40 分位で行けるので、だいたい満足している。2.「私の国の季节」
日本では 1 年は 3 か月ずつ四つの季节に分かれています。1 年を通じて気 候は温暖で暑さ寒さもあまりきびしくありません。山脉【さんみゃく】が本州 を縦 【じゅう】に走っているので太平洋侧(表日本)と日本海侧(裏日本)では 気候の差が大きいです。表日本では、夏はむし暑く、冬は湿気が少なくて晴天 が多いです。裏日本では冬は雪がたくさん降ります。いわゆる雪国では雪が 4 ~5 メートルもつもることがあるそうです。
北海道を除く各地は 6 月上旬【じょうじゅん】から 7 月中旬【ちゅうじゅ ん】にかけて高温.多湿のシーズンになります。8 月から 10 月にかけては日本 列岛 【れっとう】の南西部は台风の影响を受けることが少なくありません。京都のような盆地【ぼんち】では降雨量は少ないですが、気温の上下【うえし た】差が大きく、夏は暑く冬は寒いです。日本の大部分の地方で最もよい季节 は春と秋です。桜の美しい 4 月や绿の美しい 5 月は海外の観光客も多く、また 10 月顷の红叶も魅力的【みりょくてき】です。3.「アルバイト」
「アルバイト」はもともとドイツ语で「仕事」という意味であるが、日本 では 40 年ほど前から、学生の副业の意味として使われるようになった。
现在、日本の大学生の 90%以上がアルバイトを経験しているという。そし てアルバイトのために学校を休む学生も多いそうである。
授业はやぼってもアルバイトにはいく。そういう大学生たちは何のために 働いているのだろうか。あるアンケート调査によると、大学生のアルバイトは、サービス、贩売など第 3 次产业の仕事が多い。そして、「どうしてアルバイト をするのか」 という质问に対しては 「海外旅行をしたいから」 「车を买うため」 などの回答が多かった。ほかにも、「贮金をして、留学の费用にするつもり」 「学费は自分でかせぎたいから」 「会社勉强になにから」という回答も见られ たが、ごく少数てあった。この调査结果からわかるように、アルバイトの目的 は游ぶためのお金をためることが中心となっている。たとえ游びが.主な目的でも、アルバイトをすることで、労働の尊さやお 金を得ることの大変さを体験できるのだから、大きな意味がある。しかし、ア ルバイトのためなら授业をさぼってもいいとのは问题である。4.「病気」
日本に来て 1 か月ぐらいたったとき、病気になりました。そのときは、胃 が痛くて何も食べたくありませんでした。どうして病気になったのかよくわか りません。はじめがまんして学校に行っていましたが、だんだんひどくなりま した。それで、近くの病院に行きました。お医者さんは「かぜが原因で胃炎になったのです。あまり心配しないで、ゆっくり休んだほうがいいですよ」と言いました。そして注射をして薬をくれ ました。私は勉强が遅れるから学校を休みたくないと思いました。しかし、お 医者さんの言う通りにしたほうがいいと思って、家でずっと寝っていました。二.三日したらだいぶよくなりましたが、あまり无理をしないように気を つけました。四日目に友达がお见舞いに来てくれました。病気をしないように、いつもきんと食事をして、よく休养することが大切だと思いました。5.「スポーツ」
すもうは日本の国技 【こくぎ】です。わたしは高校生の时、ドイツ初め てすもうを见ました。テレビで见たのですが、力士【りきし】があまり大きい のでびっくりしました。その时から、私はすもうが好きになって、友达とすも うの练习を始めました。今、ドイツで、20 人ぐらいの友达とすもうのクラブ を作って、毎日练习をしています。私の梦は、日本のアマチュアすもう大会で优胜することです。今まで 2 回挑戦【ちょうせん】しました。1 回目は、1 回戦で、负けましたが、2 回目 は 3 回戦まで胜ちました。私は体が大きいので、一生悬命练习すれば、きっと 强くなれると思います。すもうは、何も道具を使わない、人间の力がぶつかる素晴らしいスポーツ です。私はすもうが、ドイツでももっと盛んなってほしいと思います。6.「高校生活」
高校の时、私は毎朝 7 时 20 分に家を出ることにしていました。けれども、遅刻しそうになって走ったこともありました。帰りは、友达と偶に寄り道をし て、ケーキ屋さんや本屋さんへ行きました。校则では禁止されていたので、何 となくスリルがあって、ドキドキしたことを今でも懐かしく思い出します。私は 3 年间ずっと合唱【がっしょう】部でした。练习はつらくもあり、ま た楽しくもあまりました。1 年に 1 度の発表会の前は、练习で帰りがおそくな ることがよくありました。暗い道を、友达と駅へ向かう途中、悩みを相谈し合 ったり、10 年后の自分たちについて、话したりしたりものです。今から思え ば、このおしゃべりが、毎日の生活の楽しみだったのかもしれません。私が高 校生活で得た一番大きなものは、友情だと思います。7.「趣味」
私の趣味は书道【しょどう】です。休日はいつも午前から笔 【ひつ】と 砚【すずり】を出して。夕方まで习字をしてすごします。でも、この习惯は日 本に来てから始めたものです。もちろん私の国中国でも子供の时から、みんな习字を习います。しかし、国ではそれは趣味ではありませんでした。日本では何でも非常にお金がかかります。ですから始めの顷、私は暇な时 でも何もしないで一日中部屋にいました。でも日本语学校で习字のクラスが始 まったので、私もやってみることにしました。汉字は私の国でも书きましたが、ひらがなを笔で书くのは初めての経験でした。その时私は笔で书くひらがなの 美しさにとても感动しました。私はひらがなの练习に梦中になっています。今、それに习字をやっている、国のこと、特に高校生のころを思い出して、と てもなつかしい気持ちになります。习字は孤独【こどく】な趣味です。友达は 「もっと外に出て游んだ方がいいでしょう」と言いますが、私は习字をやって いると本当に时间をわすれてしまうのです。8.「ストア」
最近、私が住んでいるアパートのとなりに ストア が出来た。ストアに は、パンやおにぎりなどの食料品から、洗剂,などの雑货まで、生活に必要な ものはたいていそろっている。その上、24 时间あいているので、いつでも必 要な时间に买い物ができる。この店ができたおかげで、夜遅くお帰ってきたと きでも买い物ができるようになった。私のような一人暮らしの男性だけでなく、仕事で帰りが遅くなった女性も 弁当を买っている。この店では、毎月の电気代や电话代を払うこともできる。それに、コピー机もあるので、たいへん便利だ。このように、ストアのおかけで生活は便利になったが、よいことばかりで はない。夜、车で买い物に来る人が増えたために、うるさくて勉强ができなく なってしまった。エンジンを止めないで店に入ったり、店の外で大声でおしゃ べりをしたりする人がいる。また、いぜんより道が汚くなった。ストアを利用する人は、近所の人たちのことをよく考えてほしい。9.「私の一日」
私は毎朝 6 时半に起きます。そしてラジオの中国语の勉强を始めます。中 国语の発音は大変难しいです。7 时半ごろ朝ご饭を食べます。私の家は郊外にあります。会社は町のまん中にあります。家から駅まで 10 分あまり歩きます。そして电车で会社へ行きます。家から会社まで 55 分か かります。电车はいつもたいへんこみます。会社は 9 时に始まります。仕事は たいてい 6 时に终わります。どきどき駅からタクシーで帰ります。3 分ぐらい です。170 円かかります。私の会社は旅行会社にいます。支店は全国に八か所あります。仕事はたい へんおもしろいです。私はよく出张します。来周は九州へ行きます。しかし、出张はとても疲れます。日曜日はほんとんどの会社は休みます。しかし、わた しの会社はめったに休みません。社员は交替で休みます。休みの日は一か月に 4 回とどです。その日は昼ごろに起きます。あまり外出しません。家でゆっく り小说を読みます。夜はビールを少し読みます。そしてステレオで音楽を闻き ます。ときどきテレビも见ます。10.「私の家族」
私の家族は 4 人と 1 匹です。両亲と私、弟、それにゴンという名【な】の 犬です。父は歴史家なので、セラリーマンのように毎日决まった时间に出勤し ません。父は话が苦手なので、母が客の相手をします。高校へ行っている弟は 将来外国で働きたがっています。ゴンは今年 10 歳になります。とてもいばっていて、父がいない时はゴン が父の椅子に座っています。他の人が座ると、鼻にしわをよせて怒ります。寂 しがりやで留守番も嫌いです。母や私が出かける支度を始めると、私たちの傍 から决してはなれません。留守番をしなければいけないと分かると、私たちの 靴を隠してしまいます。ゴンの最后の手は仮病です。ゴホゴホと咳きをしたり、びっこをひいたりすます。家族はそれに时时骗されます。11.「日本语の授业」
日本语の授业は 1 周间に 5 回あって、文型【ぶんけい】や会话、汉字、作 文などを练习します。本を読んだり、テープを闻いたり、ビデオを见たりもし ます。授业中は先生も私たちも日本语しか使いません。始めに、简単に复习をしてから、新出语や文型を习います。先生は絵や动 作を见せて说明していきます。何回も文を闻かせてから、私たちに言わせます。私たちは文型を使って文を作ったり、先生の质问に答えたり、学生同士で质问 しあったりします。よく、先生は私たちに短い会话を暗记させて、役割练习をさせます。とて も紧张しますが、実际に、体を动かしながら话すのは面白いので、私はこの练习が一番好きです。しかし、汉字は苦手です。先生は私たちに汉字が书いてあ るカードを読ませたり、何回もかかせたりします。最后に、声を出して教科书 を読みます。先生は私たちに一人ずつ読ませて、间违った読み方をなおします。12.「お诞生日」
私の诞生日は 4 月 23 日です。今年の诞生日で私は 30 歳になりました。私 はその日、友达といっしょに诞生日パーティーをする支度をしました。まず、カフェをかりきりました。そしてそこをきれいにかざりました。バースデーケーキにろうそくを 21 本たてました。それから私がすきなこん色のワンピースをきました。5 时からパーティーを始めました。友达がたくさん来てくれました。そし てみんな私に「おめでとう!」と言ってくれました。私がケーキに立ててある ろうそくの火を消す时、シャンペンの栓 【せん】 をぬいてくれました。そして、人形やこう水や絵など、いろいろなプレゼントをくれました。それからうたを 歌いながらビールを饮んだりスケーキを食べたり、ゲームをしたりして过ごし ました。13.「娯楽」
「日本人は働き蜂」 とよく言われます。确かに、日本人は勤勉でょく働き、中には「仕事が趣味」という人もいます。しかし、谁でも仕事ばかりしている わけではありません。それでは、仕事から解放された时、日本人はどんなこと に楽しみを见出すのでしょうか。まずゴルフです。サラリーマンにとっては、たんに趣味というだけでなく 「接待ゴルフ」といって、日曜日に青空の下でゴルフをするのは、趣味と仕事 の両方ができて「一挙両得」のようです。「时间と暇があれば旅行したい」、大部分の日本人がこう考えているので はないでしょうか。国内ばかりか円高の影响から海外旅行热も高まるばかりで、休日の駅や空港は大変混雑します。スポーツ観戦は野球、サッカー、相扑などに人気があります。テレビの番 组表を见ると、いかに日本人がこれらが好きかがわかります。広いグランドで 缲り広げられるゲームや狭い土俵の上の胜负に热狂し、ひと时を过ごすのは、たとえテレビの観戦にしても楽しいものです。また、お年寄りに人気があるのはゲートボールです。孤独になりがちなお 年寄りがいっしょにボールを追いかけることで、楽しみを共有できるのはよい ことだと思います。パチンコは、好きな人と嫌いな人がはっきり别れます。しかし、どんな町 にもパチンコ屋が必ずあり、いつも混んでいることを考えると、日本人の娯楽 の中に必要がありそうです。パチンコファンは老若男女を问わないようで、店 の中には、さまざまな层の人がゲームを楽しんでいます。カラオケは世代によって楽しみ方が违います。若者はカラオケボックスで、歌うことを目的に、数时间を过ごします。仲间だけでいられること、何人もで 楽しめること、歌っている瞬间は主役でいられることなどから人気があるよう です。勤め返りのサラリーマンが立ち寄るバーなどにも、カラオケの设备のあ るところが大半です。「いっぱい饮みながら」歌うカラオケは、知らない人同 士マイクを譲り合い、上手な歌に心からの拍手をし、下手な歌にもお世辞の拍 手をする。最近では外国人のために、各国语の局をそろえたところも出てきま した 14.「私の一周间」
私は月曜日から金曜日まで日本语の学校に行きます。そして 9 时から 3 时まで勉强します。お昼休みは 12 时から 1 时间あります。私はこの时间がす きです。自分のクラスの友达はもちろん、他のクラスの友达ともおべんとうを 食べながら、いろいろなことを话し合います。ときどき学校の近くのレストラ ンへ行くこともあります。放课后 【ほうかご】は学校の図书馆で 5 时まで予习と复习をしてからア ルバイトに行きます。月曜日から金曜日まで、昼と夜はアルバイトや勉强で忙 しいですからあまり游びに行きません。土曜日は学校は休みです。朝は扫除を したり、洗濯をしたり、近所のスーパーへ买物に出挂けたりします。日曜日の 午前中は教会へ行きます。午后は天気のいい日は公园を散歩します。土曜日か ら日曜日にかけて温泉に行ったことがありますが、わたしは土、日は家で両亲 や友达に手纸を书いたりテルビを见たりして、のんびり过ごすのが好きです。15.「私の友达」
私は积极的な性格ですから、友达がたくさんいます。しかし一番仲が良い のは你来我网さんという友だちです。彼女と初めて会ったのは、高校生になっ た时です。你来我网さんは私は反対に、女らしく优しくて、すなおです。私と同じ年ですが、いつも私の悩みを闻いてくれて、私には本当のお姉さんのよう な人です。私が寂しい时や困ってにる时は、いつでも力になってくれました。你来我网さんは、今、ゲザイナーになって有名な洋服の会社につとめ、毎 日いそがしいようです。私が日本へ来ているので会えませんが、暇があれば手 纸を书き、电话も时时かけています。これからもずっと仲良くしていきたいと 思ってにます。16.「自己绍介」
私は中国から来た「ぼくのゆめ」です。今岛根にある寮に住んでいます。外国人は私一人です。ですから、はじめのころは、言叶や食事のことなどでと ても苦労【くろう】しました。お风吕に入る时も耻ずかしくて嫌でした。でも、今はもうすっかり寮の生活にも惯れて、みんなと仲良くなりました。私は料理が得意なので、休みの日は、寮の友だちにごちそうします。すると、みんなとてもよろこんでくれます。私は好奇心が强くいろいろなことを体験し てみたいと、いつも思っています。それで、以前から趣味のあった日本へ来た のです。今热中していることは生け花です。次は、お茶をやってみたいと思ってい ます。にほんへ来る前は、病院に勤めていました。日本语の勉强が终わって帰 国したら、日本语や日本で学んだことをどんどん仕事に生かしたいと思ってい ます。17.「増える突然【とつぜん】死」
最近、30 代、40 代の人の「突然死」が问题になっている。きのうまで元 気で働いていたが、急に倒れて、病院に运ばれる途中で死んでしまったとか、朝、なかなかおきないので见に行ったら、まう死んでいたとか、そんなニュー スを新闻などで见ることがある。私には信じられないことだが、もし本当なら とても恐ろしいことである。なぜ、このような突然死が増えてきたのだろうか。新闻によると、突然死 の一番の原因は、毎日の忙しい生活や复雑な人间関系から来るストレスらしい。30 代、代は一番元気に仕事ができる年代だが、40 そういう自信があるために、かえって无理をして、突然たおれってしまうのではないだろうか。しかし、毎日一生悬命に働きつづけて、代や 40 代で死んでしまうのは、30 実にさびしい人生だと思う。昔とくらべると、现代はとても豊かで便利な会社 だと思うが、若い人たちは仕事にばかり梦中にならないで、もっと人生をゆっ くり楽しむべきである。18.「私の国の教育」
中国の义务教育は中学 3 年生までで、16 歳までです。中国では小学校か ら中学校に入学する时は试験がありません。中学校から高校に入る时から试験 があります。高校から大学に入る试験はとてもむずかしいです。进学校の高校 3 年生たちは、朝 7 时から夜时まで学校で勉强します。试験科目が多いので入 学试験に合格するためにはたくさん勉强しなければなりません。一番たいせつ な科目は国语と英语と数学です。1 クラスの 30 パーセントの生徒が大学へ进 学します。进学しない人は家にいる人もいますし、就职に合格する人もいます。「3 时间しかねなかったら入学试験に合格するが、4 时间寝たら落ちる」 という话があるほど、大学に入学试験は难しいです。日本の予备校と同じよう な学校があるので、入学试験に落ちたらその学校で勉强します。中国の教育はとても厳しくて、日本とあまりかわらないと思いもす。
第四篇:日语作文
古代の时代から、子供や孙の世代では、无数の甘い育ま地球母亲の乳。彼女は、元の楚楚动人装饰されたの子孙だった。しかし今、人类自身の利益を、彼女の拷问天昏地暗。地球上の人间が1つだけであり、深刻な地球环境の危机に直面している。“ ”地球の割引率は世界で最强の国が国民の声になっている。
断肠の思いでいる私は、周囲の环境の悪化は、私はしたいと思います:未来の后継者として若い人たちの场合は、环境保护の法律や规制ではなく、无视して、环境保护の意识を高めるには、人间の环境や环境问题の深刻さの构成を理解しないと、その义务を履行し、私たちの生活を自分の手で破壊され、环境を保护するために、神は私ども厳しく処罚されます。私は自分のケアのための环境を起动すると、我々の家庭生活を守ることと环境を守るために保护者がこの理由から。
过去1年间だけで、私の学校での活动を积极的に木を植え、最初の(6に导い)绿の天使“のチームメンバーは、キャンパス内の木を采用することを奨励するための干部”植绿护绿グループは、作成したクラスの舰队参加放课后の苗木をドレッシングには、その巨大な木々の基础になる。学校での组织“は、地球の生命力に満ちている”と、署名のイベント、私は厳粛に自分の名前の上に署名して独自の环境取り组み、より良い未来への期待を书いてみませんか?私は积极的に学校での世界环境デー作家赏を受赏、社会调査のため、データのすべての种类のコレクションでの开催を近くで见ると、环境ガバナンスの考えを记事に书いて、私はよく见て、录音环境、环境讲演会に参加する学校が参加と位相、アンケートの知识を积极的に环境保全活动を各质问を注意深くいっぱいに参加します。私は、“若年植绿护绿チームの开拓者”のサイト构筑は、上记の画像の中にだけでなく、环境保护法の様々な侧面、环境保护や环境の知识を多数リリース参加、环境保护での中国の発展は世界で、环境保护の状况;私は毎月、“环境情报を、さまざまなテーマのいくつかの新しいセクションを见つける”をお知らせするために新闻を、ネットワークを使用しています。また、定期的に环境知识と环境保护の生活の知识を促进するための広告を作る。环境保护の意识の向上、私たちの周りのささいなことから、学生の家庭の世话のさまざまな侧面からの呼び出しているため、その周辺の力を与える!私は一绪に保护を积极的に周りの人を动员するとは、法律に基づいて建设自宅と同じで、人类は、持続可能な経済社会の発展を促进し、人类の文明に贡献します。また、共同の学生による“私たちの周り”と“非小ビニール袋や割りばし泡のランチボックスは、使用して私たちは白い汚染から”滞在させるに钵植え、ツリーを采用し、各と绿の空间のすべての作品を大切に、绿でいっぱいにスポンサーイニシアチブ。私たち以外のバッグを容易にするためにしようと、バスケットを拾う、ぜひ一绪に明るい绿色の将来に向けて、素晴らしい、辉かしい未来への行进をさせてくれ!
私の知る限り、报告书を集めている: “环境问题は人间の开発と利用を不当に自然のソースが原因で発生が原因となっている。大気汚染、水质汚染、騒音公
害、食品汚染、不适切な开発利用の主要な环境问题の冲撃天然资源のこれら5つのカテゴリー。”鉄道としては、事実の教えは、人间の生活の悪魔贪食无慈悲。それは、人间の健康や生态系のバランスを胁かし、経済と持続可能な开発の社会的制约を危険にさらすと、人间の十字炮火に巻き込まれることができます。私は宣言をしたそのためには: “限り私たち-人间の环境保护の意识を常に考え、环境意识の维持とは、法律に基づいて、地球村は美しい公园になる。”将来的には、空の青さ、水、木が并ぶ通りを花でクリアされて舗装さ、人间の幸せを私たちに与えられた自然に楽しむことができます。
“は、环境への贡献の本当のテストの言叶ではなく行动ではない。”私は今ちょっとしたことをしていますがほんの一部ですが、私はしっかりと考えている场合には、全ての环境から身を守る责任がある小さく、私たちの祖国を守るために一绪に仕事を开始すると、人类は自然复帰となる。暖かい-残り草地;ではクレードルのような颜を笑颜に-空の爱の元で育つ-入浴河川
第五篇:日语作文
日语作文
我的家乡
私は上海に生まれました。故郷は上海だと思います。上海は中国の中では、最も都会らしい都会です。上海には名所名迹が少ないが、中国最大の商业、工业、港湾地帯として特徴づけられている。今、上海の人口がもうすでに1250万人を超え、世界一のマンモス都市となった。改革开放によって、上海が大きく変わりつつある。毎年上海に帰省するたびに、その発展ぷりに惊き、上海の一员として、夸りと喜ぴを持っている。
上海は长江の南侧、支流の黄浦江の西侧に拓かれた街だ。今世纪の初めに黄浦江西侧のバンドと呼ばれる地区は、港湾设备が整备され、その周辺に各国の租界か集中されていた。上海はまた「冒険家の楽园」と呼ぱれ、このバンドは国内だけでなく海外でもよく知られており、観光客が必ず访れる所となっている。バンドは上海?シンポルとも言え、バンドの周辺に立ち并ぷ建物はそれぞれ风格を持ち、「万国の建筑物」と言われる。
バンドの近くから始まり、市中心まで伸びる世界でも有名な南京路がある。东京の银座より人がいっぱいで赈やかである。南京路にある第一百货店は毎日20万人ほどのお客さんを迎え、祝日になると30万人を超えるほどだ。(你我 日语)
さらに、夜のバンドと南京路はまた格别だ。ネオンサインがまぷしいほど辉き、日本人は上海の夜景を「五つ星」と绝賛している。
谁にも故郷がある。故郷を离れれぱ离れるほど故郷が恋しくなるのが人情だと思う。上海に帰る回数が増えれぱ増えるほど恋しくなる私の大好きな上海である。
我的理想
迎えて新年新しく望みます
“新しい1年”は子供がまだ大人なのに関わらずにとって、すべて意义は并外れています。新しい初めの字面を代表してイタリアをくわえます以外、古今东西がすべて同じで雰囲気を祝って、同じく新年の感じに喜び、望み、期待、を満たしてとついに苦难の気持ちを脱走することができますの、彼は1种すべて今と人にすべてを“异なっています”をあげます の期待、同じくすべての人に自分の一回の机会に前に向かって奋戦していることを愿わせます!私もこのようにで、新年を祝うことが好きで、新年を迎えることが好きで、自分にとても活気の计画の来年の物事があることが好きです。
私も个がとても利口だとと自认します、実行力があります、梦を见て、计画して手配する子供に急ぎます、幼い时から成长するまで、学校の引継ぎが“新年新しく望みます”の冬休みの作文のテーマを书く以外、毎回新年まで着いて、私がまた母の要求によって多くの目标、计画、ひと山の自らの期待を结んで、とひと山のつまらないスローガンを书くことができ(ありえ)て、来年これらの梦想がすべて成立することができることを望みます。
しかし1年ごとに、私の望みはすべて成立していないで、私の梦想は、すべて実现すると计画して、私の要った沈む得ること、私の行いたい沈む完成、それから、一年あたりの年末で、私はすべて勇気があって焦虑して、その上年齢に従って増大して、ますますすごくなって、いつも自分がとても失败すると思って、何も行わなくて、何も完成して、甚だしきに至ってはなくて、私が次第に
おっくうで何が新しく望むかと思って、今同じく中年投降して、お金、圧力、発展、これらはすべて梦の更に现実的な问题に比べてで、私は、未来子供がいることを待って、私は更に彼の“梦を见ます”~を教えます と甚だしきに至っては思っています。
课程の启発のため、近ごろ私はずっと绝えないでシステムの考える方式で以前で多くの私を质疑して理由を理解しないで、根强く実行して、信用、甚だしきに至ってはすでに习惯のいくつか理念を身につけて、特に最近、旧正月前后の圧力は再度私の情绪を下がらせて、未来発展する质疑に直面して、私に続けて1つの问题を思わせています、つまらないかも知れなくて、しかし私にとって多くの意义があって、それはつまりいわゆる“新年新しく望みます”。
私が始まって1种の感じがあって、私は“新年”を迎えて“今年”を逃れにくることを持つことができ(ありえ)て、私は多くの“来年の计画”で対抗して今“现在の责任”のこのような気持ちを完成したくありません。私は健忘症を得て、除いて新年を迎えて、私は回想するつもりはないようで、以前のあれは1年私はどんな愿いを许可したことがあって、下で何が望みますか?どのくらいやり遂げますか?どのくらい私はとっくに忘れますか?11月から、私がスタートしてPDAと笔记型コンピュータから私の生活の记录の重点のツールに取って代わりました后に、长い使っていない6孔万は手帐を使って、余る纸の上で、私は自分で歳月の痕迹と以前を见て、すきまない笔迹の中で、私は自分を探し当ててちょうど中年の时の力を迎えるつもりで、更に私を惊かせて、以前の私、かつて绝えないで自分を分析しています。
「お誕生日」
私の誕生日は4月23日です。今年の誕生日で私は30歳になりました。私はその日、友達といっしょに誕生日パーティーをする支度をしました。まず、カフェをかりきりました。
そしてそこをきれいにかざりました。バースデーケーキにろうそくを21本たてました。それから私がすきなこん色のワンピースをきました。
5時からパーティーを始めました。友達がたくさん来てくれました。そしてみんな私に「おめでとう!」と言ってくれました。私がケーキに立ててあるろうそくの火を消す時、シャンペンの栓【せん】をぬいてくれました。そして、人形やこう水や絵など、いろいろなプレゼントをくれました。それからうたを歌いながらビールを飲んだりスケーキを食べたり、ゲームをしたりして過ごしました
「自己紹介」
私は中国から来た「ぼくのゆめ」です。今島根にある寮に住んでいます。外国人は私一人です。ですから、はじめのころは、言葉や食事のことなどでとても苦労【くろう】しました。お風呂に入る時も恥ずかしくて嫌でした。
でも、今はもうすっかり寮の生活にも慣れて、みんなと仲良くなりました。私は料理が得意なので、休みの日は、寮の友だちにごちそうします。すると、みんなとてもよろこんでくれます。私は好奇心が強くいろいろなことを体験してみたいと、いつも思っています。それで、以前から趣味のあった日本へ来たのです。
今熱中していることは生け花です。次は、お茶をやってみたいと思っています。にほんへ来る前
は、病院に勤めていました。日本語の勉強が終わって帰国したら、日本語や日本で学んだことをどんどん仕事に生かしたいと思っています。
「私が住んでいる部屋」
日本は土地の値段が非常に高い。そのため、家を建てるにも部屋を借りるにも、かなり費用がかかる。私がいま住んでいる部屋も、私の国と比べると、かなり高い。
6畳の部屋に2畳くらいの台所トイレが付いて3万円である。風呂付きの部屋がほしかったが、高すぎて借りることができなかった。今でも少し残念に思っているが、しかたがない。
風呂は近くの銭湯で我慢している。だが、私の部屋は二階の南向きで日当たりがよく、また、向かいは公園なので、環境はとてもいい。地下鉄の駅は歩いて10分位である。学校にも40分位で行けるので、だいたい満足している。「私の一日」
私は毎朝6時半に起きます。そしてラジオの中国語の勉強を始めます。中国語の発音は大変難しいです。7時半ごろ朝ご飯を食べます。
私の家は郊外にあります。会社は町のまん中にあります。家から駅まで10分あまり歩きます。そして電車で会社へ行きます。家から会社まで55分かかります。電車はいつもたいへんこみます。会社は9時に始まります。仕事はたいてい6時に終わります。どきどき駅からタクシーで帰ります。3分ぐらいです。170円かかります。
私の会社は旅行会社にいます。支店は全国に八か所あります。仕事はたいへんおもしろいです。私はよく出張します。来週は九州へ行きます。しかし、出張はとても疲れます。日曜日はほんとんどの会社は休みます。しかし、わたしの会社はめったに休みません。社員は交替で休みます。休みの日は一か月に4回とどです。その日は昼ごろに起きます。あまり外出しません。家でゆっくり小説を読みます。夜はビールを少し読みます。そしてステレオで音楽を聞きます。ときどきテレビも見ます。
「趣味」
私の趣味は書道【しょどう】です。休日はいつも午前から筆 【ひつ】と硯【すずり】を出して。夕方まで習字をしてすごします。でも、この習慣は日本に来てから始めたものです。もちろん私の国中国でも子供の時から、みんな習字を習います。しかし、国ではそれは趣味ではありませんでした。
日本では何でも非常にお金がかかります。ですから始めの頃、私は暇な時でも何もしないで一日中部屋にいました。でも日本語学校で習字のクラスが始まったので、私もやってみることにしました。漢字は私の国でも書きましたが、ひらがなを筆で書くのは初めての経験でした。その時私は筆で書くひらがなの美しさにとても感動しました。今、私はひらがなの練習に夢中になっています。それに習字をやっている、国のこと、特に高校生のころを思い出して、とてもなつかしい気持ちになります。習字は孤独【こどく】な趣味です。友達は「もっと外に出て遊んだ方がいいでしょう」と言いますが、私は習字をやっていると本当に時間をわすれてしまうのです。