上海景点日语导游词(优秀范文5篇)

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第一篇:上海景点日语导游词

外灘(バンド)

外灘の中国語は外滩(ワイタン)です。外灘があったからこそ二十世紀三十年代で上海は「東方のパリ」と言われたでしょう。バンドには租界時代に建てられた洋風な建築物と近年に建てられた沢山の近代的な建築群は上海の象徴でもあり、上海人の誇りの場所でもあります。夜になると建物や歩道がライドアップされ、他の所でながなが見られない素晴らしい夜景になります。「バンドを見なければ上海に来た事にならない」と言われるぐらい絶対に見逃せない場所です。自信を持ってお勧めします。

東方明珠タワー

東方明珠タワーは1991年7月30日に着工し、1994年10月1日に竣工しました。タワーの高さは468M。その当時アジア第一、世界第三の高いタワーでした。設計者はその豊かな想像力を働かせ、まずタワーの骨格を大きさの異なる11個の球で構成しました。それはまるで青の大空から緑の大地まで貫いているように見えます。そしてルビーをイメージした大きな赤い2つの球でそれを挟み、それが渾然一体となって見事に「大珠小珠落玉盤」の句を表すことに成功しました。この東方明珠の完成によってバンドの建築博覧群の夜景はいっそう輝くものになったのです。

上海豫園

上海豫園は有名な古典庭園です。1982に中国重点文物として政府に指定されています。北に福佑路、東に安仁街、西に上海城隍庙、豫園商店街と隣接しています。豫園は1559年に着工し、18年間掛かって1577年完成しました。元々は明の時代の四川官吏潘允(上海人)が父親のために造った庭園です。400年余りの歴史の中、戦争や紛争により、庭園は大きなダメージを受けました。1956年修復始め、現在1800平方㍍、六つの観光区域になっています。中に遊廊、石山、池、、樹木、花等、そして明の時代の建物或いは再現した建物たくさんあり、明の時代の名人が彫刻した文字、明の時代の家具など宝物も収蔵しています。

上海博物館 上海博物館は上海市人民大道にあり、上海市の中心とも言えます。北側に人民公園があり、市内バスの発着点も多い。上海博物館は1993年8月着工し、1996年10月にオープンしました。建築総面積は三万九千平方㍍くらいです。11個専門館と三つの展覧庁があり、貴重な文物がたくさん展示され、ゆっくり、全部見るのは2,3日掛かります。入り口の所で日本語の解説機を借りれます。館内に喫茶店や、買い物コーナー、書籍類コーナーも設けています。

上海動物園

上海西郊にある上海動物園は主に動物を飼養と展示の大型公園です。敷地は約七万平方㍍。園内は多くの樹木や広い湖があり、美しい環境の中で500種、4000近い動物が飼育されています。上海動物園は上海市民、特に子供に好かれる場所です。そこでたくさん中国にしか生息していない貴重な動物を見れるし、動物を

する演出も見えます。

大観園

中国4大名著の一つの「紅楼夢」は清の時代に一つの貴族が栄えるから衰亡までを描いた小説です。大観園はその貴族が住んでいた家の名前です。上海市青浦区で造られた大観園は東に淀山湖と隣接し、敷地およそ11万平方㍍、大きく東、西二つに分かれています。東部にある梅園は上海最大の梅の鑑賞地です。西部は「紅楼夢」に描かれている大観園と言う庭園を忠実に再現しています。

宋慶齢故居

孫文夫人として知られる宋慶齢は中華人民共和国の名誉主席であり、優秀な国際活動家でもあります。上海市淮海中路1843号―敷地4300平方㍍の白い壁、赤い屋根の洋風一戸建はもともとあるドイツ人の個人の別荘でした。1948年から1963まで宋慶齢はそこで生活をしていました。故居内はまた宋慶齢生前住んだ時のままの様子。一階の廊下の壁に中国著名画家徐悲鸿の「奔马」を掛けています。応接間の壁に孫文の遺影や1961年毛沢東がそこを尋ねた時一緒に撮った写真などを飾れています。

南京路歩行町

南京路歩行町(南京路歩行街)は上海の最も有名な繁華街です。西の西蔵中路から東の河南中路までのこの歩行街は長さ1200㍍余りです。両側の入り口に江沢民主席が書いた「南京歩行街」の字を彫刻した大理石が設置され、全路面に大理石仕様の石で舗装しています。上海の四大百貨店―「市百一店」、「華聯商厦」、「上海時装公司」、「第一食品公司」と数々の各種商店や飲食店などでこの南京歩行街を朝から晩まで賑やかさせ、上海のショッピング町と観光地になります。

上海市は、6341km2の面积に约1400万人の人々が住む中国最大の国际都市。日本を含む外国列强の租界地として発展してきた。租界地としての古さと、近年の経済発展による新しさが、浑然一体となって成立している特异な都市だ。

上海の歴史は700年と浅い。第2次世界大戦前は、欧米列强と日本の秘密情报员が暗跃し、占领地をめぐる駆け引きが缲り広げられ、アジアで最も魅力的かつ危険な魔都として名をはせた。1949年の中华人民共和国建国以降は、中国経済复兴の牵引车となり、1980年代以降は改革开放政策のなかで急激にその地位を高めた。

バンド

中山东路の黄浦江沿いはバンド(外滩)と呼ばれる上海一の観光地。ここは戦前、欧米の共同租界地だった所で、欧风の高层建筑物が通りに沿って并んでいる。19:00からはライトアップされ幻想的な雰囲気になる。朝は太极拳をする市民、昼は観光客、夜はデートの若者でにぎわう。

住所: 上海市中山东二路153号、219-239号

交通アクセス: 地下鉄2号线「河南中路站」下车。南京东路を黄浦江に向かって徒歩约10分 営业时间: 24时间 所要时间: 1时间

▲ バンドでは川沿いを散策しよう

豫园

1577年に明代の名匠・张南阳が造った江南を代表する名园。园内には回廊や龙壁に仕切られた庭园や楼阁がたくさんあり、见る位置や角度でいろんな景色を楽しめるように工夫されている。周辺には古い民家がたくさん残っていて、昔ながらの雰囲気を今に伝えている。

住所: 上海市安仁街132号

交通アクセス: 市バス902路「豫园站」下车すぐ。地下鉄1号线「黄陂南路站」下车。河南南路方面に向かって徒歩约15分

▲ 庭园は建物の赤、庭石の白、植木の绿で构成されている

玉仏寺

1882年创建の禅宗寺院。敷地中央に位置する大雄宝殿には金色に辉く三尊仏が安置されていて、地元の人々の信仰を集めている。寺名の由来となっている玉仏は般若丈室2阶の玉仏楼にある。境内には本格的な精进料理店もある。

住所: 上海市安远路170号

交通アクセス: 市バス13、19路「安远路站」下车 予算: 10元(玉仏楼は别途5元が必要)

▲ 三尊仏は辉くばかりに美しい

东方明珠塔

アジア最大のテレビ塔。263mと350mの所に展望室があり、上海市内を一望できる。一帯は浦东新区と呼ばれ、上海で一番ホットなエリア。最新流行のレストランやショップがたくさんあり、高层ビルの外资系ホテルも多い。

住所: 上海市豊和路504弄2号

交通アクセス: 地下鉄2号线「陆家嘴站」下车すぐ。「黄浦観光隧道」(片道30元)もある)

▲ 东方明珠塔の周囲には高层ビルが密集している

龙华寺

242年に呉の孙権によって创建された古刹。院内の仏殿は「五进殿堂式」といい、南から弥勒殿、天皇殿、大雄宝殿、三圣殿、方丈室が南北に并んでいる。大雄宝殿の东西にある钟楼の大铜钟は高さ2m、重さ65トンもある。龙华塔は南侧に少し倾いて建っている。

住所: 上海市竜华路2853号

交通アクセス: 地下鉄3号线(明珠线)「龙漕路站」下车。龙水北路を徒歩约5分

▲ どの拝殿でも热心にお祈りしている

鲁迅公园

戦前日本人がたくさん住んでいた虹口エリアにある公园。园内には文豪・鲁迅の墓である「鲁迅墓」があり、鲁迅の铜像が建っている。园内东部には「鲁迅纪念馆」があり、鲁迅の上海滞在时代の遗品が展示されている。近くには鲁迅が死去するまで住んだ「鲁迅故居」もある。

住所: 上海市四川北路2288号

交通アクセス: 地下鉄3号线(明珠线)「虹口足球场站」下车すぐ

▲ 园内の専用スペースで麻雀を楽しむ老人たち

上海博物馆

1996年にオープンした総合博物馆。総床面积は3万8000m2もあり、中国でも最大级の规模を夸る。中国古代青铜器馆、中国古代雕塑馆、中国歴代陶磁馆、中国歴代絵画馆、中国歴代书法馆、中国古代玉器馆、中国明清家具馆、中国少数民族工芸馆などがある。

住所: 上海市人民大道201号

交通アクセス: 地下鉄1、2号线「人民広场站」下车。西蔵北路を南へ约5分歩いた右侧営业时间: 月~金9:00~17:00、土~20:00、日~17:00(入场は闭馆30分前まで)所要时间: 2时间

予算: 20元(学生は5元)

第二篇:西安景点导游词 日语

お出迎え

皆様、ようこそ西安にお出でになりました。長い旅、本当にお疲れ様でした。私はガイド兹通訳朱栄と申します。これから、皆様の西安のご滞在中、お世話をさせていただきますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

論語に「朊あり、遠方より来る、また楽しからずや」とありますが、今私の気持ちは全くその通りでございます。私は弊社を代表致しまして、皆様のご来訪を心より歓迎致します。何か要望や不行き届きな点などございましたら、ご遠慮なくおっしゃってください。

皆様の西安の旅がこの上なく、楽しいものとなりますよう一生懸命努めてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

皆さん、西安はなんと言いましても悠久の歴史を持っている中国最古の都でございます。紀元前11世紀の西周から、秦、漢、隋、唐など約十三の王朝がこの一帯2000年にわたり都をおきました。特に唐の時代の長安は、様々な国からたくさんの人々がこの長安に集まり、当時としては最大の「100万都市」として栄えました。有名なシルクロードの出発点はこの西安でございます。これから、***を見学していきましょう。

大雁塔と大唐芙蓉園

皆さん、西安の名所旧跡の中では一番にあげられるのは大雁塔です。大雁塔は日本の皆さんにもなじみの西遊記に書かれた玄奘三蔵と関係があります。唐時代の高僧玄奘は、さかのぼること629年に生まれ、27歳の時、長安から西域への旅に出ました。そして、16年に経った657年に仏舎利や仏像、そして多くの経典を携えて長安に戻りました。玄奘は、その後大慈恩寺の住職となり、仏教に力をつくしました。唐の太宗と高宗はこの功績をたたえ、そのことは当時の書道家楮遂良の手によって石碑に刻まれ、今もそれが大慈恩寺の中の大雁塔に保存されています。この寺は、唐の高宗李冶が、母親文徳皇后の冥福を祈って648年に建てたものといわれ、西安の南郊外にあります。当時、この寺は現在の7倍以上の広さをほこり、今では大雁塔だけになりました。大雁塔は当初、五重の正方形のものでしたが、その後、レンガで7重にし、775年には、さらに十層のものに改築されました。今皆さんご覧になっている高さ63mの大雁塔は七層ですが、これは後の戦争で上の三層が崩れ落ち、残った下の部分を修復したものです。

ところで、皆さんは大雁塔が建てられた由来をご存じでしょうか。

玄奘がインドから多くの経典を持ち帰ったことは先に申しあげましたが、玄奘はそれを翻訳し、それを保存するために、当時の太宗皇帝に進言して654年建てられたのが大雁塔です。初めは慈恩寺塔と呼ばれ、それを大雁塔と呼ぶようになったひとつの説を紹介しますと、『慈恩寺三蔵法師伝券三』によりますと、「摩掲陀国に、ある寺があり、ある時、雁が群れをなして、空を飛んでいたところ、突然そのうちの一羽が境内に落ちて死んでしまった。これを見て驚いた僧侶たちはその雁を菩薩とみなし、その雁をとむらうために塔を建てた」ということです。

こうして、慈恩寺塔は雁塔と呼ばれるようになりましたが、その後、薦福寺にも「雁塔」が建てられたため、慈恩寺のものは「大雁塔」、薦福寺のほうは規模が小さかったから、「小雁塔」と呼ぶようになりました。なお、現存する大慈恩寺の中の建物は大雁塔を覗いて明の時代のものですが、お寺の大雂宝殿には、釈迦如来の三身仏と十八羅漢、法堂には阿弥陀仏の像が祭られています。法堂の東側の壁には玄奘の拓本がかけてあり、これを見ますと玄奘法師が、一所懸命仏教に身をささげた様子が伺い知ることができます。また、塔身の南側には、唐の太宗皇帝李世民の勅令による、「大唐三蔵聖教序記」の石碑が嵌め込まれ、いずれも唐代の大書道家楮遂良の手による傑作として知られています。さらに、塔の入り口のところに刻まれている唐代の建築図案は、中国古代建築を研究するうえで、重要な資料を提供するものといわれ、大雁塔の北に位置する、最近新しく建てられた玄奘三蔵院には三蔵法師の頭の骨や自筆の経典が納められています。

このように、「大雁塔」は現在、最もよく保存されている唐代の建物ですが、古都背西安のシンボルとしていつまでも人々の心に残り続けることでしょう。

大唐芙蓉院は西安の曲江新区に位置しており、敷地面積は約66万平方㍍、その中、水域面積は300平方㍍を占めます。中国の西北地域で最大の文化公園です。

華清池

皆さん、前方の右側をご覧ください。山が見てきましたね。その山はどんな形に見えますか?そうですね、遠くから見ると青い馬のように見えます。ですから、驪山を名づけられています。驪山の麓にある華清池は私たちの目的です。

皆さん、いよいよ華清池に到着します。この温泉と風景の美しさで有名な華清池は3000年あまり前に発見され、歴代王朝により離宮や浴槽を作られました。毎年、寒さを避けるため皇帝はここを訪れました。唐の玄宗皇帝と楊貴妃によりロマンスが有名ですが。絶世美人楊貴妃が美し肌を洗った様子は白居易の「長恨歌」にも歌われています。なお、お湯遺跡博物館は楊貴妃を使った海棠湯をはじめ蓮花湯、太子湯、尚食湯、星辰湯などの温泉の遺跡が発見できます。ちなみに、湯殿の奥にある五間庁は西安事件の時将介石が泊まったところです。ここもあわせてご案内致します。

はい、華清池に着きました。ここでの見学は2時間となっております。今ちょうど9時ですから、11時に必ずバスに戻ってきてください。ここは観光実は多いですから、できるだけ一緒に行動するようお願いいたします。万が一道に迷ったら、ご自分でバスにお戻りください。だから、バスナンバーとバスの色をよく覚えておいてください。では、貴重品をお持ちになって、バスを御降りください。はい、皆さん、お手洗いへ行きたい方はどうぞ、そちらへ。

はい、じゃ、華清池の観光ルートは飛霜殿、九龍池、お湯遺跡博物館、それから階段を登って西安事件の舞台である五間庁です。皆さん、参りましょう。

ここは玄宗皇帝と楊貴妃の寝室―飛霜殿です。冬になるた玄宗皇帝は楊貴妃をつれて華清池へ寒さを避けに来ます。この飛霜殿に源泉に引き込んであっため冬でも暖かく屋根には霜も付かないということから「飛霜殿」と呼ばれます。ここぁら驪山の美しい風景が眺められるし、それに、雪が降ると周りは全部白くなり、飛霜殿の前の九龍池には温泉が湧いて、湯気が立ち上がりますので、とてもきれいです。もちろんこれは今立て直されたものです。白居易の『長恨歌』の中に楊貴妃の風呂上りを「春寒くして、浴を賜う(たまう)華清池、温泉の水溜(みずため)らかにして凝脂(ぎょうし)を洗う。死児たすけ起こせば嬌(きょう)として力無し」と書いてあります。じゃ、皆さん、御湯遺跡博物館へ参りましょう。そこには楊貴妃が入った浴槽があります。蓮花湯は先に申しあげましたが、楊貴妃の浴槽は海棠の花の形をしているので、海棠湯というのです。ちょっと見た目は今の浴槽ほど豪華ではないですが、その時は大理石でつくっていますから、豪華なはずですよ。

次の見学するところへ移動しましょう。ここは五間庁といって、西安事変の時蒋介石はここに泊まりこんでいました、1936年12月、ここにいた二人の将軍に檄(げき)を飛ばすため西安にきました。12日朝5時突然の銃声で目を覚ました蒋介石は着の身着のまま逃走しましたが、山腹(さんぷく)の岩陰に隠れているところを張学良の護衛兵に捕らえ、西安市の西京招待所に幽閉されました。ここの五間庁にその時の銃弾にうたれた跡が残っています。

皆さん、これで華清池の見学が終わりました。ちょっと10分間休憩しましょう。写真を撮りたい方は撮ってください。10分後車の方へ戻ってください。

兵馬俑

秦の始皇帝陵は西安の東36kmのところにあります。その壮大の墳墓は2200年ほど前に作られ、中国史上初めての皇帝のお墓で、世界でも最大級のものです。秦の始皇帝は紀元前259年に生まれました。13歳の若さで王位につき、紀元前221年に中国統一という大事業を成し遂げましたが、中央集権政治を实施し、文字や貨幣、度量衡を統一したほか、北方の騎馬民族対策に長城を築くことはあまりに有名です。一方専制君主として人民に苛酷な負担を強いることになり、ついに始皇帝の死後、大規模な農民蜂起もあって、秦王朝を滅亡しました。

ところで、始皇帝陵は始皇帝は即位する当時に作り始めました。そのため、動員図70万人述べ、实に、38年間わたる巨大な土木工事でした。それについて、有名な司馬遷も「史記」の中に建設規模と豪華さに触れています、それによると、「三たび水脈達する深くほり、銅版を下に敷い柩を納めるようにし、また、この陵の中宮殿、望楼を作り、百官の席を設け、奇器、奇物でいっぱいにした。百の川、大海を作り、機械の仕掛けて絶えず、水銀が流れるようにした。上の方は太陽、天体の形を作り、下は山、川、地の形を整えた」と記されています。この陵墓の壮大は最新技術を使った、今の調査結果でもそう確かめられています。

もう一つ、今日の目的である「兵馬俑博物館」はこの陵から1.5km離れたところにあります。「兵馬俑」は、1974年に用水工事をしていた農民たちが偶然発見したもので、「兵馬俑」とは、兵士や馬の形をした土偶のことですが、始皇帝陵の死後、陵に埋められ、いわば始皇帝の近衛兵というべきものです。

今のところ、兵馬俑は現在三つ発掘されていて、その総面積は20000㎡にものぼろスケールの大きいものです。陶俑と陶馬は8000代、木造の戦車は100両ほど、青銅製の兵器は40000件も見つかっています。さらい感心させられたことは、实物大の兵士が一体ずつ表情や髪型が違い、どれ一つとも同じものはありません。このことから、秦の軍隊が様々な民族から編成された混成部隊だったことがわかります。このように、兵馬俑は、兵士の指先や靴底まで繊細に作られていて、馬の鬣や尾までもリアルに再現さてれているのを目の当たりすると、当時に千人以上だったといわれる職人のこだわりが感じられます。こうして、秦の始皇帝陵全体としては、この兵馬俑坑のほかにいろいろなものが発見され、最近の発掘では兵馬だけでなく、宮殿の实物大のレプリカや文官や芸人などの俑も発掘されており、従来、来世へと旅立った始皇帝を守るための軍隊と思われていたこの遺跡は、实は、生前の始皇帝の生活そのものを来世に持って行こうをするねらいがあったとも推測さらています。

兵馬俑一号館

1979年10月にオープンした一号館は始皇帝兵馬俑館最初の建物です。東西230m、南北62mの長方形をしていて、発見された三つの俑坑の中では規模の最も大きいものです。1000あまりの兵隊の俑、戦闘馬車とそれを牽引する馬の俑32体が出土しました。一号館の兵馬俑は歩兵を中心とした主力部隊ですが、先頭は武士俑が並び、ついて歩兵と戦車の隊列が続き、その左右両側と後ろにはそれぞれ1列ずつ武士俑が配置されています。

皆さん、これらの兵馬俑はよくご覧になっていただくとわかりますが、兵士たちは、その容貌だけでなく、朋装もくらいによって、それぞれ違います。最も目立ったのは将軍俑で、将軍は先端を巻いている高い冠をかぶり、これをとめるためリボンが顎の下で丁寧に結ばれ、胸まで格好よくたらしています。また、戦闘朋も二枚着ており、鎧も独特な形をしていて両肩と胸のところでリボンで結ばれています。現在、ここでの発掘はまだ継続中で、埴輪の数は推定で6000体ぐらいあるだろうと推測されています。

兵馬俑二号館

昔、戦争では陣立ては勝負を決める重要な要素でした。軍事家たちが多くの陣立ての形を考えました。しかし、その内容がずっと最高の軍事秘密で現在その記録がほとんど残っていません。

1976年、最初に発見されました兵馬俑坑の周りを発掘したところ、その北側から大量の俑が新たに発見されました。これは現在の二号館で展示されている兵馬俑です。

二号館の面積は約6000㎡、陣立ては陶俑と陶馬は合わせて1300体余りあり、ほかに戦車、歩兵、騎兵など編成された「W」の形をした曲陣で、それと騎兵集団で構成されていますが、御者が手綱を引き、片方の手に弓を持っています。戦車集団のほうは、4頭立ての馬車一台に御者が1人が付き、両脇の兵士二人は武器を手にして、戦車に登る姿勢を示しています。

先頭部隊は弓弩兵器を携えた射手で、右側に戦車、中央には歩兵と戦車が交互に左側には騎兵が配置されており、最後の方は騎兵と歩兵をいった陣容の混合部隊です。この陣立ての形は攻めることも守りことも自由にでき、秩序が保ちやすく、攻められやすい弱点がありません。

兵馬俑三号館

三つの兵馬俑館中で唯一発掘が完成したのが三号館です。三号館の面積は376㎡の凹字型となっており、規模として一番小さいほうですが、地下の大軍を統帥する指揮部です。ここからは馬車一台、馬、武士の俑、それに青銅製兵器が出土されています。

大清真寺

現在西安には6万人の回民族イスラム教の教徒がおり、この民族の人口は西安における40の少数民族のトップを占めます。したがって、西安にはイスラム教徒の宗教活動の場所である寺院―モスクがたくさんあります。清真大寺は鐘楼の西側の鼓楼のすぐそばにある化覚巷にあり、西安に住むイスラム教徒の宗教活動の中心です。寺の中に保存されている石碑の記載によれば、この寺は唐の742年の建立ですが、明代の1384年に大修理を行われました。

寺院は楼、台、亭、堂の四つの部分に分かれ、敷地は一万二千平方㍍、建築面積はやく四千平方㍍、ほぼ完全な建築群で構成されています。壮観なドームや尖塔、モザイクなどを特徴とするアラブ式のイスラム寺院とは異なり、清真大寺の造りいぇ装飾は伝統的な中国式です。その特徴は塗装された梁や柱の彫刻を持つ中国特有の楼に色濃く見られます。

前院には高さ9mの瑠璃屋根、異角飛縁な木牌坊があります。第二院には石碑が一ヶ所あり、石碑には明代、清代この寺を修復したことが記載されています。第三院の中央に省心楼という建物があります。ここは礼拝の時、回教の僧侶が白い帽子を振って、人々を召集する場所です。第四院は礼拝大殿とも呼ばれており、信者は毎日5回、ここで西に向かって礼拝します。礼拝の前にシャワを浴びる習慣があります。大殿の面積は1300平方㍍、1回千人以上の礼拝式ができます。礼拝殿の周囲の壁はイスラム教の伝統的な装飾芸術を採用して、唐草模様の間にアラビア文字がたくさん刻んでいます。この寺は全て中国のイスラム教の伝統的な様式によって作られたもので、その特徴で楼、台、亭、堂四書類を形成しています。また、寺の建物は全部対称しています。

人々の生活習慣と風俗などが民族によって異なることはいうまでもありませんが、特にイスラム教の寺院では男女が同席せず、タバコも禁止されています。

ムスリムは豚肉もお酒も口にせず、彼らが食べる肉は主に羊肉と牛肉です。

結婚式は午後、新婦を迎え、翌日の朝に行います。聖典コーランを読む、メッカに生涯を誓います。女性は他の民族と結婚しませんが、男性は異民族と結婚できるという習慣があります。

葬式の時も読経します。棺は使わず、28mの木綿の織物で遺体を包んで埋葬します。

回民族の朋装は漢民族と変わりませんが、年配で回族意識の高い男性は白いフチのない帽子をかぶる習慣があります。

碑林博物館

碑林博物館は、西安の南城壁のすぐそばにある孔子廟遺跡の場所に建てられていて、その敷地面積は3万平方㍍、「西安碑林」と「石刻芸術」と二つの部分からなっています。

皆さん、ご存じのように中国の正門は一般に南に向いていますが、碑林博物館はの正門だけは東に向いているのはなぜでしょう。それは孔子廟には必ず西と東の門があり、これを「礼門義路」と言って、いわば「礼儀の門」という意味があります。

さて、まず、正門に入りますと城壁と向かい合って「孔廟」の大きいな文字が見えてきます。それから、目の前に鳥居型の門が見えますが、これは「牌楼」ともいい。功労があった人の徳をたたえるために建てられたものです。更に、もう一つの門をくぐると中央に小さい道があり、その両側に馬をつなぐ「杭」があります。これは明、清時代からのものと言われ、これらの杭は、昔、この地方の大金持ちや官僚の邸宅の門にあったもので、訪れた実の馬をつなぎとめるものでした。なお、石柱の頭部には、邪悪を鎮め、縁起の良い動物や人物のデザインがほどこされております。もうちょっど足を進めますと、東西の方向に亭が見えてきます。東の亭には、大きいな種が置かれていますが、この鐘は711年、唐時代の景雲2年に造られたもので、「景雲鐘」と呼ばれています。この「景雲鐘」は銅で鋳造され、重さ6トンもあり、表明に凸凹の乳首のようなものがついていますがこれは鐘の韻律を調整するもので、種に音色はまるで鳳凰の鳴き声のようとも言われています。

西安碑林、総数が2千基にのぼる「碑林」は文字通り石碑は林のように立ちならんでいるところからこのように名づけられました。碑林は歴史的にも芸術的にも価値が高く、中国最大の「石の書庫」とも言われています。ここで展示されているのは漢時代から唐、明、清時代にかけてのものまで、ここで注目されますのは、特唐代の有名な書道家が書いた書道作品です。

皆さん、目の前に「碑林」の文字が見えてきましたね。これは中国の民族英雂、林則徐が書いたものです。ここに碑林の最大の石碑であります「石台孝経」が展示されていますが、「孝経」とは、孔子の弟子曾参が編集した親孝行について書かれた本ですが、この石碑には「孝経」の内容だけでなく、唐の玄宗李隆基が書いた解説、序なども刻まれています。なお、石碑は高さ約6m、頭部、碑文、台座の三つの部分からなり、台座は三層で、その上の石碑は四つの石からなっています。頭部には生き生きとした蔓草や縁起の良い動物の線刻が刻まれていますので、ご注目ください。

第一陳列室 ここに展示されているのは「開成石経」です。114の石碑の両面に儒学の経典13経に全文が刻まれています。「開成石経」は唐の文宗の開成2年に立てられましたが、その石碑も戦争や自然災害によって大きいな被害を受け、40余りの石碑のうち、壊れた部分に文字を今度は前より小さい石碑に刻まみこみ、1588年には「開成石経」の傍に置くようになりました。いずれにしましても、これらは我が国でただ一つの完全に保存されている石刻経典といえます。

第二陳列室

この陳列室には、唐代の有名な書道家がかいた石碑で、後世の書法の手本となったものばかりが展示されております。初唐の欧陽詢が書いた「皇帝誕碑」、その息子の欧陽通の「道因法師碑」、顔真卿の書「多宝塔碑」と「顔氏家廟碑」、それから、晩唐の柳公権の作品「玄秘塔碑」などがあります。「大唐三蔵聖教序碑」は長安の弘福寺の和尚懐仁が王義之の書を集めて作ったといわれる「千金帖」です。また、ここには、大書道家の大作のほかに、古代ローマからキリスト教が伝来したことを伝える「大秦景教流行中国碑」はよく知られています。碑文は、中国とシリア両国の文字で書いてあり、唐王朝と外国との交流を研究するうえでも、貴重な資料となるものです。

第三陳列室

ここで篆書、隷書、楷書、行書、草書の書体で刻まれた石碑が展示され、中国文字の変遷を理解するには格好の場となっております。碑林の石碑の中で、最も古いものは「漢曹全碑」です。これは後漢の曹全が隷書で書いたものです。また、「千金文」は昔から児童の啓蒙書となってきました。

石刻芸術陳列室

1963年に建てられた石刻陳列室は、陝西省各地に散在していた前漢時代から唐代までの墓石と宗教的な石刻作品70点余りと集められ、陳列室には石棺、仏像、石刻の動物などの貴重なものが展示され、中には、丸彫り、浮彫、線彫りなどの石刻があります。なお、「牛耕図」は後漢時代の画像石の代表なものです。そして、唐の太宗李世民の愛馬を浮彫した「昭陵六駿」は唐代石刻芸術の代表的な作品として評価が高いです。

陝西歴史博物館

陝西省歴史博物館は古都西安にふさわしく、唐代の様式を取り入れた堂々たる建物の国立博物館です。西安の南に位置しており、敷地面積7万㎡です。所蔵する文化財は11万3千あまり、陝西省から出土した周、秦、漢、唐時代からの文化遺産です。展示されているのは、その中から選ばれたきわめて稀なものばかりで、約3,000点余りです。すべてのものが一品ぞろいです。展示室の面積は1100平方㍍、建物は代表的な唐代の宮殿様式で、『中央は殿堂、四隅は高楼』という伝統的な構造になっております。

展示品 館内に入って、まず目につくのは、大きな石に獅子ですが、これは則天武后の母親の墓 順陵の獅子に模造品です。

第一展示室は、約115万年前の旧石器時代、藍田猿人から始まっています。ここに展示されているのは、旧石器時代や新石器時代の代表的な文物で、先史時代の人々の生活ぶりを現しています。

現在、確認されている最も古い王朝は殷です。殷代には占いため亀甲と獣骨に刻まれ文字があります。これを甲骨文字といい、漢字の最も古い形になっています。周の時代、特に青銅器の製造と使用が盛んで、青銅器が精巧なものになっていた時代なので、「青銅器時代」をされています。青銅器は銅と錫と合金で、色が青黒いため「青銅器」と呼ばれるようになれました。博物館に展示されている青銅器は、祭礼の楽器、生産、生活用具、实戦兵器などがあります。デザインの美しさ、銘文内容の重要さなど、世界美術史上も貴重なものです。

この展示室では秦の足跡を展示しています。展示品の中には都咸陽の宮殿遺跡か発掘した瓦、煉瓦、土管などが並んでいます。始皇帝の事業の一つ、通貨の統一をあげることができるが、当時の貨幣関係の資料も展示されています。漢代の都、長安城は、中国の歴史における初めての国際的大都会で、当時、ローマ帝国より2倍ぐらい広かったと言われます。当時の冶金、製鉄技術では、既に石炭による送風式溶鉱炉を使用していました。農機具だけでなく、兵器や日用品なども大量に鋳造、生産していたのです。紙の発明はかなり古く、西安覇橋の漢墓などからも、植物繊維で造った紙が発見されていますが、さらに良質の紙が造られたのは105年の蔡倫の発明からです。ここに展示されている、1965年咸陽市の東約25キロの陽家湾で発見された彩絵陶俑群で、計2500個以上が出土しました。絢爛たる文化の華咲く唐代で、注目していただきたいのは壁画です。陵墓から運ぶ出された唐代の巨大な彩色壁画の展示が来館者を圧倒します。例えば則天武后の孫娘永泰公主の墓から出土した「侍女図」という壁画の女性を見ると胸元を緩やかに広げ、いわゆる詰襟の中国副の硬さがありません、足元を纏足ではなく大きな沓を履いています。いかにも自由闊達と見える、これらの女性たちが馬に乗るも横座りでなく、跨って大路を駆け抜け、闊歩したとも伝えられています。隋 唐展示室では金銀の器具、唐三彩、磁器、瑠璃器具など当時の繁栄を偲ばせるものがずらりと並んでいます。唐三彩は西安、洛陽一帯に分布していますが、出土数が大変少なく、大変珍しいものです。陳列室されている馬、駱駝、宮女、宦官、各種生活用品など、題材の豊富です。葬式の行列に使う冥器などでも、工芸水準は大変高いものです。

黄帝陵

黄帝陵は中華民族の始祖黄帝軒轅氏のお墓です。陝西省の延安市黄陵県の橋山の上に位置しております。「天下第一陵」と言われています。橋山、海抜980メートルです。ここは歴代帝王と有名人たちが祭るところです。

黄帝は原始時代の優秀な部落首領です。土の徳を尊ぶ(とうとぶ)、土の色は金色ので、黄帝を呼ばれるようになりました。黄帝は天下を統一して、天下共主と言われいています。後人は自分を「炎黄子孫」また「華夏子女」と呼びます。黄帝は伝説的な人物ですが、後世に「人文始祖」と称えております。

ここは軒轅広場です。黄帝陵を祭りの出発点です。軒轅広場は5000枚秦嶺天然河の玉石で敷き詰めてきて、中華民族の5000年の悠久の歴史を代表しています。目の前の池は「印池」と呼ばれて、伝説によりますと黄帝が筆を洗いところです。今、私たちが通ったこの橋は「軒轅橋」を呼ばれて、印池を横断して、全長66メートル、幅が8.5メートルで、全部花崗岩(かこうがん)で造りして、中国近代全石材第一橋と知られています。北端に95段階の石段があります。九五の尊の崇高(すこう)な地位を代表しています。

軒轅橋を突っ切ると軒轅廟です。軒轅廟は唐の代宗に建てられ、敷地面積約6666平方㍍、入りますと、左にコノテガシワがあって、高さ約19メートル、世界コノテガシワの父と言われて、遡ること、4700年もあります。

人文初祖大殿は正殿で、全廟の本館です。中には黄帝の浮彫全身の彫像があります。神棚の周囲は四つの縁起のよい動物の図案が刻まれています。左は蒼龍、右は白虎、上は朱雀、下は玄武です。

黄帝陵区は約4平方㍍、四隅は山と水、樹木が茂っています。頂上に登って、まず、石碑が見えてきて、「文武百官ここに馬をおお降りください。」が刻まれています。黄帝陵は山頂の真ん中に位置しており、南に向いて、高さ4メートル、周長約50メートルです。陵の前に「漢武仙台」が刻まれていた石碑があります。これは漢武帝が造たものです。

崋山

陝西省の華陰県にあって、西岳とも言われています。中国五岳の一つで、崋山主峰海抜2160メートルで、北は黄河を俯瞰し、南は秦嶺に連なります。崋山は「天下第一険」と言われ、雂大さと険しさで古くから中国五山の一つとして広く知られています。

東峰は崋山の奇峰の一つで、峰頂に美しい景色や「日の出」を見ることができる朝陽台があるので朝陽峰とも言われています。北峰は「雲台峰」をも呼ばれて、海抜1500メートルで、四方は断崖絶壁で、ただ1本しか山道が南側の連峰に通じていません。映画「智取崋山」はここから取材したものです、それは筆のように屹立して、千刃の断崖をなし、頂上から俯瞰すると秦川がぼうぼうと流れ、その間に渭水と洛水が龍のように曲がります。頂上には劈山救母石があり、聞くところによると中国有名な神話「宝蓮燈」の中の沈香が山を切り開いて、母親を救った物語はここで発生したと言い伝えられています。南峰はすなわち「落雁峰」崋山の主峰で海抜2083メートルもあります。崋山の最も険しい峰で、峰には深緑の松とコノケガシワ、林がうっそうとしています。東に雲を突いて架設した長空桟道があります。中峰は玉女峰をも呼ばれ、東、南、西峰に通じる要路です。

崋山は険しさが特色で「険」という文字があちこちにあります。山に至るところに断崖絶壁があり、山道は険しく景色も美しいのです。山道に沿って、玉泉院から蒼龍嶺まで多くの景勝地を見ることができます。

崋山の麓から青珂坪までの道中は風景が静寂で、谷間が鮮やかな緑色に染められて、鳥がさえずり、花が香り、泉が流れて、人々の心をゆったりとさせます。青珂坪の東からこそは本当の登山になります。ここに「回心石」の文字が刻まれた大きな石があります。これから先が崋山の危険なところです。この文字を見て体力の無いもの、肝っ玉の小さいものは引き返します。回心石を過ぎると崋山の咽喉、「千尺棟」に着きます。ここは険しい崖の小道両で、370段に石段があり、両側にあるロープを掴んで一歩ずつ登らなければなりません。「千尺棟」の幅はとても狭く、下を見ると深い井戸です。更に進むと、もっと険しい「百尺峡」に突き当たり、その後、仙人橋を通り、一段と険しい「老君梨溝」に至ります。ここは海抜1500メートル、史方は断崖絶壁で、570段の石段があり、その突き当たりは「狐孫愁」というところで、文字通り、猿でさえ困惑していて、断崖絶壁がどんなに険しいが想像できます。「狐孫愁」を過ぎると崋山の北峰に到着します。

見送り

皆さん、いよいよ西安を離れる時間が迫ってきました。もう一度身の回りをチックしてください。今から、空港へ向かいますので。

この3日間行き届かない点が多くて、ご迷惑をかけたかと思います、3日間の観光はあっという間に過ぎました。本当にお名残惜しいです。

私は皆様のお供をさせていただき、大変楽しく、いろいろと勉強させていただきした。こうして無事に快適な旅行ができましたのも、皆様のご協力のおかげです。この次、お出でになる時もぜひ私どもの旅行社をご利用ください。それまでに、私ももっと日本語を勉強しておきますので、また、ご案内させていただければ有りがたいと思います。

皆様、ここでお別れです。どうぞお元気で、さようなら。

第三篇:上海的日语导游词

上海市は、6341km2の面积に约1400万人の人々が住む中国最大の国际都市。日本を含む外国列强の租界地として発展してきた。租界地としての古さと、近年の経済発展による新しさが、浑然一体となって成立している特异な都市だ。

上海の歴史は700年と浅い。第2次世界大戦前は、欧米列强と日本の秘密情报员が暗跃し、占领地をめぐる駆け引きが缲り広げられ、アジアで最も魅力的かつ危険な魔都として名をはせた。1949年の中华人民共和国建国以降は、中国経済复兴の牵引车となり、1980年代以降は改革开放政策のなかで急激にその地位を高めた。

バンド

中山东路の黄浦江沿いはバンド(外滩)と呼ばれる上海一の観光地。ここは戦前、欧米の共同租界地だった所で、欧风の高层建筑物が通りに沿って并んでいる。19:00からはライトアップされ幻想的な雰囲気になる。朝は太极拳をする市民、昼は観光客、夜はデートの若者でにぎわう。

住所: 上海市中山东二路153号、219-239号

交通アクセス: 地下鉄2号线「河南中路站」下车。南京东路を黄浦江に向かって徒歩约10分

営业时间: 24时间

所要时间: 1时间

▲ バンドでは川沿いを散策しよう

豫园

1577年に明代の名匠・张南阳が造った江南を代表する名园。园内には回廊や龙壁に仕切られた庭园や楼阁がたくさんあり、见る位置や角度でいろんな景色を楽しめるように工夫されている。周辺には古い民家がたくさん残っていて、昔ながらの雰囲気を今に伝えている。住所: 上海市安仁街132号

交通アクセス: 市バス902路「豫园站」下车すぐ。地下鉄1号线「黄陂南路站」下车。河南南路方面に向かって徒歩约15分

电话:(021)63283251

営业时间: 8:30~17:00、冬期は8:30~16:45

所要时间: 1时间

定休日: なし

クレジットカード: 不可

予算: 30元

▲ 庭园は建物の赤、庭石の白、植木の绿で构成されている

玉仏寺

1882年创建の禅宗寺院。敷地中央に位置する大雄宝殿には金色に辉く三尊仏が安置されていて、地元の人々の信仰を集めている。寺名の由来となっている玉仏は般若丈室2阶の玉仏楼にある。境内には本格的な精进料理店もある。

住所: 上海市安远路170号

交通アクセス: 市バス13、19路「安远路站」下车

电话:(021)62663668

営业时间: 8:00~17:00(入场は16:30まで)

所要时间: 30分

定休日: なし

クレジットカード: 不可

予算: 10元(玉仏楼は别途5元が必要)

▲ 三尊仏は辉くばかりに美しい

东方明珠塔

アジア最大のテレビ塔。263mと350mの所に展望室があり、上海市内を一望できる。一帯は浦东新区と呼ばれ、上海で一番ホットなエリア。最新流行のレストランやショップがたくさんあり、高层ビルの外资系ホテルも多い。

住所: 上海市豊和路504弄2号

交通アクセス: 地下鉄2号线「陆家嘴站」下车すぐ。「黄浦観光隧道」(片道30元)もある

电话:(021)58791888

営业时间: 8:30~21:30

所要时间: 30分

定休日: なし

クレジットカード: 不可

予算: 50元(下の展望室)、100元(上の展望室、上海歴史博物馆の入场料も含む)

▲ 东方明珠塔の周囲には高层ビルが密集している

龙华寺

242年に呉の孙権によって创建された古刹。院内の仏殿は「五进殿堂式」といい、南から弥勒殿、天皇殿、大雄宝殿、三圣殿、方丈室が南北に并んでいる。大雄宝殿の东西にある钟楼の大铜钟は高さ2m、重さ65トンもある。龙华塔は南侧に少し倾いて建っている。

住所: 上海市竜华路2853号

交通アクセス: 地下鉄3号线(明珠线)「龙漕路站」下车。龙水北路を徒歩约5分

电话:(021)64576327

営业时间: 7:00~17:00(入场は16:30まで)

所要时间: 30分

定休日: なし

クレジットカード: 不可

予算: 5元

▲ どの拝殿でも热心にお祈りしている

鲁迅公园

戦前日本人がたくさん住んでいた虹口エリアにある公园。园内には文豪・鲁迅の墓である「鲁迅墓」があり、鲁迅の铜像が建っている。园内东部には「鲁迅纪念馆」があり、鲁迅の上海滞在时代の遗品が展示されている。近くには鲁迅が死去するまで住んだ「鲁迅故居」もある。住所: 上海市四川北路2288号

交通アクセス: 地下鉄3号线(明珠线)「虹口足球场站」下车すぐ电话:(021)65400009

営业时间: 6:00~18:30(入场は17:00まで)

所要时间: 1时间

定休日: なし

クレジットカード: 不可

予算: 2元

▲ 园内の専用スペースで麻雀を楽しむ老人たち

上海博物馆

1996年にオープンした総合博物馆。総床面积は3万8000m2もあり、中国でも最大级の规模を夸る。中国古代青铜器馆、中国古代雕塑馆、中国歴代陶磁馆、中国歴代絵画馆、中国歴代书法馆、中国古代玉器馆、中国明清家具馆、中国少数民族工芸馆などがある。

住所: 上海市人民大道201号

交通アクセス: 地下鉄1、2号线「人民広场站」下车。西蔵北路を南へ约5分歩いた右侧

电话:(021)63723500

営业时间: 月~金9:00~17:

は闭馆30分前まで)

所要时间: 2时间

定休日: なし

クレジットカード: 不可

予算: 20元(学生は5元)、土~20:、日~17:(入场000000

第四篇:上海迪士尼乐园景点导游词

上海迪士尼乐园景点导游词

作为一名优秀的旅游从业人员,通常会被要求编写导游词,导游词具有形象、生动、具有感染力的特点。怎样写导游词才更能起到其作用呢?下面是小编为大家整理的上海迪士尼乐园景点导游词,欢迎阅读与收藏。

上海迪士尼乐园景点导游词1

梦幻世界

受迪士尼动画电影启发而设计的“梦幻世界”是上海迪士尼乐园中最大的主题园区,宏伟壮丽的“奇幻童话城堡”便坐落其中。可以在城堡上俯瞰童话村庄和神奇森林,也可以在各类精彩有趣的景点中沉浸于倍受喜爱的迪士尼故事。“梦幻世界”中的每个角落都将深深地吸引各年龄层的家庭成员。

在这个童话仙境中,游客将乘坐“晶彩奇航”经历熟悉的迪士尼故事。这一奇幻的游览体验也将成为上海迪士尼乐园又一全球首发游乐项目。无论是年轻人还是拥有年轻心态的游客都将沉浸于这个永恒的园区中,在这里见证童话的诞生和长存。游客将乘着“七个小矮人矿山车”在闪耀着宝石光芒的矿洞隧道中穿梭,畅游在“小飞侠天空奇遇”里俯瞰伦敦,探索“百亩森林”,和爱丽丝一起漫游华丽的“仙境迷宫”。

晶彩奇航

“晶彩奇航”将从水上穿越和游览“梦幻世界”。欢快的喷泉和雕塑在水边林立,庆颂神奇和幻想洋溢的经典故事,激发游客的美梦和想象力。在旅程的终点,驶入隐藏在“奇幻童话城堡”下的岩洞中,伴随着摇曳的灯光和池水沉浸在神奇的音乐和色彩中。

七个小矮人矿山车

取材于迪士尼经典动画电影《白雪公主和七个小矮人》,“七个小矮人矿山车”是适合全家人一起乘坐的过山车项目。乘坐矿车穿过蜿蜒连绵的山脉、经过池塘瀑布、在离开宝石矿之后,最后来到七个小矮人的小屋。每辆矿车都安装有支架状枢轴,可在更换轨道时来回摆动。在这里,会欣赏到迪士尼经典影片的音乐和动画人物表演,还会遇到乐于助人的森林小动物们。

旋转疯蜜罐

在“百亩森林”中,“旋转疯蜜罐”是一处阖家同乐的景点,游客将坐进旋转疯蜜罐内体验这个因维尼最爱的食物而得名的游乐项目。维尼喜欢以自己的方式在装满蜂蜜的陶罐上标注“疯蜜”。在捆扎着蜂巢的篷顶下,热情的蜜蜂们在身边哼唱着维尼之歌。通过转动蜜罐中心的方向盘,自由地控制蜜罐的旋转速度。蜜罐上的各处细节,包括双语标签都用心设计。远远看去,每只蜜罐都像装满鲜美欲滴的蜂蜜一样。

爱丽丝梦游仙境迷宫

专为上海迪士尼乐园设计的“爱丽丝梦游仙境迷宫”是全球迪士尼乐园中第一个以蒂姆·波顿的真人电影《爱丽丝梦游仙境》为主题的景点。游客在前往疯狂帽子茶会派对时,可以选择自己的道路通过仙境的异想世界。一路上,游客们会遇到妙妙猫、白兔以及电影中人物的雕塑,包括专横的红心皇后。在绿篱、石墙、巨花和奇幻雕塑组成的迷宫内,一场全家出动的冒险将带来无穷的乐趣。

小飞侠天空奇遇

搭乘“小飞侠天空奇遇”的“飞”船,游客将翱翔在伦敦上空,向着梦幻岛出发。在小飞侠的带领下,游客将经历一系列刺激的冒险,对抗虎克船长和他的'海盗船员,体验前所未有的翱翔,同时感受小男孩放飞想象力的勇气。这个经典景点在上海迪士尼乐园得到全新升级,新的迪士尼神奇体验将“飞船”与场景靠得更近,将被仙尘包围,并面对面邂逅迪士尼的经典角色。

冰雪奇缘:欢唱盛会

在“林间剧场”,观众们将跟随着《冰雪奇缘》中的朋友们和阿伦黛尔的村民们一同分享故事,欢声歌唱,感受充满欢乐的冰雪互动表演。两位来自阿伦黛尔的节庆导游将主持庆典并介绍音乐剧的每位成员。闻名遐迩的艾莎、安娜和克里斯托夫将加入这场盛会,欢迎各年龄层的游客跟随心爱的《冰雪奇缘》音乐一起欢唱。

老藤树食栈

“老藤树食栈”坐落在梦幻世界的森林中,其设计灵感来自于迪士尼动画《魔发奇缘》中的小鸭酒馆。盘根错节的巨型树根仿佛将“老藤树食栈”深埋在时光里,丰富的细节设计将重现电影中的小酒馆喧嚣吵闹的环境。将在这郁郁葱葱的林地中享受丰盛的一餐。

皮诺丘乡村厨房

“皮诺丘乡村厨房”带领游客走进迷人的迪士尼童话——《木偶奇遇记》。这里提供品种丰富多元的美食,无论是匹萨、西式面点还是亚洲米饭,都能在这里找到,在享用美食的同时。

迪士尼度假区全球首发亮点

·奇幻首航:“晶彩奇航”将是一趟迷人的全新旅程,首次带领游客驶入迪士尼城堡的地下。在“奇幻童话城堡”下的航行将为游客呈现一个全新的故事和一个神奇的世界。

·新的驾乘系统:全新开发的悬挂式过山车系统将首次在上海迪士尼乐园中的“小飞侠天空奇遇”使用,大大提升飞行体验。这项新魔法使飞船可变速并近距离接近每个场景,让故事氛围更加逼真。

上海迪士尼乐园景点导游词2

大家好,我是一名小导游。大家一定听说过迪斯尼吧!我今天就带大家去迪斯尼乐园游玩吧!

迪斯尼是个非常大的游乐园,一进大门,看到的是一条很宽敞的路。这条路10辆汽车也能同时经过。走过了大路,我们就来到了5座雕像的面前,请大家抬头看,这是米老鼠,排队买票要等一段时间。好了,我们现在来到了迪斯尼乐园里面,你们看,那是筒车,那是过山车,那是泡泡球……迪斯尼还有一个故事:迪斯尼本事一个人名,他的原名是沃尔特?迪斯尼,他的出名是受到一只老鼠的启发,才有了今天的成就。

好了,剩下的时间请大家自由观赏,一定要注意安全,要环保,还要记住集合的时间。祝你们玩得开心。

上海迪士尼乐园景点导游词3

米奇大街

“米奇大街”是奇思妙想的发源地,这个街区布满了各式各样的商店和餐馆。从步入这里起将感受到上海迪士尼乐园欢快的氛围,远离尘嚣进入各个充满探险、梦幻和未来感的主题园区。

“米奇大街”有许多美丽的马赛克拼瓷,下面这幅米奇与唐老鸭马赛克拼瓷便是其中之一,描绘了四季中的迪士尼明星。

大钟塔

在上海迪士尼乐园的入口处有一座大钟塔,其灵感来源于经典的米奇腕表设计。巨大的编排表示着乐园的中英文名字,并充满中式设计的元素和色彩。

M大街购物廊

“M大街购物廊”座落于“米奇大街”上,将为游客提供主题乐园内最丰富的礼品和纪念品选择,包括一系列精选服装、配饰、礼品、家饰品和首饰。这顶绣着中文“米奇”的经典款米奇大耳帽就是特别设计的迪士尼商品之一。

米奇好伙伴美味集市

“米奇好伙伴美味集市”是一间柜台点餐式餐厅。游客在享用中西式美食的同时,还能观赏到邻近的花园、“幻想曲旋转木马”和“奇幻童话城堡”的美景。

小米大厨烘焙坊

“小米大厨烘焙坊”是以《美食总动员》中的角色小米为原型的法式烘焙坊,提供各式面包、糕点和松饼,还有餐厅厨房制作的新鲜甜点。木制百叶窗、花箱、露天座椅和以法式咖啡馆为灵感的装饰画,令烘焙坊别具特色。

甜心糖果

“甜心糖果”代表着米妮童年的家。采用安妮女王式风格设计的糖果店是为了庆贺迪士尼第一对情侣—米奇和米妮。会在店内看到讲述这对情侣恋爱故事的壁画和甜蜜场景。店内布满了鲜花、爱心、以及灵感来自米妮经典的红白相间波点裙等的设计元素。

首次向原创米奇致敬

“蒸汽船米奇喷泉”将在上海迪士尼乐园首次亮相,这是向华特·迪士尼先生于1928年创作的动画致敬,该动画首度将米奇介绍给全世界。“蒸汽船米奇喷泉”运用了比华特早期原版动画更为现代的米奇造型,并赋予了其时尚风格。

第五篇:上海著名的景点导游词

上海地处太平洋西岸,亚洲大陆东岸,长江三角洲前缘,中国南北弧形海岸线中部,位于长江三角洲冲积平原。下面由小编来给大家分享上海著名的景点导游词,欢迎大家参阅。

上海著名的景点导游词1

南京路和淮海路是上海最繁华的街区,素有“中华商业第一街”之誉,东起外滩,西至静安寺与延安西路交汇,全长5.5公里,两侧商厦鳞次栉比,云集着约600多家商店。西藏路以东称南京东路(原称花园弄,1865年改名为南京路),以西称南京西路(从前称静安寺路)。

1840年鸦片战争以后,上海被迫辟为通商口岸,后成为帝国主义公共租界。二三十年代,南京路既是帝国主义者耀武扬威的“十里洋场”,又是一条富有革命传统的马路,著名的“五卅惨案”就发生在南京路上。

近年来南京路发生了巨变,新的商厦群体及宾馆拔地而起,大型商厦与百年老店、名店、特色商店交错林立,互为衬托。老介福商厦、电器商城、曼克顿广场、海伦宾馆、丝绸商厦、新世界商城、华联商厦、一百商厦、广电大厦、轻工大厦、上海商城、锦沧文华大酒店等现代化的大型、高层建筑使南京路更加雄伟、繁荣,据统计,南京路每天客流量在170万人次以上,连续多年蝉联全国零售商业企业前三名的上海第一百货商店、上海华联商厦、上海新世界商城都在南京路。

南京路商厦群内名品荟萃、琳琅满目。各地的名、特、优、新产品,以及进口的名牌商品,不下数十万种。几家老字号特色商店的商品,尤为名声卓著。

南京路的夜景分外迷人。火树银花不夜天,霓虹灯一条街是上海的一大景观。许多海外游客称赞说:这里的灯彩不亚于东京、香港、曼谷等任何一个闹市地段。

上海著名的景点导游词2

欢迎大家来到上海,为大家介绍上海东方明珠。

东方明珠广播电视塔坐落于黄浦江畔浦东陆家嘴嘴尖上,与外滩的万国建筑博览群隔江相望。塔高468米,位居亚洲第一、世界第三的高塔和左右两侧的南浦大桥、杨浦大桥一起,形成双龙戏珠之势,成为上海改革开放的象征。

东方明珠广播电视塔的设计者富于幻想地将十一个大小不一、高低错落的球体从蔚蓝的空中串联到如茵的绿色草地上,两个巨大球体宛如两颗红宝石,晶莹夺目,与塔下新落成的世界一流的上海国际会议中心(1999财富论坛上海年会主会场)的两个地球球体,构成了充满“大珠小珠落玉盘”诗情画意的壮美景观。

东方明珠广播电视塔由三根直径为9米的擎天立柱、太空舱、上球体、下球体、五个小球、塔座和广场组成。可载50人的双层电梯和每秒7米的高速电梯为目前国内所仅有。立体照明系统绚丽多彩、美不胜收。光彩夺目的上球体观光层直径45米,高263米,是鸟瞰大上海的最佳场所。当风和日丽时,举目远望,佘山、崇明岛都隐约可见,令人心旷神怡。上球体另有设在267米的旋转餐厅(每小时转一圈)、DISCO舞厅、钢琴酒吧和设在271米的20间KTV包房向游客开放。

高耸入云的太空舱建在350米处,内有观光层、会议厅和咖啡座,典雅豪华、得天独厚。空中旅馆设在五个小球中,有20套客房,环境舒适、别有情趣。东方明珠万邦百货有限公司商场面积18000平方米,经营服装、工艺美术品、金银饰品、皮具、食品等,使游客在观光之余可享受到购物与美食的乐趣。

东方明珠科幻城位于塔底,有森林之旅、南极之旅、魔幻之旅、藏宝洞、迪尼剧场、欢乐广场、激光影院、动感影院、探险列车等项目,精彩刺激、老少咸宜。还有独一无二的“太空热气球”将您送上天空,尽览上海大都市美景,使您永生难忘。

东方明珠塔内的上海历史博物馆,是专门介绍上海近百年来发展史的史志性博物馆。通过珍贵的文物、文献、档案、图片,以先进的影视和音响设备,形象生动地反映近代上海城市发展的历史。馆内陈列分国中之国的租界、旧上海市政建设和街景、近代城市经济、近代文化、都市生活、政治风云等六大部分,全面地展示了上海在政治、经济、文化、社会、生活等各方面的深刻变化。是一个形象生动的人文景点。

上海著名的景点导游词3

金茂大厦位于上海浦东新区陆家嘴金融贸易区黄金地段,与著名的外滩风景区隔江相望。金茂大厦由中国金茂(集团)股份有限公司投资建造并经营管理,美国芝加哥SOM建筑事务所设计。金茂大厦总高度为420.5米,是目前世界第四、中国第二高楼,占地面积2.3万平方米,地上88层,地下3层,裙房6层,总建筑面积29平方米。

大厦里有办公楼、金茂君悦大酒店、观光厅等等。金茂大厦既有现代气派,又有民族风格,堪称上海迈向21世纪的一座标志性建筑。全国首批4A旅游景点――金茂大厦88层观光厅,高度340.1米,建筑面积1520平方米,是目前中国内地最高最大的观光厅,为申城备受推崇的旅游热点。

两台每秒运行9.1米的超高速垂直升降电梯,一次可乘载33位游客,只需45秒钟就可将游客从地下一层直送88层,令人感受到前所未有的速度体验。登临金茂之巅,极目远眺,鸟瞰上海日新月异的国际化大都市景观,俯揽长江口浑然天成的海天浩瀚,欣赏申城动人心弦的璀璨夜景,坐拥金茂举世无双的中庭奇境……金茂大厦88层观光厅,新世纪上海旅游观光的新亮点。

上海著名的景点导游词4

举世闻名的上海,是一个美丽而又繁华的城市,我早就听说,上海外滩的夜景格外迷人。于是,我慕名来到那儿,准备亲自体验一下黄浦江畔的异域风情。

太阳渐渐西沉,我们来到了黄浦江畔,天边美丽的晚霞映红了天空,也映红了我们的脸庞。

与此同时,外滩的游客也渐渐多了起来。在黄浦江畔,孩童们的欢笑声,与大人们的交谈声夹杂在一起,形成了一支错中复杂的交响曲。

可惜,天公不作美,远处渐渐下起了大雾,我心灰意冷,下了这么大的雾,这夜景是肯定是看不成了!可是,这天气也没有我想象的那么糟。

不一会儿,夜幕降临了,外滩周围的灯火都亮了起来,渐渐地,大雾散了。我环顾四周,啊!真是耳闻不如眼见,只见两旁的西方建筑别有韵味。常青树藤绕着墙壁,石径小路旁的无名小花与绿草都给外滩添加了几分典雅。

此刻,这里已是灯光四射,人山人海了,这令人着迷人的景色我从来没见过。我面对着灯火辉煌的浦东新区,在那里,许多建筑,高耸入云。还有世界闻名的“东方明珠”电视塔,灯光闪耀,似乎在向人问好。在美丽繁华的南京路上,霓虹灯频频闪烁,沿途还有许多欧式建筑,他们被五颜六色的闪灯装扮的像童话中的宫殿一样,非常美丽。

我凝望着那波光粼粼的黄浦江江面,和那挂满彩灯的游船,感受着那温柔的江风,我不禁赞叹:

上海外滩的夜景可真美呀!

上海著名的景点导游词5

陆家嘴金融贸易区是中国上海主要的金融中心區之一,位于浦东新区黃浦江畔,与西岸的外灘金融创新试验区相对。东至罗山路,南至龙阳路,西、北濒临黄浦江。整個金融貿易區總面積共有31.78平方公里,其中陆家嘴中心区(东至浦东南路,南至东昌路,西、北濒临黄浦江),亦称小陆家嘴,面积达1.7平方公里[1],是全国唯一以金融、保险和证券及商贸为主要产业的国家级开发区。

1990年,中华人民共和国国务院宣布開發开放浦東,並在陆家嘴成立了全中國第一個國家級的金融開發區。陆家嘴也因此吸引了众多国内外的企业入驻。截至20_年9月底,区域内共有626家中外资金融机构、跨国公司地区总部71家。其中交通银行就将全国总部设立于此。上海银行与上海农商银行的总部也位于陆家嘴。同时,区内共有18家外资银行法人行[1],如匯豐銀行、花旗银行、渣打银行、东亚银行、星展银行等。上海證券交易所、上海期货交易所、中国金融期货交易所和中国大陆唯一的钻石进出_易所上海钻石交易所也都位于陆家嘴金融贸易区内。此外,国内第一所中美合作办学的国际化大学——上海纽约大学同样设立在陆家嘴,校址于20_年3月奠基。

陆家嘴也是一个高楼集聚区,有多幢上海市的地标建筑坐落于此,譬如目前上海最高的上海中心、上海环球金融中心、东方明珠广播电视塔和金茂大厦等。这里的高楼群与对岸外滩的历史建筑群形成了浦江两岸独特的风景线,也令陆家嘴成为了上海重要的游客聚集点。全長2.5公里滨江大道便是遙望對岸的外灘建築的著名景点。陆家嘴区内的旅游景点还有陆家嘴中心绿地与上海海洋水族馆等。

上海著名的景点导游词6

曾经的庙会和今天的繁荣:静安寺庙会起源于一年一度的浴佛节。于清光绪七年(1881年)开,终于1963年。每年农历四月初八浴佛节,商贾云集,游人如织。数十年来,庙会逐渐形成规模宏大的庙市,堪称静安区商业的渊源。随着城市建设的发展,寺院相继出租土地营造商业用房和里弄住宅,变幽静乡郊为商街闹市,十里洋场西端市口日趋繁荣。至20世纪30年代,静安寺商市已初具规模,今发展为上海重要商业中心之一。

静安寺是上海著名真言宗古刹,静安区即由静安寺而闻名。1999年寺庙进行了大规模的整修。寺内设有真言宗坛场和真言宗大德持松法师纪念堂,今尚存宋光宗题词的石碑和洪武二年的大钟等文物。每年阴历四月初八,这里都要举行3天的庙会,十分热闹。

相传寺初建于三国时东吴赤乌20_年(公元247年),南宋嘉定九年(公元1220_年)移至现址。元朝后屡经修建,终毁于太平天国,仅存大佛殿,至1920_年增建三圣殿。目前静安寺的两个侧殿已经修缮。

上海著名的景点导游词7

欢迎大家来到!我是你们的导游,我姓_,大家可以叫我小_。为了便于大家参观游玩,下面我首先大家介绍一下。

狭义上讲黄埔军校应是1920_年~1930年国民党在广东省广州市黄埔区长洲岛兴办的一所军校,当时校名:“中国国民党陆军军官学校”。广义上讲黄埔军校即是1920_年以后,国民党及中华民国政府兴办的各个军事学校。

黄埔军校,全名为中华民国陆军军官学校。是近代中国最著名的一所军事学校,培养了许多在抗日战争和国共内战中闻名的指挥官。第一次国共合作时期的一至六期,原址设于中国大陆广东省广州市黄埔区长洲岛(第六期有武汉分校),军校在1920_年由中国国民党创立,目的是为国民革命训练军官,是国民政府北伐战争统一中国的主要军力。黄埔军校于1920_年改制为中央陆军军官学校,1946年再改制为陆军军官学校,并于国民政府迁台时迁至台湾高雄凤山。

孙中山先生希望通过创建革命军,来挽救中国的危亡。孙中山在开学典礼上曾致词:我们开办这个学校,要用里面的学生做根本,成立革命军,诸位就是将来革命军的骨干,创立了革命军。我们的革命才能成功。

1924年,在国共两党首度携手合作、国民革命风起云涌之际,世纪伟人孙中山先生高瞻远瞩,视“教育为神圣事业,人才为立国大本”,在广州亲手创办了一文一武两所学堂——国立广东大学(今天的中山大学)和黄埔军校。黄埔军校建校时的正式名称为“中国国民党陆军军官学校”,因其校址设在广州东南的黄埔岛,史称黄埔军校。黄埔军校建立的目的是为国民革命军训练军官,尔后其学员成为国民政府北伐统一中国的主要军力。1946年行宪之后中国国民党名义上移交军队于国家后改称“中华民国陆军军官学校”至今。

黄埔军校是孙中山先生在中国共产党和苏联的积极支持和帮助下创办的,是第一次国共合作的产物。作为中国现代历史上第一所培养革命干部的新型军事政治学校,其影响之深远,作用之巨大,名声之显赫,都是始料所不及的。

黄埔军校建立以来,以孙中山的“创造革命军队,来挽救中国的危亡”为宗旨;以“亲爱精诚”为校训;以培养军事与政治人才,组成以黄埔学生为骨干的革命军,实行武装推翻帝国主义和封建军阀在中国的统治,完成国民大革命为目的。一方面积极进行孙中山革命的三民主义教育;一方面介绍马克思列宁主义的思想。军校采用军事与政治并重,理论与实践结合的教学方针,为中国革命培养了大批军事政治人才。广大黄埔师生在反帝反封建、争取国家统一与民族独立的斗争中立下了赫赫战功,为中国革命做出了重大贡献。

黄埔军校自1920_年6月在广州创办到1949年底迁往台湾高雄县凤山市,在大陆共办了二十三期,在台续办至今已七十八期,在大陆时期其毕业生包括各分校、训练班在内,计有41386人。名将辈出,战功显赫,扬威中外,影响深远,在中国近现代史上占有显赫地位。而昔日的黄埔军校旧址于1988年被中华人民共和国列为第三批全国重点文物保护单位。

今天我的讲解就到此结束了,下面是大家自由参观的时间,我们大概在30分钟后在门口集合,希望这次参观能给大家留下一个深刻的印象,预祝大家能玩的开心,谢谢!

上海著名的景点导游词8

欢迎大家来到上海枫泾古镇!我是你们的导游,我姓_,大家可以叫我小_。为了便于大家参观游玩,下面我首先大家介绍一下。

枫泾古镇是中国历史文化名镇,亦为新沪上八景之一,位于上海市西南方。历史上,它因地处吴越交汇之处,素有吴越名镇之称;如今,它与沪浙五区县交界,是上海通往西南各省的最重要的“西南门户”。枫泾为典型的江南水乡古镇。

古镇周围水网遍布,镇区内河道纵横,桥梁有52座之多,现存最古的为元代致和桥,据今有近720_年历史。镇区规模宏大,全镇有29处街、坊,84条巷、弄。至今仍完好保存的有和平街、生产街、北大街、友好街四处古建筑物,总面积达48750平方米(不包括其他街区保存的古建筑物),是上海地区现存规模较大保存完好的水乡古镇。素有“三步两座桥,一望十条港”之称,镇区多小圩,形似荷叶;境内林木荫翳,庐舍鳞次,清流急湍,且遍植荷花,清雅秀美,故又称“清风泾”,“枫溪明古镇’’,地跨吴越两界。

上海枫泾古镇是中国历史文化名镇,亦为新沪上八景之一,位于西南方。历史上,它因地处吴越交汇之处,素有吴越名镇之称;如今,它与沪浙五区县交界,是上海通往西南各省的最重要的“西南门户”。

属亚热带海洋性季风气候。主要气候特征是:春天温暖,夏天炎热,秋天凉爽,冬天阴冷,全年雨量适中,季节分配比较均匀。总的说来就是温和湿润,四季分明。

上海著名的景点导游词9

大观园位于上海市青浦淀山湖畔,距市中心65公里。大观园是按照《红楼梦》中的描述而建造的古典园林。有“怡红院”、“潇湘馆”、“大观楼”、“衡芜院”、“体仁沐德”、“稻香村”、“梨香院”、拢翠庵“、秋爽斋”“紫菱洲”、“沁芳桥”、“牡丹亭”、“曲径通幽”等10余组建筑景点。园内中部大观楼群组,建筑气势宏伟,是为元妃省亲所造,东是缀锦楼,西为含芳阁。大门内西侧为贾宝玉住的怡红院,是一座两路三进的院落。林黛玉住的潇湘馆在东侧的翠竹丛中。体仁沐德一组建筑是元妃省亲时更衣休息处。薛宝钗住的衡芜院是由藤萝山石和小楼组成的院落。此外,还有田园风光的稻香村、妙玉修行的拢翠庵等建筑群组。

人民广场广场前耸立一座高8米的牌楼,上悬“太虚幻境”匾。大观园正门前广场中的大型照壁宽18米,高6米,南面是花岗石雕《女娲补天》,北面是大理石雕《金陵十二钗》及警幻仙子、贾宝玉等14个人像。正门是五开间的门庭,中间有三道供出进,上悬“大观园”金字匾额,门前雄踞一对清乾隆年间的高2.5米的青石狮子。门庭内是朱红大门和梁柱,金色铜质门环,砖雕挂落,工艺精细。旁边还有两道边门,门上端有砖雕匾额,东边是“凝晖钟瑞”,西边是“万象争辉”。

拢翠庵位于园内西北部,建筑面积477平方米。通过茂密的竹林,掩映着土黄色的山门,门上刻“拢翠庵”。进内为石砌的放生池,中雕龙嘴滴水,钟楼、鼓楼建于两侧。院中心有一座3米多高的铜鼎,上部似六角玲珑宝塔,飞檐翘角,下部为浑圆凝重的鼎身,三只狮脚形鼎足雄踞于汉白玉基座上。正中殿匾名“普海慈航”,殿内供奉一尊2米多高铜观音座像,两侧有铜制善才、龙女相伴,背后是龙云火焰板。砖雕神台前的供桌上,陈列着雅致的瓷五供,原为清宫中躲物。后院是一片紫竹林,上筑方亭一只,匾名“听涛”。其后的观音壁用花岗石雕砌,壁上刻有“沧海横流”四字;壁前有汉白玉雕的观音像,像前是围以汉白玉栏杆的小荷花池。进西侧门过一处小庭院,经月洞门就是妙玉的禅房。这是一座三间不大的敞厅,陈设着明式红木家具,中间一张翘头条桌,上有一座精巧的佛龛,内供观音像。两侧一副对联,上书“安闲自观观安闲,如来如见见如来”。

上海著名的景点导游词10

豫园,历来被称为城市山林,它诞生于四个半世纪之前的明代中叶,说它是城市山林,因为它坐落在繁华喧嚣的上海城市中心,清代江苏巡抚陶澎在道光六年(1820_年)就为它题匾“城市山林”。豫园位于上海市中心城区黄浦区的上海老城厢东北部,北靠福佑路,东临安仁街,西南与豫园旅游商城、上海老城隍庙相连,占地面积2万余平方米(约30亩地),门牌号码编在安仁街218号。豫园名列现存的上海五大古典园林之首,其余是嘉定秋霞圃、嘉定古猗园、松江醉白池、青浦曲水园。豫园是上海市中心城区唯一的古典园林,也是上海市唯一被公布为全国重点文物保护单位的中国古典园林。1959年被公布为上海市文物保护单位,1982年被国务院公布为全国重点文物保护单位。中国古典园林是中华民族优秀传统文化的重要组成部分,豫园是上海地区最有代表性的中国古典园林,可谓上海名园之冠。

明清两代,江南经济繁荣、物产富庶,官宦豪富、文人雅士纷纷营造私人园林,一时江南建私家园林之风盛行,各城市名园荟集,中国江南私家园林的精品亦大多集中于这个时期。著名的有苏州的拙政园、留园、网师园;无锡的寄畅园;扬州的个园、何园;上海的豫园;杭州的郭庄、刘庄、蒋庄等,为此赢得“江南园林甲天下”、“上有天堂、下有苏杭”的胜誉。

豫园所处的上海老城厢,是当时的上海县县治所在地。明嘉靖三十二年(1553年)四月,倭寇自海上屡屡来犯上海,两个多月内五次焚烧掳掠,知县仓惶逃遁,镇海卫指挥、县丞、镇抚皆被杀害,县衙遭焚,闾里成墟,死者盈路,惨不忍睹。于是邑人上书:“贼自海入,乘潮劫掠,如取囊中物,皆由无城之故。”决意筑城御倭,官府采纳,全城上下出钱出力,不到两个月便筑城完竣,当时便有潘恩撰写《筑城记》。此后,军民固守城池,倭寇侵犯终不得逞。正因此,日后潘恩家才能太太平平地在城内建园。这座高二丈四尺,城围九里的明城墙在老城厢矗立了三百六十年,直到民国元年(1920_年)拆除,留下城西北大境关帝庙一小段(今人民路大境路口),至今犹存,1959年与豫园同时被公布为上海市文物保护单位。

潘恩,字子仁,是当时赫赫有名的上海人,《明史》有其列传,死后赠太子少保,谥“恭定”。潘恩嘉靖二年(1920_年)进士,官至刑部侍郎、刑部尚书、都察院左都御史,为官廉能正直,惩恶扬善,深得民心。他家中堂上对联“履富履贵履盛满,如履春冰;保身保家保令名,如保赤子”,则是他一生兢兢业业、洁身自好的写照。潘恩的家族是当时上海城里的名门望族,在老城厢梧桐巷、安仁里(现梧桐路、安仁街)一带居住,现梧桐路的明代建筑世春堂(今福佑路第一小学分部)是潘家仅存的旧居。

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