第一篇:日语读后感
一升の涙
今朝、図書室で<一リットルの涙>という本を読んでいました。いろいろな感想ができて、人生への考え方も変わりました。
この社会ではちょっとした悩んでることで命を諦める人が多いようですが、自分が世の中で生きていることはどれほど幸せなのか一度も考えていなかったです。健康な体が幸せで、この世界で生きていることは幸せでわないだろうか。ここまで考えていると、涙が瞳から流さないでいられなかったです。命の大切さの意味があなた達はわかっているでしょうか
彼女はこの病気にかかったにもかかわらず、自分の命を諦めませんでした。せめて僅か一日しか残っていても、大切にしていました。この病気は今でも癒すことができないです。しかも、この病気の恐ろしいところは体のバランスが崩れたり、呼吸が苦しくなったりしています。病状がさらに悪化すると、話すらできない場合もあります。結局、徐々にこの世から立ち去ります。こんな苦しい人生と戦うと、諦めた人が多いですが、気が強い亚さんが一度も諦めるなんて考えていなかったです。相変わらず、恐ろしい悪魔と戦って行きます。14から病気に絡まれいた亜がこのままに日々頑張っていきました。病状が悪化していっても、亜も諦めることなく日記をつけていました。どのように病気とかかっていたのかの全ての記憶を書き込みました。ずっと命の終わりまででした。将来、自分がどんな大学に合格できるのか、どんな仕事をするのか、結婚できるかどうか病気と戦っていた12年の中でずっと考えていたのです。しかし、神さんはそんなものを恵んでくれなかったです。12年の中で徐々に体が衰えていっても、どうにもならなかったです。この12年の苦しみが見られたら、胸が立たれない人がいないのではないだろうか。亜さんのような粘り強い精神を感心しなかったですか。できる人がいないだろう。
亜さんはかつて生きて生きたいけど、生きられないと言いました。なので、人間の命が非常に大切です。一度しかないですから、しっかり大切にしなければなりません。この社会で生きていることには困難や挫折がきっとありますが、頑張れば、必ず克服できるのです。亜さんのように、度重なる困難にも挫けないことにしましょう。われわれは亜さんよりずっと幸せですから。神さんがこんな幸せを恵んでくれるのを感謝しています。幸い限りです。
ただ、神さんも公平ですので、完璧な命をくれたけれども、でこぼこのような困難や挫折などばかりの道にもくれました。それと戦っていきましょう。同じように、亜さんの命が短かったですが、そばにたくさんの友達があって、身近の人からの配慮や応援などで充実な生活を送りました。それも神さんが授けた運命です。自分の運命で甲斐のある生活を送りましょう
亜さんがなくなったといっても、彼女の精神がずっと私たちの心に残っています。
080617吴佳美
第二篇:伊豆的舞女 读后感(日语)
家族同士の愛の美しさ
皆さんは人生の本当の成功は何だと思うか。私の考えでは愛し合っている家族を持つことだ。同じ屋根の下に暮らしているから、家族なのだとは言えない。家族の根本は愛である。愛なくしては家族は成り立たない。「伊豆の踊り子」を読み終わって主人公の淡くて美しい恋に感動されたのは言うまでもない。家族に対する無償の愛は何より美しく甘美なものであることもしみじみと感じられた。では、家族同士の愛は作品の中でどのように表現されたのか、一緒に見てみよう。
「子供は一週間ほどして息が絶えるし、女房はまだ体がしっかりしないんです。……」
「妹にだけはこんなことをさせたくないと思いつめていますが、そこにはまたいろんな事情がありましてね。」栄吉はひどく感傷的になって泣き出しそうな顔をしながら河瀬を見つめていた。
これは栄吉が主人公に自分の身の上話を打ち明けた時の話だ。これらの言葉を見て、栄吉がどんなに家族のことを大切にしていたのかはすぐわかるだろう。死んだ子供、体の弱い妻、そしてかわいい妹、栄吉は家族のことばかり考えているのだ。小説の中で、死んだ子供の話は何回も出た。栄吉だけではなく、家族の人はみんな死んだ子供のことを残念に思っていたのだ。
「こちらの部屋へ一緒に立ってくる途中で、鳥屋が踊り子の肩を軽く叩いた。おふくろが恐ろしい顔をした。」
「こら。この子に触っておくれないでよ。生娘なんだからね。」
「肩は痛くないかい。」と、おふくろは踊り子に幾度も駄目を押していた。「手は痛くないかい。」
文の中の「おふくろ」は踊り子の義理の母親だが、いつも踊り子を守ろうとしていたのだ。実の母のように、踊り子のことを心配していたのだ。おふくろの踊り子に対する感情は小説の中でよく見られる。私には一番印象深かったのは次の場面だ。
私を見るとおふくろに縋り付いて活動にいかせてくれとせがんでいたが、顔を失ったようにぼんやり私のところに戻って下駄を直してくれた。……「なんだって。一人で連れていってもらったらいいしゃないか。」と、栄吉が話し込んだけれども、おふくろが承知しないらしかった。
おふくろはどうして踊り子に行かせないのか、皆さんも不思議に思っただろう。おふくろは踊り子のことを愛していないから、踊り子の行きたがっている気持ちを無視したのだと思う人もいるかもしれないが、絶対そうではないと私は思う。おふくろは踊り子を愛しているからこそ、いかせないのだ。なぜかというと、青年と踊り子は互いに慕い合っても、到底付き合えないのだ。それは当時の階層差別は非常に厳しいからである。その時代では、旅芸人の地位は卑しいので、立ち寄る村々の人にも嫌われる。露骨に村で「旅芸人村に入るべからず」という立て札を立てている。その反面、知識人は人々に尊敬される。おふくろはただ踊り子につらい思いをさせたくないだけだ。これは本当の愛なのではないかと私は思う。
以上の分析から見ると、この旅芸人一家は愛によって結束された家庭だと言えるだろう。まさに主人公が言ったとおりに「親子兄弟であるだけに、それぞ
れ肉親らしい愛情で繋がり合っている」。互いに愛し合っているからこそ、旅芸人たちは差別されながらも、快活に生きられるのだ。
まとめ
次はわがグループの発表をまとめさせていただく。
川端康成といえば日本で最初にノーベル文学賞を受賞した作家である。受賞理由の一つが日本の美を常に追求してきたというものだ。川端康成と日本の美は切っても切れない関係にあるといえる。
「伊豆の踊り子」はまさに日本の美を描く代表的な作品なのだ。悩み、恋愛、出会い、別れ。青春のすべてがこの短編には凝縮されている。小説の中に描かれた踊り子の無邪気さ、純粋さ、栄吉の素直さ、優しさ、そして、家庭の暖かさ、どれも日本の美しさの表れなのだ。また、伊豆の風景も、とても美しく、巧みに描かれていた。目を閉じれば伊豆の綺麗な景色が浮かんでくるようで癒されたと感じた。伊豆に行ったことのない読者にも主人公の感じた「旅情」というものがわかるだろう。
以上で、ご清聴、ありがとうございました。
第三篇:伊豆舞女读后感(日语)
最近、私は「伊豆の踊り子』を読んだ.この小説をちょっと紹介しましょう。
20歳の一高生の私は、自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れず、一人伊豆への旅に出る。道中で出会った旅芸人の踊子に惹かれ、彼らと一緒に下田まで旅することになった。私は彼らと素性の違いを気にすることなく生身の人間同士の交流をし、人の温かさを肌で感じた。そして踊子が私に寄せる無垢で純情な心からも、私は悩んでいた孤児根性から抜け出せると感じた。
下田へ着き、私は踊子やその兄嫁らを活動(映画)に連れて行こうとするが、踊子一人しか都合がつかなくなると、踊子は母親から活動行きを反対された。明日、東京へ帰らなければならない私は、夜一人だけで活動へ行った。暗い町で遠くから微かに踊子の叩く太鼓の音が聞えてくるようで、わけもなく涙がぽたぽた落ちた。
別れの旅立ちの日、昨晩遅く寝た女たちを置いて、踊子の兄だけが私を乗船場まで送りに来た。乗船場へ近づくと、海際に踊子がうずくまって私を待っていた。二人だけになった間、踊子はただ私の言葉にうなずくばかりで一言もなかった。私が船に乗り込もうと振り返った時、踊子はさよならを言おうしたが、止してもう一度うなずいて見せただけだった。
それから、川端康成といえば日本で最初にノーベル文学赏を受赏した作家だ。川端は2,3歳で父と母を相次いで亡くし、さらに15歳までにたった1 人の姉と自分の面倒をみてくれた祖父,祖母も亡くしている。川端は15歳にしてほぼ天涯孤独の身となったといえる。
「伊豆の踊り子』の中の“孤児の恋爱”は、“私”自分自身が“爱が欲しい”と思われるのは当然であるが、しかし、お别れの部分をみると、“私”に対して、この旅の全ては、美しい踊り子と栄吉との出会いも梦见のようであろう。それはこの文章の前で “ただ、清々しい満足の中に眠っているようだった”と书いた原因である。小说の最后も“その后には何も残らないような甘い快さだった”と书かれた。
『伊豆の踊り子』を読んで、短い作品なんだと実感した。あの情绪、青春の情绪に打たれてしんときました。心が静まり返って、しばらく呆気にとられました。それから、感动を覚えた。いい作品と思った。それから、川端康成といえば日本で最初にノーベル文学赏を受赏した作家だ。『伊豆の踊子』は美しい名作である。その踊り子の何ともいえない寂しい表情の描写のは、私の胸を强く打った。
私は「伊豆の踊り子』がとても好きです。
第四篇:高濑舟读后感【日语】
高瀬舟の感想文
「人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食べて行かれたらと思う。万一の時に備える蓄えがないと、少しでも蓄えがあったらと思う。蓄えがあっても、またその蓄えがもっと多かったらと思う。」
『高瀬舟』を読み終わり、一番印象的な部分はこれである。この描写によって、作者は人間の欲望というものを生き生きと、徹底的に表してみせたからだ。私は思わず自分のことを振り返ってみた。毎年五月になると、住まいの近くにある湖のハスは盛りとなる。そこを通るたびに、「美しいなぁ」と思っていながら、ちらりと見ただけでまた急いでいく。しかし、知らず知らずのうちに増水期が訪れ、水面上にあった何もかもが水没してしまい、あっというまにハスが消えてしまう気がする。すると、かつての美しさの感嘆が、残念の気持ちに変わってしまう。「早くその美しさを味わえばよかったのに」と思い、落ち込んでやまない。
私はハスがずっとこのままで咲いていく、あるいは、せめてもう少し私を待ってくれるように希望していたのだ。それに、もうハスが戻れないことを知っていても、自分の気持ちが抑えられない。これは、踏み止ることを知らないということだ。なるほど、あまりの欲望に伴い、後悔も常についてくる。もっと考えてみれば、後悔どころか、嫉妬・苦痛・絶望などのマイナスな感情ももたらされ、甚だしきに至っては戦争も勃発してしまう。
欲望は人間の生れつきであろうか、この世の中の人々は、誰でも思わず何かを追い求めている。確かに、ほしいものを適切に追い求めるのは生活の向上心と言え、当たり前とされているが、欲望の渦に巻き込まれ、一生それに駆り立てられて行くのは人間の悲劇であると思う。踏み止ることが分かり、現在持っているものを大切にし、幸せを味わうことこそ、人生の大事なことではないかと思っている。
第五篇:日语综合教程第六册第一课读后感[模版]
【まあまあ】にみる日本人の心
「まあ」という慣用語は、いろいろな場合にいろいろな形で使われ、その間には微妙な意味の濃淡がある。更に「まあ」を二つ重ねて「まあまあ」となると、厳密に意味を分析できない表現になる。例えば、「まあまあ」には、「試験は、まあまあだった。」というような「程度」を表す表現があるが、これは試験のできばえの程度を客観的・数量的に示す言葉ではない。結局、そこには言語使用者の主観的な判断しかないことになるが、幾つかの具体的例を検討することによって、日本人一般に当てはまる、共通の精神的特徴を抽出することができる。
先ず、「まあまあ」には相手との関係で己を抑制する心が隠されているということである。それは、こじんまりした島(日本三景のイメージ)で対人関係を円滑に運ぶ日本人の知恵であった。物事をあかたさまに主張するよりも、相手との人間関係を考えれば「まあまあ」の方が差し障りが少なくてすむからである。
更に、もう一点、上記のことともかかわるが、「まあまあ」で物事に対する自分の期待の大きさを抑制するということがある。楽観主義ばかりでは期待はとどまることを知らない。大山名人の言うように、それに流されず、ブレーキをかけようとする心(悲観主義)がある。
結果として、これは専ら自己に対する負担を軽減する手段ともなる。大きな期待があるところでの、小さな現実は、不満と失望だけを生みやすい。楽観的な期待を悲観主義によってコントロールする「まあまあ」には、自分の期待の大きさを現実に合わせてぼかし(あるいは最悪の場合を想定して抑制し)、その結果に自分なりの小さな満足を得る余地を残したい、という精神があるということになる。
「まあまあ」使用の裏にある、二つの精神的特徴は、日本人の基本的な精神構造の一端を鋭く映り出しているのである。