第一篇:《结交》古诗赏析及作作者介绍
说起唐代著名诗人孟郊的作品,很多人想到的就是《游子吟》、《结爱》、《杏殇》等,今天小编分享一首孟郊《结交》供大家赏析.原文
铸镜须青铜,青铜易磨拭。
结交远小人,小人难姑息。
铸镜图鉴微,结交图相依。
凡铜不可照,小人多是非。
孟郊简介
孟郊(751-815),唐代著名诗人,字东野,汉族,湖州武康(今浙江德清县)人,祖籍平昌(今山东德州临邑县),先世居汝州(今属河南汝州),少年时期隐居嵩山。
孟郊两试进士不第,四十六岁时才中进士,曾任溧阳县尉。由于不能舒展他的抱负,遂放迹林泉间,徘徊赋诗。以至公务多废,县令乃以假尉代之。后因河南尹郑余庆之荐,任职河南(河南府今洛阳),晚年生活,多在洛阳度过。宪宗元和九年,郑余庆再度招他往兴元府任参军,乃偕妻往赴,行至阌乡县(今河南灵宝),暴疾而卒,葬洛阳东。张籍私谥为”贞曜先生“。
孟郊仕历简单,清寒终身,为人耿介倔强,死后曾由郑余庆买棺殓葬。故诗也多写世态炎凉,民间苦难。孟郊现存诗歌574多首,以短篇的五言古诗最多,代表作有《游子吟》。有“诗囚”之称,又与贾岛齐名,人称“郊寒岛瘦”。
第二篇:描写一年四季的古诗作者和赏析
描写一年四季的古诗作者和赏析
春:
春 晓
[唐.孟浩然] 春 眠 不 觉 晓,处 处 闻 啼 鸟。
夜 来 风 雨 声,花 落 知 多 少。
[注释]
1.春晓:春天的早晨。
2.晓:天亮。
3.不觉晓:不知不觉地天亮了。
4.闻:听。
5.闻啼鸟:听见鸟叫。
[简析]
这首诗写的是春日早晨的景色。“春眠不觉晓,处处闻啼鸟”二句是说:春天夜短,睡着后不知不觉中天已亮了,到处是鸟雀的啼鸣声。这两句诗抓住春晨到处鸟鸣雀躁的音响特征,渲染出一种春意醉人的意境,烘托了春晨中一片盎然的生机。“夜来风雨声,花落知多少”二句,诗人在美梦乍醒、欲起未起之时,回想起昨夜的风雨声声,于是想见风雨过去必有很多落花,这里的听觉形象“风雨声 ”决不是令人感伤的“断肠声”,而是包蕴丰富的“更新曲”。千百年来,人们传诵它,探讨它,仿佛在这短短的四行诗里,蕴涵着开掘不完的艺术宝藏。
------凉州词 唐.王之涣
黄河远上白云间,一片孤城万仞山。
羌笛何须怨杨柳,春风不度玉门关。
注释:
这首诗描写了边塞凉州雄伟壮阔又荒凉寂寞的景象。远远奔流而来的黄河,好象与白云连在一起,玉门关孤零零地耸峙在高山之中,显得孤峭冷寂。何必用羌笛吹起那哀怨的杨柳曲去埋怨春光迟迟呢,原来玉门关一带春风是吹不到的啊!
孤城:指玉门关。
仞:古代七尺或八尺为一仞。
羌:古代的一个民族。
------咏柳
贺知章
碧玉妆成一树高,万条垂下绿丝绦,不知细叶谁裁出,二月春风似剪刀。
[注释]
1.碧玉:碧绿色的玉。这里用以比喻春天的嫩绿的柳叶。
2.妆:装饰,打扮。
3.丝绦:丝线编成的带子。这里形容随风飘拂的柳枝。
[简析]
这是一首咏物诗,通过赞美柳树,表达了诗人对春天的无限热爱。
诗的前三句都是描写柳树的。首句“碧玉妆成一树高”是写整体,说高高的柳树像是碧玉妆饰成。用“碧玉”形容柳树的翠绿晶莹,突出它的颜色美。第二句“万条垂下绿丝绦”是写柳枝,说下垂披拂的柳枝犹如丝带万千条,突出它的轻柔美。第三句“不知细叶谁裁出”是写柳叶,突出柳叶精巧细致的形态美。三句诗分写柳树的各部位,句句有特点。而第三句又与第四句构成一个设问句。“不知细叶谁裁出?”——自问;“二月春风似剪刀。”——自答。这样一问一答,就由柳树巧妙地过渡到春风。说裁出这些细巧的柳叶,当然也能裁出嫩绿鲜红的花花草草。它是自然活力的象征,是春的创造力的象征。这首诗就是通过赞美柳树,进而赞美春天,讴歌春的无限创造力。
作者简介:贺知章(659-744)字季真,自号“四明狂客”,越州永兴(今浙江萧山县)人。唐代诗人。
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夏:
敕勒歌 北朝乐府
敕勒川,阴山下,天似穹庐,笼盖四野。
天苍苍,野茫茫,风吹草低见牛羊。
[注释]
1.敕勒:种族名,北齐时居住在朔州(今山西省北部)一带。
2.阴山:在今内蒙古自治区北部。
3.穹庐:用毡布搭成的帐篷,即蒙古包。
4.苍苍:青色。
[简析]
这是一首敕勒人唱的民歌,是由鲜卑语译成汉语的。它歌唱了大草原的景色和游牧民族的生活。
开头两句“敕勒川,阴山下”,交代敕勒川位于高耸云霄的阴山脚下,将草原的背景衬托得十分雄伟。接着两句“天似穹庐,笼盖四野”,敕勒族人用自己生活中的“穹庐”作比喻,说天空如毡制的圆顶大帐篷,盖住了草原的四面八方,以此来形容极目远望,天野相接,无比壮阔的景象。这种景象只在大草原或大海上才能见到。最后三句“天苍苍,野茫茫,风吹草低见牛羊”是一幅壮阔无比、生机勃勃的草原全景图。“风吹草低见牛羊”,一阵风儿吹弯了牧草,显露出成群的牛羊,多么形象生动地写出了这里水草丰盛、牛羊肥壮的景象。全诗寥寥二十余字,就展现出我国古代牧民生活的壮丽图景。
这首诗具有北朝民歌所特有的明朗豪爽的风格,境界开阔,音调雄壮,语言明白如话,艺术概括力极强。宋诗人黄庭坚说这首民歌的作者“仓卒之间,语奇如此,盖率意道事实耳”(《山谷题跋》卷七)。因为作者对草原牧民生活非常熟悉,所以能一下抓住特点,不必用力雕饰,艺术效果就很好。
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望庐山瀑布
日照香炉生紫烟
遥看瀑布挂前川
飞流直下三千尺
疑是银河落九天
------------------------------渔歌子 张志和
西塞山前白鹭飞,桃花流水鳜鱼肥。
青箬笠,绿蓑衣,斜风细雨不须归。
[注释]
1.西塞山:在浙江省湖州市西面。
2.白鹭:一种水鸟。
3.桃花流水:桃花盛开的季节正是春水盛涨的时候,俗称桃花汛或桃花水。
4.箬笠:竹叶编的笠帽。
5.蓑衣:用草或棕编制成的雨衣。
[简析]
这首词描写了江南水乡春汛时期捕鱼的情景。有鲜明的山光水色,有渔翁的形象,是一幅用诗写的山水画。
首句“西塞山前白鹭飞”,“西塞山前”点明地点,“白鹭”是闲适的象征,写白鹭自在地飞翔,衬托渔父的悠闲自得。次句“桃花流水鳜鱼肥”意思是说:桃花盛开,江水猛涨,这时节鳜鱼长得正肥。这里桃红与水绿相映,是表现暮春西塞山前的湖光山色,渲染了渔父的生活环境。三四句“青箬笠,绿蓑衣,斜风细雨不须归”,描写了渔父捕鱼的情态。渔父戴青箬笠,穿绿蓑衣,在斜风细雨中乐而忘归。“斜风”指微风。全诗着色明丽,用语活泼,生动地表现了渔父悠闲自在的生活情趣。
诗人张志和,唐朝金华人。在朝廷做过小官,后来隐居在江湖上,自称烟波钓徒。这首词就借表现渔父生活来表现自己隐居生活的乐趣。
《渔歌子》又名《渔父》或《渔父乐》,大概是民间的渔歌。作者写了五首《渔歌子》,这是第一首。据《词林纪事》转引的记载说,张志和曾谒见湖州剌史颜真卿,因为船破旧了,请颜帮助更换,并作《渔歌子》。
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秋:
九月九日忆山东兄弟
王维
独在异乡为异客,每逢佳节倍思亲。
遥知兄弟登高处,遍插茱萸少一人。
[注释]
1.九月九日:指农历九月九日重阳节。
2.忆:想念。
3.山东:指华山以东作者家乡蒲州。
4.异乡:他乡、外乡。
5.为异客:作他乡的客人。
6.逢:遇。
7.倍:格外。
8.登高:古有重阳节登高的风俗。
9.茱萸(zhū yú):一种香草。古时重阳节人们插戴茱萸,据说可以避邪。
作者简介:王维(701-761),字摩洁,蒲州(今山西永济县)人。通音乐,工书画。唐代著名诗人。
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悯 农1
李 绅
春 种 一 粒 粟,秋 收 万 颗 子。
四 海 无 闲 田,农 夫 犹 饿 死。
[注释] 1.悯:怜悯。
2.粟:(sù)
[简析]
这是一首揭露社会不平、同情农民疾苦的诗,着重写旧社会农民所受的残酷剥削。
第一、二句“春种一粒粟,秋收万颗子”,以“春种”“秋收”,概写农民的劳动。从“一粒粟”化为“万颗子”,形象地写出丰收的景象。第三句“四海无闲田”,更写出全国的土地都已开垦,没有一处田地闲置着。此句与前两句的语意互相补充,进而展现出硕果累累,遍地金黄的丰收景象。劳动人民辛勤劳动创造出如此巨大的财富,在丰收的年头,照理该丰衣足食了吧?谁知结句却是“农夫犹饿死”。这真是触目惊心!一个“犹”字,发人深思:到底是谁剥夺了劳动成果,陷农民于死地呢?“犹饿死”三字极为深刻地揭露了社会不平,凝聚着诗人强烈的愤慨和真挚的同情。
作者简介:李绅(772-846),字公垂,泣州无锡(今江苏无锡)人。唐代
----------------------悯农2 唐-李绅
锄 禾 日 当 午,汗 滴 禾 下 土。
谁 知 盘 中 餐,粒 粒 皆 辛 苦。
[注释] 1.悯:怜悯。
2.锄禾:用锄头松禾苗周围的土。
[简析]
这首诗是写劳动的艰辛,劳动果实来之不易。第一、二句“锄禾日当午,汗滴禾下土”描绘出在烈日当空的正午,农民仍然在田里劳动,这两句诗选择特定的场景,形象生动地写出劳动的艰辛。有了这两句具体的描写,就使得第三、四句“谁知盘中餐,粒粒皆辛苦”的感叹和告诫免于空洞抽象的说教,而成为有血有肉、意蕴深远的格言。
这首诗没有从具体人、事落笔,它所反映的不是个别人的遭遇,而是整个农民的生活和命运。诗人选择比较典型的生活细节和人们熟知的事实,深刻揭露了不合理的社会制度。
在表现手法上,作者采用相互对比,前后映衬的方法,不仅给人以鲜明强烈的印象,而且发人深省,将问题留给读者自己去思考,从而取得更好的效果。
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冬:
别董大
高 适
千里黄云白日曛,北风吹雁雪纷纷。
莫愁前路无知己,天下谁人不识君。
[注释]
1.董大:唐玄宗时著名的琴客董庭兰。在兄弟中排行第一,故称“董大”。
2.曛:昏暗。
3.君:指的是董大。
[简析]
这是一首送别诗,送别的对象是著名的琴师董庭兰。盛唐时盛行胡乐,能欣赏七弦琴这类古乐的人不多。崔珏有诗道:“七条弦上五音寒,此艺知音自古难。惟有河南房次律(盛唐宰相房官),始终怜得董庭兰。”这时高适也很不得志,到处浪游,常处于贫贱的境遇之中(他在《别董大》之二中写道:“丈夫贫贱应未足,今日相逢无酒钱。”)。但在这首送别诗中,高适却以开朗的胸襟,豪迈的语调把临别赠言说得激昂慷慨,鼓舞人心。
前两句“千里黄云白日曛,北风吹雁雪纷纷”,用白描手法写眼前之景:北风呼啸,黄沙千里,遮天蔽日,到处都是灰蒙蒙的一片,以致云也似乎变成了黄色,本来璀璨耀眼的阳光现在也淡然失色,如同落日的余辉一般。大雪纷纷扬扬地飘落,群雁排着整齐的队形向南飞去。诗人在这荒寒壮阔的环境中,送别这位身怀绝技却又无人赏识的音乐家。
后两句“莫愁前路无知已,天下谁人不识君”,是对朋友的劝慰:此去你不要担心遇不到知己,天下哪个不知道你董庭兰啊!话说得多么响亮,多么有力,于慰藉中充满着信心和力量,激励朋友抖擞精神去奋斗、去拼搏。
〔作者简介]
高适(700?-765),唐代诗人。字达夫,一字仲武。渤海蓨(xiu)(今河北沧县)人,曾做过散骑常侍。有《高常侍集》。
--------------------------逢雪宿芙蓉山主人 刘长卿
日 暮 苍 山 远,天 寒 白 屋 贫。
柴 门 闻 犬 吠,风 雪 夜 归 人。
[注释]
1.芙蓉山:地名。
2.苍山:青山。
3.白屋:贫家的住所。房顶用白茅覆盖,或木材不加油漆叫白屋。
4.犬吠:狗叫。
----------------------------江雪
柳宗元
千山鸟飞绝,万径人踪灭。
孤舟蓑笠翁,独钓寒江雪。
【简析】本诗妙在自然,创造出一种不寻常的艺术境界,突现了诗人的抑郁心情和傲睨一切的性格。
第三篇:日本文学作品及作者介绍
鏡
村上春樹は1949年1月12日に生まれて、日本の小説家、米文学翻訳家、エッセイスト、ノンフィクション作家です。早稲田大学映画演劇科卒業して、1979年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞して、デビューしました。2006年フランスカフカ賞を受賞して、以後ノーベル文学賞の有力候補と見なされています。
作品绍介
主な作品に『ノルウェイの森』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『海辺のカフカ』『1Q84』などです。その中に、『ノルウェイの森』はとても人気でした。この作品は主人公渡辺さんが二人の女の子との恋愛経験を通して、死を迎えるしかたなさと無力感を感じられる物語です。2、あらすじ:60年代末ごろ、「大学解体」「自己否定」のスローガンに象徴される東大闘争の理念先行的なスタイルを模倣し、全国に波及していく。高度成長という社会の地殻変動だ。貧困や差別といったわかりやす い「近代的不幸」とは異なる次元で、不登校など、人々は新たに表れた「現代的不幸」を感じ取っていた。自分はなんなのだ、どんなふうに生きればいいのだという、いわば自分探しだ。若者たちの反乱とは、こうした実存的問いが大きな社会変動の中で必然的に浮上した。
作者もこういう波に呑まれ、自分はなんなのだ、どんなふうに生きればいいのだという疑問を持っている。この文章はこんな彷徨っていた日本で、作者は中学の夜警をやったときに起こったことである。ある夜真っ暗だった。3時に廊下を通りすぎたとき、暗闇の中で何の姿が見えたような気がして、実はそれは作者自身が鏡に映った像である。作者は怖がって、木刀で鏡を壊し、部屋に戻った。翌日そこに戻って、当時落ちた吸殻と木刀はあったけど、鏡なんてなかったと言う怪談である。
まとめ
主人公は68年から69年にかけて、全国の大学を中心とする学園紛争が燃え盛りました。紛争は、60年代の半ばから始まり、ピーク時には、全国の大学の約8割に当たる165校がストライキを含む紛争状態に入りました。68年に拡大した背景には、世界の青年・学生等の運動の高まりがあります。中国の文化大革命の若者のスローガンである「造反有理」、ソ連型社会主義に反発して市民が起ち上がった旧チェコスロヴァキアの「プラハの春」、そして世界各地で起きたスチューデント・パワーと呼ばれる大規模な学生運動です。当時、学生は体制打破がほしいでしたが、現在の社会の制度や仕組みは資本主義、それがいやだ、社会主義と共産主義がいいとおもっていた。理想社会を創造しよう。その結果、一般的には大学の民主化、教学の一定の改善がみられました。それを受けて、70年代は大学による自主改革と官僚統制の拮抗期に入りました。”鏡”では、鏡に写った自分がこちら側の自分ではなく、別人であり、彼には悪意が感じられる、実は心の底の自分は、現実の自分がいやだので、僕以外の僕とは、あちら側の誰かのことではないでしょうか。あちら側の誰かは、僕を捉えあちら側に連れていこうと、常にそばにいつづける。僕は中学校の夜警の時以来、あちら側との接点を持つものが鏡だと思っており、悪意に満ちたあちら側の誰かに引きこまれそうになった恐怖の体験から、死の感覚を遠ざけておきたいという考えからだと思います。主人公は社会のまよっていた波に呑
みこまれた一人だ。正しい生方がしらなかったから、みんなのやり方についていった。しかし、本当の自分がいったい誰か、いったい何をしたいだか、自分はいままで考えたことがない。そして、内心からそんな自分がいやだ、恐れを感じていった。だから、作者は読者に忠告をしてくれた、本当の自分の好きな生き方,本道に自分をしたいことをよく考えてください。迷っていた状態で、生きていくことはだめだ。
羅生門
芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年-1927年)日本の小説家。号は澄江堂主人、俳号は我鬼。東京市京橋区入船町に牛乳屋を営む新原敏三の長男として生まれる。辰年・辰月・辰日・辰の刻に生まれたことから、龍之介と命名される。生後7ヵ月後頃に母が精神に異常をきたしたため、母の実家の芥川家に預けられ、伯母に養育される。11歳の時に母が亡くなり、翌年に叔父芥川道章の養子となり芥川姓を名乗ることになった。
その作品の多くは短編である。また、「芋粥」「藪の中」「地獄変」「歯車」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」といった児童向けの作品も書いている。
四 まとめ
羅生門はとてもおそろしい、悲しい物語だと思う。
下人は悲劇な人物だと思う。最初、下人が仕事を失ったが、盗人にもなれなかった。初めて、老婆を見て恐怖を感じる。しかし、その老婆は死人の髪の毛を抜くという行為が分かると、下人は正義感を燃やす。理由を問わず、許すをべからざる悪だと下人はおもう。しかし、最後に下人は老婆の着物を奪ってしまう。老婆は生前悪事を犯した人間に対しては悪事報いがあるのは当然だ。因果応報なので、下人もこの正義に従って自分の行為が正義化にする。
その強いものは弱いものから奪ってよい、弱肉強食はどこにでも見られる生きるための綻だった。下人は老婆の言葉を逆手にとって、自分の盗人行為を正当化する。悪事を働く勇気となる。この勇気は下人を支えてくれる。しかし、この勇気は本当のじゃない。間違った勇気で生きて行く下人の将来はもっと深い闇には真って行く。
平安末期を背景にして、これ現像は個別的ではない、作者はこの三人を批判するだけではなく社会現実に迫られる人々の生活を反映している。三人は生きる希望があるのことを同情する。この時代に対して不満を表す。
「伊豆の踊り子」
川端 康成(1899年〈明治32年〉6月14日—1972年〈昭和47年〉4月16日)は日本の小説家である。
大阪府大阪市北区此花町に生れ、医師の父栄吉、母ゲンの長男。1901年(明治34年)父、翌年母が亡くなり、大阪府三島郡豊川村大字宿久庄(現茨木市宿久庄)で祖父母に育てられた。小学校入学の年祖母、4年の時姉、中学3年の5月に祖父が亡くなり、全くの孤児になった。母の実家に引き取られ、親戚の世話になりながら茨木中学を終え、旧制第一高等学校、東京帝国大学文学部国文学科と進んだ。大学卒業後、横光利一らと共に「文藝時代」を創刊し、新感覚派の代表的作家として活躍した。「伊豆の踊子」「雪国」「千羽鶴」「山の音」「眠れる美女」「古都」など死や流転のうちに「日本の美」を表現した作品を発表し、1968年(昭和43年)に日本人では初となるノーベル文学賞を受賞し
た。1972年(昭和47年)、ガス自殺を遂げ、満72歳で死去した。
二、あらすじ
主人公は一高の学生である。世間的にはエリートだが、孤児で劣等感に悩む青年で、友達もできなかった。本音をはける人もない。東京は繁栄している町だから、にぎやかで生活の負担も重いであろう。そして、主人公は重苦しい感じから逃げるのために、伊豆の旅
四、まとめ
この小説は作者の自伝的な作品だと言える。作者が若いころ伊豆へ旅行した時の気持と経験に基づいて書かれた。
私は孤児根性に悩んでいて、憂さをはらすために伊豆の旅に出、踊り子一行と出会った。踊り子は美しいだけではなく、純真さと無垢、清らかな心を持った少女である。この清らかな美しさは大人の女性とは違う、少女特有の魅力だ。私はそんな踊り子に引き付けられ、彼女たちと一緒に旅をした。そしてだんだん踊り子に感化されて、孤児根性から脱し、人間本来の気持を取り戻した。踊り子は世間的には卑しい旅芸人にすぎない。彼女たちは生きるために、自分の美、芸を商品にして、人々からお金をもらって生活している、当時の社会の下層の人だ。一方、私は高等学校の学生で、本来なら皆に羨まれる身分だ。しかし、そんな私だが孤児根性に苦しみ、自分自身を嫌っている。そんな私が踊り子の美と清純さに清められて、汚れのない清らかさやに素直に共感でき、その悩みを解消し、孤児根性を忘れることができた。こうして踊り子は私の心を救った。この事実から生ずる疑問は、誰がもっとも尊いのか。人を判断するのはいったい何なのかということだ。身分が高い私、踊り子の美、芸を買うお客さん、重要なのは人の心である。美、純真さは尊い。人々に身分の上下があるかもしれないが、重要なのはそんなものではないと思う。これこそ主人公にとって人生の支えになる大切なものである。この宝物を持ち続けていさえすれば、彼は人生を切り拓いて行けるだろう。
山 月 記
中島敦
1909年 5月5日気管支喘息で死去する。以後、国語教科書に「山月記」が多く掲載されたため広く知られた作家となる。
『光と風と夢』は、中島敦の長編小説。禍ロバート・ルイス・スティーヴンソンの南洋生活記の体裁を採っている。『文字』は短編小説。深田久弥の推薦により、『古譚』の総題で『山月記』とともに発表される。
『李陵』他いくつかの作品は、遺作として没後発表された。漢文調の格調高い端正な文体とユーモラスに語る独特の文体を巧みに使い分けている。読解:
一、李徴はどうして詩人として名を成さなかったのか?
1、最初は運命だと思う。
a ,生活が苦しく、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために、再び官吏の職を奉ずる。
b ,詩業に絶望して、詩人になれないと思う。自分のことを否定した。2、袁さんによって、李徴は詩人として非凡な才と素質があったが、人間性が欠けって、詩が完璧とならない。
3、李徴は自分のことを反省した:
a ,臆病、卑怯な人:師に就いたり、詩友と変わって切磋琢磨に努めたり事をしなかった。自分才能の不足を暴露する恐れがあるからだ。b ,怠惰な人:才能を専一に磨かなかった。
c ,自己中心、自分の詩業を考えてばかりで、家族をおろそかにしてしまった。
まとめ:
現代の社会では、李徴のように自分の夢を実現するため、やり方を間違って、失敗してしまった人がたくさんいる。人間にとって、野心を抱き成功を求めることは当然のことだ、しかし、その実現に向けてふさわしい手段を選ぶことは一番重要だと思う。李徴はせっかく詩人として大成する大きる目標を立てたものの、その修業課程で自分の弱さ(怠け癖、卑怯さなど)を克服することは忘れていた。もし人間が、分かっているのにどんどん悪いほうへ進んでいけば、運命の過酷さに遭うのは当然だ。努力しても駄目だ。だから正しい道を選んで努力することが成功の分かれ道だ。
ナイン
井上ひさし
1934年山形県東置賜郡小松町(現・川西町)に生まれて。本命簸井上廈、遅筆堂(ちひつどう)を名乗ることもある。自他共に認めるたいへんな遅筆で有名だから。日本の小説家、劇作家、放送作家、文化功労者、日本藝術院会員です。
1958年処女劇曲『うかうか三
十、ちょろちょろ四十』で芸術祭脚本奨励賞受賞。代表作は『ひょっこりひょうたん島』、『吉里吉里人』『四千万歩の男』『父と暮せば』などがあります。
2、作品:ナイン
井上ひさしの心温まる名短編です。
昔入っていた少年野球団のキャプテンが、その少年野球団のかつての仲間に「悪いことをしてしまった」と聞いた主人公の子英夫くんと、その話をする周りの人たちの会話を綴った短編小説です。少年野球団の皆は「理屈ではない信頼、同じ時間と体験を共有した仲間だけ」のような考えが持ちます。D:まとめ
東京で五輪大会が開かれた年の新宿はささやかにではあるが、しっかりと自給自足している。今は(1984,1985年)新しい大会社のビルがいくつも建ったせいで、道幅は狭くなり、いろんな店があり、一番にぎやかな場所になった。自給自足の頃の生活は静かで貧しかったが皆ちゃんと挨拶するし、よく繋がっていった。ところが、今の周りは知らない顔で挨拶することも、応援してくれることもない。つまり人情も薄い。貧しくても人情深かった環境で育てられたナインの人達は集団意識と仲間意識が強っかた。今もその意識は残っている。だから、常雄と英夫は正太郎に騙されても許そうとする。人の変化は周りの環境と密接な関係がある。洗濯屋の正太郎のお父さんは女出入りで、ものすごい夫婦喧嘩になり、そのたびに正太郎は家出をした。そのときから正太
郎は段々だめな人間になってきた。物語の終わりの描写から作者の残念な気持ちが読める。昔のナインの精神がなくなっていくこととナインの精神を持っている青年がいなくなることに胸を痛めている。
『山椒魚』
井伏鱒二(1898{明治3}-1993{平成5})本名鱒二だ。
父は彼の五歳のときに亡くなった。その後彼は彼の祖父にかわいがられて育った。井伏鱒二は小説家として、さまざまな文学賞を得た。1919年(大正8)に早稲田大学予科に入り、仏文科に進学したが結局卒業しなかった。作品は「駅前旅館」。「駅前旅館」はを舞台に繰り広げられた作品だ。「黒い雨」清書作業で写される日記によって悲惨な原爆体験が再現されていきます。なんと街に降った放射能が含まれている黒い雨を浴びたのが原因らしかったのです。清書がおわったとき病状は既に奇蹟に頼るしかないほど悪化してました。「山椒魚」うっかりして棲家の岩屋から出られなくなった山椒魚は、穴の外の景色を眺めて暇をつぶすが、自由を奪われたと知り悲歎にくれる。あるとき岩屋に迷い込んだ蛙を見て閉じ込めて、言い争いになるが、もはや岩屋から出るのはあきらめるしかなかった。
二、あらすじ
この物語りは童話のような物語りである。登場人物は全部小動物である、主人公は山椒魚
頭が大きすぎで、すみかの岩屋から出られなくなった山椒魚は、岩屋の狭い出入り口から外を覗き見することを好む。彼は視野に入ってきた一群れのメダカの不自由さを嘲笑した。また、産卵期のこえびを見て、物思いにふけていると誤解し、短絡に岩屋から脱出したものの失敗しまった。そして、みずすましの活発な光景を見て、自分の不幸を意識した。岩屋が永遠のすみかになったと知って狼狽して且つ絶望と感じた。ある日、山椒魚の世界に一匹の蛙が誤って紛れ込んできた。山椒魚はかわいそうな蛙を岩屋に閉じ込めてしまう。山椒魚はこの蛙と激しい口論を続けていた。二年間が経て、山椒魚と蛙との間はいつの間にか友情が生まれてきた。
人間は山椒魚のように空想に夢中になったり、問題解決のための具体的行動をしなかったり、考えるばかりで、ほかの人を馬鹿にして、自らは反省をしなかったり、簡単に絶望に陥ったりすることもある。一方、蛙のように、同類の苦しみを深く体得することができ、心から同情、許すこともできる。人間はそのような矛盾する生物だ。だから、人間はできるだけ悪い性質を防いで、現実から逃れないで、不幸な境遇にであっても、直面することが必要だ。
第四篇:千字文全文及作者介绍
读完了《千字文》,我想:我一定好好学习,不但要做个有学问的人,还要做一个有孝心、爱心的人,一个诚实守信的人,一个不懂就问的人,一个注重礼仪,坚守情操的人。下面是关于千字文全文及作者介绍的内容,欢迎阅读!
千字文全文
天地玄黄,宇宙洪荒。日月盈昃,辰宿列张。
寒来暑往,秋收冬藏。闰余成岁,律吕调阳。
云腾致雨,露结为霜。金生丽水,玉出昆冈。
剑号巨阙,珠称夜光。果珍李柰,菜重芥姜。
海咸河淡,鳞潜羽翔。龙师火帝,鸟官人皇。
始制文字,乃服衣裳。推位让国,有虞陶唐。
吊民伐罪,周发殷汤。坐朝问道,垂拱平章。
爱育黎首,臣伏戎羌。遐迩一体,率宾归王。
鸣凤在竹,白驹食场。化被草木,赖及万方。
盖此身发,四大五常。恭惟鞠养,岂敢毁伤。
女慕贞洁,男效才良。知过必改,得能莫忘。
罔谈彼短,靡恃己长。信使可覆,器欲难量。
墨悲丝染,诗赞羔羊。景行维贤,克念作圣。
德建名立,形端表正。空谷传声,虚堂习听。
祸因恶积,福缘善庆。尺璧非宝,寸阴是竞。
资父事君,曰严与敬。孝当竭力,忠则尽命。
临深履薄,夙兴温凊。似兰斯馨,如松之盛。
川流不息,渊澄取映。容止若思,言辞安定。
笃初诚美,慎终宜令。荣业所基,籍甚无竟。
学优登仕,摄职从政。存以甘棠,去而益咏。
乐殊贵贱,礼别尊卑。上和下睦,夫唱妇随。
外受傅训,入奉母仪。诸姑伯叔,犹子比儿。
孔怀兄弟,同气连枝。交友投分,切磨箴规。
仁慈隐恻,造次弗离。节义廉退,颠沛匪亏。
性静情逸,心动神疲。守真志满,逐物意移。
坚持雅操,好爵自縻。都邑华夏,东西二京。
背邙面洛,浮渭据泾。宫殿盘郁,楼观飞惊。
图写禽兽,画彩仙灵。丙舍旁启,甲帐对楹。
肆筵设席,鼓瑟吹笙。升阶纳陛,弁转疑星。
右通广内,左达承明。既集坟典,亦聚群英。
杜稿钟隶,漆书壁经。府罗将相,路侠槐卿。
户封八县,家给千兵。高冠陪辇,驱毂振缨。
世禄侈富,车驾肥轻。策功茂实,勒碑刻铭。
盘溪伊尹,佐时阿衡。奄宅曲阜,微旦孰营。
桓公匡合,济弱扶倾。绮回汉惠,说感武丁。
俊义密勿,多士实宁。晋楚更霸,赵魏困横。
假途灭虢,践土会盟。何遵约法,韩弊烦刑。
起翦颇牧,用军最精。宣威沙漠,驰誉丹青。
九州禹迹,百郡秦并。岳宗泰岱,禅主云亭。
雁门紫塞,鸡田赤诚。昆池碣石,钜野洞庭。
旷远绵邈,岩岫杳冥。治本于农,务兹稼穑。
俶载南亩,我艺黍稷。税熟贡新,劝赏黜陟。
孟轲敦素,史鱼秉直。庶几中庸,劳谦谨敕。
聆音察理,鉴貌辨色。贻厥嘉猷,勉其祗植。
省躬讥诫,宠增抗极。殆辱近耻,林皋幸即。
两疏见机,解组谁逼。索居闲处,沉默寂寥。
求古寻论,散虑逍遥。欣奏累遣,戚谢欢招。
渠荷的历,园莽抽条。枇杷晚翠,梧桐蚤凋。
陈根委翳,落叶飘摇。游鹍独运,凌摩绛霄。
耽读玩市,寓目囊箱。易輶攸畏,属耳垣墙。
具膳餐饭,适口充肠。饱饫烹宰,饥厌糟糠。
亲戚故旧,老少异粮。妾御绩纺,侍巾帷房。
纨扇圆洁,银烛炜煌。昼眠夕寐,蓝笋象床。
弦歌酒宴,接杯举殇。矫手顿足,悦豫且康。
嫡后嗣续,祭祀烝尝。稽颡再拜,悚惧恐惶。
笺牒简要,顾答审详。骸垢想浴,执热愿凉。
驴骡犊特,骇跃超骧。诛斩贼盗,捕获叛亡。
布射僚丸,嵇琴阮箫。恬笔伦纸,钧巧任钓。
释纷利俗,并皆佳妙。毛施淑姿,工颦妍笑。
年矢每催,曦晖朗曜。璇玑悬斡,晦魄环照。
指薪修祜,永绥吉劭。矩步引领,俯仰廊庙。
束带矜庄,徘徊瞻眺。孤陋寡闻,愚蒙等诮。
谓语助者,焉哉乎也。
《千字文》作者
《千字文》流传至今一千五百多年了,全书虽只用了一千个不重复的字,但却有相当的知识价值和艺术价值。毛泽东就很看重《千字文》。他说《千字文》里讲了天文、地理、农业、气象、矿产、特产、历史、修养。历代大书法家里有很多人用多种字体书写过《千字文》,成为传世的名帖。
据传历史上,钟繇、周兴嗣、萧子范等都各写有《千字文》,而流传至今的只有《王羲之临钟繇千文》和《周兴嗣次韵王羲之千字》。萧子范撰《千字文》在《梁书》本传上虽有记载,在《旧唐书·经籍志》后不再有著录,大约是亡佚了。
钟繇,三国时期的书法家。法国人伯希和著《千字文考》(见一九二五年《通报》二十四卷),根据敦煌藏《杂抄》而定为钟繇撰。但别无其他史料证明,或恐《杂抄》误书了。也有的说钟繇《千字文》在西晋末年战乱逃难中被雨水淋坏。后来东晋书法家王羲之又重新编缀缮写,故曰《王羲之临钟繇千文》。但经过近代书法家张伯英的精审考辨,多种套帖中的此帖皆判为伪作,他说:“羲之时何曾有千文之说?字与周兴嗣本无所增损,惟任意颠倒,至不可读。字体在唐以后,有李西台(李建中,北宋书法家———引者)脚手,而妄标钟、王之目。自宋以来列之羲之帖中,《郁冈》、《三希》皆刻之,何其谬乎!”这里的结论:钟繇没有撰写过《千字文》,自然王羲之也无由临写之。
自南朝流传至今的《千字文》为梁周兴嗣所编写。周兴嗣是何许人?何以要编写《千字文》?
周兴嗣《梁书》四九卷有传。他仕梁,颇得梁武帝萧衍的赏识和称誉,多以文笔之事见用。他的《次韵王羲之书千字》在《隋书》、《旧唐书》的《经籍志》,以及《新唐书》、《宋史》的《艺文志》等史志目录中都有著录,在敦煌文献中也有周本《千字文》。关于他何以要编写《千字文》,我们可以从唐李绰《尚书故实》和韦绚《刘宾客嘉话录》等书中寻得解答。原来是当年梁武帝令殷铁石在王羲之书写的碑文中拓下不重复的一千个字,供皇子们学书用的。但由于字字孤立,互不联属,所以他又召来周兴嗣嘱道:“卿有才思,为我韵之。”周兴嗣只用了一个晚上就编好进呈武帝。这便是传至今日的《千字文》。周千文精思巧构,知识丰瞻,音韵谐美,宜蒙童记诵,故成为千百年蒙学教科书。
在《千字文》初行的时代,作为家庭教育的启蒙课本,还有其他几种,如《字训》、《幼训》、《字统》等等。历史排沙而简金,《字训》等湮没无闻,独《千字文》奕世而流传,孰沙孰金可立判矣。
第五篇:春夏秋冬古诗及赏析
1、《晚春》
唐 韩愈
草树知春不久归,百般红紫斗芳菲。
杨花榆荚无才思,惟解漫天作雪飞。
【赏析】
这里,似乎只是用拟人化的手法描绘了晚春的繁丽景色,其实,它还寄寓着人们应该乘时而进,抓紧时机去创造有价值的东西这一层意思。但这里值得一提的是,榆荚杨花虽缺乏草木的“才思”,但不因此藏拙,而为晚春增添一景,虽然不美,但尽了努力,这种精神是值得赞扬了。
这是一首描绘暮春景色的七绝。乍看来,只是写百卉千花争奇斗艳的常景,但进一步品味便不难发现,诗写得工巧奇特,别开生面。诗人不写百花稀落、暮春凋零,却写草木留春而呈万紫千红的动人情景:花草树木探得春将归去的消息,便各自施展出浑身解数,吐艳争芳,色彩缤纷,繁花似锦,就连那本来乏色少香的杨花、榆荚也不甘示弱,而化作雪花随风飞舞,加入了留春的行列。诗人体物入微,发前人未得之秘,反一般诗人晚春迟暮之感,摹花草灿烂之情状,展晚春满目之风采。寥寥几笔,便给人以满眼风光、耳目一新的印象。
2、晓出净慈寺送林子方
【宋】杨万里
毕竟西湖六月中,风光不与四时同。
接天莲叶无穷碧,映日荷花别样红。
赏析
西湖美景历来是文人墨客描绘的对象,杨万里的这首以其独特的手法流传千古,值得细细品味。“毕竟西湖六月中,风光不与四时同”,首句看似突兀,实际造句大气,虽然读者还不曾从诗中领略到西湖美景,但已能从诗人赞叹的语气中感受到了。这一句似脱口而出,是大惊大喜之余最直观的感受,因而更强化了西湖之美。果然,“接天莲叶无穷碧,映日荷花别样红”,诗人用一“碧”一“红”突出了莲叶和荷花给人的视觉带来的强烈的冲击力,莲叶无边无际仿佛与天宇相接,气象宏大,既写出莲叶之无际,又渲染了天地之壮阔,具有极其丰富的空间造型感。“映日”与“荷花”相衬,又使整幅画面绚烂生动。全诗明白晓畅,过人之处就在于先写感受,再叙实景,从而造成一种先虚后实的效果,读过之后,确实能感受到六月西湖“不与四时同”的美丽风光。
3、岁晏村居
岁晏有馀粮,杯盘气味长。
天寒酒脚落,春近臛头香。
菜色青仍短,茶芽嫩复黄。
此中得深趣,真不羡膏梁。
作品赏析
石介长于文,但其诗也颇有可取者,这首《岁晏村居》就是一例。
石介是以反对“西昆体”而著名的。他以儒家道统自居,作《怪说》上、中、下三篇,反复申明自己的为文主张。他反对杨亿等为文的“穷妍极态,缀风月,弄花草,淫巧侈丽,浮华纂组。刓锼圣人之经,破碎圣人之言,离析圣人之意,蠹伤圣人之道”(《怪说》中篇);他痛心“今天下有杨亿之道四十年矣。今人欲反盲天下人目,聋天下人耳,使天下人盲,不见有杨亿之道,使天下人耳聋,不闻有杨亿之道”(《怪说》中篇)。实际上,《西昆酬唱集》的结集行世,石介尚在孩提之时。他在1030年(仁宗天圣八年)二十六岁时登进士第,与欧阳修为同榜,共有改革当时文风的志向。不过石介更为偏激,更喜以维护儒家道统而标傍。在作诗方面则认为:“歌颂吾职,其可已乎?”(见《宋史》卷四三二本传)他的五、七言诗,如《汴渠》、《麦熟有感》、《读诏书》、《西北》、《蜀道自勉》、《闻子规》等,均能写当时重大事件,以抒发一己的忧国之感。而其《岁晏村居》、《访田公不遇》等,写农村幽居生活,颇为清新,富有韵味。4、1、《春晓》
唐·孟浩然
春眠不觉晓,处处闻啼鸟。
夜来风雨声,花落知多少 [简析]
这首诗写的是春日早晨的景色。“春眠不觉晓,处处闻啼鸟”二句是说:春天夜短,睡着后不知不觉中天已亮了,到处是鸟雀的啼鸣声。这两句诗抓住春晨到处鸟鸣雀躁的音响特征,渲染出一种春意醉人的意境,烘托了春晨中一片盎然的生机。“夜来风雨声,花落知多少”二句,诗人在美梦乍醒、欲起未起之时,回想起昨夜的风雨声声,于是想见风雨过去必有很多落花,这里的听觉形象“风雨声 ”决不是令人感伤的“断肠声”,而是包蕴丰富的“更新曲”。千百年来,人们传诵它,探讨它,仿佛在这短短的四行诗里,蕴涵着开掘不完的艺术宝藏。
5、贺知章
碧玉妆成一树高,万条垂下绿丝绦,不知细叶谁裁出,二月春风似剪刀。
[简析]
这是一首咏物诗,通过赞美柳树,表达了诗人对春天的无限热爱。
诗的前三句都是描写柳树的。首句“碧玉妆成一树高”是写整体,说高高的柳树像是碧玉妆饰成。用“碧玉”形容柳树的翠绿晶莹,突出它的颜色美。第二句“万条垂下绿丝绦”是写柳枝,说下垂披拂的柳枝犹如丝带万千条,突出它的轻柔美。第三句“不知细叶谁裁出”是写柳叶,突出柳叶精巧细致的形态美。三句诗分写柳树的各部位,句句有特点。而第三句又与第四句构成一个设问句。“不知细叶谁裁出?”——自问;“二月春风似剪刀。”——自答。这样一问一答,就由柳树巧妙地过渡到春风。说裁出这些细巧的柳叶,当然也能裁出嫩绿鲜红的花花草草。它是自然活力的象征,是春的创造力的象征。这首诗就是通过赞美柳树,进而赞美春天,讴歌春的无限创造力。
6、渔歌子
张志和
西塞山前白鹭飞,桃花流水鳜鱼肥。
青箬笠,绿蓑衣,斜风细雨不须归。
[简析]
这首词描写了江南水乡春汛时期捕鱼的情景。有鲜明的山光水色,有渔翁的形象,是一幅用诗写的山水画。
首句“西塞山前白鹭飞”,“西塞山前”点明地点,“白鹭”是闲适的象征,写白鹭自在地飞翔,衬托渔父的悠闲自得。次句“桃花流水鳜鱼肥”意思是说:桃花盛开,江水猛涨,这时节鳜鱼长得正肥。这里桃红与水绿相映,是表现暮春西塞山前的湖光山色,渲染了渔父的生活环境。三四句“青箬笠,绿蓑衣,斜风细雨不须归”,描写了渔父捕鱼的情态。渔父戴青箬笠,穿绿蓑衣,在斜风细雨中乐而忘归。“斜风”指微风。全诗着色明丽,用语活泼,生动地表现了渔父悠闲自在的生活情趣。
7、【赏析】
诗人早年因避乱曾来到江南,旅居苏、杭二州。晚年又担任杭、苏刺史多年。江南的山山水水、一草一木都给他留下了深刻的印象。在晚年回到北方的时候,仍然怀恋不已。这首小令就是诗人在辞官苏州刺史,回到洛阳以后作的。作品表达了诗人对祖国大好河山的热爱,对他以后词的发展,也产生了积极的影响。
词作起笔“江南好”一语道破要写的地点,“江南。”继而一个“好”字深切地表达了诗人对江南美景的怀念和眷恋,一个再浅显不过的“好”字,却包含了整个江南春色*的种种佳处。“风景旧曾谙,”旧时谙熟的美好景致依然时刻在眼前闪现。诗人无论是早年漂泊,还是晚年为官,都曾经与那里的一草一木一山一水结下过难解之缘,而今即使远居北方洛阳,那熟识的美景也依然那么熟悉,依然那么亲切,依然常常浮现在自己的眼前。
“日出江花红胜火,春来江水绿如蓝。”在诗人的记忆里,江南让他眷恋的东西很多很多,然而诗不同于文,不可能把种种佳处都写出来,因此,诗人巧妙地摄取了一年之中最美丽的春天里的初日照耀下的“江花”和“绿如蓝”的一江春水这极少的景致,以一当百,以少胜多,写得简洁,写得鲜活,写得生动,写得色*彩浓艳,写得生机盎然。如此迷人的江南春色*,却看他不到,教诗人怎“能”不“忆江南”呢?不要说诗人自己,就连我们这些欣赏佳作的后人都难免会产生欲去江南一睹为快的想法。夏:
1、《山亭夏日》
唐·高骈
绿树浓阴夏日长,楼台倒影入池塘。
水晶帘动微风起,满架蔷薇一院香。
山亭夏日高 骈绿树阴浓夏日长,楼台倒影入池塘。水晶帘动微风起,满架蔷薇一院香。赏析:这首诗在炎夏读来倍感清凉安详。在山间幽静的庭院里,入眼都是绿树浓阴,楼台在水池中留下倒影,微风拂过,水晶一样的帘子轻轻晃动,蔷薇的香气也在随之荡漾开来,充盈在庭院的每一个角落。诗人捕捉了微风之后的帘动、花香这些不易觉察的细节,传神的描绘了夏日山亭的宁静。
2、《仲夏》 唐·樊旬 江南仲夏天,时雨下如川。
卢桔垂金弹,甘蕉吐白莲。
3、《孟夏》唐·贾龠
江南孟夏天,慈竹笋如编。
蜃气为楼阁,蛙声作管弦。
4、《小池》宋·杨万里
泉眼无声惜细流,树阴照水爱晴柔。
小荷才露尖尖角,早有晴蜓立上头。
5、《夏意》宋·苏舜钦
别院深深夏簟清,石榴开遍透帘明。
树阴满地日当午,梦觉流莺时一声。
“别院深深夏席清”:“夏”字点明节令,而“别院”、“深深”、“清”三词却层层深入,一开始即构成清幽的气氛。别院即正院旁侧的小院。深深,言此小院在宅庭幽深处,小院深深,曲径通幽,在这极清极静的环境中有小轩一座,竹席一领。韩愈《郑群赠簟》诗曾以“卷送八尺含风漪”、“肃肃疑有清飚吹”形容竹席。“夏席清”,正同此意,谓虽当盛夏,而小院深处,竹席清凉。深深是叠词,深深与清,韵母又相近,音质均清亮平远。这样不仅从文字形象上,更从音乐形象上给人以凉爽幽深之感。
“石榴开遍透帘明”:“帘”字点明夏席铺展在轩屋之中。诗人欹卧于席上,闲望户外,只见榴花盛开,透过帘栊,展现着明艳的风姿。韩愈曾有句云“五月榴花照眼明”(《榴花》),第二句化用其意,却又加上了一重帷帘。隔帘而望榴花,虽花红如火,却无刺目之感。
6、《闻蝉》唐·耒鹄
绿槐影里一声新,雾薄风轻力未匀。
莫道闻时总惆怅,有愁人有不愁人。
7、《夏日六言》宋·陆游
溪涨清风拂面,月落繁星满天。
数只船横浦口,一声笛起山前。
溪涨清风满面”。溪涨,暗示着刚刚下了一场雨。大雨洗却了夏日的烦躁与郁闷,带来了阵阵清风。溪水上涨,诗人临溪而立,自然心旷神怡。
“月落繁星满天”。写仰望之景。月落星显,静中见动。“月落”,足见夜之深沉。立于溪边,静听水声,直到月隐星现,足见诗人之沉迷、爱恋与执着。
“数只船横浦口。写水边之景。繁星之下,蒲口的几艘船只隐隐可见。一个“横”字,以动写静,突出了星月之夜江边的静谧。
“一声笛起山前”。一阵悠远的笛声传来,将诗人的视线牵到了远方黑黝黝的山影。夜已深,月已落,星光之下,山影朦胧。悠远的笛声,激活了诗人的审美联想与审美期待,产生了无穷的兴味。
全诗四句四景,二十四字,却调动了读者的多种感知,虚实相生、动静相宜、层次分明地将一幅清新、恬淡、静谧、悠远的山乡夏夜图呈现与读者面前,实为写景诗中不可多得的佳作。
1、《宿建德江》唐·孟浩然
移舟泊烟渚,日暮客愁新。
野旷天低树,江清月近人。
2、《秋思》唐·张籍
洛阳城里见秋风,欲作家书意万重。
复恐匆匆说不尽,行人临发又开封。赏析
这是乡愁诗。通过叙述写信前后的心情,表达乡愁之深。第一句交代“作家书”的原因(“见秋风”),以下三句是描写作书前、作书后的心理活动。作书前是“意万重”,作书后是“复恐说不尽”。“临发开封”这个细节把“复恐说不尽”的心态表现得栩栩如生,意形相融。写的是人人意中常有之事,却非人人所能道出。作客他乡,见秋风而思故里,托便人捎信。临走时怕遗漏了什么,又连忙打开看了几遍。事本子平,而一经入诗,特别是一经张籍这样的高手入诗,便臻妙境。这在诗坛上并不是常有的。当然以家书为题材的作品,在唐诗中也不乏佳作。像岑参的《逢入京使》:“马上相逢无纸笔,凭君传语报平安。”写作者戎马倥偬,路遇使者,托传口信以慰家人。杜甫的《春望》:“烽火连三月,家书抵万金。”写作者身陷安禄山占领下的长安,不知战乱中的家人是否安吉,切盼来书以慰远情。他们都用独特的技巧表达了思家的心情。这首诗与众不同的是寄深沉于浅淡,寓曲折于平缓,乍看起来,寥寥数语,细细吟味,却有无穷意味。
3、《秋月》宋·程颢
清溪流过碧山头,空水澄鲜一色秋。
隔断红尘三十里,白云红叶两悠悠。在这首《秋月》中,诗人借助于秋月下的小溪描写抒写了超脱尘世、闲适自在的情趣,流露了追求光明磊落的思想情怀。
“清溪流过碧山头,空水澄鲜一色秋”。清亮的溪水绕着碧绿的青山,缓缓流来,碧蓝的天空倒映于水中,是那样澄明、纯洁,两者融为一色,浑然一体。如果没有天地间弥漫着皎洁、明亮的月光,诗人怎能在秋夜中欣赏水之清,山之碧,水之澄鲜呢? “隔断红尘三十里,白云红叶两悠悠”,诗人在静观秋光月色之中油然而生出一丝超尘脱俗、悠然自得之物外心境。“白云”、“红叶”,既是带有象征意义的幻像,又是诗人在秋月下所见的山林实景。从象征意义上说,这“白云”的任意漂游,“红叶”的飘逸自得,更是诗人悠闲清静心境的真是写照。我们再回过头来仔细品味一下,作品题为“秋月”,而笔墨却始终集中在写秋月笼罩下的山间小溪上,这就是构思的独到之处。碧绿的山头,碧蓝澄静的夜空,悠悠飘荡的云朵,飘逸洒脱的枫叶,这些都是围绕着缓缓流淌的小溪而写的,但是却无一不浸染着明亮、柔和的月光。全篇无一笔写月,却又处处见月,可谓大家手笔。(2009-5-21)
4、《中秋月》宋·苏轼
暮云收尽溢清寒,银汉无声转玉盘。
此生此夜不长好,明月明年何处看。
首句言月到中秋分外明之意,但并不直接从月光下笔,而从“暮云”说起,用笔富于波折。明月先被云遮,一旦“暮云收尽 ”,转觉清光更多。句中并无“月光 ”、“如水”等字面,而“溢”字,“清寒”二字,都深得月光如水的神趣,全是积水空明的感觉。月明星稀,银河也显得非常淡远。“银汉无声”并不只是简单的写实,它似乎说银河本来应该有声的,但由于遥远,也就“无声”了,天宇空阔的感觉便由此传出。今宵明月显得格外团,恰如一面“白玉盘”似的。语本李白《古郎月行》:“小时不识月,呼作白玉盘。”此用“玉盘”的比喻写出月儿冰清玉洁的美感,而“转”字不但赋予它神奇的动感,而且暗示它的圆。两句并没有写赏月的人,但全是赏心悦目之意,而人自在其中。明月团,更值兄弟团聚,难怪词人要赞叹“此生此夜 ”之“好”了。从这层意思说,“此生此夜不长好 ”大有佳会难得,当尽情游乐,不负今宵之意。不过,恰如明月是暂满还亏一样,人生也是会难别易的。兄弟分离在即,又不能不令词人慨叹“此生此夜”之短。从这层意思说,“此生此夜不长好”又直接引出末句的别情。说“明月明年何处看”,当然含有“未必明年此会同 ”的意思,是抒“ 离扰”。同时,“何处看”不仅就对方发问,也是对自己发问,实寓行踪萍寄之感。末二句意思衔接,对仗天成。“此生此夜”与“明月明年”作对,字面工整,假借巧妙。“明月”之“明”与“明年”之“明”义异而字同,借来与二“此”字对仗,实是妙手偶得。叠字唱答,再加上“不长好”、“何处看”一否定一疑问作唱答,便产生出悠悠不尽的情韵。
5、《秋日》宋·程颢
闲来无事不从容,睡觉东窗日已红。万物静观皆自得,四时佳兴与人同。道通天地有形外,思入风云变态中。富贵不淫贫贱乐,男儿到此是豪雄。
6、《秋词》唐·刘禹锡
山明水净夜来霜,数树深红出浅黄。
试上高楼清入骨,岂如春色嗾人狂。
7、《秋夕》唐·杜牧
银烛秋光冷画屏,轻罗小扇扑流萤。
天阶夜色凉如水,坐看牵牛织女星。
1、《江雪》唐·柳宗元
千山鸟飞绝,万径人踪灭。
孤舟蓑笠翁,独钓寒舟雪。
2、《夜雪》唐·白居易
已讶衾枕冷,复见窗户明。
夜深知雪重,时闻折竹声。
3、《雪梅》宋·卢梅坡
有梅无雪不精神,有雪无诗俗了人。
日暮诗成天又雪,与梅并作十分春。
4、《雪梅》宋·卢梅坡
梅雪争春未肯降,骚人阁笔费评章。
梅须逊雪三分白,雪却输梅一段香。
古今不少人往往把雪、梅并写。雪因梅,透露出春的信息,梅因雪更显出高尚的品格。如毛泽东《卜算子·咏梅》中就曾写道:“风雨送春归,飞雪迎春到。已是悬崖百丈冰,犹有花枝俏。俏也不争春,只把春来报。待到山花烂漫时,她在丛中笑。”雪、梅都成了报春的使者、冬去春来的象征。但在诗人卢梅坡的笔下,二者却为争春发生了“磨擦”,都认为各自占尽了春色,装点了春光,而且谁也不肯相让。这种写法,实在是新颖别致,出人意料,难怪诗人无法判个高低。诗的后两句巧妙地托出二者的长处与不足:梅不如雪白,雪没有梅香,回答了“骚人阁笔费评章”的原因,也道出了雪、梅各执一端的根据。读完全诗,我们似乎可以看出作者写这首诗是意在言外的:借雪梅的争春,告诫我们人各有所长,也各有所短,要有自知之明。取人之长,补己之短,才是正理。这首诗既有情趣,也有理趣,值得咏思。
5、《观雪》 宋·杨万里
坐看深来尺许强,偏於薄暮发寒光。半空舞倦居然嬾,一点风来特地忙。落尽琼花天不惜,封它梅蕊玉无香。倩谁细橪成汤饼,换却人间烟火肠。
6、《夜雪》 唐·白居易 已讶衾枕冷,复见窗户明。
夜深知雪重,时闻折竹声。
“已讶衾枕冷”,先从人的感觉写起,通过“冷”不仅点出有雪,而且暗示雪大,因为生活经验证明:初落雪时,空中的寒气全被水汽吸收以凝成雪花,气温不会马上下降,待到雪大,才会加重空气中的严寒。这里已感衾冷,可见落雪已多时。不仅“冷”是写雪,“讶”也是在写雪,人之所以起初浑然不觉,待寒冷袭来才忽然醒悟,皆因雪落地无声,这就于“寒”之外写出雪的又一特点。此句扣题很紧,感到“衾枕冷”正说明夜来人已拥衾而卧,从而点出是“夜雪”。“复见窗户明”,从视觉的角度进一步写夜雪。夜深却见窗明,正说明雪下得大、积得深,是积雪的强烈反光给暗夜带来了亮光。以上全用侧写,句句写人,却处处点出夜雪。
“夜深知雪重,时闻折竹声”,这里仍用侧面描写,却变换角度从听觉写出。传来的积雪压折竹枝的声音,可知雪势有增无减。诗人有意选取“折竹”这一细节,托出“重”字,别有情致。“折竹声”于“夜深”而“时闻”,显示了冬夜的寂静,更主要的是写出了诗人的彻夜无眠;这不只为了“衾枕冷”而已,同时也透露出诗人谪居江州时心情的孤寂。由于诗人是怀着真情实感抒写自己独特的感受,才使得这首《夜雪》别具一格,诗意含蓄,韵味悠长。冬天:
7、“孟冬寒气至 孟冬寒气至,北风何惨栗。愁多知夜长,仰观众星列。三五明月满,四五蟾兔缺。客从远方来,遗我一书札。上言长相思,下言久离别。置书怀袖中,三岁字不灭。一心抱区区,惧君不识察。
三五”两句并非写月,而是展现主人公的内心活动。观星之时自然会看见月,因而又激起愁思:夜夜看星星、看月亮,盼到“三五”
(十五)月圆,丈夫没有回来;又挨到“四五”(二十)月缺,丈夫还是没有回来!如此循环往复,月复一月,年复一年,丈夫始终没有回来啊!
“客从”四句,不是叙述眼前发生的喜事,而是主人公在追想遥远的往事。读后面的“三岁”句,便知她在三年前曾收到丈夫托人从远方捎来的一封信,此后再无消息。而那封信的内容,也不过是“上言长相思,下言久离别”。不难设想:主人公在丈夫远别多年之后才接到他的信,急于人信中知道的,当然是他现在可处、情况如何、何时回家。然而这一切,信中都没有说。就是这么一封简之至的信,她却珍而重之。“置书怀袖中”,一是让它紧贴身心,二是便于随时取出观看。“三岁字不灭”,是说她像爱护眼睛一样爱护它。这一切,都表明了她是多么的温柔敦厚!
结尾两句,明白地说出她的心事:我“一心抱区区(衷爱)”,全心全意地忠于你、爱着你;所担心的是,我们已经分别了这么久,你是否还知道我一如既往地忠于你、爱着你呢?有此一结,前面所写的一切都得到解释,从而升华到新的境界;又馀音袅袅,馀意无穷。