日本文学作品鉴赏有感

时间:2019-05-13 21:57:20下载本文作者:会员上传
简介:写写帮文库小编为你整理了多篇相关的《日本文学作品鉴赏有感》,但愿对你工作学习有帮助,当然你在写写帮文库还可以找到更多《日本文学作品鉴赏有感》。

第一篇:日本文学作品鉴赏有感

日本文学作品鉴赏课有感

多学习一种文化,多开拓一种思维。也许是因为日本动漫或是身边朋友的潜移默化,我很早就知道自己喜欢日本的一些文化,即使知道日本和本民族有过血海深仇,也常见电视剧里抗日剧或是历史书上的种种,但是还是无法阻挡我想了解日本文化的脚步,我自己常看日本动漫、日剧、鬼片,听日语歌,选修过标准日本语,也选修过张老师的日本社会文化概要,唯一没了解过日本的文学作品,然这次很荣幸又选到老师的日本文学作品鉴赏课,上过老师的课,已经了解不少日本文化,暑假时还专门借了《源氏物语》和《伊豆的舞女》回去看,因为特别深刻记得老师在课上提过的这两本书,下面容我稍稍谈谈本学期我从日本文学作品鉴赏课的所思所得。

虽同属于东方国家,但日本和中国的文化差异却也非常大。老师开篇讲的《古事记》和中国的盘古开天地、女娲造人等神话故事类似,不同于中国的创造神话是劳动创造、神的意志等多种形式的结合,日本的创生神话主要是两性结合孕育的方式,如伊邪纳岐和伊邪那美两性的结合产生了日本列岛。日本神话的这种有性创生形成了日本文化的性文化意识崇拜,而中国的创造神话则形成了中国文学中对英雄崇拜意识和牺牲自我,重视群体的精神。中国神话强调个人在世界上的使命,倡导天下为公、大公无私、德行至上的道德伦理观,肯定人的社会性和社会责任。日本神话则充分肯定个人的权利、利益和个人的价值,充分理解人的自然性和自由性,甚至认同了满足自己的欲望,为了个人尊严,可以不择一切手段的做法。不能说谁的文化的优劣,至少了解了中国人保守思想与日本人开放思想的来源于文化的差异,我虽不赞同为个人而不择手段,但是我更倾向于追求人的自然性、自由性,觉得一个真正美好的社会就是可以让人人只要顾及自己,不必为其他所累,就像让官员真正成为一种职业,而不是一种权力的象征地位,让人们有权选择参政或者不问政治。

世界第一部长篇小说《源氏物语》,我很早就看过电影了,但是当时对日本文化接触不多,没怎么看懂它要表达什么,以为是寻常男欢女爱的故事,现在想来我要是看《红楼梦》电视剧也不会觉得是反映了什么社会现状。而小说,我暑假也没法坚持看下去,一是书实在太厚了,二是我惯于看中国文学作品,一下子接受不了日本文学作品的写法,看久了觉得枯燥无味。但课上经过老师的讲解,我对《源氏物语》有了更多更深入的了

也无法很准确的定位,对我自己要成为什么样的人也感到困惑,总是顺其自然、马马虎虎的过,一旦思考这类问题就头痛。很多时候,我喜欢思考人性方面的问题,但又不敢深究,怕自己纠结。每天看新闻,社会上发生各种各样的事情,各种人性道德的碰撞,我每每感叹不已。《罗生门》的故事已经让我很有感触,当自身生存与人性道德发生碰撞时,到底该做出何种选择!而《罗生门》的电影,更是提升了一个档次,如今社会依然存在各种各样的“罗生门事件”,都不过是人们为了维护自己的利益所编织的谎言。喜欢老师课上讲的“所谓真相,不过是有话语权人的描述。每个人为了自己的利益而编造自己的谎言,让真相更加扑朔迷离。语言的世界里,真相其实并不存在,有的只是片面的印象。”让我想到身边很多事情,不论对错,每个人确实所说的话都是为了维护自己,即使自己不肯承认,但是本能却是会如此。我既觉得无奈又悲哀,个人尚且如此,更何况更大的集体组织,记得“蓝可儿事件”、“马航事件”等等,多少真相早已沉埋于土,永不见天日,人们追求的到底是真相还是为了维护自己或群体的利益而放弃寻求真相。我之前看过《人性的弱点》一书,无法否定人确实存在许许多多的“弱点”,老师的这堂课真的让我又思考了很多,人,是不是该去克服所谓人性的弱点!然而无论如何我只能做主我自己一人的思想,而无法影响千千万万人们的思想。其他像《万叶集》《平家物语》等的文学作品,我比较不感兴趣,没多加注意,且避不谈。

这学期的日本文学作品鉴赏课,其实让我收获很多,要真正阅读鉴赏一部文学作品,必然要先了解作品的时代背景,作者的生平等等很多相关的资料,才能真正深入感受作者创作的意图、聆听作者的心声,挖掘出文学作品更深层的内涵。日本的文学作品让我感受到了异域文化的色彩,以其特有角度的描写表现出其独特的思考,让人耳目一新。我不敢说鉴赏了什么文学作品,只能在此谈谈自己从老师课上讲的所得到的启示和感悟。我总是很擅长从一件事、一个故事或是一句有深意的话中去思考,也许领悟到什么、也许只是空想,复杂的社会,可以简单的生活,但有些东西始终是无法逃避的。以上所有言论,或是我一时之气写下,或是也思考了许多才下笔的,都不过说出自己想说的。最后,那句话,我也希望从是是非非的事件里剖析到实实在在的人性。

第二篇:日本文学作品及作者介绍

村上春樹は1949年1月12日に生まれて、日本の小説家、米文学翻訳家、エッセイスト、ノンフィクション作家です。早稲田大学映画演劇科卒業して、1979年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞して、デビューしました。2006年フランスカフカ賞を受賞して、以後ノーベル文学賞の有力候補と見なされています。

作品绍介

主な作品に『ノルウェイの森』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『海辺のカフカ』『1Q84』などです。その中に、『ノルウェイの森』はとても人気でした。この作品は主人公渡辺さんが二人の女の子との恋愛経験を通して、死を迎えるしかたなさと無力感を感じられる物語です。2、あらすじ:60年代末ごろ、「大学解体」「自己否定」のスローガンに象徴される東大闘争の理念先行的なスタイルを模倣し、全国に波及していく。高度成長という社会の地殻変動だ。貧困や差別といったわかりやす い「近代的不幸」とは異なる次元で、不登校など、人々は新たに表れた「現代的不幸」を感じ取っていた。自分はなんなのだ、どんなふうに生きればいいのだという、いわば自分探しだ。若者たちの反乱とは、こうした実存的問いが大きな社会変動の中で必然的に浮上した。

作者もこういう波に呑まれ、自分はなんなのだ、どんなふうに生きればいいのだという疑問を持っている。この文章はこんな彷徨っていた日本で、作者は中学の夜警をやったときに起こったことである。ある夜真っ暗だった。3時に廊下を通りすぎたとき、暗闇の中で何の姿が見えたような気がして、実はそれは作者自身が鏡に映った像である。作者は怖がって、木刀で鏡を壊し、部屋に戻った。翌日そこに戻って、当時落ちた吸殻と木刀はあったけど、鏡なんてなかったと言う怪談である。

まとめ

主人公は68年から69年にかけて、全国の大学を中心とする学園紛争が燃え盛りました。紛争は、60年代の半ばから始まり、ピーク時には、全国の大学の約8割に当たる165校がストライキを含む紛争状態に入りました。68年に拡大した背景には、世界の青年・学生等の運動の高まりがあります。中国の文化大革命の若者のスローガンである「造反有理」、ソ連型社会主義に反発して市民が起ち上がった旧チェコスロヴァキアの「プラハの春」、そして世界各地で起きたスチューデント・パワーと呼ばれる大規模な学生運動です。当時、学生は体制打破がほしいでしたが、現在の社会の制度や仕組みは資本主義、それがいやだ、社会主義と共産主義がいいとおもっていた。理想社会を創造しよう。その結果、一般的には大学の民主化、教学の一定の改善がみられました。それを受けて、70年代は大学による自主改革と官僚統制の拮抗期に入りました。”鏡”では、鏡に写った自分がこちら側の自分ではなく、別人であり、彼には悪意が感じられる、実は心の底の自分は、現実の自分がいやだので、僕以外の僕とは、あちら側の誰かのことではないでしょうか。あちら側の誰かは、僕を捉えあちら側に連れていこうと、常にそばにいつづける。僕は中学校の夜警の時以来、あちら側との接点を持つものが鏡だと思っており、悪意に満ちたあちら側の誰かに引きこまれそうになった恐怖の体験から、死の感覚を遠ざけておきたいという考えからだと思います。主人公は社会のまよっていた波に呑

みこまれた一人だ。正しい生方がしらなかったから、みんなのやり方についていった。しかし、本当の自分がいったい誰か、いったい何をしたいだか、自分はいままで考えたことがない。そして、内心からそんな自分がいやだ、恐れを感じていった。だから、作者は読者に忠告をしてくれた、本当の自分の好きな生き方,本道に自分をしたいことをよく考えてください。迷っていた状態で、生きていくことはだめだ。

羅生門

芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年-1927年)日本の小説家。号は澄江堂主人、俳号は我鬼。東京市京橋区入船町に牛乳屋を営む新原敏三の長男として生まれる。辰年・辰月・辰日・辰の刻に生まれたことから、龍之介と命名される。生後7ヵ月後頃に母が精神に異常をきたしたため、母の実家の芥川家に預けられ、伯母に養育される。11歳の時に母が亡くなり、翌年に叔父芥川道章の養子となり芥川姓を名乗ることになった。

その作品の多くは短編である。また、「芋粥」「藪の中」「地獄変」「歯車」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」といった児童向けの作品も書いている。

四 まとめ

羅生門はとてもおそろしい、悲しい物語だと思う。

下人は悲劇な人物だと思う。最初、下人が仕事を失ったが、盗人にもなれなかった。初めて、老婆を見て恐怖を感じる。しかし、その老婆は死人の髪の毛を抜くという行為が分かると、下人は正義感を燃やす。理由を問わず、許すをべからざる悪だと下人はおもう。しかし、最後に下人は老婆の着物を奪ってしまう。老婆は生前悪事を犯した人間に対しては悪事報いがあるのは当然だ。因果応報なので、下人もこの正義に従って自分の行為が正義化にする。

その強いものは弱いものから奪ってよい、弱肉強食はどこにでも見られる生きるための綻だった。下人は老婆の言葉を逆手にとって、自分の盗人行為を正当化する。悪事を働く勇気となる。この勇気は下人を支えてくれる。しかし、この勇気は本当のじゃない。間違った勇気で生きて行く下人の将来はもっと深い闇には真って行く。

平安末期を背景にして、これ現像は個別的ではない、作者はこの三人を批判するだけではなく社会現実に迫られる人々の生活を反映している。三人は生きる希望があるのことを同情する。この時代に対して不満を表す。

「伊豆の踊り子」

川端 康成(1899年〈明治32年〉6月14日—1972年〈昭和47年〉4月16日)は日本の小説家である。

大阪府大阪市北区此花町に生れ、医師の父栄吉、母ゲンの長男。1901年(明治34年)父、翌年母が亡くなり、大阪府三島郡豊川村大字宿久庄(現茨木市宿久庄)で祖父母に育てられた。小学校入学の年祖母、4年の時姉、中学3年の5月に祖父が亡くなり、全くの孤児になった。母の実家に引き取られ、親戚の世話になりながら茨木中学を終え、旧制第一高等学校、東京帝国大学文学部国文学科と進んだ。大学卒業後、横光利一らと共に「文藝時代」を創刊し、新感覚派の代表的作家として活躍した。「伊豆の踊子」「雪国」「千羽鶴」「山の音」「眠れる美女」「古都」など死や流転のうちに「日本の美」を表現した作品を発表し、1968年(昭和43年)に日本人では初となるノーベル文学賞を受賞し

た。1972年(昭和47年)、ガス自殺を遂げ、満72歳で死去した。

二、あらすじ

主人公は一高の学生である。世間的にはエリートだが、孤児で劣等感に悩む青年で、友達もできなかった。本音をはける人もない。東京は繁栄している町だから、にぎやかで生活の負担も重いであろう。そして、主人公は重苦しい感じから逃げるのために、伊豆の旅

四、まとめ

この小説は作者の自伝的な作品だと言える。作者が若いころ伊豆へ旅行した時の気持と経験に基づいて書かれた。

私は孤児根性に悩んでいて、憂さをはらすために伊豆の旅に出、踊り子一行と出会った。踊り子は美しいだけではなく、純真さと無垢、清らかな心を持った少女である。この清らかな美しさは大人の女性とは違う、少女特有の魅力だ。私はそんな踊り子に引き付けられ、彼女たちと一緒に旅をした。そしてだんだん踊り子に感化されて、孤児根性から脱し、人間本来の気持を取り戻した。踊り子は世間的には卑しい旅芸人にすぎない。彼女たちは生きるために、自分の美、芸を商品にして、人々からお金をもらって生活している、当時の社会の下層の人だ。一方、私は高等学校の学生で、本来なら皆に羨まれる身分だ。しかし、そんな私だが孤児根性に苦しみ、自分自身を嫌っている。そんな私が踊り子の美と清純さに清められて、汚れのない清らかさやに素直に共感でき、その悩みを解消し、孤児根性を忘れることができた。こうして踊り子は私の心を救った。この事実から生ずる疑問は、誰がもっとも尊いのか。人を判断するのはいったい何なのかということだ。身分が高い私、踊り子の美、芸を買うお客さん、重要なのは人の心である。美、純真さは尊い。人々に身分の上下があるかもしれないが、重要なのはそんなものではないと思う。これこそ主人公にとって人生の支えになる大切なものである。この宝物を持ち続けていさえすれば、彼は人生を切り拓いて行けるだろう。

山 月 記

中島敦

1909年 5月5日気管支喘息で死去する。以後、国語教科書に「山月記」が多く掲載されたため広く知られた作家となる。

『光と風と夢』は、中島敦の長編小説。禍ロバート・ルイス・スティーヴンソンの南洋生活記の体裁を採っている。『文字』は短編小説。深田久弥の推薦により、『古譚』の総題で『山月記』とともに発表される。

『李陵』他いくつかの作品は、遺作として没後発表された。漢文調の格調高い端正な文体とユーモラスに語る独特の文体を巧みに使い分けている。読解:

一、李徴はどうして詩人として名を成さなかったのか?

1、最初は運命だと思う。

a ,生活が苦しく、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために、再び官吏の職を奉ずる。

b ,詩業に絶望して、詩人になれないと思う。自分のことを否定した。2、袁さんによって、李徴は詩人として非凡な才と素質があったが、人間性が欠けって、詩が完璧とならない。

3、李徴は自分のことを反省した:

a ,臆病、卑怯な人:師に就いたり、詩友と変わって切磋琢磨に努めたり事をしなかった。自分才能の不足を暴露する恐れがあるからだ。b ,怠惰な人:才能を専一に磨かなかった。

c ,自己中心、自分の詩業を考えてばかりで、家族をおろそかにしてしまった。

まとめ:

現代の社会では、李徴のように自分の夢を実現するため、やり方を間違って、失敗してしまった人がたくさんいる。人間にとって、野心を抱き成功を求めることは当然のことだ、しかし、その実現に向けてふさわしい手段を選ぶことは一番重要だと思う。李徴はせっかく詩人として大成する大きる目標を立てたものの、その修業課程で自分の弱さ(怠け癖、卑怯さなど)を克服することは忘れていた。もし人間が、分かっているのにどんどん悪いほうへ進んでいけば、運命の過酷さに遭うのは当然だ。努力しても駄目だ。だから正しい道を選んで努力することが成功の分かれ道だ。

ナイン

井上ひさし

1934年山形県東置賜郡小松町(現・川西町)に生まれて。本命簸井上廈、遅筆堂(ちひつどう)を名乗ることもある。自他共に認めるたいへんな遅筆で有名だから。日本の小説家、劇作家、放送作家、文化功労者、日本藝術院会員です。

1958年処女劇曲『うかうか三

十、ちょろちょろ四十』で芸術祭脚本奨励賞受賞。代表作は『ひょっこりひょうたん島』、『吉里吉里人』『四千万歩の男』『父と暮せば』などがあります。

2、作品:ナイン

井上ひさしの心温まる名短編です。

昔入っていた少年野球団のキャプテンが、その少年野球団のかつての仲間に「悪いことをしてしまった」と聞いた主人公の子英夫くんと、その話をする周りの人たちの会話を綴った短編小説です。少年野球団の皆は「理屈ではない信頼、同じ時間と体験を共有した仲間だけ」のような考えが持ちます。D:まとめ

東京で五輪大会が開かれた年の新宿はささやかにではあるが、しっかりと自給自足している。今は(1984,1985年)新しい大会社のビルがいくつも建ったせいで、道幅は狭くなり、いろんな店があり、一番にぎやかな場所になった。自給自足の頃の生活は静かで貧しかったが皆ちゃんと挨拶するし、よく繋がっていった。ところが、今の周りは知らない顔で挨拶することも、応援してくれることもない。つまり人情も薄い。貧しくても人情深かった環境で育てられたナインの人達は集団意識と仲間意識が強っかた。今もその意識は残っている。だから、常雄と英夫は正太郎に騙されても許そうとする。人の変化は周りの環境と密接な関係がある。洗濯屋の正太郎のお父さんは女出入りで、ものすごい夫婦喧嘩になり、そのたびに正太郎は家出をした。そのときから正太

郎は段々だめな人間になってきた。物語の終わりの描写から作者の残念な気持ちが読める。昔のナインの精神がなくなっていくこととナインの精神を持っている青年がいなくなることに胸を痛めている。

『山椒魚』

井伏鱒二(1898{明治3}-1993{平成5})本名鱒二だ。

父は彼の五歳のときに亡くなった。その後彼は彼の祖父にかわいがられて育った。井伏鱒二は小説家として、さまざまな文学賞を得た。1919年(大正8)に早稲田大学予科に入り、仏文科に進学したが結局卒業しなかった。作品は「駅前旅館」。「駅前旅館」はを舞台に繰り広げられた作品だ。「黒い雨」清書作業で写される日記によって悲惨な原爆体験が再現されていきます。なんと街に降った放射能が含まれている黒い雨を浴びたのが原因らしかったのです。清書がおわったとき病状は既に奇蹟に頼るしかないほど悪化してました。「山椒魚」うっかりして棲家の岩屋から出られなくなった山椒魚は、穴の外の景色を眺めて暇をつぶすが、自由を奪われたと知り悲歎にくれる。あるとき岩屋に迷い込んだ蛙を見て閉じ込めて、言い争いになるが、もはや岩屋から出るのはあきらめるしかなかった。

二、あらすじ

この物語りは童話のような物語りである。登場人物は全部小動物である、主人公は山椒魚

頭が大きすぎで、すみかの岩屋から出られなくなった山椒魚は、岩屋の狭い出入り口から外を覗き見することを好む。彼は視野に入ってきた一群れのメダカの不自由さを嘲笑した。また、産卵期のこえびを見て、物思いにふけていると誤解し、短絡に岩屋から脱出したものの失敗しまった。そして、みずすましの活発な光景を見て、自分の不幸を意識した。岩屋が永遠のすみかになったと知って狼狽して且つ絶望と感じた。ある日、山椒魚の世界に一匹の蛙が誤って紛れ込んできた。山椒魚はかわいそうな蛙を岩屋に閉じ込めてしまう。山椒魚はこの蛙と激しい口論を続けていた。二年間が経て、山椒魚と蛙との間はいつの間にか友情が生まれてきた。

人間は山椒魚のように空想に夢中になったり、問題解決のための具体的行動をしなかったり、考えるばかりで、ほかの人を馬鹿にして、自らは反省をしなかったり、簡単に絶望に陥ったりすることもある。一方、蛙のように、同類の苦しみを深く体得することができ、心から同情、許すこともできる。人間はそのような矛盾する生物だ。だから、人間はできるだけ悪い性質を防いで、現実から逃れないで、不幸な境遇にであっても、直面することが必要だ。

第三篇:文学作品类阅读鉴赏

文学作品类阅读鉴赏 ——养成规范阅读的习惯

教学目标:

1、明确散文复习的目标、思路

2、学习散文规范阅读的方法

3、通过练习,让“规范”成“习惯” 教学重点:

规范阅读方法的点播 教学难点:

引导学生做练习,熟练掌握方法,准确快速解读文本 课时:两课时 教法:点拨、练习教学过程:

一、明确近十年高考常考文学作品体裁:散文(写景类、状物类、写人类、议论类)

二、平时做题普遍存在问题

1.对文本理解一知半解,靠直觉想象答题,答案脱离文本 2.审题不严密,答非所问 3.答题思路不明确,遗漏要点

4.语言组织不规范,表述不准确不通畅

三、明确复习思路——两大步

●规范阅读步骤:养成规范的阅读习惯

●规范答题:包括答题思路、答题模式、表达术语三方面

四、明确复习目标:

1.平均分15分以上,争取20分,消灭个位数分。2.让“规范”成为“习惯”。

五、规范阅读达成目标

1、明确结构思路

2、基本了解形象特点

3、基本把握感情主旨

六、导入新课

1、回顾第五次月考现代文阅读

(1)阅读思路:从标题入手,阅读时注意哪几段写到了“请到阆中来过年”,为什么到阆中来过年。根据此思路理清文章的行文思路。(2)结构层次:

1-6段,写在厦门过年不让放鞭炮的寡淡无味。引出下文朋友相约到阆中去过年。7-11段,朋友介绍阆中过年与厦门过年的不同点(4个特点)。

12-16段,作者亲赴阆中,品小吃,游古迹,更加坚定到阆中过年的决心,而且表明到阆中过年的急切心情。

2、第六次月考现代文阅读

(1)阅读思路:从标题入手,阅读时注意哪几段写到了“汉家寨”,“汉家寨”有什么特点,表达了作者什么感情。根据此思路理清文章的行文思路。(2)结构层次:

1-4段,写走近汉家寨的过程,描写了铁色戈壁的特点,烘托了汉家寨的环境,为下文写汉家寨作铺垫。

5-28段,写在汉家寨所见所闻(汉家寨的地理位置、环境特点及汉家寨人顽强勇敢、坚守故土的精神品质)。

29-33段,写作者离开汉家寨及其所感(作者精神境界的升华)。

3、小结

从标题入手分析文章结构思路是我们从高一以来一直沿用的方法。阅读过程有以下要求:(1)标明段落序号

(2)阅读时注意哪几段集中写了与标题相关的内容(景、物、人、事),其它段落写了什么内容,与中心段什么关系。

(3)还要注意写了形象什么特点,表达了作者什么感情(4)注意:必须养成用笔标注的习惯!

七、学习新课

(一)平时所选大部分文本结构特点:开篇先写其它景物或人事,为正文内容作铺垫,中间部分

是文章主体,最后往往升华主题。因为不直接写主题内容,需要别的内容作铺垫,所以称这类结构为——铺垫式

例:《彩色的荒漠》

1、共8个自然段

2、结构层次:

1-4段,写去往油田路上的所见所感(茫茫的灰色的戈壁、顽强的胡杨林、流动的沙丘、炎热的气候)。

5-7段,写石油工人的拼搏奉献精神和克拉2号气井的壮观,体现石油工人为祖国人民所作的巨大贡献。

8段,进一步点题,强调自己的感情——难忘 小结:第一部分的作用是为表现石油工人为祖国人民所作的巨大贡献作铺垫;与下文要描写的彩色荒漠形成鲜明对比;先抑后扬,激发读者阅读兴趣。最后一段篇末点题,点明文章中心。练习:《岳桦》《马缨花》《绵绵土》《一日的春光》

(二)老师引导分析例文〈灯火〉

1、共19段

2、结构层次:

1-13段:写灯火在我童年时代给我的温暖,并写了祖孙二人在灯下温馨而富有诗意的生活 14-18段:写长大成年后,在灯光下写作的感受,通过对比衬托煤油灯的灯火对自己的影响及意义 19段:篇末点题,写灯火在我心中的意义

小结:因这类文章标题在文中出现频率不高,而且形象具有象征性,因此称之为——含蓄式 练习:《阳光的香味》《春天的梦》

八、布置作业 阅读《大河家》《阳关古道苍凉美》《总想为你唱支歌》三篇文章,并试划分结构

第四篇:1中学生如何鉴赏文学作品(最终版)

高中生如何鉴赏文学作品

湖北省罗田县育英高级中学

漆喜元

新编语文教材更换了旧教材三分之二的内容,大部分课文是古今中外优秀的文学作品。培养学生的鉴赏能力将是语文教学的重头戏,也是全面培养学生语文素养的最重要的一环。文学鉴赏,是一门广阔而深奥的学问。怎样上好文学鉴赏课,对高中语文教学来说,更是一个既老又新的课题,关于对个课题,前面有许多同仁都研究过,在这里我只是结合我十几多年的高中语文教学经验及近几年的高考文学作品来谈这个问题。

那么何谓鉴赏呢?鉴赏,包括对文学作品的鉴别和欣赏,是对作品进行感知、理解和评判。它是建立在心理快感基础上的一项满足审美要求的活动,如果把创作看作生产,那么鉴赏便是消费,便是阅读者悦目愉耳,娱心怡神的一种精神消费。高中文学作品的鉴赏对老师和学生都提出了不同的要求。

首先,对于一个老师而言,它首先应该明白鉴赏是一种高层次的阅读能力,它使读者心灵上获得取感受,激起感情的波澜,最后精神上得到充实和满足;其次,作为一个老师要弄清楚中学文学鉴赏课的任务是什么。任务明确了,读起来心中有数,思考起来不会出乱。文学鉴赏,笼统地说,就是不但要说出“好”,而且还要具体地说清楚好在哪里。从微观上来看,中学生的文学鉴赏任务主要是抓好品析语言,体味意境和鉴赏文学作品的表达技巧。

作为学生而言,要求学生他们在读文学作品时,要融入自已的感情,“观文者披文以入情”,要求读者通过自己的感情去感受作品,从而得到美的享受。车尔尼雪夫斯基也曾说过:“凡是好书,必定会在读者心中唤起对真、善、美的向往,这是一切好书具有的共性。”可见,通过多读好的作品,培养自己的想象力,并在情感的介入中陶冶自己的情操,对于提高鉴赏能力是大有好处的。学生在读文学作品进,只有投入自己的感情,进入角色,才会情不自禁地产生共鸣,才能领略到作品所创造的生动意境,得到美的享受;欣赏文学作品,挖掘文学作品中的美来,还必须要求我们阅读者首先是一个道德高尚的人,有较强的美学修养。例如,我们在欣赏闻一多的《死水》时,首先要对作者写作《死水》时的历史背景进行了解,从而抓住死水的象征意义,即死水象征着旧中国一切反动腐朽的东西。可是闻一多笔下的死水多么美呀,象桃花,象翡翠,象罗绮,这就让很多学生难以理解,这个时候,就要求我们的学生有较强的美学修养,不能去欣赏“美的死水”,而应该懂得去抛弃它,同时也要让学生明白在这篇诗歌里,作者采用了“化腐朽为神奇”的表现手法。

除此之外,笔者还再向学生介绍几种文学作品的鉴赏方法,让同学们懂得怎样去更好地理解文学作品。

一、多读深思法

刘勰说得好:“观千剑而后识器,操千曲而后晓声。”文学作品读得很少的人,是很难提高自己的鉴赏能力的。鉴赏文学作品需要具备多方面的知识,诸如语言文字知识、文学技巧知识、作家作品知识以及必备的社会科学知识等等。所有这些,只有靠广泛阅读和学习才能获得。多读还应当指对好的文章再三吟诵,名篇佳作不妨背下来。只有在反复阅读中才能体会其绝妙之处。但是多读还是不够的,还应该勤思,以培养自己丰富的想象力。文学作品的一个主要特点是它的“空白”效应。所谓“空白”,是指作品给读者所提供的想象力的空间。作品愈是成功,“空白”就愈“空”,给读者留下的再创造的天地就愈广阔。“有一千个读者,就有一千个哈姆雷特”就是这个道理。笔者在讲授《孔雀东南飞》时,首先让学生自已反复诵读,然后简单介绍了这篇文章的背景知识,并要求学生在全面理解文章主旨的情况下,提出如下几个疑问:

一、刘兰芝被遣之后,先有县令的三公子来求亲,后又有太守的

五公子来求婚,前者刘兰芝没有答应,后者答应了,这是否说明刘兰芝爱攀附高枝,对爱情不忠贞;

二、古有三从四德,女子出嫁之后,如果丈夫死了,就应从子,那为什么焦仲卿的母亲不从他呢,反而他却对他母亲的话惟命是从;

三、焦刘殉情之后,应该说两家的矛盾已达到了白热化,文中却这样写道:“ 两家求合葬,合葬华山傍。”现实当中是否有这种可能。

四、文章的结尾“中有双飞鸟,自名为鸳鸯,仰头相向鸣,夜夜达五更。”,这种可能存在吗?提出这几人问题之后,我再让学生讨论探究,然后让学生发表自已的看法,最后笔者再进行点拔总结:对于第一个问题,在封建时代尽管存在这种思想,但各家的具体情况不同,要具体对待。尽管都是女人,但她们在家的地位是各不相同的,例如刘兰芝的亲生母亲在家中的地位就比她婆婆在家的地位低,除此之外,母亲的地位还与儿子有很大的关系,中国古代还提倡以孝来治国,如果儿子非常孝顺,母亲的话儿子都听,那么母亲在家的地位也就高,反之,她的地位就低;对于第二问题,我们应该向学生讲明白,刘兰芝回到娘家之后,并没有找到一个幸福的港湾,她的兄长非常凶暴,而母亲在家又作不了主,她的身心备受催残,她知道她在家中的日子过不下去了,她也知道,她不答应太守的五公子,可能还有其它达官贵人的公子来求婚的,为了解脱,因此她答应了下来,但这并不说明她攀附高枝。我想这时候既使是一个穷人来求婚,她也很可能答应的。因为在她心目中,所有这些人都是一样的,在她心中也没有什么地位。她爱的是焦仲卿,便内怀死志,要早点解脱自己;对于第三、四两个问题目,我们要诉学生,在当时那种情况下不可能发生,这是文学作品的虚构问题和表现手法问题。同时也反映了当时人们群众的愿望。我们理解它,要从它的反面入手,既然这个结果不可能实现,那么它的反家长制反封建的主题便表现得更加淋漓尽致。在这一课教学中,笔者通过提出疑问,集中讨论,老师点拔等方法使学生兴趣盎然,既学到了知识,又懂得了道理,受到了很好的美的熏陶。

二、“咬文嚼字”法

文学是语言的艺术,语言在特定的语境中就被赋予一定的思想、感情和灵魂。因此,说到鉴赏,首先应鉴赏语言,推敲语言,是为“咬文嚼字”。针对有些学生在阅读文学作品时,要么望文生义,不求甚解;要么偏爱堆砌华丽词藻的“美文”的现状,尤其要引导学生重视对语言的鉴赏。

“ 咬文嚼字”法应该包括以下几点:第一点对一本书或一篇文章深入钻下去,把它搞懂、搞透;第二点对作品所表达的思想感情以及它给予的社会、时代影响有较为深刻的理解;第三点对作品所用的艺术手法能够欣赏并学习运用等。要做到这些,就能做到“熟能通其窍,精能尽其妙”。清代著名书法家、画家郑板桥说过:“读书求精不求多,非不多也,唯精乃能运多,徒多徒烂耳。”这话的意思就是说阅读不咬文嚼字,读得再多,收效也不会大的。作家孙犁,一部《聊斋志异》读了十五年,反复吟诵,精心阅读,细心揣摩,无不得其要领,达到学以致用。比如我们在读鲁迅小说《药》时,就应该对文章里面的字进行仔细揣摩。例

一、华大妈在枕头底下掏了半天,掏出一包洋钱,交给老栓,老栓接了,抖抖的装入衣袋,....又在外面按了两下;例

二、华大妈也黑着眼眶,笑嘻嘻的送出茶碗茶叶来,加上一个橄榄。..........例

三、(夏四奶奶)忽然见华大妈坐下地上看他,便有些踌躇,惨白的脸上,现出些羞愧的......颜色。这几个句子在本文中是几个很普通的句子,我们现在运用“咬文嚼字”这种阅读方法,对这几个句子认真鉴赏一下。例句一“掏了半天”说明这包钱藏得很紧,这也从侧面反映了华老栓一家的贫困,尽管如此,他们为了儿子的病,即使倾家荡产也在所不惜;“按了两下”说明华老栓为人精细,他生怕这洋钱丢了,这也说明,这次行动对他家意义的重要。例句二“加上一个橄榄”是一处细节描写,这个细节描写活脱脱把人物的性格和地位表出来了,因为康大叔卖人血馒头给华老栓,使他儿子的病有救,因此,康大叔是华家的恩人,华大妈这样做,有感谢之意,同时也表明康大叔在这个茶馆的地位,他的地位是其它茶客不可相比的。

例句三“踌躇”、“惨白”、“羞愧”这几个词对刻画夏四奶奶的性格起至关重要的作用。清明节到了,儿子造反被杀,这在当时是一件很丢人的事,但此时毕竟母性毕竟大于一切,儿子毕竟是娘身上的肉,她在清明节这天还是去祭奠自己的儿子,为了不被别人笑话,她来得很早,哪知一到坟场却发现那里已有了人。这几个词正是她当时心态正常的反应。反映了夏四奶奶尴尬,惭愧之情。结合当时的历史背景,我们就可以从中看出辛亥革命的弱点,它没有唤醒群众,群众也不理解革命。其它文学作品,如诗歌,散文,戏剧我们更需要运用这种方法进行,更需要仔细揣摩其语言,才能品味其中的韵味。

三、“知人论世”法

所谓“知人”,实际上是要研究作者与作品的关系,用现代的眼光来看,也就是研究创作主体与艺术作品的关系。因为从一定意义上说,创作主体是“母体”,其复合内涵在很大程度上制约着甚至规定着创作客体——作品,所以对其人其事的研究就是不可或缺的了。所谓“论世”,实际上是要研究作品与产生它的时代的关系。按照社会学的观点,文学是社会生活的反映,那么诗歌也不例外,尽管它与特定时代的社会生活的联系是或直接或间接,或明显或隐约的。综括以上两个方面,我们或许可以这样说,既然“人”与“世”都是形成作品极重要的因素,那么这二者与作品必然存在着某种对应关系,在作品蕴含的信息总量中势必有与之相通以至于相契之处,因而对其研究结果可能成为理解作品的关键,或揭开奥秘的钥匙,或通向幽微深隐处的向导。关于这种方法,鲁迅有很好的阐述,他说“倘要论文,最好是顾及全篇,并且顾及作者的全人,以及他所处的社会状态,这才能较为确凿。”例如:苏轼的《念奴娇.赤壁怀古》一词,是苏轼 “乌台诗案”之后贬到黄州之作。了解词人此词写作的背景及词人的为人处世,对学习这首词有很重要的作用。苏轼是中国封建时代的一个全才,他的思想极其复杂,以儒道为主,兼有纵横家、法家、游侠思想。他才华横溢,一生却卷入政治的漩涡中,在改革派和保守派之间游离,政治上很不得志。一生渴望建立不朽功勋,这是儒家积极入世的体现,在词中他羡慕“谈笑间,樯橹灰飞烟灭”的周瑜,渴望像周瑜一样,建立不朽功业。可是命途多舛,仕途不顺,被贬到黄州担任一个无实权的“团练副使”。有经天纬地之才,却得不到施展,有吞吐宇宙之志,却无法实现,这岂不悲哉!因此在该词中,词人流露出了消极的感情,这又是道家思想在词中的具体反映。如果不从“知人”、“论世”这种方法入手,我们就很难全面地了解这首词。

四、比较鉴赏法

比较是文学鉴赏常用的一种方法。比较也是一种思维方法。这种方法是取两种或两种以上的文字材料或就内容,或就写作意图、背景、效果,进行不同层次、不同角度的比较。通过比较鉴别它们之间的联系,找出作品好在哪里,提高分析、评价能力。比较鉴赏常见的内容有如下几种:

第一、人物形象的比较。例如我们将《孔雀东南飞》中的刘兰芝和《杜十娘怒沉百宝箱》中的杜十娘进行比较。这两个女性都是中国古代文学作品中光辉灿烂的女性,两人具有许多相同的地方。比如说聪明美丽、善良贤惠、忠于爱情,都受封建家长制的毒害,都为情而死。但两人也有不同的地方,比如说两人的身份不同,一个是普通的劳动妇女,一个是风尘女子;一个为婚姻而死,一个为纯洁的爱情而亡;两人的死的原因不尽相同,前者死的原因主要是封建家长制,后者死的原因主要是封建礼教和男子的负心;两人反抗程度是不同的,前者的反抗较为消极,后者的反抗较为积极。通过这两个人物的比较,我们就能很好的熟悉这两个人物,从而挖掘出两个人物的美学价值来。

第二、写作特点的比较。对同体裁的作品,可以从这个方面进行比较。例如我们在讲解第三册第六单元文言文时,可以对这几篇文章在写作特点上进行比较。这几篇文章都是明

清散文。《项脊轩志》主要是运用记叙、写景和抒情相结合的方法,另外还有细节描写;《五人墓碑记》主要运用记叙、议论和抒情相结合的手法;《登泰山记》主要采用了记叙、写景相结合的手法;《病梅馆记》主要采用记叙、议论和抒情相结合的方法,另外还有对比手法及象征手法的运用。通过比较,我们就从整体上对这单元的写作特点有个比较全面的认识,从而对明清散文的技法也有一定的了解和掌握。

第三、风格的比较。风格包括作家的创作风格以及语言风格。这两点是我们鉴赏中不可缺少的内容。作品读多了,就会发现每个作家都有自已的风格,即使写同一题材的作品,也会因作家的创作风格不同而给人不同的感受。例如,李白和杜甫是两种不同风格的作家,李白在诗歌中表现出来的是浪漫主义,而杜甫则在诗歌中表现为现实主义。两人在语言风格上也是不同的,李白的语言风格精新飘逸,而杜甫的语言风格是沉郁顿挫。例如同样是写景,李白笔下是“熊咆龙吟殷岩泉,栗深林兮惊层巅”,杜甫的笔下却是“感时花溅泪,恨别鸟惊心。”一个想象奇特,境界开阔,一个却深沉感伤,主观感情较浓。同样是现实主义大师,白居易的语言风格和杜甫又有些不同。白居易的诗雅俗共赏,大胆而直露,而杜甫的诗则含蓄而委婉。例如同样是描写百姓不幸遭遇的诗,白居易是这样写道“宣城太守知不知?一丈毯,千两丝。地不知寒人要暖,少夺人衣作地衣”(《新乐府.红线毯》),将控拆的矛头直指统治阶级;杜甫的诗这样写道: “堂前扑枣任西邻,无食无儿一妇人。不为困穷宁有此?只缘恐惧转须亲。”(《又呈吴郎》)。在诗中杜甫更多的表现是对老百姓的一种同情,对统治阶级没有作大胆的揭露和批判。这种不同与诗人本身的创作风格、所处的地位和当时的社会现实密切相关。因此,我们只有通过比较,才能更能清楚地知道这些。

第四、中外文学作品的比较。中外文学作品既有很多共性,也有很多差异性,前人有很多研究,我在这里不想作较多的无用的说明。但对于我们高学生来讲,适当了解一下中外文学作品的不同,对于提高我们的阅读鉴赏能力还是很有帮助的。对于大多数高中生来说,对于外国文学作品“想说爱你不容易”。存在这种现象的原因是什么呢?我想大体上有这样几个原因:第一、外国文学作品(主要指小说)在创作上重心理描写,重语言描写;而中国小说主要重曲折的情节。第二、中国小说自古以来就重情节这一特点,导致了中国读者的阅读心理不同,他们大多喜欢阅读有故事情节的作品,形成“先入为主”的阅读心理,以这种阅读心理去看外国作品,当然有不适的地方。第三、中外文化思想有很大的差异,这种思想渗透在文学作品中,也导致中国读者在阅读时,产生一些思想上的隔膜或理解上的偏差。第四、中国读者(主要是中学生)对外国文学作品涉猎很少,这也导致他们对外国文学作品理解上有偏差。第五、有些外国文学作品翻译成中文时,语言非常艰涩。学生阅读时,感觉比阅读文言文还难,因此大多数中学生不喜欢阅读外国文学作品。了解了中外文学作品的这些差异之后,我们就可以在鉴赏外国文学作品时,以一个“外国人”的身份去阅读,其效果肯定是比较理想的。

以上是鉴赏文学作品的几种最常用的方法,这几种方法,相互之间并非截然分开,而且,鉴赏某一作品时,也不一定仅仅用一种方法,有时可综合起来用之。希望广大学生能通过阅读实践,不断总结和摸索,创造出属于自己的有效的鉴赏方法,去发展、接受文学作品中所反映的自然美、生活美和艺术美,陶冶性情,增强文学修养。

第五篇:如何指导学生阅读鉴赏文学作品

如何指导学生阅读鉴赏文学作品

指导学生阅读与鉴赏文学作品,是我们语文教学中重要的内容。面对新的语文选修课程,这个教学任务再次凸显出来,成为教师备课、教学过程中的重点、难点问题。本文拟就这个问题提出一些建议,以期与同仁们一起探讨,如何更好地指导学生阅读鉴赏文学作品。

一、腹有诗书气自华——文本阅读是根本

“文本阅读”这个过程在高中语文课堂上是一件奢侈的事情。由于课时紧张,很多教师采取了“直奔主题”的方法,减少甚至完全取消阅读课文的时间。

不能认真阅读,不能享受阅读的快乐,对于语文学习来说,是个致命的缺陷。当我们面对选修教材中众多的文学作品时,淡化了阅读这个过程,看似厚重的教学内容,了解作者生平、创作背景、把握艺术形象、体味文学形式等,这一切就都成了海市蜃楼,根基不实。很多学生根本没有读过作品,就直接进入到所谓的欣赏中。有些学生看似准备得很充分,从网上搜索了很多背景资料,但其实连原文都未细细读过,资料也谈不上真正“消化”,只是经一下手就论堆儿又转给了老师。舍本逐末、囫囵吞枣,以此方法欲寻艺术美感,不过是缘木求鱼,令学生厌烦之心渐生,对这些精美的作品敬而远之。

如何在有限的课时中享受阅读的快乐,有些老师动脑筋设计了一些好方法。有的老师指导学生在课上以批注法来读一些篇幅较长的课文。要求学生阅读时加以批注,在随后的讨论中,学生有文可依,发言也更言之有理、有序。批注阅读使每个学生都有表达内心感受的机会,有成就感,这激励了他们的学习兴趣。

北京宣武区回民中学的一位学生,在课上批注阅读《林黛玉进贾府》[1]时,注意到贾母对黛玉的影响力。其依据是两段原文:

贾母因问黛玉念何书,黛玉道:“只刚念了《四书》。”黛玉又问姊妹们读何书。贾母道“读的是什么书,不过是认得两个字,不是睁眼的瞎子罢了!”

(宝玉)因问“妹妹可曾读书?”,黛玉道:“不曾读,只上了一年学,些须认得几个字。”

学生从黛玉对同一个问题的前后的不同回答,看出贾母对黛玉的影响,及黛玉的聪惠、敏感。因为给了学生阅读的空间和时间,充分调动了学生的潜能,才会有这样真切而独特的体会。

香港某中学的老师指导学生阅读时,要求学生读完作品后提出问题,并将好的问题在全班内公布并征集答案,最后与提问题的学生自己准备的答案做比较。这也是引导学生深入阅读的好方法。

二、曲径通幽处,禅房花木深——鉴赏的一般环节

从调研情况看,由于小学、初中阶段的表达交流能力训练基本是围绕单纯的叙事、描写、抒情和简单的议论进行,大部分高中学生的鉴赏评论能力,还是比较薄弱的。教师可以循序渐进,以提问的形式由浅入深指导学生的阅读和思考:

A读了没有?作品写了什么?(引导学生把握作品概要)

B你对作品的哪些方面有感触?(引导学生找到动情点)

C为什么有这样的感触?(引导学生沿动情点深入阅读,找到合适的评价切入点)

第一个环节强调文本阅读,并在阅读之后提出概述的要求。对作品的概括叙述能力,是对学生阅读理解、概括主旨、表达交流的综合能力的培养。

第二个环节是引发学生思考,向心灵深处寻找与作品共鸣的点。很多学生的阅读习惯是蜻蜓点水,不爱思考。我们则要以问题的形式促使学生去寻找动情点。

需要注意的是,我们用的是“感触”这个词,而不是“感动”这个词,因为不能先入为主地就强迫学生必须被作品感动。由于年龄、阅历、知识储备、爱好兴趣等各种原因,对于某些作品,有些学生不觉得有什么好,甚至从根本上就不赞同作者的观点、不喜欢作品的风格。如果我们生硬地把“感动”塞给他,并要他在这个圈定的范围内鉴赏、评论,教学效果是徒劳无益甚至有负面作用的。另外也提醒我们向学生推荐作品时,要注意作品的经典性和代表性。

第三个环节是要引导学生明确鉴赏评论的切入点,并能以文本内容作为有利的证据,展开鉴赏、评论,使文章血肉丰满、令人信服。

如评论选修教材《外国小说欣赏》中的小说《沙之书》时,可以有“沙之书的虚构和现实”“沙之书的神秘和恐怖”“博尔赫斯[2]想带给我们什么?”等很多切入点,围绕其中一个点结合原文进行思考和评论,才能集中而有深度,也才有可能写出好的评论。

三、心有灵犀一点通——教给学生一些常用的鉴赏评论方法

据参与高考阅卷和试卷分析的专家介绍,很多学生在做鉴赏评论方面的题目时,往往表现出共同的不足——找不到切入鉴赏、评论的点,漫天开说,拉拉杂杂,笔墨分散,难以成气;有的学生找到了切入的点,可是又展不开评论,寥寥数语,便无话可说、草草收笔。要解决这些问题,我们要教给学生一些技巧和方法。

1.对比的方法

首先我们可以推荐对比的方法。对比可以有很多角度,如同一部作品中不同人物的对比,例如《红楼梦》中的黛玉和宝钗;或不同作者的对比,如杜甫与李白;或不同诗歌中同一意象的对比,如“月”的意象,在不同诗歌、不同时代、不同诗人那里的反复、创新运用;其他还有中西对比,古今对比,传统与现代的等不同角度的对比等。

用来对比的作品,应该是学生相对熟悉的,至少对其中一方比较熟悉。我们所能精读的作品总是有限的,对比的方式给深入阅读鉴赏提供了一个延展的空间,因为作品总是会有相似或差异,在对比中我们更容易找到合适的话题。

2.巧妙利用已有知识资源

我们还应指导学生巧妙利用已有的阅读积累,善于整合。具体到教材方面,可以把必修与选修结合,把小学、初中读过的和高中的结合。如《短歌行》[3]是曹操写的诗,展现了曹操作为诗人的才华豪情,而《杨修之死》[4]、《曹操献刀》[5]则展现了小说作者塑造的曹操形象,是奸雄形象。如果整合范围再扩大些,还有初中的《隆中对》(陈寿)《出师表》(诸葛亮)、高中选修《影视名作欣赏》中《三国演义·隆中对》(王扶林总导演)等都涉及到“三国”时代的背景和人物,可以互为补充。教学中可以指导学生充分运用这些阅读积累,找到新颖独特的评论点。

3.充分利用教材,抓住鉴赏“要害”

人教版的十五种选修教材,其中大多数是以选文为“肉”,并以鉴赏的一些“要害”作为支撑“肉”的“骨架”。比如古代诗歌的鉴赏学习,我们的古诗及鉴赏有如汪洋大海,随便从哪个角度切入,都能编出一本看似不错的书。但人教版的《中国古代诗歌散文欣赏》,则主要抓住作者背景、意象、声韵这三个诗歌鉴赏中重要的点来支起框架,对于处于诗歌鉴赏入门阶段的学生来说,有很好的指导作用。而在《外国小说欣赏》中,“骨架”则变为以叙述、场景、主题、人物、情节、结构、情感、虚构几个点,这是从小说的角度精心选择的几个点,涉及到鉴赏小说需要的一些理论,非常实用。

4.注意一般读后感和鉴赏评论文章的区别

很多学生容易把读后感和鉴赏评论文章混为一谈。有些学生津津乐道于读完作品后的兴奋或悲伤、愤怒或忧愁的感受,一不留神就完全抛开了作品本身,扯起自己的话题,以评价作文的术语来说,这种情况就是“跑题了”。

鉴赏评论文章和写读后感不是截然对立的事情,在鉴赏文章里融入自己的读后感受,更能使文章情真意切、委婉感人,更能表现自己独特的风格。如何区分、把握好这其中的分寸和尺度,是教师指导的关键。下面两个片段都是学生[6]写的:

作者在诗歌的开头,一下子就把读者带入了深秋时节:几根枯藤缠绕着几棵黄叶凋零的秃树,在秋风萧萧中瑟瑟颤抖着,天空中点点寒鸦,声声哀鸣„„写出了一片孤独悲壮的秋景。自古诗人多伤秋,此诗造出的凄清氛围也是在烘托着作者内心的悲戚。昏鸦还有老树可以归,可独自一人漂泊在外的游子,却是有家归不得。那是何等的痛苦无奈。(读《天净沙秋思》)

学生将自身的读后感受与原文紧密结合,自然圆润,不落痕迹。再来看另一个片段:

再一次读朱淑真的《蝶恋花》,我不再为青春的流逝而抚膺长叹。时间固是无情物,它带走了太多,但我们可以用辛勤的双手抓住时间,让它为我所用,即使春天随风飘往远方,我们也不会叹息的。记得艾青说过:“时间顺流而下,生活逆水行舟”。春天消逝了,不是还有百花争妍的暖夏,硕果累累的金秋,白雪皑皑的静冬吗?春天逝去,生活中积极的精神却长存!(读《蝶恋花惜春》)

这段文字情感真挚,优美流畅,作为读后感是很不错的。但如果要作为鉴赏评论,则会有脱离文本之嫌。在教学中,教师要注意提醒学生区分鉴赏评论和读后感。

四、会当凌绝顶,一览众山小——教师要积极“充电”

有位老师在教《诗经•氓》这首诗歌时,用了30分钟让学生讨论:《诗经•氓》中的婚姻悲剧是怎么造成的?有学生提出,悲剧是女主人公自己造成的,她整天忙于家务,疏于和丈夫沟通,所以会导致这样的悲剧。讨论在“现代观念”中热烈进行,学生们都像是婚姻指导专家。原因在于教师提出的这个讨论问题不甚妥当。教材选用《诗经•氓》是为了引导学生欣赏诗歌的美,了解《诗经》的特点。而教师提出的问题很容易把学生的注意力引向社会学,而不是语言文学。

教师应多读些有关文学评论的理论书籍,诗词方面如《诗品》(司空图)、《人间词话》(王国维)、《诗词例话》(周振甫)、《诗词读写丛话》(张中行)《诗论》(朱光潜)、《唐诗综论》(林庚)、《中国诗歌艺术研究》(袁行霈)等,而文艺理论方面则如《文心雕龙》(刘勰)、《谈美》(朱光潜)、《美的历程》(李泽厚)等,西方的像接受主义美学、原型说、解构说、黑格尔的《美学》等理论及书籍,都有利于提高自身的审美理论水平。站在理论的高度上,再去把握文学作品的欣赏指导,就会有水来土掩、兵来将挡的从容了。

如果能直接阅读一些文艺理论方面的书籍,自然会提高文学鉴赏能力,但由于书籍资源及时间的限制,一线教师很难做到。所以利用一些优秀的语文期刊杂志,也是一个“充电”的好方法。例如像《语文建设》2008年第3、4两期上连载的孙绍振先生的《文本分析的七个层次》这样的文章,里面提到了在文本分析时可以运用艺术感觉的还原、多种形式的比较、情感逻辑的还原等方法,所举例子多是中学教材里的课文,便于理解接受。其他像《中学语文教学》《语文学习》《中学语文教学参考》等都是中学语文教育方面的优秀期刊,对于充实教师的审美理论储备,颇有裨益。

下载日本文学作品鉴赏有感word格式文档
下载日本文学作品鉴赏有感.doc
将本文档下载到自己电脑,方便修改和收藏,请勿使用迅雷等下载。
点此处下载文档

文档为doc格式


声明:本文内容由互联网用户自发贡献自行上传,本网站不拥有所有权,未作人工编辑处理,也不承担相关法律责任。如果您发现有涉嫌版权的内容,欢迎发送邮件至:645879355@qq.com 进行举报,并提供相关证据,工作人员会在5个工作日内联系你,一经查实,本站将立刻删除涉嫌侵权内容。

相关范文推荐

    日本音乐鉴赏论文

    日本音乐鉴赏论文日本民族音乐的概况日本的民族音乐系统称为邦乐,它的种类和体裁繁多。都市传统音乐是近代日本音乐的主流,我们在观看日本电影和电视剧时常常会听到一种具有......

    文学作品的鉴赏与文学评论的写作

    文学作品的鉴赏与文学评论的写作 鲍 涵 人们要想增强自己的文学阅读能力,提高自己的文学鉴赏水平,我认为,就必须多多鉴赏文学经典作品、多看多写文学评论文章,在文学作品的阅读......

    初步鉴赏文学作品的内容(推荐5篇)

    初步鉴赏文学作品的内容、语言、表达技巧,是新《考纲》中的一项重要内容。其中的热点考题是关于诗歌的鉴赏,而现代诗歌的鉴赏倍受人们的关注。那么,如何来解答现代诗歌的鉴赏题......

    文学作品阅读与鉴赏 模块三答案(合集)

    2012年_高中语文_文学作品阅读与鉴赏 / ►模块三 测验题答案 题目1 下列中国当代长篇小说未获得茅盾文学奖的是 选择一项: a. 余华《许三观买血记》 b. 麦家《暗算》 c.......

    第六章 文学作品阅读鉴赏教学主要内容

    第六章 文学作品阅读鉴赏教学主要内容 重点难点讲解 重点一:小说的表现手法 (一)解读故事,分析人物。小说世界是由一个一个的人物形象、一个一个的情节事件、一个一个的环境景物......

    日本大地震有感大全

    日本大地震有感 高X(X)班XXX 在3月11日13时46分,当我们还在上课时,我国的邻国——日本仙台发生了9.0级大地震,这是迄今为止日本发生的第一大地震,也是世界第五大地震。 这次的地震......

    日本之行有感

    日本之行有感 六六 ---2013年07月15日---发表于新加坡《联合早报》 日本街头不似其他国家,你很难找到垃圾箱,而地面又干净如洗,让你不好意思随处乱扔,究其原因是垃圾分拣制度非......

    诗词鉴赏之评价文学作品的思想内容

    古诗词思想内容的几种类型(一)忧国伤时1. 揭露统治者的昏庸腐朽;2. 反映离乱的痛苦3. 对国家民族前途命运的担忧,同情人民的疾苦(二)建功报国1. 建立功业的渴望;2. 报国无门的悲伤3......