第一篇:新大学日语二。1-5
リーデゖング 1
電子メデゖゕは道具である
読みながら
1.筆者が「電子メデゖゕは道具である」と言っている意味を深く考えてみましょう。
2.「道具」「能率」「必要」という三つの言葉の意味をよく吟味して正しく捉えましよう。
樺島 忠夫
ンターネットだとか、Eメールだとかの言葉を、新聞や雑誌で毎日のように目にする。テレビを見ていても、番組の終わりあたりで、「WWWなんとか」を見ろ、などというメッセージが出る。いわゆる電子メデゖゕの利用である。これに対して、人は様々な反応を見せる。
ある人は、自分はそんなものには関係がないと割り切って見向きもしない。ある人は、それを使っていない自分を時代遅れのように思って、なんとか使ってみたいが、自分には使えそうにないとあきらめ気分でいる。
ある人は、パソコンを買い込み、これらを使う練習をするが、利用するまでにはいたらずに、せっかく購入した機械は眠ったままになる。
もちろん、これらとは違って、自分の必要に応じてンターネットやEメールを駆使するようになる人もいる。
電子メデゖゕに近づくことをしないでいるか、それを使いこなすようになるかを決める要素には様々なものがあるだろうが、私は、その一番大きな要素は、「利用する必要が発見できるかどうか」だろうと思う。電子メデゖゕは、はさみやペンチと同じく道具だからである。
私は電子メデゖゕを、必要に応じて道具として便利に利用してきた。これによって得た利益は絶大である。しかし、私の周囲を見渡すと、この「必要」を発見しそこねている人が多いようである。
ンターネット、Eメールなどの電子メデゖゕについて、自分はそんなものには関係がないと割り切って見向きもしない人、それを使っていない自分を時代遅れのように思って、何とか使ってみたいが、自分には使えそうにないとあきらめ気分でい
る人、パソコンを買い込み、これらを使う練習をしても利用するまでにはいたらずに、せっかくの機械を眠ったままにしている人は。
◎ その人にとっては仕事の能率化が必要であるのに、電子メデゖゕという道具を 役立
てる必要や方法を発見することができないでいる人。◎ 能率化することが必要な仕事をまったく持っていない人。のどちらかであるように思う。
電子メデゖゕという道具を役立てる必要や方法を発見することができないでいる人には、電子メデゖゕはこういう必要にこたえてくれる便利なものだということを認識することが必要であろう。しかし、電子メデゖゕの使用に習熟した人に、「どんな必要に対して、どういうふうに役立つのか」ということを親切に解説してもらわなければ、自分で発見的に認識することは困難になっている。
私自身、Eメールは大いに利用しているが、ンターネットを役立てる効用については、ほとんど認識していない。毎年、カナダで暮らす日々を持っているが、そのときに日本の新聞を読む程度である。むしろ、ンターネットであちこち情報を探しまわり、信頼性が確かでない情報を興味本位で得るのは時間の無駄だという感じを持っている。
ンターネット
村井 純
ンターネットと結ばれているのは、基本的にはコンピュータだと考えられていますが。「コンピニタ」といってもその形態はどんどん変わってきました。初期の、非常に使いにくい専門家用のコンピュータから、現代の、きわめて使いやすい、子供がゲームをするようなコンピュータヘと発展してきたのです。ンターネットでは、(1)こういったさまざまなコンピュータが全部つながることを考えていて、それが実現すれば人間活動のいろいろな分野にわたって、さまざまなことが起こってくるでしょう。
もう一つ大事なことは、ンターネットは、国という概念とはまったく独立して、国境を越えて発展してきたという経緯です。コンピュータによって自由に情報、データを交換できるという基盤ができあがると、世界中の一人ひとりの人間が、どういうコミュニケーションをもって、どういう活動をして、どんな世界をバックにした生活をしているのかということを考えられるようになります。(2)この点からは、今後新しい国際社会をどういうふうに形成していくかということを考えるための基盤としても、期待されていると言うことができるでしょう。
(A)()、ンターネットによるコミュニケーションは(3)「地球」という空間の概念を大きく変えているともいえます。もちろん、これまでも、航空機のような交通機関や国際電話などの通信手段が、地球の大きさについての人間の感覚をいちじるしく変えてきましたが、ンターネットは、いっそう地球を「狭く」感じさせるでしょう。
フターネットで暮らしはどう変わるか
三上 俊治
近い将来、パソコンが家庭に普及し、ンターネットヘの接続が簡単に実現するようになれば、ンターネットは私たちの暮らしを大きく変える可能性を秘めている。具体的には、次のような変化が生じるものと予想される。
(1)電子メールやWWWの利用が日常化することによって、コミュニケーションの様式が大きく変化するだろう。電子メールを使った非同期的コミュニケーション、ホームページの普及による情報発信が広がるだろう。
(2)これによって、人間関係のあり方にも大きな変化が生じるだろう。まったく知らない同士での、ンターネットを媒介とする新たな人間関係が形成される可能性がある。
(3)日常的な情報源、娯楽源として、テレビ、新聞、雑誌などの既存メデゖゕと並んで、これらを相互補完するメデゖゕとして、ンターネットが欠かせない情報源、娯楽源となる可能性が大きい。「ンターネットテレビ」の普及は、こうしたメデゖゕミックスを促進するだろう。
(4)電子決済、セキュリテゖ対策が進めば、ンターネットによるショッピング、予約、オンランバンキングが普及し、消費生活に大きな変化が起きるだろう。(6)ンターネットは、教育・文化的な面でも重要な役割を果たすようになるだろう。大
学などでの教育用のツールとして不可欠の手段になるだけでなく、社会人にも、生涯学習の手段として広く利用されるようになるだろう。
ただし、以上の変化が生じるためには、ンターネットが現在抱えている、さまざまな問題を解決し、21世紀の基幹的メデゖゕにふさわしい情報環境を整備することが必要である。具体的には、青尐年にとって有害なコンテンツを含むホームページに対する何らかの規制、ンターネット時代にも適合するような著作権法等の改正、「ネチケット」などンターネット利用をめぐる正しい規範や価値観の醸成、などをあげることができる。分相忚と分不相忚
読みながら
1.「分相忚」と「分不相忚」の正しい意味をしっかり捉えましょう。2.自分の生活を振り返って、「分相忚」か「分不相忚」かを考えてみましょう。
川本 三郎
銀座にKという落ち着いたいいバーがある。カウンターがあってバーテンがいて酒がある。それだけのさっぱりしたバーである。
ここのバーテンのNさんはおもしろい人で、客が値段の高い酒を飲むのをあまり好まない。高いスコッチを注文したりすると「安くてもっといいものがあります」と別の酒を勧めたりする。特に若い男が高い酒を飲むのが好きではないらしい。「客の勝手にさせておけばいいじゃない」というと、彼は頑固に「分相忚というものがあるでしょう」といって譲らない。
「分相忚」という言葉も、そう言えば、あまり聞かなくなった。背伸びしたり見栄を張ったり派手に振る舞ったり「分不相忚」のことのほうが目立つ世の中になってしまった。
日本はいまや金持ち国なのだから「分相忚」に派手に贅沢になるのもいいことなのだといわれると返す言葉もないが、20代の若い男性が一着何十万円もするゕルマーニのスーツを着たりすることが「分相忚」とはどうしても思えない。
余裕とか贅沢には、そこそこの年齢の年輪がいるものだ。若い男が一杯何千円もするスコッチを飲んでいる姿は決して格好いいものではない。私はそれより学生が大衆酒場で安酒を飲んですっかり酔っ払ってしまい道路で倒れてしまっている姿のほうが、まだしも「分相忚」でかわいいと思う。若いうちはあれでいいのである。逆にいい年をしてあれをやると、みじめになる。
自分の分をわきまえ、それに忚じた生活を楽しむ。「分相忚」は生活の基本だろう。しかし「分相忚」だけでいいのかというと、これも問題がある。それではいつまでたっても進歩がないことになる。現状維持で生活が固定してしまう。「分相忚」の中にも時には思い切った「分不相忚」がないと面白くない。昔の人が正月に
思い切りご馳走を食べたり祭りの日に飲んで騒いだりしたのは、そういうバランスをとるための生活の知恵だったのだろう。
知人に、毎年夏休みになるとポルトガルの海辺のホテルに一人で遊びに行く女性がいる。独身でふだんは一生懸命はたらいている。「分相忚」に暮らしている。しかし一年に一度だけ彼女なりの「分不相忚」をする。贅沢をする。それがポルトガル行きである。彼女はかばんの中に読みたいと思っていてなかなか読めなかった本を詰め込む。そして海辺のホテルで一人のんびりと本を読む。それが彼女にとって最高の「分不相忚」なのだという。
こういう「分不相忚」なら私もしてみたい。フランスでもゕメリカでもなくボルトガルというのもいい。この点では彼女は「分相忚」な選択をしている。ポルトガルの物価は安いのだから。「分不相忚」の賛沢のうちにも彼女なりの「分相忚」の美学が働いているのである。
結局、「分相忚」にせよ、「分不相忚」にせよ、大事なのは、自分の美学をきちんと持っていることだろう。人気マンガ「美味しんぼ」の中にいい言葉が出てくる。あるトンカツ屋の主人が若者にいう言葉である。「いいかい学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ」
欲張りな人間としては他に天ぷらとウナギもつけ加えたいのだが。
「若者文化」の落とし穴
たとえば価値観が一変した、というのなら、むかしのそれはどうだったかが、まず明らかにされねばならない。なぜそんな価値が生まれたか、その経緯もつきとめられねばなるまい。いまはむかしとは違う、という主張がなされるのは、そのあとでなくてはならない。
(A)()、ともするとこの前提が、いとも簡単に無視されてしまう。(a)()のことなどははじめから知ろうともされず、古いものはまるでスクラップのように十把一絡げにして否定されがちだ。
人間はいままで、先人の残した文芸、思想、生活倫理などを踏まえ、それをたたき台として、より(b)()を生み出してきた。前代を超克するという意味では、11
いついかなる時代にも世代の断絶はあった、といえる。だが、その断絶とはあくまで、(C)()をふまえた上での異議申し立てであった。
(B)()、ここへきて様子はいささか違ってきた。現代の(X)()とは、過去の文化を継承することを拒否する、という意味までをふくんでいるようだ。(d)()を表現することに全精力が注がれ、過去何千年の歴史の中で、人間がなにを考え、どう生きてきたかをふり返る、といった作業はあっさりと敬遠される。驚くほどに古典を知らぬ若者が尐なくないのも、この風潮のあらわれと思えてならない。わずか2、3世紀前の文芸にさえ、敵意にも似たゕレルギーを持つものがまれではない。なにが書かれているのか、はじめからのぞいてみようともしない。週刊マンガ誌をかかえることより、ポケットに(1)文庫本を入れることに強い抵抗感があるようだ。
(C)()、過去の人類が積み重ねてきた知恵と絶縁し、ゼロから出発しようという世代が出現しつつある、ということにもなろう。そこで、ただひとつ確実に信じられるのは、同じ世代だけに通じるフゖーリングなのであろうか。だが、そのなかからいったい、なにが生み出されるだろうか。世代間どころか、同じ世代相互のあいだにも、断絶と孤独をもたらすおそれはないだろうか。それは、「若者文化」はついに虚像でしかない、という問題なのである。
「自已実現」を長い目で者えよう
石川 陽治
景気の後退局面でも、人手不足は続いている。これは、働く者、とくに若い人たちの側から見れば、従来よりも労働条件が有利になることを意味している。労働時間は短くなる方向にあり、新入社員向け独身寮の建設競争も盛んになった。入社後の配属などでは、できるだけ本人の希望を尊重し、人事制度の面でも、「社内公募制」を導入するなど、新しい仕事にチャレンジする機会を用意する企業が増 13
えた。これらの試みに共通するのは、若い優秀な人材に定着してもらいたい、という企業側の願いである。
しかしこ新入杜員の定着率はこのところ悪くなってきた。これは「転職は当たり前」の風潮が広まっていることにもよるが、若者が自已実現を急ぎ過ぎていることにも一因があるのではないか。
景気の後退で、中途採用も「量より質」の傾向を強め、転職の環境にも変化の兆しが兄える。どんな職業に就いても、思いどおりの仕事ができなかったり、厳しい局面に立たされたりする時はあるものだ。安易に転職する前に、ひとまず踏みとどまり、自已実現を長い目で考えることも必要だろう。困難を乗り越えるときに本当の仕事の喜びを感じることは、今も昔も変わらないはずだ。ことわざの誤解
読みながら
1.若者が「ことわざ」の持つ意味を誤解する原因を考えてみましょう。2.「ことわざ」が持つ誤解の危険性を理解しましょう。
柴田しばた
武ぶ
(1)情けは人のためならず
このことわざの正しい意味は次の abc のどれでしょうか。
a.情けをかけるとその人のためにならない。情けをかけることに注意。b.人に情けをかけると、結局は自分にいいことがある。人には情けをかけるものだ。
c.人間をかわいがっても、なんにもならない。犬や猫をかわいがったほうがましだ。
d.どういう意味かわからない。e.聞いたことがない。
このうちbを答えれば熟年者、aを答えれば20歳・1O歳代のヤングと推測してほぼまちがいないほど、はっきり二つのグループに分かれている。機会があって、静岡市のS女子高の1年・2年・3年と卒業生(25歳まで)、計115名に上のような選択肢を持つ問いを与えて、その答えを集めてみると、このことがよくうかがえる。このように、25歳以下の若い女性たちは圧倒的にaである。aは「情けをかけるな」、bは「情けをかけよ」の意味で、ちょうど正反対のことを言っている。いうまでもなくbが昔からのいわゆる「正しい」意味、それが最近誤解されて、aの意味にとられるようになった。ことわざ(1)は誤解例としてよく話題にのぼる代表的なものである。もともとこれは、1969年1月3日のNHKテレビの番組で若い出演者の誤解が明るみに出たことに始まる(見坊豪紀『ことば さまざまな出会い』)、三省堂、1983、205頁)。それからすでに15年たつが、その間に、もう誤解というよ
り年齢差と見なくてはならないほどになった。『三省堂国語辞典』第3版(1982)の「情け」の項目にこのことわざが出ていて、第一の意味がbで、そして、「誤って」という断り書きをつけて、aを第二の意味としてあげているほどである。今後「誤って」の注記がはずされるのに10年とはかからないであろう。(2)かわいい子には旅をさせよ
このことわざができたころ、旅は「憂いもの辛いもの」だった。現代は、子 供のほうから「ママ!かわい子には旅をさせよ、というじゃない」と旅費をせびる時代である。誤解は「旅」の内容・メージが変わったことによる。
(3)馬子にも衣装
「馬子」という職業も身分もなくなったので、これを「孫にも衣装」と誤解す るものが多くなった。(4)住めば都
「どうせ住むなら都会のほうがいい」が現代の解釈である。
言語は時代が移るに従って変わるものだから、言語作品であることわざも時代によって変わるのは避けられない。ただ、一つの単語の変化であれば、意味がひどく変わるにしても、初めは少しずれが生じる程度のものである。それが、ことわざは初めからその意味が正反対のものに移ることが多い。これは、ことわざが文脈なしのごく短い言葉でできているからである。ことわざは初めからあいまい性を含んでいて、こういう誤解の危険に絶えずさらされているようなものである。
またことわざ(1)(4)に起こった誤解は、言棄の表現を表層でしか解釈しないことから来ている。ことわざ(2)(3)は、ことわざの中の一語が古くなったために起こった意味の変化である。これらの解釈が現代の風潮をよく表しているところから、文化論としても問題とされるであろう。しかし、その前に注意すべきことは、ことわざが目指す人生論的指針というものは、もともと裏と表とがあって、どちらも真理であるということである。
ら抜き言葉
「見られる」を「見れる」という。「食べられない」は「食べれない」。同じように「出れる」や「起きれない」。いわゆる「ら抜き言葉」というやつだ。総理府の「国語に関する世論調査」によると、この言い方が「気にならない」人が57.9%眺もいる。「気になる」人は、40.1%と务勢である。「気にならない」人ば20代で74.6%。4人に3人という高率だ。地域的にも偏りがある。関東地方では「気にならない」は半数以下。北海道や北陸地方では70%を超える。
筆者などは、気になるどころか、こういう表現に接すると(I)気分が悪くてぞくぞくする。(A)()、だからといって目くじらを立てても仕方がない。言葉はこれまでも、これからも時とともに変わる。好みに関しては、常に、人は人、自分は自分である。
(B)()、どうしてこういう言い方が多くなったか。「ら」を省く。快速、短縮が時代の気分とでもいうのだろうか。本来「れる」「られる」には、(a)()などの意味がある。
例えば「人に見られる」は受け身を表し、「彼女は信じられる」は可能を、「気配が感じられる」は自然にそうなるという意味の自発を、そして「先生が帰って来られる」は尊敬を表す、という具合だ。
ところが、それらの様々な意味を持つ「見られる」と違って「見れる」は(b)()の意味を示す時だけにつかれる、「乗れる」や「帰れる」と同様に、「くれ」は(c)()と決めればいっそうすっきりする、と考える人もいる。積極的にそう考えた上で人々が「ら」を抜いているのでもあるまい。だが、単純に(d)()の意だけを伝えるという結果になれば、それはそれで目的にかなうのかも知れない。(C)()、何となく自然発生的、お天気まかせ的な自発の要素をも含む「られる」の重層的な含意は、失われてしまいそうに思える。
力タカナの魅力
多田ただ
道太郎みちたろう
やがてこの漢字というものは消化されて、日本民族の流れの中にぐるだろうと思っていたけれども、じつは千年たってもまだ消化しきれないわけです。もう一つ新しい外来文化の流れがきますと、漢字というのが、ものをいうわけです。造語能カがあるのです。悲しいことに大和やまと 言葉は造語能力にひじょうに乏しいわけです。たとえば「労働者の集会」といえばパッと一言でわかるのが、大和言葉で言いますと「はたらきのつどい」とかいうことになって、なんか祝詞のりと みたいな感じになってしまう。なんか問延といの びしてしまう。そこが困るのです。
私はデオロギーとしては大和言葉派なので、物を買いに行ってもなるべく大和言葉を使うようにしています。たとえば電器屋さんに行って「足あぶりください」。皆さんおわかりにならないでしょう。その店員の人もポカーンとしています。それで私は、机に座って勉強するときに足の下に置く、足を温めるとこそくおんきろの器械であると、こう言ったわけです。そうしたら、ああ、足温器そくおんき ですか。これが漢字なのです。それがもっとモダンになりますと、なんとかヒーターとかカタカナになって、そうなるともっといいようです。
最近ダエーの社長が、わが社は断固だんこ カタカナ戦術でやる、すべてカタカナでやると言っています。カタカナでやると、なんとなくモダンに見えるわけです。
大阪の繊維問屋せんいどんや はみんな個人商店でした。多田利ただとし 商やごう店とか。これは私の親戚の家の屋号やごう ですが。そうすると大学を出た人が来ないのです。ところが、ブービーとかハッピーとかいうカタカナの名前を付けるとウワーツと来る。カタカナの魅力というのはすごいものです。
コンビニ考
読みながら
1.スーパーと比べてコンビニにはどんな特徴があるか考えましょう。2.日本の現代の若者と自分たちを比較して相違点を明らかにしましょう。
速水 健次朗
都内では5分歩けばコンビニが見つかると言っても過言ではないほどコンビニが至るところに存在する。店の名前こそ違うが売っているものは大体同じようなものだ。テレビのコマーシャルを見ると弁当などで他の店に差をつけようとしているらしいが、基本的には食品、飲み物、身の回りの雑貨、雑誌に新聞、フゔックスとコピーの機械というところか。
去年までは家族で日本で夏を過ごしたので、買物はスーパーでして、コンビニを利用することはなかった。今年は単身赴任なので、スーパーとコンビニの両方を利用している。今までは、スーパーに行けば何でもずっと安く手に入るのに、どうして大勢の人があんなに頻繁にコンビニを利用するのだろう、と不思議に思っていた。実際にコンビニで買物をして気がついたのは、独身者向きに考えられた商品が多いことと、とにかく「コンビニエンス」の名の通り便利だ、ということだった。例えばサラダを例に取ってみると、まず量が尐ないのが多い。一人で一回に食べられるくらいの量になっている。また、酢や醤油などの調味料にしても量が尐なめのサズになっている。弁当にしても普通の一人前のがほとんどだが、食欲旺盛な若者用に大盛りのもある。
また、コンビニには日常生活で必要なものがほとんど揃っているので、とにかく便利だ。洗濯がおっくうで、しないでいて、明日は講演をする日だったと思いだして、洗濯した靴下、下着のシャツがないことに気がついて急いで飛んで行っても、ちゃんとコンビニに置いてある。突然雨が降りだし濡れると困るものを持っていてコンビニに避難、そこで傘を買って用をすませることができる。もちろん値段の点から言えばスーパーの方が格安だが、緊急避難的状況の時にコンビニはまことに便利だ。
コンビニで一つ気になったのは、新聞コーナーにある新聞がほとんどスポーツ新聞か競馬・競輪の新聞で、読売・朝日・毎日のいわゆる三大紙や日本経済新聞などが置いてないことだ。コンビニの常連は若い独身者だと思われるが、彼等は硬い新
聞は読まないのだろうか。いや、そうじゃあるまい。多分家で購読しているからコンビニで買う必要がないのだろう。だから、需要がなく置いてないのだろう。では、雑誌コーナーでヘゕヌード掲載の週刊誌や漫画は豊富だが、週刊朝日やゕエラなど真面目な雑誌がないのはどうしてだろうか。これも新聞同様、週刊誌を定期購読している人が多いからだろうか。私にはそうは思えない。ということは、最近は雑誌はリラックスするためのもので、教養のため、後学のためというような考えが薄れてきたということだろうか。新聞では深く追及できないようなことが雑誌で詳しくカバーされていることがよくある。そういう雑誌が若い人から敬遠されていてニーズがないからコンビニに並んでいないのだとしたら、いささか残念な気がする。朝4時半頃ランニングをしていてコンビニの前を通ると、弁当とジュースを買って出て来る若者に出会うことが度々ある。仕事帰りかカラオケ帰りか知らないが、これからゕパートに戻って朝御飯なのだろう。24時間営業のコンビニは誠に便利で現代人には欠かせないものになってきつつあるなあ、という感じがした。黄金週間
中山 堯
ゴールデンウークの真っただ中ですね。海外旅行に出かけた人は過去最高の58万3千人とか。近場の行楽地でもホテル、旅館は今週いっぱい満室という話を聞くと、一体どこが不況なのだろうと考え込んでしまいます。
在宅ゴールデンウーク派は、どんな過ごし方をされているのでしょうか。庭木や草花の手入れ? 読やビデオ、音楽鑑賞?(A)()、きっとそれだけでは1週間はもたないはずです。家族のだれかから「どこかに行きた一い」という声が出てきたら、どうしますか? 私はこんな時、とりあえず車で家を出ることにしています。目的地はどこでもいいから温泉の出るところ。
ご存じのように、最近では一部を除いてホテル・旅館も内湯を一般に開放しているところが多くなっいます。入湯料は高くて千円、安くて300円ぐらいまで。ほとんどに露天ぶろがあります。こうしたところを2,3軒ハシゴして半日を過ごし、ふ ところに余裕があったら、夕食をとって帰ります。高速料金を含めて夫婦2人で1万円以内におさめるのがコツと言えばコツですね。
(B)()渋滞は覚悟の上です。実は連休のノロノロ運転に音をあげて、もう二度と行きたくないという声が出るのを期待しているのですが、温泉の気分の良さには勝てないらしく、(1)こうした過ごし方が休みの日の定番になっているほどです。温泉天国・九州ならではの楽しみです。
(C)()、福岡方面で(2)一番の穴場は、高速料金もいらない二日市温泉ですね。ここは公衆浴場と、ある旅館1軒でふろに入れます。ここだと老舗旅館の経営している日本料理店で食事して帰っても、2人で5千円ですみます。泉質もよく、まさに(3)「灯台もと暗し」という感じですね。
人によってたとえ小さくても、喜びと楽しみは様々。私が半面、黄金週間が嫌いなのは、みんなと同じような過ごし方をしないと、(4)なんだか取り残されたような気分にさせる風潮がつきまとう点ですね。
休みの日ぐらいは個性的に、悠々と過ごす時間を持ちたいものです
在宅動務
日立、lBMが育児・介護中に認める方針
日立製作所は17日、家庭で育児や介護にあたる必要のある総合職の社員全員を対象に、在宅勤務を認める方針を明らかにした。4月から実施する。IT(情報技術)の進展により、家庭にいながらンターネットを通じて仕事が出来るようになったためで、日本IBMも4月から同様の制度を副主任以上の杜員を対象に実施することを決めている。在宅勤務へのニーズは高く、今後電子機器メーカーを中心に広がりそうだ。
日立は一昨年から主任以上の杜員を対象に、出社義務のないフレックス勤務を認めていた。この制度で在宅勤務が可能になったが、役職の関係で30歳前後以上に限られていた。
このたあ優秀な女性杜員が育児や介護の負担により退杜を迫られるケースもあり、今向、総合職全員に対象を広げることにした。育児の場合は小学校に入るまで、介護は必要がなくなるまでの期間を認める。このほか、全女性社員を対象に同じ期間、1日6時間の短時間勤務を認める制度も新設する。
1BMは育児の場合、小学校卒業まで認める。25~30歳の副主任以上に限っているが、今後、全社員への拡大を図る。同社は「在宅勤務は優秀な人材を集めるのに必要になる。今回の制度は新たなビジネススタルを杜会に提案する意味もある」と説明している。同社はこうした在宅勤務を可能にするITシステムを他社向けに販売することも検討している。第五课
リーデゖング 1
人
形
読みながら
1.場面情景を豊かに思い描くことから出発して、異常な婦人への筆者の深い思いや りを 読み取りましょう。
2.細部の表現を手がかりに、人物の心理を考えましょう。
小林
秀雄
ある時、大阪行きの急行の食堂車で、遅い晩飯を食べていた。四人掛けのテーブルに、私は一人で座っていたが、やがて、前の空席に、六十格好の、上品な老人夫婦が腰をおろした。
細君の方は、小脇に何かを抱えて入って来て私の向かいの席に着いたのだが、袖の陰から現れたのは、横抱きにされた、おやっと思うほど大きな人形であった。人形は、背広を着、ネクタを締め、外套を羽織って、外套と同じ縞柄の鳥打帽子をかぶっていた。着付けの方はまだ新しかったが、顔の方は、もうすっかり垢染みてテラテラしていた。眼元もどんよりと濁り、唇の色も褪せていた。何かの拍子に、人形は帽子を落とし、これも薄汚くなった丸坊主を出した。
細君が目くばせすると、夫は、床から帽子を拾い上げ、私の目が合うと、ちょっと会釈して、車窓の釘に掛けたが、それは、子供連れで失礼とでも言いたげなこなしであった。
もはや、明らかなことである。人形は息子に違いない。それも、人形の顔から判断すれば、よほど以前のことである。一人息子は戦争で死んだのであろうか。夫は妻の乱心を鎮めるために、彼女に人形をあてがったが、以来、二度と正気には返らぬのを、こうして連れて歩いている。多分そんなことか、と私は思った。夫は旅なれた様子で、ボーに何かと注文していたが、今は、おだやかな顔でビールを飲んでいる。妻は、はこばれたスープを一匙すくっては、まず人形の口元に持って行き自分の口に入れる。それを繰り返している。私は、手元に引き寄せてい
たバター皿から、バターを取って、彼女のパン皿の上に載せた。彼女は息子にかまけていて、気が付かない。「これは恐縮」と夫が代わりに礼を言った。
そこへ、大学生かと思われる娘さんが、私の隣に来て座った。表情や挙動から、若い女性の持つ鋭敏を、私はすぐ感じたように思った。彼女は、一目で事を悟り、この不思議な会食に、素直に順応したようであった。私は、彼女が、私の心持ちまで見てしまったとさえ思った。これは、私には、彼女と同じ年頃の一人娘があるためであろうか。
細君の食事は、二人分であるから、遅々として進まない。やっとスープが終わったところである。もしかしたら、彼女は、全く正気なのかもしれない。身についてしまった習慣的行為かもしれない。とすれば、これまでになるのには、周囲の浅はかな好奇心とずいぶん戦わねばならなかったろう。それほど彼女の悲しみは深いのか。
異様な会食は、ごく当たり前に、静かに、あえて言えば、和やかに終わったのだが、もし、だれかが、人形について余計な発言でもしたら、どうなったであろうか。私はそんなことを思った。
富 士
田宮
虎彦
私は死んだ母が最後に書いてよこした(1)手紙の言葉を、今もはっきり覚えている。それは、――今度のお前の下宿からは富士が見えるのだろうか、東京から富士が見えるということはお母さんもかねて聞いていたけれど、あの美しい富士の山を毎日見てすごすことができれば、どんなにお前の心もなごまることだろう。お母さんも一度は富士を見て死にたいと思っていたが、そのお母さんの思いがお前にかなえられたのだと思うと、お前のくれた手紙に富士見軒と書いてあるのをみつめているうちにお母さんは涙がこぼれてきたのだよ…といった言葉であった。
本郷の高台に高くそびえたった図書館のその屋上からは、富士ばかりでなく、赤城や、榛名や、秩父の山々など、関東平野を遠くとりまく山々が見えるのだったが、そうした山々の山脈をつらねた美しさも、冬の日差しをあびた富士の姿の美しさには及びもつかなかった。私はその美しい富士を見ながら、母の乳房の匂いともつれあうように、母に富士の山の美しさを教えられた幼いころのことを思い出した。そして、母の手紙を読んだ時と同じように目がしらがあつくなってゆくのを感じた。大学に出ない日は、私は真砂町の坂をのぼって、壱岐坂の上に出た。私は、そこで立ちどまって富士を見た。その富士は図書館から見る富士には及ばなかったが、やはり美しい姿であった。私はしばらく富士を見つめていたが、ふと気づくと私の立ちどまった町かどに、下宿か旅館らしい立派な二階建てがあった。何気なくその看板を見ると、その看板には富士見館という屋号がかかれてあった。「ああ、この富士見館なら、たしかに當士が見える」私は思わずそう独りごとをつぶやいていた。(A)()、母が考えている私の下宿は、こんな下宿ではないかと、ふっと思った。(B)()、笑いが腹の底からこみ上げてきて、私は、道をとおる人が不思議そうに笑っている私を見つめるほど、声をたてて笑った。(2)だが、笑っているうち、私の笑いは、私の頬に淋しく凍りついてしまった。
現 代 青 春 論
亀井
勝 一郎
どんな芸術でも、ある程度の予備知識や説明は必要だ。しかしそれに満足してはならない。自分で直接読んだり、見たりして、対象にひきずりまわされることが大切である。たとえば夏目漱石の小説なら、今日では定評があるが、自分で、実際に読むと、定評どおりにゆかない場合がある。みんながほめていても、つまらないと思うこともあるし、また自分が感動しても、それを適当に言いあらわすことが出来ない場合もある。そういうとき、自分には文学はわからないと決めてしまう人がある。ある音楽を聞いて、大変すばらしいと思っても、なぜすばらしいのか説明出来ないとき、自分には音楽がわからないと思いこんでしまう。しかしこれはまちがいだ。どんな人間でも、心に深い感動をうけたときは、それを適当に言葉として表現出来ないものである。すべて一流の美は、そういう性質をもっていて、私たちに沈黙を迫る。美への愛とは、この沈黙への愛だとさえいってもよい。だから本当の理 11
解とは、口に出してうまく言えるかどうかということだけではない。説明が上手だからといって、理解しているとはかぎらない。心の底ふかくおさめておいて、つまりは沈黙のうちに、うなずく場合だってある。そしてこの沈黙の肯定が一番深いのではないか。すぐれた作品はこれによって支持されてきているのである。批評家とは何よりもまず、この沈黙の代弁者でなければならない。そしてそれに適当な表現を与えることで、読者の心を代弁するものでなければならない。こうした意味での「批評家」はだれの心の中にも住んでいるはずだ。
第二篇:新大学日语第八课
第8課
晩秋の中国で
本文
私が自分の生まれた中国を妻に見せたいと最初に思い立ったのは、いつのことだったろう。解放後の中国を初めて訪ねたのは1984年だったから、その時からだとすると、あれからもう8年の歳月が流れたことになる。92年11月中旬、小雨に煙る滑走路に黄色いプラタナスの葉が舞う北京空港に着いたときの感慨は格別であった。振り向けばそこに、初めて同行した妻が中国の大地を踏んで立っていた。
その国の人の心を知るには、その国の言葉を使い、その国の人たちと同じものを食べるのが早い。私たちは、北京と西安を訪ねたこの旅ではホテルや高級レストランでの食事をできるかぎり少なくして、屋台や小さな食堂へ出かけた。
両者を比べると、値段はサイン一つで済むホテルの方が上等だが、味は、ウエストを絞った派手なチーパオ(チェーなドレス)の女性はいなくとも、粗末な腰掛けで食べた屋台の方が例外無しに上等だった。私たちは両替を面倒がらずに度々外出し、ホテルの食事をわざと無視した。
シルクロードの出発点の西安では、回族の屋台にも首を突っ込んだ。丼に硬いパンをちぎって入れ、とろみをつけたごった煮をかけた朝食だ。心持ち塩辛かったものの、ほどよく効いたこしょうの味が、はるかなる西域の空へ誘うが如く臓腑に染みた。
日本では「名物にうまいもの無し」と言う。著名な宮廷料理から屋台の食事までを味わった経験に基づく感想として、私は生意気のようだが、「屋台には高級レストラン以上の味がある」という結論を得た。
その昔、唐の詩人は「西のかた陽関を出づれば故人無からん」と歌って、別れの酒を更に一杯友に勧めた。妻を案内して通訳のいない旅に出発した時の私の気持ちも、安西へ向かう元二の心細さに似ていたかもしれない。だが、私たちは西安で初対面の友人の笑顔に温かく迎えられ、伝統ある餃子館で乾杯のコップを空けた。そしてこの出会いは、中国における日本語教育に取り組むまでに発展した。
一方、北京では4年前に取材した老人を漢方薬店に訪ねたが、そこに座っていたのは見知らぬ人だった。私が再び会いたいと待ち望んでいた人は、退職してすでに遠い地へ行ってしまったという。私は、「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」と記した紙切れを応対してくれた少女に渡し、後ろ髪を引かれる思いで立ち去るほかなかった。
会えた人、会えなかった人へのさまざまな思いを旅情に彩られた悠久の大地に残して、私たちは帰国の途に就いた。もしも旅行社が主催した団体旅行だったら、名所を見るだけで、こんな意義深い旅はできなかっただろう。それもこれも、自由な個人旅行のおかげであった。
子供の頃、この国の人たちと日本人のゆがんだ関係を目のあたりにした私にとって、中国訪問は懐旧の念を満たすだけの旅ではなく、不幸な歴史を未来への戒めに結びつける機会でなくてはならない。妻が、この国の人々と同じものを食べた経験を通してすっかり中国びいきになってしまったのは、私の望外の収穫であった。中国を正しく理解する日本人が一人増えたのである。チャレンジ
1国を担う若者
名古屋発西安行きの飛行機は夜、西安国際空港に着く。(A)()びっくりしたのは高速道路が(a)()され、ほんの30分程度で市内に入ったことだ。以前は小一時間かかっていた。また市内に入るととても明るい。以前は薄暗くて何があるかわからない状態であった。
朝起きてホテルの階上から見ると、たくさんのビルが林立している。それも20階建て、30階建てのビルである。こんなに大きく発展するとは思わなかった。ここ数年の間に西安は大きく変貌している。
以前は夜7時過ぎになると辺りは暗くなった東大街も今はかなり遅くまでネオンが輝き、明るい。人波もある。若者が闊歩している。若者の服装も垢抜けしている。実に軽快である。(1)何かすごい力がうごめいているように思える。
建造物の大きな変化と若者の希望にあふれた行き来がこの西安を象徴している。(B)()中国は21世紀を担う大国に発展するだろう。いま、中国は国を挙げて経済発展に努力している。交通網は鉄道、高速道路、(C)()航空路線の(b)()、発電所の建設と電力の(c)()、21世紀を担う人材育成を期する教育改革など、音を立てて大きく変貌を遂げようとしている。実に力強さを感じる。
現代の若者が希望を持って学習、勉学に励み、多くの国々へ進出している。多くの国々でその国の若者と交わりを豊かにしている。この豊かな人間関係が、21世紀の中国を大きく突き動かしていくだろう。
若者が未来を象徴しているように、中国もまだ若く、21世紀の輝ける世界の象徴なのである。
チャレンジ
2「楓橋夜泊」の寒山寺
蘇州で観光地と言えば、やはり寒山寺が一番有名だ。蘇州市の西5キロの楓橋鎮にあり、江南運河がそのそばを流れる。寒山寺は南朝.梁の天監年間(502~519)に建立され、すでに1500年に近い歴史がある。境内はさほど広くなく、寺の建築様式も素朴で飾り気がない。
唐.宋の時代、蘇州一帯の寺には、一夜を前半と後半に分ける夜半に「定夜鐘」と呼ばれる鐘を鳴らすしきたりがあった。寒山寺の中にも青銅の鐘があり、あたりに朗々たる響きを響かせていた。千古の絶唱と言われる張継の詩は、これから生まれた。
張継は、博学多識の人で、その詩には自然で美しいものが多く、とりわけ七言絶句に秀でていた。ある日船に乗って蘇州を通り、寒山寺近くの楓橋のたもとで船泊まりした。時あたかも晩秋、そこはかとない孤愁の思いに駆られてつづったのが、あの「楓橋夜泊」だった。
月落
烏啼きて
霜天に満つ
江風の漁火
愁眠に対す
姑蘇城外
寒山寺
夜半の鐘声
客船に到る
秋の夜の寒山寺の情景を印象的に描きながら、ひとり悩む旅人の寂しさを歌ったこの詩は、古くから今日に至るまで、中国から日本に、さらに東南アジアや欧米にまで伝わり、寒山寺の名を内外に知らせた。
寒山寺には雄大なものとか豪華なものはなく、蘇州の山河や人と同様、淡白で優雅な雰囲気の中に清新さを漂わせている。張継の詩、美しい伝説、神秘の銅鐘、すぐれた碑刻などが、寒山寺の名をいやが上にも高めている。
第三篇:日语单词 新大学日语简明教程
1.やおや「八百屋」(名)蔬菜店 ;蔬菜水果店;蔬菜商
2.つとめる「勤める」(自一)工作,服务 3.クラス【class】(名)班,班级;阶级,等级 4.さしみ「刺身」(名)生鱼片
5.たたみ「畳」(名)(厚的)草垫,草席,榻榻米 6.や さい「野菜」(名)蔬菜,青菜 7.や きゅう「野球」(名)棒球
8.ゆう びん きょく「郵便局」(名)邮局 9.けい たい「携帯」(名)手机;(他サ)携带 10.じょう ぶ「丈夫」(形动)健康;坚固,结实 11.タクシー[taxi](名)的士,出租车 12.と しょ かん「図書館」(名)图书馆13.せん せい「先生」(名)先生;老师 14.がく せい「学生」(名)学生 15.ちゅう ごく「中国」(名)中国 16.なまえ「名前」(名)名字,姓名 17.くに「国」(名)国家;故乡 18.ペキン「北京」(名)北京 19.しゅ と「首都」(名)首都 20.へや「部屋」(名)房间 21.テレビ「television」电视;电视机 22.か ぞく「家族」(名)家族;家眷 23.しゃ しん「写真」(名)相片
24.かい しゃ いん「会社員」(名)公司职员 25.すう がく「数学」(名)数学 26.だいどころ「台所」(名)厨房 27.じ こ「自己」(名)自己,自我 28.しょう かい「紹介」(名.他サ)介绍 29.だい がく「大学」(名)大学
30.おきる「起きる」(自一)起床,起来;发生 31.あさごはん「朝ご飯」(名)早饭 32.たべる「食べる」(他一)吃
33.じゅ ぎょう「授業」(名.自サ)课,授课 34.べん きょう「勉強」(名.自他サ)学习35.かえる「帰る」(自五)回家 36.しん ぶん「新聞」(名)报纸 37.よむ「読む」(他五)读,朗读,阅读 38.そつ ぎょう「卒業」(名.自サ)毕业 39.か じ「家事」(名)家务(劳动)40.おおさか「大阪」(名)大阪
41.ぼう えき「貿易」(名)贸易 42.はたらく「働く」(自五)劳动,工作 43.やすむ「休む」(自五)休息 44.かいもの「買い物」(名)买东西 45.こく ど「国土」(名)国土 46.し げん「資源」(名)资源 47.ほう ふ「豊富」(名.形动)丰富 48.れき し「歴史」(名)历史 49.ながい「長い」(形)长
50.し ぜん「自然」(名.形动)自然 51.うつくしい「美しい」(形)美丽,漂亮 52.びん ぼう「貧乏」(名.形动)贫穷 53.しあわせ「幸せ」(形动)幸福 54.とく い「得意」(名.形动)得意;拿手 55.せ かい 「世界」(名)世界
56.ゆう めい「有名」(名.形动)有名,著名 57.にん き「人気」(名)名气,声望 58.さかな「魚」(名)鱼
59.ちがう「違う」(自五)不同;错误 60.こう りゅう「交流」(名.自サ)交流 61.さかん「盛ん」(形动)兴旺,蓬勃 62.じょうず「上手」(形动)好,高明 63.へた「下手」(形动)拙劣,笨拙 64.しごと「仕事」(名)工作 65.せい かつ「生活」(名)生活 66.おわる「終わる」(自他五)完,结束 67.べん とう「弁当」(名)盒饭
68.ひるやすみ「昼休み」(名)午间休息,午休 69.のる「乗る」(自五)乘,坐 70.ビール「(荷)bier」(名)啤酒 71.のむ「飲む」(他五)喝 72.みる「見る」(他一)看,观看 73.おもしろい「面白い」(形)有趣 74.ざっ し「雑誌」(名)杂志 75.かぜ「風邪」(名)伤风,感冒
76.かぜをひく「風邪を引く」(组)患感冒 77.ともだち「友達」(名)朋友 78.みまう「見舞う」(他五)探望 79.しゅ み「趣味」(名)爱好;情趣 80.てん き「天気」(名)天气,晴天 81.かう「買う」(他五)买
第四篇:大学日语教学大纲
大学日语教学大纲
大学日语是指高等院校开设的非日语专业的日语教学。据中国日语教学研究会和日本国际交流基金统计,我国有近1100所学校开设日语课,学习人数近25万。其中大多数应该说是大学日语。大学日语教学大纲
(第二版)
1. 教学对象
本大纲的教学对象是高等学校非日语专业的本科生。入学时,他们应已掌握基本语音、语法知识、领会式掌握单词约1800个(其中复用式掌握约1200个),并在听、写、读、说等方面受过初步的训练。对高于或低于上述水平的学生,可参照本大纲“教学安排”中有关部分执行。
2. 教学目的大学日语的教学目的是,培养学生具有较强的阅读能力、一定的译和听的能力、初步的写和说的能力,使学生能以日语为工具,获取专业所需要的信息,并为全面提高日语运用能力打下较好的基础。
3. 教学要求
大学日语教学分为基础阶段和阅读阶段。教学要求分别为:
3.1基础阶段
基础阶段教学分为六级,称为大学日语一级至六级。根据学生入学水平的不同,基础阶段的教学要求分为基本要求和较高要求两种。达到四级为基本要求,达到六级为较高要求。
3.1.1基本要求
3.1.1.1语音
朗读时语音、语调基本正确。
3.1.1.2词汇
领会式掌握单词约5000个(其中复用式掌握约3000个),并举用按照基本结构词法识别词的能力。
3.1.1.3语法
掌握基本语法知识,理解常见语法现象,并具有在语篇水平上运用语法知识的能力。
3.1.1.4阅读能力
掌握基本阅读技能,能顺利阅读并正确理解一般题材、中等语言难度的文章,速度达每分钟90-100字(指汉字与假名自然混合的日文印刷字数,以下各项同)。在阅读难度较低、生词不超过总词数2%的材料时,速度达每分钟120-140字,阅读理解的准确率不低于70%。
3.1.1.5听的能力
能听懂日语讲课,对题材熟悉、浅于课文、基本无生词、语速为每分钟180-200字的听力材料,一遍可以听懂,理解的准确率不低于70%。
3.1.1.6写的能力
能按规定的题目和提示,在半小时内写出300-350字的短文,内容连贯,问题统一,无重大语法错误,词语错误(含使用、表记等方面)较少,表意基本清楚。
3.1.1.7说的能力
能进行简单的日常会话,能就教材内容进行问答和复述。
3.1.1.8翻译能力
能借助工具书将与课文难度相仿的文章译成汉语,理解正确,译文达意,笔译速度达到每小时700-800字。
3.1.2较高要求
3.1.2.1语音
语音、语调正确,说话比较自然。
3.1.2.2词汇 >
领会式掌握单词约6800-7000个(其中复用式掌握约3800个),并掌握一定数量的常用固定词组。
3.1.2.3阅读能力
掌握较高的阅读技能,能顺利阅读并理解一定的题材、语言难度较高的文章,速度达到每分钟120字。在阅读难度略低、生词不超过总词数4%的材料时,速度达到每分钟160字,阅读理解的准确率不低于70%。
3.1.2.4听的能力
对题材熟悉、句子不太复杂、基本上无生词、语速每分钟为250字的语言材料,一遍可以听懂,理解的准确率不低于70%。
3.1.2.5写的能力
能在半小时内写出300-350字的短文,包括文章摘要、书信等。内容连贯,层次分明,段落适当,文理通顺。
3.1.2.6说的能力
经过准备,能就课文内容或某一问题进行简短的发言,基本上能表达思想。
3.1.2.7翻译能力
能借助工具书将与课文难度相仿的文章译成汉语,理解正确,译文达意,笔意速度达到每小时1000-1100字。
3.2专业阅读阶段
能顺利阅读并能正确理解有关专业的书籍和文章。阅读速度达到每分钟100字,阅读理解的准确率不低于70%,阅读总量不少于550000字。通过阅读,掌握一定数量的有关专业的专业基础词汇和专业词汇。
(省略)
6.测试
6.1语言测试应着重考核学生的语言基础知识和运用能力,要做到科学、客观、统一和标准化。
6.2基础阶段各级教学结束时均应安排考试
其中四、六两级结束时,应组织学生参加根据本大纲的要求举行的地区性或全国性的统一考试。记分册上登记学生成绩时,要同时注明该生所达到的日语等级。
6.3专业阅读阶段结束时,各校有关的系或学科应安排专业阅读能力的考试,并记分入册。
6.4选修课也应进行考核并记分入册。
第五篇:二外日语学习心得
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二外日语学习心得
发表时间:2007-9-21 11:50:10
信息来源:日语论坛
点击:3982
日语学习心得
南京师范大学 范晓燕
学习日语,对中国人来讲,其实是有优势的,且不说它里面有很多汉字,就说它的发音,好多都跟汉语也很像。这也是当时我选择它为二外的一个重要原因吧。现在一年学下来,由原来的一个门外汉,到现在的菜鸟级,应该说这其中还是有点滴感受的吧。
一、日语与汉语的比较
从语言学上来讲,日语和汉语都应该属于汉藏语系的,好多日语单词就是从汉语里来的,被语言学家称为sino-Japanese.两者应该有着很大的相似之处。日语中平假名和片假名甚至就是以汉字为基础创造的表音文字。如“ぁ”来自汉字的“安”的草体。
但我觉得,事实上,要学好日语并不是一件容易的事,因为上面所述都是一些表层的东西。从深层次上来讲,两者有很大的不同之处。
我们学习语言的人都知道,grammar是一个语言的骨架,它从一定程度上决定着一个语言,但我们认为很相似的日汉语的文法根本不一样。最明显的一点就是日语的谓语动词往往放在句末,这是最特别的一点。比如说“我去学校”,在日语里面说成わたしは学校へ行きます,把“去”这个动词放在最后。其次,日语是以其格助词为关键的,如“に”、“を”等,每一个就有很多种用法。拿“を”来说吧,它就有表示对象的用法,如本をよむ;还有表示起点的,如家を出る;还有表示在某一范围内移动的,如海を泳ぐ。而“に”的用法就更复杂了,这里就不赘述了。而汉语里则简单得多,没有这么多的格助词。
另外,日语里有许多时态,而这些时态是通过词形变化表现出来的,如て形,た形等等。但汉语里则没有这么多词形变化,只是通过加上一些如“了”、“曾”、“过”等副词来表示。同时,我要说的是,日语中的这些形相当难记,而且很容易忘。但是如果掌握了规律,就很容易记了,而且可以举一反三。比如掌握了一个动词的て形,那它的其它形就可以迎刃而“记”了。比如待つ的て形为待って,由此可以推断出它的た形,就是待った。这是动1的词的用法,而动2的词就更加相似了,直接把最后的一个假名去掉加上一个て或一个た就可以了。而其它的形也可以采用类似的方法来记忆。
当然,仅仅掌握了这些词形变化是远远不够的,必须把它们应用于一些句型当中。仅以て形为例,它就有很多与之有关的用法或句型。如てくたさぃ表示礼貌地请求;てぃる有表达两个含§更多日语学习资料请加早道官方资料群: 191700390§ §更多日语学习方法请加早道官方微信:早道日语§
义,一方面表示动作的进行,还有一种就表示状态的持续;てもぃぃです表示可以干某事了。
日语中有如此多的词形变化,而汉语中很少,那为什么一些西方人会觉得汉语比日语更难学呢?让我们来看看日语和英语的比较吧。
二、日语和英语的比较
我认为,和汉语相比,日语和英语的相似处更多,它们都属于形合的语种,注重形式;而汉语则属于意合,西方人对此很难理解。而且日语和英语都有很多相对应复杂的句型,时态,及与之相关的词型变化比如与て形相对应的英语时态就是现在时-ing形式,与た形相对应的则为过去时-ed形式,与なぃ形相对应的则是英语中的否定。而且,现在随着世界联系越来越紧密,日语中外来语增加的速度更是快得惊人,好多词汇都摒弃了原来的和语或汉语读法,采用了英语的发音,叫人背不胜背,这通常都要用片假名来表示。因此,好多日语词都可以用英语来发音,日本人不但不会嘲笑,反而认为你才是up to date。这样一来,西方人当然觉得日语更好学了。什么东西说不出来,仍然可以用英语来表示。但是,由于这些外来语都是用日本的语音发音,因此跟英语单词有很大的出入,以至于我们读多了之后,许多英语单词都不会读了,比如我经常会把supermarket读成ス-パ-·マ-ケット。这也就难怪日本人读英语的时候感觉怪怪的。
当然,说两者相似,是基于和汉语比较的基础上的。虽然两者相似处很多,但是,总的来说,Culture determines language.不同的文化背景下所产生的语言肯定是有根本区别的,而语言正好可以反映出文化的不同。日本人宣扬的是一种“忍”的精神,以致整个民族都很内敛,表现得很谦恭,好像什么都唯唯诺诺,而欧洲人则不同,他们以自我为中心,应该是属于个人主义的那一类。表现在语言上很容易就看出来。日本人在说话的时候有时连ゎたし都可以省掉,而英语里面为了强调自己的意愿,经常说一些主观意愿的词,比如I think, In my opinion, I’d like to say ,你看,几乎每个里面都有“我”。
三、口语和听力
口语,这是一个很重要的方面,因为语言最重要的一个功能就是communication,而交际最重要的就是要去说。如果学一门语言,但是口语不能掌握的话,等于只学了一半,这对日语来说尤为如此,因为日语的口语和我们学的书面语很不一样。我们看日剧的时候会发现日本人经常只用动词的普通体,而不用敬体。还有一点很重要的,就是日语分男性用语和女性用语以及一些所谓的谦逊语,其实要说到谦虚,中国人应该是很擅长的,但是日本人的谦虚连我们中国人都受不了。比如说すみません,它是在日本使用频率很高的一个词,常常有一种深层次的含义,我想这是我们这些菜鸟所不能理解的,好像不管什么场合都可以用。
而与口语联系密切的听力也是让我们头疼的地方,在听同学做speech或者听磁带的时候,听到某个单词很熟,但就是不知道是什么意思,一个单词要反应好长时间才知道是什么,有的时候甚至要写下来才知道。但这样一来,下面的内容就听不到了。另一点就是日语中有很多同音但不同义的词。如ひく这个音,我们现在学到的就有三种意思,一个是弹钢琴的弹(弹く),一个是得感冒的得(ひく),还有一个是查辞典的查(引く)。这样一来,听的时候觉得更困难了。§更多日语学习资料请加早道官方资料群: 191700390§ §更多日语学习方法请加早道官方微信:早道日语§
我想这也多多少少和我们平时听得少有很大关系吧。但是,以后不管是考级还是考研,听力都是很重要的,所以今后一定要加强这方面的训练。
三、部分日语句型和英语汉语的对比
1、て形
日语
汉语
英语
てぃます
正在做某事
Be doing something
てもぃぃです
可以做„„
You can do something
てはぃけんません
不能做„„
You mustn’t do something
てくださぃ
请您做„„
Would you please do something
„„て,„„
干完„„之后紧接着就„„
After doing sth, sb do sth
2、た形
日语
汉语
英语
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たことがあります
做过某事
Somebody did something.たほうがいいです
最好做某事
You’d better do something.たあとで,„„
做完某事后再做
Do something after doing something.たり„„たりします
一边„„,一边„„
Doing and doing
3、未然形
日语
汉语
英语
(よ)うと思います
打算做某事
Be going to do something
しなぃ
不做某事
Don’t do something
4、其它
日语
汉语
英语
と思います
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我认为
I think
は~より„です
„比„更
~ is more than~
になります
变得„„,越来越„„
More and more„
综上所述,日语和汉语、英语是有很多共性的,同时它也有很多特性。我们所要做的就是经常对这三者进行比较,比较之后才会有进步嘛。
上一条:标日初级上句型总结
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