日语作文--南京(歴史の町)

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第一篇:日语作文--南京(歴史の町)

歴史の町――南京

南京は蘇州で有名な江蘇省の省都であり明太組の建国地として南京大虐殺の痛い歴史を持った歴史の都市であります。中国7大古都の一つです。南京は江蘇省の省都、「寧」を略称し、昔は「金陵」と呼ばれていました。長江中下流平原の東部、江蘇省の西南部に位置します。上海から300キロメートルくらいの距離があり、総面積は6582.31平方キロメートル、市内面積は4723.07平方キロメートル。それ程大きくない都市で約 235万名の人口が暮しています。玄武、白下、鼓楼、建邺,秦淮、下関、雨花台、栖霞、江寧、六合、浦口といった11区及び溧水、高淳2県からなります。南京は亜熱帯湿潤気候に属し、年平均気温は15.3度です。6月から7月初めは梅雨であります。7~8月は最も暑いとき、最高気温は40度に達します。通常でも夏の気温は35度くらい、重慶、武漢、南昌と並ぶ中国四大竈の一つであります。春と秋が短くて、夏と冬が長い。また、中国の 4大古都中の一つで重慶、無漢といっしょに中国の 三大火炉と呼ばれるほどに熱い処であります。しかし一方では道ごとに止められたプルラタノスと城壁に積もった多くの緑があって暑いが物静かできれいな姿で見えます。紀元前472年に越王の勾践が呉を滅ぼした後、現在の中華門の南西地点に都を築き、南京の城壁史の始まりとなりました。旧市街を取り囲んだ南京城壁は高さ13〜25m、周り34kmに達して世界最大として知られています。郊外にある湯山にて猿人の頭骨が出土したことが、南京は数十万年前に人が集まり住んでいた地であることを裏付けています。

南京市は揚子江デルタにてサービス業が最も発展されている都市のひとつであり、中国全体においても重要な総合型工業生産基地であります。現在、南京市には国家開発区が5つ、省レベル開発区が8つ、重点工業園区が数箇所、国家レベルの輸出加工区及び竜潭港保税物流センター(B型)があります。その中で、開発区が南京市の外資引用の主な付属手段となっているようです。南京は元々消費都市としての性格が強かったが、過去約 20年間に伝統的な絹物工業外に化学 ・機械 ・鉄鋼 ・食品など工業が飛躍的に発展して江蘇省最大の工業都市に成長しています。また華中地区の学術・文化の中心地として南京大学を含めた高等教育機関外にその歴史的背景によって名勝史跡が風富する

ことでも有名でもあります。大学や研究機関の数が非常に多く、人材が集まりやすい場所です。紫金山南側には孫文の墓所である中山陵があり、その西の方に明洪武帝の明孝陵があります。南京市は、中国東部発展地域江蘇省の首都都市として、揚子江デルタにあり、江蘇省の政治文化経済の中心であり、揚子江デルタ地域のビジネス、貿易、金融、旅行及び物流の中心でもあります。南京市は総合的に高い評価を得ており、発展の見込みのあるモデル都市といえます。フォー• ブス2008年ランキングにて中国大陸のトップ100の商業都市というカテゴリーで第4位。

6000年以上の文明史と2400年以上の建城史を持っている南京は北京、西安、洛陽と並び、「中国の四大古都」と呼ばれています。南京の文化古跡は至る所にあり、歴史の源流を訪ねることが見られます。中華民国の旧首都今でも憲法上の首都であります。南京は国民党時代の首都であったため、標準語の統一化が早く、南京語は非常に標準語に近い言葉である事、治安がすごく良い事など、語学留学には最適なところです。古くから長江流域・華南の中心地で、かつては三国・呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、十国の南唐や明といった王朝や南京国民政府の首都でありました。豊かな民族遺産を残しています。南京は明太祖朱元章が国を建てた所で11年間太平天国の首都だったし近代に立ち入ると孫文が清王朝を倒して中華民国臨時政府を置いた所でもあります。後日南京大虐殺という胸が痛む歴史の現場になったりしたが、相変らず長年の歳月の歴史をおさめた古城としての姿をおさめています。このような歴史のおかげで南京には多くの遺跡地と観光地がある。また彼らの歴史を残して一般人に公開している博物館と記念館があって歴史を勉強することができる機会を与える所でもあります。

南京市内は西側と北側が長江に面していて北には幕府山・烏竜山、東に紫金山、南側に雨花台、西の方に清凉山・獅子山などがあり、昔から軍事要地として利用されたし、周辺には護城河・秦淮河など河川と玄武湖・莫愁湖など湖があって地形の変化が多様です。

繁華街は新街口、健康路、鼓楼付近であります。東方の紫金山には中国最初の天文台、孫文の陵墓である中山陵、革命記念塔、明孝陵、霊谷寺があり

ます。ほかに革命記念地として梅園新村、雨花台、名勝として玄武湖、燕子磯、莫愁湖などがあります。それに南京は日中戦争という歴史上重要な意味を持つ都市であり、南京大虐殺を記念した「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館」があります。真の日中友好を考えるにあたり、非常に影響がある場所であります。

2005年10月には第10回の中国国体が南京市を中心に開催されそれに伴い南京駅の新築、地下鉄の開通と交通の便が良くなりました。

次に、南京の観光風景区を簡単に紹介します。

南京の観光風景区は鍾山風景区、頭陀嶺景区、市内風景区、雨花台風景区、石城風景区、秦淮風光帯、沿江風光帯、牛首山風景区、湯山風景区、栖霞山風景区の10つの景区で構成されます。

更に、鍾山風景区は中山陵景区、明孝陵景区、霊谷寺景区の3つの景区で構成されます。中山陵景区には中山陵、美齢宮、音楽台、孫中山紀念館があります。中山陵は辛亥革命の英雄「孫文(孫中山)」の陵墓であり南京の最重要観光地の一つでもあります。孫中山紀念館は孫文(孫中山)の資料館、展示資料はもちろん充実しています。音楽台はコンサートなどのイベントが開かれたりしています。美齢宮は蒋介石と宋美齢が過ごした官邸であります。明孝陵景区には明孝陵、下馬坊遺址公園、中山植物園、廖仲愷 何香凝墓があります。明孝陵は世界文化遺産 明太祖 朱元璋の陵墓。周辺には梅花山、三国志の孫権の墓などがあります。下馬坊遺址公園は明考陵の正式な入口を示す下馬坊があります。廖仲愷 何香凝墓は国民党の重要人物である廖仲愷と何香凝の墓であります。中山植物園は孫文を記念して作られた植物園です。霊谷寺景区の霊谷寺は1000年以上の歴史があるお寺です。霊谷塔や無梁殿といった有名な観光場所もここ。

第二篇:日语作文-温泉の王国

温泉の王国

火山や地震の多いから、日本の各地ほとんどには天然で、有名な温泉がある。日本人にとって、温泉に入るのは十分楽しむことばかりでなく、さらに生活の大切なことだ。確かに日本人のようにお風呂が好きな民族がない。以前の日本は男女混浴が普通ことだが、今は少なくなる。私はこれが不思議だと感じるけれども、特別な風習だと思う。でも、私が好きなのは日本人のお風呂を重視することだ。お風呂は体を洗うということだけでなく、父と息子、上司と部下あるいは多年の友達も感情を深めることができる。これこそが最も大事なことだと思う。

温泉が気持ちのよいものだということは日本人なら谁でも知っている。気持ちのいいものは谁でも好きだ。水道水を沸かした家庭のお风吕とは違う、実際に温泉には体をリラックスさせる成分があるし、自然の豊かな環境で湯につかることで精神的にもリラックスし、相乗効果を持つ。

日本温泉の歴史も長い。初めて温泉が文献资料に登场するのは『古事记』『日本书纪』などの本。本によると、昔々から日本人もう温泉を利用することができたようだ。これらの本の中には、日本武尊が东方远征の帰りに草津に立ち寄って温泉で傷を癒したことや、持统天皇の御代に饮泉によって多くの病者を治療したという記述が見られる。

奈良时代になって、仏教の伝わたので、日本の各地はお寺を建てきた。僧侶は温泉の開発に大きく影響した。室町時代に、温泉は主に僧侣や贵族、武士たちのレクリエーションの場で、一般庶民に普及することはない。安士桃山時代に、温泉もう戦いで傷ついた武士の治療するために広く応用した。

数千年が流れた日本温泉は年月に魅力が消されなくて、却って年月を重ねるにつれて味わいが濃くなって、各地の温泉は人文の息吹がいっぱい溢れていった。日本に行けば、絶対に温泉を楽しむ。長い時間の旅行の後で、露天温泉に入って、窓の外の景色を見たり、お茶を飲んだりしたので、一日の疲れを洗える。雪のちらつく天気に出会ったら、もっと素晴らしい。43度の湯気がたっているお湯の中で、舞い落ちる雪を見て、ロマンチックや純粋を感じられる。こんな感じは世の中で珍しくて天国にいるようだ。でも、温泉は夏に楽しむのはもちろん唯一の選択ではない。

有名な温泉の故郷――箱根は季節に応じて、違う温泉のテーマを提出してある。春にはピンクの桜やツツジが満開している山を見て、夏には緑で溢れていて山々を眺めたり小河の水がさらさらと流れる音を聞いたりして、秋には赤い紅葉の世界を楽しむ。それこそがのんびり人生を味わうことだ。

温泉の治療効果も顕著で、日本人は温泉を利用して、病気を治したり健康を促したりする。違う地方の温泉の水質は違うから、効果も同じではない。静岡県の熱海温泉が塩などを含んでいるから、温泉を出てから塩は体に残って、保湿効果があって寒さも感じない。群馬県の草津温泉が酸性なので、リューマチを緩和できる。佐渡温泉にはカロチンを豊富に含むので、視力を高められる。月岡温泉は肌に白くする効果があるから、女性の中で人気が高い。もちろん、これ以上は日本温泉の部分だから、日本には特色のある温泉がたくさんある。

でも、どんなに効能の高い温泉でも、たった一晩だけ入っただけで、また、日帰り入浴だけで、効果を期待するのは无理だ。

日本で温泉に入るのは他の国家のに比べて、違うものだ。日本の温泉文化と見れば、日本人の生活の細かいところが味わえる。温泉に入る前に、体をよく洗ってからきれいな体で温泉に入る。タオルが温泉の池内に持ってはいけないので、そして、タイルは池のそばにおいてあるいは頭を巻いてもいい。また、温泉の池内では石鹸で体を洗うわけにはいか

ない。しかも、温泉の池内でも大声で叫べなくて、走って追い合えなくて、泳げなくて、静かにしているべきだ。温泉の温度は熱すぎても冷たすぎてもよくない。最もよい温泉を楽しむ時間は10分だ。日本人は晩ご飯の前にも、寝る前にも、朝に起きる前にも温泉に入ることになっている。その中で、日本人はほんとに温泉好きなのようだ。日本人の温泉好きと同じくらい西洋人の水泳好きは多いのである。加えて、ホテルでは浴衣を提供して、正確な着方に従うべきだ。

温泉のある国家がたくさんある以上、日本と海外で温泉はどう違う。それは温泉の使われ方に違いものだかもしれないと思う。しかし今や世の中グローバリゼーションの波に乗って、温泉文化も急速に国際化が進んでいることを知って顶こう。海外の温泉では日本の「温泉」ブームが起っているし、日本でも温泉が「スパ」になり、やがてサウナ、マッサージ、美容、グルメが温泉の主要メニューになり、裸で混浴の露天风吕が普及してくるに违いない。でも、西洋の人工的で豪华である温泉施設と比べると、日本温泉の大自然に近いなのは取り替えのきかない。

日本で温泉を楽しんだら、きっと独特な感じはある。まず、古色の旅館や中の静かな気分は旅人に神秘的な感じを与える。また、ウェイトレスは人間味のいっぱいおばさんやおばあさんなので、いつも笑っていて、細かい心が遣って、旅人に暖かいフリを与える。そして、その親密に大自然に触れることこそが最も大事で独特なことだ。

私にとっては、また温泉はのんびり楽しむこととしてとっても憧れている。いつか温泉の王国の日本に行って、自ら体験したい。

2010年01月08日

第三篇:日本の茶道 原创日语作文(范文模版)

日本の茶道

――茶道から見出された日本の文化

茶道の歴史

抹茶は中国から日本へ来たのは、鎌倉時代と言われています。鎌倉時代のお坊さん栄西が日本に伝え、僧侶の間で睡魔を取り除く薬として広まりました。室町時代になると僧侶の村田珠光(むらたじゅうこう)が内面的な心を追求した「わび茶」をはじめ、その後、その心を受け続いた武野紹鴎(たけのじょうおう)が禅の奥義にも徹し、その弟子利休がこれを推し進め、新しい茶の在り方を開きました。

珠光から紹鴎、さらに利休によって日本の伝統的な詩情を加えた茶道が大成したと言えます。

茶道の道具

茶道の席には「掛物」「茶花」が飾られます。そしてお茶を点てるために「釜」「風炉」「水指」「茶入」、または「茶器」「茶碗」「建水」「茶杓」「茶筅」などさまざまな道具が不可欠であります。そして道具へのかかわり方は実用性を超えています。

歴史的には茶の湯の成立期禅宗の影響を受けて中国の器物、いわゆる唐物に対する関心が高まり、唐物数寄の時代もありました。しかしおよそ15世紀後半から数寄の対象が和物へ移行し始めました。立派な唐物よりも素朴な和物のほうがかえて味わいがあると思われます。村田珠光が「月も雲間の無きはいやにて候」といったと伝えられていました。雲ひとつなくこうこうと照る月よりも雲の中に少し隠れている月のほうがもっと情調があります。このような素朴なものへの数寄がさらに徹底され現れるのがわび数寄であり、わびの美意識でもあるのです。

茶道の精神

日本の茶道は「日常茶飯事」という言葉をもとずいて発展しました。茶道は日常的な行動と宗教、哲学、倫理と美を一体になって、総合的な文化活動でもあります。

そして茶道は物質的の楽しむだけではなくで、茶会を通して茶礼を学ぶ、性情を陶冶し、審美眼と道徳観の育成にとっても、とても大事なことだと思われます。

茶道のお茶は「わび茶」と呼びます。わびは静寂意味があります。友何人集まって、静かの茶室の中にお茶を飲みながら軽いお話をする。世間の紛争を問わず、憂いもない、心配もない、ただ自分の身を修めて、心身を浄化します。これが利休さんが言った「茶禅一味」の意味です。そしてこの静寂の心は茶の湯の心でもあるのです。

茶道はいろいろな規定があります。たとえば、季節によって風炉と水指の位置が変わります。これは人に対する心掛かりです。茶室には必ず茶花が飾られます。でもたくさんの花を採って飾られません。これは命に対する心掛かりです。茶室の中に縁を踏むのはいけません、皿を畳の上にズラと動かすのもいけません。これは物に対する心掛かりです。このようにたくさんの心掛かりは日本茶道の「和」と「敬」の精神を現しています。そして前が言った「静寂」の心を合わせて、「和敬清寂」は茶の湯の大成者利休さんが唱えた茶道の根本的な精神です。

金沢の茶道

金沢の茶道は前田利家によって発展されました。利家は織田信長や豊臣秀吉の影響を受けで茶の湯に関する関心を持ち始めました。茶道の大成者である千利休や織田長益に学び、加賀藩に茶道の文化を定着させ、諸大名などを招いて頻繁に茶会を開くようになりました。そして江戸時代になると、利休から派生した茶道は三人の孫に引き続かれ:表千家、裏千家、武者小路千家の三派に別れました。加賀藩三代目藩主利常は裏千家の千宗室(千叟)を指南として招いたことで、加賀藩に裏千家が普及しました。五代目藩主綱紀のころになると、職人や町人までもお茶の作法を身につけるほど幅広い層にまで広かっていました。今の金沢でも茶道が好きな人は少なくありません。金沢の茶室もたくさんあります。

お茶は中国から日本へ来て、日本人によって発展され、日本独特の風景いなっています。最近欧米の人も日本や中国からお茶を持って帰って、欧米で茶文化を開こうとやています。これはとでもめでたいことだと私が思います。お茶はもともとただの

飲みんものにすぎないが、人々は自分の考え、理想、思いを加えてお茶は飲み物から文化になります。私だちはお茶を飲みながら、この茶道の歴史、茶器の美、和敬清寂の精神を感じています。このようなものを茶道の中に溶けていたこそ茶道が文化たるゆえんだと私が思っています。

第四篇:日语作文 私の大学生活

私の大学生活

私は開封から来た魏海麗です。2007年の夏、私は西安交通大学に入りまし た。その時は、優秀な大学生になるのを決心しました。そして、3年間に経済 学部で私は努力に勉強しっています。専攻学科の知識は勉強して、おもしろい だと思います。はじめの時は、大学で言葉や食事のことなどがとても苦手でし た。大学生活に慣れるために、生徒会やいろいろなクラブに入りました。3年 間で、たくさんの友達に付き合って、知識を勉強していました。私の大学生活 はおもしろく、豊富だ思っています。今私はよく仕事を探されたいです。3年 の大学生活を思い出して、幸せと満足を感じしています。大学に入ってから、もうそろそろ3年が終わりました。わたしの大学生活につ いて言えば健康の方式だと思います。私は毎朝7時に起きます。それから友達 といっしょに食堂で朝ご飯を食べます。授業は 8 時に始まります。大学では、専攻は勉強ということが忘れではいけないです。そして、よく図書館に行きま す。図書館で本を読むことを通じて、いろいろな知識を勉強することができて、暇の生活も豊かになれる。9 時ごろ寮に戻ります。寮は 4 人部屋です。みんな は、仲のいい友達です。週に2回くらいスポトをします。ときどき映画を見て、音楽を聞きます。土曜と日曜は休みです。私はよく友達にyいっしょに遊びに 行きます。西安の観光地を観覧の時をきっかけにして、歴史を知っていました。ほんとに楽しかったです。大学の自由時間は高等学校のよりもっと多いです。週末には、普通に寮でネッ トサーフィンをしています。ンターネットで世界中のことを知ることができま

す。そして私は暇な時間に日本語を勉強しています。私は日本が大好きですか ら、日本語を勉強して以来、日本との距離がますます近く感じるようになりま す。それで、日本語の勉強はもっと積極です。日本のドアマとテレビ番組はい つも見ています。卒業までに、わたしの目標は日本語能力試験の二級をとるつ もりです。大学で、毎日時間がとても楽しくて、多くの友達を知って、多くの知識を勉強 してます。私の大学生活はまだ続いています。もっともつと勉強して、いろん なことを挑戦したいと思います。今后の大学生活を楽しみにしています。この 学期は、仕事を探したら、きっと最高の楽しく旅行が期待します。大学で勉強 した知識を活用して、自分の目標を達成できるように頑張ってと思います。私 は将来の生活に大きな期待をしています。

私の大学生

第五篇:故宫の日语导游词

故宫の日语导游词

今日はこれから故宫へご案内しますが、少し时间がございますので、故宫のあらましをご说明したいと思います。

故宫とはその字が表すとおり古い宫殿という意味で、中国の明、清両王朝の皇居として建造されたものです。当时は紫禁城と言っていましたが、1925年に故宫博物院と改められ、一般に公开されるようになりました。

紫禁城の造営を命じたのは、明の第三代皇帝朱てい、つまり永楽皇帝です。今から600年前の1406年に造営が始まり、约15年间かかり、1420年に落成しました。その后、何回も立て直されたり、増筑されたりして、いまの规模になりましたが、ここで明、清両代に渡って24人の皇帝が全中国を支配していたのです。

紫禁城は昔の北京城、つまり北京の町の中央线上にその中心が来るように建てられていて、その建筑规模は世界に并ぶものがありません。しかも、中国において、最も完全に保存されている最大の古代建筑群です。紫禁城は长方形で、南北960メートル、东西750メートル、敷地面积は72万平方メートル、建筑面积は15万平方メートルにも及んでいます。こんな広大な敷地の中を详しくご覧になるのでしたら一周间ぐらい必要だそうです。そこで今日は特徴あるところだけに触れ、実际に见学なさるときにまたその场でご案内したいと思います。

まず、故宫を见学されるとどなたでもすぐ気付かれることは、一种独特な色彩であることでしょう。宫殿全体を取りまいているのはベンガラ色の壁です。この色は単に美しいためばかりでなく、古来中国では尊さと豊かさを表すものとして、用いられてきました。また、夥しい建筑群の屋根は黄、绿、黒、紫などの瑠璃瓦が使われています。黄色は中国の五行学说の中で中央の方角を代表しているので、皇帝の色とされてきました。ですから、皇帝の住まい及び政务を司る所の建物には全て黄色の瑠璃瓦を用いたわけです。皇子たちの住まいには黄色に准ずる色として绿色の瑠璃瓦を用いていますし、文渊阁と名づけられている书物を入れておく仓库は、黒色の瑠璃瓦になっています。なぜ黒を使ったかと申しますと、黒は水を代表する色であったので、书库を火灾から守るためだそうです。さて、故宫の中へ一歩足を踏み入れられますと、どなたもどのぐらいの部屋があるのだろうかと思いになることでしょう。実は、この広大な敷地の中には9000间以上あるといわれています。最もこの「间」というのは柱と柱の间を表す言い方ですので、実际にはずっと少なくなるわけですが、それにしても夥しい数に违いありません。数え上げるのに相当な时间と根気がいるのです。

次にこれらの建物がどのように使用されてきたかについて、ざっとご说明したいと思います。故宫は主に前朝と内廷に分かれており、前朝は皇帝が厳かな式典を行い、権力を示す场所です。「太和殿」、「中和殿」、「保和殿」という三大宫殿を中心として、「文华殿」、「武英殿」が両侧に立っています。内廷のほうは「乾清宫」、「交泰殿」、「坤宁宫」及び「御花园」を中心に、両侧には东西六宫などの宫殿が立ち并んでいます。「乾清宫」は皇帝が住んでいた所ですが、ここも日常の政务が执り行われたり、大臣、部下や外国からの使节と会见する场所として使われていました。「交泰殿」は皇后の诞生祝いの仪式を挙げる所ですが、ここには皇帝の権威を表す25个の玉玺、つまり印鉴が纳められていました。「坤宁宫」は皇后の住まいとして使われた所です。「御花园」はもちろん皇帝、皇后、妃、皇子たちの憩いの场所

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