第一篇:日本语的暧昧性表现及原因
日本语的暧昧性表现及原因
常维维
20112362001 日文要旨:日本人のあいまいな表現仕方は著しい特徴があろう。、人间関系の調和を持つて、愉快な雰囲気を営造しせるため、単刀直入、断定する言葉を避ける、なるべく直接な表現の代わりに謙虚に恭しい態度で、婉曲で含蓄に自分の考え方を表す或るいはただ半分話を言った表现を頻繁に使用する。実は弦外の音、言葉の外の意味を言い表したい、すなわち本音だ。相手に推測、推察中で本当に意図を理解させる。それでは、相手は誤解することかどうか?なぜ日本人はそんなに頻繁にあいまい言葉遣いを用いるのか。良く日本人と交流する及ぶ更に正しく理解することができるため、本稿は日本語の曖昧さについての研究を通し、、日常生活中のあいまいな表現及ぶ形成原因を分析する。
中文要旨:日本人的暧昧表达方式具有显著的特点。,为保持人际关系的和谐,营造愉快的氛围,避免直截了当、强加于人、断定的言辞,不直接表达想要表达的事情,而是以谦恭的态度,委婉含蓄、模糊羞涩、声东击西地表达,或者只说半句话,实则传达弦外音、言外意,即真正的“本音”,让对方在猜测、揣摩中领会真正的意图。那么,对方能否领会错呢?为了能正确理解和更好地与日本人交流,本文就暧昧性表现形式形成原因方面进行了分析
关键词:暧昧性,表现方式,成因,一はじめに
多くの場合は、外国人にとって、日本人が言う単語とセンテンスすべてがわかつが、日本人はどんな意味を表現したいのことが納得することはできない。実は日本語はその他の言語と異なるの最大の特徴―――――曖昧性だ。あいまい、この語の中国語の意味は(1)はっきりしないこと。确かでないこと。ぼやけていること。2)(行為などが)いかがわしい,怪しい,後ろ暗い.、人々に相互に友好で優しい人间関系を持つため、日本人はよく曖昧語を使用する。どの国家の言語にも関わらず、曖昧語は存在しように思うが、ただ日本人は特に曖昧語が大好きだ。曖昧語の表现仕方の研究は日本の文化の理解を深めて及びよく日本人と交流すること役に立つ。本論は曖昧な表現をまとめるとともに、その原因及び影響を探求し、曖昧語をよく理解したい。
一 表现仕方
1省略形式の曖昧さ 1.1人称の代詞の省略 例えば、(1)自己紹介する時に日本語の中でよくこのように言う: “佐藤ですが、大学の二年生です、スポーツを専修しでいます。“センテンスの主語がないゆえに外国人にとって、非常に難しく理解と考えている,(2)今晩、ちょっと伺いたいですが。“このセンテンスように、日本語の中で述語動詞が謙譲語の形式になって、主語が自然で“私”で、あるいは“当方”の人である。こんな表现仕方が日本語に多くてあげればきりがない。主語は出場しないで、主語がないに等しくなくて、言外の意味の表现を通して、主語を隠すにすぎない。日本人から見えば、センテンスの中ですべて繰り返して主語が現れるような表现仕方が機械的で味気ない。主語の省略はセンテンスに更に簡潔になって、更に人々の想像力を増加することができて、人に言語の外の趣まで体得させることができます。1.2言外の意味の省略
外面打来电话,姓田中的日本人拿起电话来说「こちらは田中です
けれども„」(我是田中„)在这个句子当中有了「けれども」不仅使句子委婉,而
且有了一定的言外之意“你有什么事呀”等,被省去的部分靠对方去体会本当に申し分けないのですが、今回はいけません」などといった言外の意味が含まれていることが相手に伝わる。。日本人の対話の中で下地の言葉「„„が」を使う場合が多く。この「が」は前文の意味に相反して観点を表します、あるいはの前文で観点を表明した、言い人は相手に自分の観点意図领会した、応して行動をとる。だとえば、「行きたいんですが」,婉曲に自分の観点を表明して、つまり主観的にたいへん行きたくて、しかも客観的には行けない。1.3 双方都知道的事的省略
2拒绝
2.1 暧昧词汇表达拒绝对方邀请
日本人が何かを否定する時には直ちに「イエス」「ノー」を言わずに、先に相手の提案を肯定して、文型の後で転換を表す助詞「„„ですが」,「„„ますが」,「„„けど」に付け加えて,本当に否定的な意図と語気は後半の文にあって、言い続けなくても、相手も明らかになって。相手に失望させたくなくて、見たところ相手に望みを残して、実際には可能性がきわめて小さいの口実を設ける言葉遣いである。「„„また今度」、「„„考えさせてもらいます」、「検討させていただきます」こんな言葉が現れると、下文が否定的な意味になった、日本人は他人を断る時でもたいへん相手の情緒を大切する。A:あした、一緒に公園へ散歩に行きませんか。B:せっかくですが、今晩はちょっと„„
Bは直接に「いいえ、行きません」と言いない、日本人から見ると、このような拒絶の方式は絶対に失礼して、礼儀を欠く行為だ。「ちょっと」が現れると、Aは根掘り葉掘りで聞いたのではなくて、断られったことがわかる。相手を傷つけずに、微妙な言い回しで断ることは日本人特有な曖昧語だ、外国人にとって、非常に難しく理解と考えている。各国家は自分なりの歴史と文化背景があるから形成された心理黙契の程度と思惟の習慣も違う。
2.2 解释原因表达拒绝
例えば、AはBに『今晩、いっしょに花見をみにいきませんか』と誘われたら、Bは「そうですか。せっかくですけど、明日は忙しいので」と回答すれば、この場合、Aは「そうですか」と言って 先ずに行きたい気持ちを表すが、原因を釈明して残念な気持ちも入って婉曲に招待を拒絶する?自分の意外な喜び、相手に感謝することが含まれ手同時に「いけません」という気持ちが相手に伝わる。これから見えて 日本人が他の人を拒絶する時先に原因を釈明することが大好きだ。
日本の社会は建前と本音がある。「建前」は、「原則として」とか、「表向きには」と言う意味である。「本音」というのはその人の本当の気持ちである。日本人社会は人間関係を優先し、「和」を大切する。この和を保つためには、私的な感情を表面に出さず、原則である「建前」でコミュニケーションすることが必要になるわけである。つまり、言外の意味が読み取れないと、誤解を招くことがよくある。
2.3 建议方式的表达拒绝、3禁忌语 3.1特殊场合的紧急词汇
还有一些在特定场合忌讳说的词语, 如在恋人交往、结婚仪式上[離
]、[分
]等表示离别、分别之意的词语是禁忌的;在葬礼上也不说[
]、[重重 ]、[再三] [次 ]等表示与
重复有关的词语;去医院探视病人, 忌讳说[滅
]、[終
]、[亡
]、[死 ]等;在股票投资者面前禁忌说与[落
]、[
]等等。为了避俗求雅, 一部分表示与性或人体器官部位、正常的生理现象方面的词语, 往往用比较含蓄、文雅的词替代。例如, 用[風俗関係]、[援助交際]代替[売春]、[淫売];用[暴行]代替[強姦];用[生理]代替[月経]等。此外, 源于大陆的阴阳思想, 奇数为阳数, 偶数为阴数, 吉利数字多为奇数。所以在赠送礼品时, 一般使用3、5、7, 而不是4、6、8作为赠送礼品的数目。3.2人身体缺陷的词汇的委婉表达 表示生理缺陷或其它缺点、弱点或带有歧视性的词语是当事人不愿听到的。如果被直截了当的表
达出来, 常常会使人从心理上感到不舒服, 甚至会产生不必要的误会与隔阂。为了避免这种现象, 日语中常使用替代其它词语或不使用这些禁忌词语的方式表达。例如, 日语中若是提到[死例如, 日语中若是提到[死 ] , 常用[亡
]、[世
去 ] [
!]、[天国
]、[永眠
]等。除此之外, 常见的还有: 用[言語障害
人]代替[
];用[足
悪
人、足
不自由
人]代替[、];用[精神障害者]代替[気違 ]等。4确定表现的回避
4.1
回避肯定事物时的暧昧表达 そういうことです。
そういうことになります。
比如说,职员A 向职员B 询问公司是不是三点开会,如果是欧美 人会直接回答“Yes”,中国人也会回答“是的”。而日本人却很少使用 “はい、そうです”,而多用“はい、そういうことになります”。这句话包含的含义是,“会议三点开始是客观的规定,是不可能改变 的,不论是谁都必须遵守,不可以迟到或缺席。”而且还包含着这是公 司的决定,不是我的决定,和我没有关系。这里隐藏的日本人的思维方 式不是突出个人,而是把自己置于某个团体中,站在该团体的立场上 发表言论,这就是所谓的日本人的集团意识。4.2 避免直接判断句表达自身的观点
将判断句说为自发句,表达情不自禁的情感。如「ようにと思われます」或「思われます」要比「と思います」婉转客气。将主观判断句说为不确定的商量语气,多用委婉不确定的推量句式以表断定,这样可以不直接表明说话者的立场,如:「~ でしょう」、「~ かもしれません」,以及「~そうだ」「~ようだ」、「~ らしい」等等,达到避免武断,缓 和语气的作用。避免自身的观点、判断成为强加于人的公理,往往在句末加上「と思う」,表示“我是这么认为的”,强调只
是本人的主观见解,含有谦逊之意。当表达毋庸置疑的肯定句式时,不是观点鲜明的斩钉截铁和戛然而止,而是在句末加上缓冲的助词「~が」、「~ けれども」,让话语留有回旋余地,如:“昨天我去了迪斯尼”,外国人会说:“昨日私はデズニラドに行きました”,而日本人会说“:昨日私はデズニラドに行ったんですが”,既委婉柔和,又留有余音,使会话继续下去。不鲜明地表达自我观点,种语言表达可以根据对方听话时的表情变化及反应来体察对方的心情,然后将这些因素纳入到考虑范围后调整自己的表述。
总之,日本人说话喜欢留有一点余地,不把话讲透,避免把自己的想法强加于对方,听者也习惯去揣摩对方的意图。如果、不了解日本人这种顾及对方、点到即止的表达习惯,就很难和日本人顺利沟通。
三 暧昧表现的原因及影响 1暧昧性的原因 1.1地理原因
正如日本文化研究专家李兆忠在《暧昧的日本人》中所说: “东瀛岛国本身就是一个暧昧的存在, 包围在辽阔的海洋中, 它介于封闭与开放, 狭窄与辽阔之间;位于极东, 使它在东亚册封体系中成为一个特殊的存在, 与大中华帝国保持着若即若离的关系, 国际地位介于宗主国与藩国之间。”日本是个封闭的岛国, 四面环海, 加资源匮乏, 地震、火山、海啸、台风等自然灾害频发, 这一方面筑就了日本人的悲观意识, 另一方面培养了顺从、忍耐的国民性格。艰难的生存环境使日本人深知, 一旦与人发生冲突将无处可遁, 下场悲惨.日本人出于岛国根性, 先天缺乏安全感,而一定的距离感会令其感觉舒适。语言及行事上的暧昧, 可以看作是日本人为自己设置的心灵壁垒, 将暧昧、含糊作为盾牌, 小心地避免对方过于贴近自己, 从而达到藏而不露、隐而不发、保护自己的目的。很显然那种直来直去、实话实说的表达方式极不适应日本的国情与传统。在1853年国佩里准将强迫日本打开国门之前, 日本历史鲜有外敌入侵, 也不曾经历其它民族的大量融入, 日本民族是世界上罕见的单一民族,语言亦是单一语言。长期共处于与世隔绝的封闭的岛国, 相同的地理及自然环境, 必然造就相同的思维习惯、心理特征及种族性格, 容易达成心理上的默契。因此, 许多语言或者行为方式, 外国人看起来虽然暧昧难懂,但日本人之间却彼此心照不宣, 根本无需过于明确的表达, 日本人管这种交流方式叫做“以心传心”。日语中常见的无主语、省略对象语甚至省略半句话的现象,是日本人在长期的社会“同一民族生活在同一的自然风土下,作用于民族的文化心理,会铸造出其相同的基本性格,基本的民族
性格必然对其民族的实际生活乃至精神文明和物质生活产生直接的影响。”[1]自然地理环境造就人的性格和
审美观,形成了相应的文化和文化性格。日本自然景观小巧纤丽,山河秀丽隽永,气候四季分明,形成了日本
民族的基本性格:细腻敏感,爱自然,喜花草,具有较高的艺术情趣及才能。这些基本性格和自然景观的作用
深深影响了日本人的审美意识———以小巧精致、严整井然、含蓄暧昧、富有艺术情趣为美。民族性格和美意识
又直接作用于日本文化及日本文化的“玄关”———日语语言,使得日语具有了与民族性格和审美观相似的特
征———细腻精致,委婉含蓄。由此,日语的暧昧性成为民族性格、审美观和日本文化三合一的表现载体。1.2思想文化原因
(1)中国的儒家思想早在4世纪便传入日本,憧憬中国封建制度、文化的圣德太子(6世纪末——7世纪前半的日本政治家)制定了“宪法十七条”,其中第一条便是“和を以て貴しと為し”(以和为贵),“和”成为日本人的精神精髓。日本人与人交流时,抱着“求和”之心,避免与人发生冲突、让对方难堪、辜负对方好意。指出对方的不妥之处时,也拐弯抹角、点到即止,言之未尽之处待留对方去推敲。
(2)中国的道教思想也对日本的思想信仰、政治形态、文学艺术、社会生活等方面产生了深远的影响。道家的思想精髓“天下萬物生於有、有生於無。”告诉我们无为不等于无用,正因为有“无”,“有”才能更好地发挥功用,“无”是润滑剂,起着积极的调和作用。可以说日语“暧昧”是这一思想在日常生活中的成功运用。他们认为恰到好处的省略、含糊能更好地表达自我,协调人际关系。为了避免矛盾的发生, 必须以“和”为贵, 与群体为伍, 于是孕育出集团意识。日本人唯恐被孤立于集团之外, 在人际交往中不追求个性, 只求朦胧与暧昧, 处事小心谨慎, 凡事留地。因此, 暧昧更多的是日本人回避矛盾、明哲保身的一种圆滑的处世之道。日语中“沉默是金”、“不言为花”的成语, 正是国民生活信条的「以心伝心」の意味は「思うことが言葉によらず、互いの心から心に伝わること」(広辞苑による)あるいは、言葉や文字を使わないで心から悟った内容を伝えることであろう。日本人は日常生活で、一般的に言うことは曖昧だという印象を与えている。はっきりしなく、含み、婉曲で、これは事実であろう日本人は明確に態度を表明せずに、あいまいであるこ;私の考えでは、日本人のあいまいな特徴は日本人が単;2.直接的に「いいえ」を話さない民族;
(3)审美观点。日本人一般不愿把事情说得很明确,喜欢模棱两可,特别喜欢含蓄的言外之意,认为高级的东西不在容易懂得的东西中,而在深奥玄秘之中,也就是语言的表达越暧昧越含蓄,越能显示自 己品行高雅。在日本古典文学和传统艺术中,日本人正是从这种朦朦胧胧,深奥莫测的艺术中感受到回味无穷的余韵,体会到情感的和谐。
2暧昧性的影响 2.1国际关系的影响
日本在国际重大问题上态度总是摇摆不定,不明确表示支持还是反对,而是采用暧昧的语言表达方式回避问题的实质,如众所周知的田中角荣将日本侵华说成是给中国“添了麻烦”,其讲话中的日语“迷惑”就是一个暧昧的词语,字典中解释为“自己所做的事情给对方或周围的人带来了麻烦或令人不快的想法”,而没有使用“罪行”这个词语。又如20 世纪70 年代初日美在纺织品问题上产生摩擦,当时美国总统尼克松向日本首相佐藤荣作提出批评,佐藤首相回答说要“善处”(妥善处理)。美方认为日方承诺会妥善处理此事,但后来日本并没有处理此事。美方指责日方没有兑现承诺,但日方否认有过承诺。那么日语中的“善处”一词到底是什么意思呢? 该词在日语里意思模糊,意义不明确,更不是要处理某一问题的承诺,其含义大概相当于我们中国官员常说的“研究研究”。由此可见,日本语的暧昧表现是日语表达习惯的特点之一,但作为日本国以外的他国人,就很难理解,想要真正领悟日本语的深层含义,就必须多了解日本文化,并以日本人的思维方式看待问题,与此同时,随着国际贸易的日益发展,人际交往的日益频繁,日本人也应尽量使用清晰、明确的表达方式,促使国际关系更好地发展。よく「日本語はとても曖昧である」という批判を耳にする。これは、日本人社会のみならず、世界にも、もはや定着した見方のように思われる。日本人の行為と態度のあいまいさは誰でも知っている。この言語、行為と態度上のあいまいさは時々外国人の不理解を受け取る。日本人の態度をつかみにくいと感じている.例えば:日本人ははっきり自分の想念を主張しないで、同様に「イエス、ノ」も明確に切り出すことができなく、それで国際時代のものと呼ばれている今日、国と国の間で、人と人が交流が発展しつつあり、多くの外国留学生は日本へ行って日本語を勉強し、直接的に日本人と触れる機会に多くなっている。しかし、仮に非常に日本語を身につけても外国人にとっては日本語の言語の習慣が深く理解できないが、まっすぐに言い表すことをとって、双方が良く交流不能なことの情況が常に引き起す。特に日本語中のあいまい語は私たちにとって理解することが難しい。[あいまい]の意味は「はっきりしなく、曖昧な」、言い表したいと考える事情を直接に言わないで婉曲で言い表し、相手に推測させ、意味を推察させる。これはよく日本語の表す習慣と日本文化を深く理解できない外国人を戸惑わせることになって、誤解することを引き起こすことに至る。2.2人际关系的影响
日本人的暧昧表达和独特的思维方式,给中日两国人民的进一步了解和加深友谊带来了诸多负面影响,尤其在拒绝表达方式上,让中国人难以理解,日本人是赞同还是反对,容易造成误解。例如,有一个在日本留学的学生说他的亲身经历,他刚到日本时,由于语言障碍和环境生疏,请一个日本同学当向导购物,同学对他点头哈腰了半天并连连说: “好,了解了。”结果,他等了好几天也不见那个日本同学提及此事。后来,他才知道,那个日本同学根本没有同意帮他,他说的“好,了解了”只不过是表明他听到了,并不意味着他同意了,但他又不好直说。又比如,在双方洽谈业务时,经常会说,你们的产品非常好,设计新颖、造型独特、包装也很精美,让我们考虑考虑再说”;“我了解您的要求”;“我会尽快向领导汇 报”。这实际上就等于明确地拒绝。如果我们没有及时正确理解日本人的意思,很容易造成经济上的损失。五 结语
作为个人的处世之道, 暧昧也好, 明了也罢, 纯属个人自由, 无可厚非, 他人更是无权干涉。作为一国的国民性, 我们可以分析琢磨, 却无权褒贬菲薄。但是, 遗憾的是, 某些日本人在 本应态度鲜明的时刻, 却将暧昧作为手段避实就虚, 回避问题的实质。某些日本政要在曾经的侵略战争问题上含糊其辞, 用暧昧的语言来粉饰曾经的侵略罪行, 如田中角荣曾将日本侵 华说成是给中国“造成困扰”;在日本的历史教科书上, 更是对过去的侵华历史轻描淡写、避重就轻;日本政府关于台湾问题历来暧昧骑墙;几任首相关于参拜靖国神社的暧昧表态事实证明只是个“障眼法”, 等等。此时, 暧昧只是一种表象, 其真实意图洞若观火。这种无视他国人民感情的言行是对国际关系的极大不负责任, 仅用暧昧的国民性来解释是无法蒙混过关的, 是我们所不能容忍的。总而言之, 日本人的暧昧性, 是客观环境造就的天生习性, 日本人不喜泾渭分明, 以暧昧、朦胧、留有余韵为审美取向。同时, 暧昧也是日本人在长久的生存过程中磨炼出来的一种圆滑的处事哲学, 当形势不明, 或不利于己的时候, 以暧昧为盾牌进行搪塞、缓冲;然而, 一旦涉及切身利益、生死存亡的时候, 却从不暧昧, 决不含糊。因此, 我们在跨文化交际中, 必须擦亮眼睛, 对“暧昧”进行具体的分析与揣摩, 既要尊重对方的国民文化特性, 不能一概持否定态度, 也不能对有损民族利益的“暧昧”听之任之, 而必须加以反击, 积极维护国家和民族的切身利益。
参考文献:[1]李兆忠. 暧昧的日本人[M]. 北京:九州出版社,2010.
[2]李兆忠. 喧闹的骡子[M]. 北京:人民文学出版社,2010.、李兆忠暧昧的日本人金城出版社 2005
2、徐昌华语用、认知与日语学习北京大学出版社 2006
3、林桦刹那樱花——一个中国白领的日本印象中信出版社 2007
4、鲁思本尼迪克
菊花与刀九洲出版社2005
5、大江健三郎 我在暧昧的日本南海出版社 2005
6、加藤周一夕阳妄语朝日新闻社 2004
7、真田信治日本社会语言学中国书籍出版社、8张丹宇日本人的暧昧表现及其心理日语知识 2002
第二篇:经济危机的表现及原因
经济危机的表现是:大量商品卖不出去,大量生产资料被闲置,大批生产企业、商店、银行破产,大批工人失业,生产迅速下降,信用关系破坏,整个社会生活陷入混乱。
所谓当代资本主义经济危机,实际上就是二战以后的经济危机.战后资本主义世界发生过6--8次经济危机.但无论是持续时间还是危机的严重程度以及后果等,都远非战前可比.究起原因,从根本上说,还是要从资本主义基本矛盾运动来说明.资本主义基本矛盾运动具有阶段性,基本矛盾尖锐化是这个运动过程的一个阶段,一种表现形式.当基本矛盾趋于尖锐的时候,在经济领域其他重要矛盾(如生产与消费的矛盾,企业生产与社会生产的矛盾等)的交互作用下,经济危机就会暴发.具体来说,有以下原因.一是经济结构失衡引起的,即所谓结构性危机.其中产业结构失衡是集中表现.产业结构直接引发就业结构产品结构方面的矛盾,从而出现经济混乱,暴发危机.对经济结构的大规模调整,如果处理的不好,也有可能引起生产过剩的经济危机.二是生产与消费的矛盾引发的.尤其是重要生产资料长期积压严重过剩,一旦波及其他领域,有可能触发危机.三是政府宏观调控政策措施失误引起的。政府用以宏观调控的货币政策财政政策产业政策收入政策,如使用不当,也会诱发经济危机.四是当世界经济不景气或者某一个国家某一个领域发生严重问题,可能引发地区性的经济危机乃至世界性的经济危机.
第三篇:日本语における暧昧表现についての研究_日语毕业论文
吉林大学公共外国语教育学院
毕业论文
(2009级)
日本における暧昧表现についての研究
日语中暖昧语的研究
姓
名:冯子义 专
业:应用日语 二〇一〇年十月
0
日文摘要
曖昧語の特色は、婉曲であり、含蓄があり、人々に愉快的、優しい人間関係を持つので、日本人は大好きだ。環境の影響から、日本は個島国で、それは明らかに大陸教養ある言語の特徴と違って、明らかな差別があって、単一の民族、単一の言語。これに独特である言語環境には、日本人に言語方面を交流することを考えることによって恵まれた好都合があって、互いの間に率直に言いたくなくて、ただあいまいな婉の回った言葉がすぐ真髄を味得したことをとる。大陸文化の影響から、日本文化は儒家の考えた影響が深さを受けて、貴とすることと”、“礼は正義でありへりくだる”は日本人の処世として考えて、今日に依然として重点的に求めた作用を発揮する。关键词
婉曲 人間関係 貴とすることと 礼は正義 中文摘要
暧昧语的特色婉转,因为其具有暗示性,能给人们带来愉快的、和善的人际关系,因此日本人非常喜欢。日本人很热衷于不明确的表示态度,以及使用比较暧昧的表达方式。他们总是回避问题的实质,用这样的方法来避免矛盾的激化。从环境的影响看日本是个岛国,它有着明显区别于大陆文化的语言的特征,有着明显的差别,单一的民族、单一的语言。从大陆文化的影响看,日本文化受儒家思想的影响很深,“和为贵”、“礼义谦让”作为日本人的处世思想,在今天依旧发挥着重要的作用。关键词
婉转 人际关系 和为贵 礼义谦让
目录
第一章
开始···································3 第二章
日常对话的暧昧表现·····················3 第三章
分析日本人用暧昧语的原因···············4 第四章
第五章
暧昧与态度·····························6 总结···································7 主要参考文献···························8 2
日本人は曖昧な言語を喜ぶから、食い違いを隠すには、問題の実質を回避して、衝突に矛盾の激化を避ける。曖昧語は日本文化中の最も重要な特点の一つで、日本社会のいろいろな特徴を発見すべきである。本文は日本語を持って背景として、言語のこの鏡によって、日常生活中のあいまいな表現を描写し、さらにあいまい語を生じる原因を分析する。従って、日本の伝統文化を尊重し、日本人は含蓄で、「和を以って尊重する」の性格の理解する。
一、はじめに
芳贺は「日常言語では、語て他の語の意味の境界,けじめがはっきりしなかったり、一つの語の意味内容が確定しにくかったり、あいまいである。」という。(1996.1)これは曖昧語の定義であろう。日本人はよく曖昧語を使っている。曖昧性は日本本言語の重要な特徴だけでなく、日本人の伝統生活の態度を反映する。同時に日本民族の文化個性および生活倫理も反映する。
曖昧語の特色は、婉曲であり、含蓄があり、人々に愉快的、優しい人間関係を持つので、日本人は大好きだ。しかし、多くの外国人は理解できない。実は、世界的範囲から見えば、中国語でも、英語でも、曖昧な表現のない言語はどこにも存在しないように思うが、ただ日本人は特に曖昧語を喜ぶ。
どうして日本人はそんなに曖昧語が好きなのか、ここでは日本人が普段何気なく使っている言葉を例に日本人の曖昧さを捉えていく。
二、日常会話の曖昧の表現 1.挨拶の類
日本人が町で知人と出会いの時は、常に公式化したあいまいのあいさつの語を使用する。たとえば、A:こんにちは。おでかけですか。
B:こんにちは、ちょっとそこまで。
A:そうですか、気をつけて。
B:どうも。
その会話での表した「ちょっとそこまで」中の「そこまで」はいったいどこかわからない。答え者のBははっきりと言わない。それと同じように尋ねるAの人は実際にBの人がどこへ行くことか質問せずに、同様に相手もどこかが行くことがさっぱりわからない。答え者のBも一体どこへ行くかと返答しない。しかも日本人は相手「どちらへお出かけですか」と質問しているのは、決して相手の行き先が知りたいわけではない。ただ知人の間の挨拶する。答え者のBは直ちに心で悟る「ちょっとそこまで」に回答する。こちらの「ちょっとそこまで」、実は「ご心配なく」の同
義語であろう。相手に自分で行くの具体的場所を告げることがない。したがって、問い者は相手が具体的にどこへ行くかが質問しなく、ただ関心することを示して、こちらが当然で根掘り葉掘り聞いたのではなくて、直ちに「そうですか、お気をつけて」と答える。そのあいさつの仕方は欧米の人にふさわしくない。互に知らない人に使用すれば、相手を怒らせることがかもしれない。欧米の人は個人が「どこへ行くか」というのは完全に私的自由で、問い詰めることは相手を干渉して道理がない行為であろう。各国の歴史と文化背景が違うからそれぞれの民族の間、形成された心理黙契の程度あるいは思惟の方式も違う。
2.多義語の類
日本人はよく「どうも」を使っている。たとえば、「どうもだめな」、「先日はどうも」、「先ほどはどうも」、「どうもありがとう」、「どうもすみません」、「これはどうも」、「どうも、どうも面倒をおかけしました」などあげればきりない。「どうも」について調べていると、「どうしても」、「いかにすれでも」、「まったく」の三つの意味がある。つまり、仕方がない、どうしてよいかわからない、なすすべがないといったの意味がある。
多義語であるがゆえに、日本人特有な語感、つまり、さまざまな意味をひとつの語句で表現したがために、外国人には曖昧だという印象を与えてしまったのであろう。こんな言葉や表現が日本語に数多く存在している。たとえば、「くやしい」という言葉には、「試合に負けて悔しい」、「彼はやりたい事はやった。悔しい死ではない」などの例がある。あるいは、「しかたがない」という日本語には、「女だから仕方がないんじゃないのといってあきらめてしまう場合もある」「選挙に負けたのだから、文句をいってもしかたがない」「娘がかわいくてしかたがない」などである。
日本語には類似の表現は多いので、あげればきりがない。日本人特有な語感は外国人たちにとって、非常に難しく理解と考えている。
なぜ日本人はそんなに曖昧な言語を好むのだろうか。これから具体的な原因を述べたいと思う。
三、日本人の曖昧さの原因を分析
1.「以心伝心」の交流方式
「以心伝心」の意味は「思うことが言葉によらず、互いの心から心に伝わること」(広辞苑による)あるいは、言葉や文字を使わないで心から悟った内容を伝えることであろう。日本人は日常生活で、一般的に言うことは曖昧だという印象を与えている。はっきりしなく、含み、婉曲で、これは事実であろう。日本人と話し合うす
る時に、言葉の中にあらわしていない一部分を理解し、既に、心写真宣「以心伝心」のあの一部分の意味であろう。ときどきに、確かに人に推測し判断し難くする。多義語を広範な使用を見つけることができる。
日本人は明確に態度を表明せずに、あいまいであることを喜び、常々に、食い違いを隠すには、問題の実質を回避して、衝突に矛盾の激化を避ける。だが、言語文字そのものはあいまいで、含み、絶対的に日本の固有のものではない。少しの日本と外国の学者が特に日本を強調するこのあいまいさとロジックに合わない性と、実は、この現象は中国人と他の外国人の言語生活中にも少なくない。ただ日本語はもっと目立つことであろう。
私の考えでは、日本人のあいまいな特徴は日本人が単一の民族から構成した農耕型島国であると関係がある.実は、あいまいであることは、ただ外国人の立場から見るとあいまいさがある。日本人はたくさんのものは前もってすでに文化圏内の常識になるから、何にも話しなくで、すぐわかることができる.しかし、外国人と付き合う時に、彼らは外国人と「以心伝心」を完成しにくいと見つける。それで、多くの人が外国人と付き合いたがらない。どんな事でも全部はっきり話して、白と黒を分けるということは日本人にとって、苦しくと感じている.しかし、現在は経済上で外国と離れられない。だから彼らは外国人と付き合うためにいろいろな努力をしているそうである.2.直接的に「いいえ」を話さない民族
日本の公衆のところでは常に耳にするのは「遠慮」という言葉である。たとえば、「電車中に携帯電話の使用を、ご遠慮ください」の布告。この語の第一の意味は中国語と同じように、「じっくりと考える」の意味もあるが、ただこちらにかえって「電車のなかで携帯電話を使用しない」と理解することが当然だ。日本人は「遠慮」こんな婉曲勧告の型の話しぶりを用いることを喜ぶのに対して、他の言語中に強烈であり直接的話しぶりを用いる表した文型である。こんなにはっきりしない文型はただ恐らく日本人にしか適合しないであろう。
たとえば、中国の公衆場所ではこういう布告がはっきりと書いてある:「空港内に禁煙する」、「痰を吐くことを厳禁する」、「博物館内に撮影することを禁止する」。しかし、日本人が「空港内に喫煙をご遠慮ください」」という言い方に換えて、「痰を吐くのをご遠慮ください」、「博物館内に撮影をご遠慮ください」。しかし、中国人はこれを「喫煙できるが、避けたほうがいい」などと誤解しまう。
「いいえ」を話さなくて、人に直接に拒絶しないで、それで相手に対する傷害を避けられる。だが、直接に拒絶しないとは絶対に拒絶しないというわけではない。それは巧みで丁寧な言い方だから、相手に困らせないと思うわけである。これはいわゆる日本人の特有の特技と物事を処理する技巧で、同様に彼らの集団意識の一種の
屈折した表現である.3.「和を以って尊重する」の性格
日本人の価値観といえば、もっとも顕著なものは「和を以って尊重する」というものだと思う。この日本人の座右の銘が、日本人社会に同質性と集団性を特徴つけたと思われる。集団の中では、日本人は何よりも「和」を重んじているので、周囲の人や、話の相手に傷つけたり、困らせたり、恥をかかせたりなどといった言語行動を極力避けているのである。この行為を美徳としている日本人の中で、「争わない」、「遠慮する」ことが多い。この「和」は帰納して二点がある:第一は、大和民族の重んじるのは団結することである;第二は、外国文化を十分に吸収し、調和する.日本人は二個の方面で他人の羨望を集めるほど成就を取得する。日本史上の第一部の憲法-「十七条の憲法」中の第一条は、中国論語の中から「和をもって尊重する」を取ったという.これを見たら、日本人は非常に「和」を重視するのがわかった。これは日本人の神通力を持つ宝器であろう。四、曖昧語の態度について
1.外国人の態度
よく「日本語はとても曖昧である」という批判を耳にする。これは、日本人社会のみならず、世界にも、もはや定着した見方のように思われる。日本人の行為と態度のあいまいさは誰でも知っている。この言語、行為と態度上のあいまいさは時々外国人の不理解を受け取る。日本人の態度をつかみにくいと感じている.例えば:日本人ははっきり自分の想念を主張しないで、同様に「イエス、ノ」も明確に切り出すことができなく、それで国際時代のものと呼ばれている今日、国と国の間で、人と人が交流が発展しつつあり、多くの外国留学生は日本へ行って日本語を勉強し、直接的に日本人と触れる機会に多くなっている。しかし、仮に非常に日本語を身につけても外国人にとっては日本語の言語の習慣が深く理解できないが、まっすぐに言い表すことをとって、双方が良く交流不能なことの情況が常に引き起す。特に日本語中のあいまい語は私たちにとって理解することが難しい。[あいまい]の意味は「はっきりしなく、曖昧な」、言い表したいと考える事情を直接に言わないで婉曲で言い表し、相手に推測させ、意味を推察させる。これはよく日本語の表す習慣と日本文化を深く理解できない外国人を戸惑わせることになって、誤解することを引き起こすことに至る。2.日本文化を尊重する
つまり、日本人の曖昧さの原因も二点がある:
一、人の感情を傷つけたくないということ。「嫌われるのを極度に恐れているので感情をあまり出せない」たとえば、「以心伝心」の交流の方式と「いいえ」を話さない性格。
二、良い人間関係を築きたいということ。「人と仲よく人間関係を形成する」。これは「和」を保つこと
を希望するのである。たとえば、「和を以って尊重する」という性格である。
日本語は曖昧だとよく批判されていると思うが、その理由もわかるわけである。しかし、これは日本語の文化の一部だけで、長い間の人間の交流の成果である。あいまいさは日本語言語文化の著しい特点の一つである。それは日本人の伝統的な生き方を反映するばかりでなく、同様に全体日本民族の文化の生活倫理を反映している.日本語のあいまいな表現形式上の多様さは、内容は充実する.屈折して回って、人に愉快な社会環境を調和した人脈ができ、日本人は非常に喜ぶ。日本の独特な社会環境と生活条件はこの独特な言語文化を創造したのである.それで、日本人の曖昧さを尊重しなければならない。
五、おわりに
日本人が話すときに相手の心理を非常に重視し、換言すれば充分に相手の気持ちを考慮していて、できるだけ相手を傷かないように、再三措辞を練てから、また言い表し出す。曖昧さや婉曲を好むという日本人の性向が日本人の根本に根ざしているものだとよく理解しなければいけないと思う。
私たちは日本語科の学生としてこの言語のあいまいさを把握するべきだ。それはすでに日本語その言語の性格を反映し、日本社会文化の一種の体現であろう。それを分析する時、私たちは日本語をいっそうよく認識性ばかりでなく、同時にまだ日本文化のいろいろな特徴を発見すべきである。しかし、私は知識が浅いので、本文はまだ表層の現象しか分析できない。これからもっとこの問題を研究していきたいと思う。
参考文献:
1、李兆忠 暧昧的日本人 金城出版社 2005
2、徐昌华 语用、认知与日语学习北京大学出版社 2006
3、林桦 刹那樱花——一个中国白领的日本印象 中信出版社 2007
4、鲁思.本尼迪克特 菊花与刀 九洲出版社 2005
5、大江健三郎 我在暧昧的日本 南海出版社 2005
6、加藤周一 夕阳妄语 朝日新闻社 2004
7、真田信治 日本社会语言学 中国书籍出版社
8、张丹宇 日本人的暧昧表现及其心理 日语知识 2002
第四篇:享乐主义表现、生产原因及整改措施
享乐主义
目录
1、享乐主义主要表现
2、享乐主义的危害性
3、享乐主义滋生的根源
4、在发展市场经济条件下反对享乐主义的途径
定义
享乐主义是指脱离现实可能和需要,大肆挥霍金钱,肆意浪费物质与时间,以追求物质和精神上的享受为人生的唯一目的和乐趣,以荒淫无耻的生活为追求目标。其实质是从人的自然本性出发,把人的生理本能需要看成是人生的最高追求,认为人活着就是要追求个人的物质生活享受。这种腐朽的人生观在党内的滋生和蔓延必然带来以权谋私、贪赃枉法、挥霍浪费、腐化堕落等腐败现象的滋生和蔓延。因此,反对享乐主义,是惩治腐败、加强党风廉政建设的重要内容。正如江泽民同志《在庆祝中国共产党成立七十二周年座谈会上的讲话》中指出:“在坚决反对腐败的同时,要在全体党员中大力提倡带头发扬艰苦奋斗的精神,坚决反对拜金主义、享乐主义、极端个人主义。”
一、当前享乐主义在党内的主要表现
享乐主义现象是一种由思想上的腐化蜕变,导致生活上堕落的行 为。当前,享乐主义在党内的主要表现是利用职权公款吃喝玩乐、嫖赌、讲排场、摆阔气,任意挥霍浪费人民的财富。
一是公款吃喝。吃喝之风,古已有之。目前,中国的公款吃喝风却是屡禁不止、越禁越盛,以至泛滥成严重的社会病。公款吃喝,名目繁多,客少主多。上级领导视察、主管部门检查、同行业参观学习、洽谈生意、企业上“等级”、获“金杯”、厂庆等,都要公费请客。公款吃喝,讲究排场,酒要高级,菜要精美,“海陆空”全套上,一、两千元一桌已不罕见,上万元一桌也绝非特区仅有。
二是公款旅游。公款旅游与公款吃喝一样名目繁多,什么考察、学习、参观,什么订货会、经验交流会、产品展销会等,都可作为出游的理由。日程安排上游名山、逛胜地有时比开会、展出时间还长,从而将大把大把的公款耗费掉。尤其是享乐主义思想严重的人,更是变着法子找机会去旅游,这就造成了公款旅游之风的恶性膨胀,国家的资财也随之流失、挥霍掉。
三是公款娱乐。近两年,动用公款进行高消费娱乐活动的风气愈演愈烈。有的官员出巡,天天晚上泡在舞厅、卡拉OK房里,娱乐之后便去享受蒸汽浴、异性按摩,一个晚上少则几百,多则几千,全部变着法儿用公款报销。有的则花费大量公款参与高尔夫球、保龄球、网球等活动。用公款购买的俱乐部金卡少则几千元,多则几万元。这些官员的感官得到了实实在在的享受,身体得到了舒舒服服的“锻炼”,而国家的钱财却大量地流失。
四是挪用公款赌博。赌博是一种丑恶的社会现象,挪用公款赌博 则更加可恶,造成的社会影响更加恶劣。近年来,一些国家公职人员为了追求感官上的刺激,梦想一夜暴富,不惜违法挪用或贪污公款参与赌博,导致这类案件呈逐年上升趋势。
五是讲排场、摆阔气。有的领导干部不顾本地区、本单位的经济实力,千方百计筹措资金,兴建或装修现代化办公楼,购买豪华轿车、洋楼别墅,用公款送礼,耗费巨资大操大办项目奠基、剪彩、周年纪念等多种庆典活动。如此讲排场、摆阔气,铺张浪费,给国家造成巨大的经济损失。
二、享乐主义的危害性
享乐主义在党内的滋生、蔓延,给党、社会及个人造成极大的危害。
一是使少数党员、干部腐化堕落。毛泽东同志曾经指出:“可能有这样一些共产党人,他们是不曾被拿枪的敌人征服过的,他们在这些敌人面前不愧英雄的称号;但是经不起人们用糖衣裹着的炮弹的攻击,他们在糖弹面前要打败仗。”(《毛泽东选集》第4卷,第1438页)近年来,有少数党员干部受享乐主义思想的腐蚀,认为“理想是空的,政治是假的,吃喝玩乐才是最实惠的。”于是,他们追求吃得好,玩得痛快,住得舒服,享受所谓“山珍海味”、“人间乐趣”,不惜为此出卖人格、出卖党性,甚至到了什么肮脏卑鄙的事都干得出来的地步。如原深圳工程咨询公司副总经理兼广州公司经理曾利华贪图享乐,为了实现捞够1000万元后出国过舒适生活的目标,不惜铤而走险,大肆索贿受贿,把人民赋予的权力作为捞取个人钱财的资本,最终沦为人民的罪人。
二是破坏党的民主集中制原则。改革开放以来,有少数党员、干部,为了达到追求享乐的目的,置中央的三令五申和人民群众的利益而不顾,千方百计地钻党和国家政策的空子,以满足个人的私欲。例如,对于公款吃喝,上边规定不许设宴,下边便以“便餐”、“聚餐”名之,“宴”变成了“餐”,有的花钱更多;财政部门不予报销,他们便在发票上做功夫,巧立名目,或者把吃喝费列入会议经费,或者以购买办公用品为名开假发票去冲公款吃喝费用;你说最多四菜一汤,他于是小碟换大碟,小碗换大碗;你想办法征酒席税,他便串通酒家变着法儿避开起征点„„真是“上有政策,下有对策”,严重破坏了党的民主集中制原则。
三是破坏了党群关系。享乐主义在党内的滋生,势必造成党组织与群众的脱离。那些利用职权公款吃喝玩乐、挥霍浪费的党员干部,在群众眼里,与旧制度下那些鱼肉百姓、中饱私囊的贪官污吏没有什么两样,很难把他们同全心全意为人民服务的工人阶级先锋战士对上号,群众无论如何是不会同他们心连心的,反而鄙视他们,认为他们“根本不像一个共产党员,甚至不如老百姓。”这就损害了党的形象,损害了党在群众中的威信,使党组织严重脱离群众,破坏了党群关系。如原惠州市公安局局长洪永林,因受贿罪被二审裁定死刑时还念念不忘如何享受,他后悔:“我什么东西都吃过了,可惜‘路易十三’这种酒还没有喝过,今后也喝不到了。”(他家里有三瓶法国“路易十三”,当时每瓶酒的市价是4500元)他惋惜:“未入住过白天鹅宾馆”,表示 “出去以后一定花几千块钱去租个总统房享受一下。”听其言可知其行,其道德堕落令人震惊,群众对这样的党员、干部恨之入骨。
四是败坏党风,毒化社会风气。少数党员、干部利用职权攫取钱财,而在经济上的暴富又刺激了其追求腐朽生活方式的欲望。一方面表现为腐化堕落,观看传播淫秽书刊,甚至挪用或贪污公款进行嫖赌,毒化社会风气;另一方面表现为讲排场、摆阔气,公款请客送礼,大吃大喝,使奢侈风蔓延日盛。例如,一些自诩为“久经”(酒精)考验的干部,他们沉迷于应酬吃喝之中,被群众挪揄为“酒染的风采”,严重败坏了党风和社会风气。
五是给国家造成巨大经济损失,破坏了经济环境。利用职权公款吃喝玩乐嫖赌者,不择手段地谋取私利,捞取好处,肆意挥霍浪费,把人民的血汗当酒浆,坑国害民,给国家造成巨大的经济损失,严重扰乱了经济秩序,破坏了经济环境。据国家统计局测算,近几年全国大中型饭店、酒店60~70%的营业额来自于公款吃喝,每年吃掉的公款数以百亿元计。这笔巨款如用于教育,中国的教育经费在世界排行榜上就不至于在倒数几名的位置上徘徊;如用于扶贫,那么我国贫困地区的落后面貌就将较快得到改观。所以有人说,公款吃喝不在于吃了一只鸡或吃了一餐燕翅席,不在于吃穷了一个乡或一个厂,而在于它吃穷了我们的民族和国家。
三、享乐主义在党内滋生的根源
享乐主义在党内的滋生,有其思想、政治、经济、历史文化的根源。1.思想根源:忽视党的自身建设。
近年来,一些党组织忽视以至放松了党的自身建设,特别是思想建设,使一部分党员思想意识上出现了三个“滑坡”:一是党性观念、组织观念、纪律观念严重淡薄;二是理想淡漠,放弃追求,丧失责任感和使命感;三是忘记了党的宗旨,丢掉了艰苦奋斗、大公无私、廉洁奉公等党的优良传统和作风,思想意识被剥削阶级腐朽东西所污染,以至丧失了共产党员应有的思想道德品质。这种滑坡,冲决了某些党员防腐防变的思想堤坝,致使他们在五光十色的开放环境和市场经济的活动中,追求安逸生活,丧失当初投身革命的锐气和热情,成了追求享乐主义的庸人。
2.政治根源:新旧体制转换交替过程中,调控机制紊乱以及监督机制不完善、法制不健全。
目前,正处在由计划经济向市场经济过渡的时期,两种体制互相交错,相互制约,各种改革尚不配套,薄弱环节和漏洞不少,多种利益主体、多种所有制形式和分配形式将在相当长的时期内并存。这样的复杂环境为享乐主义在党内的滋生、蔓延提供了条件。而现有监督机制不完善,监督机关缺乏必要的权力和独立性,也是公款吃喝风、旅游风等享乐主义现象难以遏制的一个重要原因。此外,由于法制不健全,执纪不严,处理过宽,再加上管理工作滞后,以及计划经济体制下权力的惯性作用,使得各级官员手中的大小权力在享乐主义思想的诱惑下纷纷“走”向了市场,加入了“有偿使用”的竞争行列,权力的越轨和商品化,为滋生享乐主义增添了肥沃的土壤。3.经济根源:发展市场经济产生的负效应。
在发展市场经济条件下,一些负效应也会渗透到政治生活中来,腐蚀影响党员干部队伍,对享乐主义的蔓延、发展起到推波助澜的作用。市场经济以追求利润为目的,使金钱的作用发挥得淋漓尽致。一些酒家、旅馆、娱乐场所为了追求利润而想方设法刺激公款消费,甚至以提供嫖、赌等条件引诱公款消费者上钩,使公款吃喝、旅游、嫖赌等腐败消极现象得以蔓延。发展市场经济,扩大企业的自主权,使一些领导干部掌握了支配国家、集体钱财的权力,为少数人的公款消费、挥霍浪费提供了方便。发展市场经济,扩大对外开放,加强国际交往,西方腐朽思想会乘虚而入,对我们党员队伍产生腐蚀作用,使一些人羡慕和追求西方腐朽生活方式,追求享乐。
4.历史文化根源:剥削阶级腐朽思想的影响。
享乐主义在党内的滋生有其历史文化根源,那就是剥削阶级腐朽思想的影响远未肃清。享乐主义,是古今中外一切剥削阶级腐朽人生观的共同特点。在享乐主义者看来,人生的目的就是追求物质享受达到感官快乐为最大满足。我国魏晋时代的《列子·杨朱篇》里就主张人生应纵欲享受,“墙屋台榭园囿池沼,饮食车服,声乐嫔御”,应该“究其所欲,以俟于死”。他们认为除了纵欲之外,人生别无快乐。挥霍无度,寻欢作乐成了一切剥削阶级的特征。我国隋朝的隋炀帝游江南的排场,俄国沙皇伊丽莎白一人拥有一万五千套法国服装和五千双各式女鞋。美国檀香山市流行的《享乐歌》中所唱的“你活着为享乐,我活着为享乐,今晚你我共聚一堂,何不一起享乐”。以上这些 都是剥削阶级腐朽思想的具体表现。当前,有少数党员、干部害怕艰苦,贪图安逸,利用公款吃喝玩乐、嫖赌,正是剥削阶级腐朽思想的沉渣在新条件下泛起。
四、在发展市场经济条件下反对享乐主义的途径
享乐主义的种种危害性表明,它有悖于我国现阶段的国情、社会制度和道德规范,有悖于中华民族勤劳俭朴的传统美德,因此,我们必须加以克服。在现阶段,我们反对享乐主义,必须保持客观、冷静、清醒、理智的头脑,坚持“两手抓,两手都要硬”的方针,一手抓改革开放,大力促进市场经济的发展;一手抓精神文明建设,抓党风廉政建设,从而使市场经济和党风廉政建设得到健康的发展。
1.加强思想教育,提高党员干部的思想政治道德素质。
在发展市场经济条件下加强党员的思想教育,就是要加强马克思主义理论教育,加强党风、党纪和廉政教育,提高党员干部的思想政治道德素质。通过加强思想教育,使党员、干部树立正确的享乐观、消费观,发扬艰苦奋斗的优良传统,自觉抵制腐朽思想和生活方式的侵蚀,从而有效地反对享乐主义。
一是树立正确的享乐观。正确的享乐观应该是靠辛勤劳动所得,享受科学、健康、有益的、适度的物质生活和文化生活。这种享乐观,有益于人们的身心健康,有利于社会的进步和国家的繁荣。从更高的境界来说,共产党人应具有“先天下之忧而忧,后天下之乐而乐”、吃苦在前、享受在后的品质,为了人民的利益,艰苦的工作干在前,困难的时刻抢在前,要乐于吃苦,敢于吃苦,以为人民利益奋斗为乐。正如鲁迅先生所说:“在生活的路上,将血一滴一滴地滴去,以饲别人,虽自渐渐瘦弱,也以为快活。”这正是一个共产党人应该具备的品质。
二是树立正确的消费观。生产和消费是统一的,生产决定消费,消费在一定的条件下决定生产,没有消费也就没有生产。但在我国生产力还没有高度发展的情况下,必须树立正确的消费观,提倡合理消费,适度消费。人民物质生活的改善是我们党和政府的奋斗目标,但这种改善只能建立在生产力的发展上,只能是一个渐进的过程,不顾客观条件追求奢侈的享受甚至腐朽的生活方式是错误的。因此,必须用社会主义的文明观、幸福观、价值观教育广大党员、干部,使他们树立正确的消费观,进行健康、有益、文明、科学的消费活动。
三是发扬艰苦奋斗的优良传统。艰苦奋斗是我们党的优良传统,是我们党与人民群众保持密切联系的法宝,也是正当享受的前提条件。只有通过不懈的奋斗才可能创造出更多更好的物质财富供广大群众享受。正如箫伯纳所指出:如果我们不能建筑幸福的生活,我们就没有任何权利享受幸福,这正如我们没有创造财富就无权享受幸福。俗话说:成于勤俭,败于奢侈。因此,我们无论是在战争岁月,还是在和平年代,都必须发扬艰苦奋斗的优良传统,力戒奢侈浪费。在建立和发展社会主义市场经济的新的历史时期,我们只有发扬艰苦奋斗,并在实践中给它注入新的时代精神,丰富与发展其内涵,才能有效地防止奢靡之风的侵入,有效地反对享乐主义。
2.加强制度建设,完善监督机制。为了有效地克服享乐主义在党内的滋生,党政机关要建立和完善各种监督制度,把监督的重点放到党员领导干部掌权用权上,放到各种公款消费、公款挥霍浪费的监督制约上。各行各业和各个单位都要从各自的特点和实际出发,建立自我约束机制,健全各项规章制度,强化内部监督,做到制度执行有人管,违反制度有人抓,出现问题及时发现,及时处理;要重视和依靠广大人民群众的民主监督,进一步推广和落实“办事公开,群众监督”制度,使“举报箱”、“举报电话”、“领导接待制度”等监督措施真正发挥作用;要强化职能部门的监督,使得同级党委及其成员的监督检查名副其实,切实解决一些党组织软弱涣散问题,防止个人说了算和个人专断;要发挥新闻媒介作用,加强舆论监督。总之,正如江泽民同志在党的十四大报告中强调指出:在建立和发展市场经济体制的过程中,我们“要切实加强各级党组织和纪律检查机关对党员干部的监督,加强人民群众、各民主党派和无党派人士对我们党的监督,建立健全党内党外、自上而下和自下而上相结合的监督制度”,从而形成强有力的监督网络,发挥监督的整体效能。
3.加强法制建设,健全法制。
邓小平同志在1992年初的南巡讲话中明确指出:廉政建设“还是要靠法制,搞法制靠得住些。”(《邓小平文选》第三卷,第379页)这一指示强调了把廉政建设纳入法制轨道的必要性和重要性,表明只有“法治”才是反腐兴廉、反对享乐主义的最佳选择。因此,我们必须加强监督立法,制定一个完善的国家公务员法,对用公款吃喝、旅 游等什么情况下应按挥霍国家资财论处必须加以明确界定,做到有法必依;同时,强化刑法的反腐败功能,体现罪必罚、罚必当的思想。总之,通过健全法制,把廉政制度转化为法律制度,明确公职人员的廉政行为是一种法律行为,使廉政制度在法律的保障下具有更大的规范性和权威性,从而根本遏制享乐主义现象的滋生蔓延,使当权者不敢谋私、不能谋私、谋不了私。
4.从严治党,严肃执纪。
敢于决定公款吃喝、旅游、嫖赌者,大多是有权有势,懂得在法律的空隙间,像泥鳅一样滑来滑去,对他们进行严惩是人心所向。因此,必须从严治党,严肃执纪,认真查处党内违法违纪案件。查处案件必须坚持“党员在党纪面前人人平等”的原则,严格按照《党章》、《准则》和中纪委有关党员违犯纪律党纪处分的条规进行。只有从严治党,严肃执纪,才能保持党的先进性、纯洁性,增强党的战斗力、凝聚力,使我们党成为带领广大人民群众进行社会主义现代化建设的坚强核心。
综上所述,享乐主义在党内有种种的表现形式,有着极其严重的危害性,是一种腐朽的人生观。在发展市场经济条件下反对享乐主义必须充分认识我们面临的新情况、新问题,以便因势利导,标本兼治,既要严肃查处违纪违法案件,纠正各种不正之风,更要立足防范教育,健全法制,完善监督机制,从而铲除滋生享乐主义的土壤和条件,促进党风和社会风气的根本好转,为发展市场经济提供一个良好的社会政治环境。
第五篇:农村信任危机表现及原因探析
农村信任危机表现及原因探析
—基于对F村调查分析
徐艳艳
摘要:农村稳定是整个中国社会稳定的基础,而信任是影响农村稳定的一个非常关键的因素。通过在F村的实地调查发现,当地农村有着严重的信任危机。特别是村民对当地的领导的不信任,这对干部开展工作带了很多不便。而造成信任危机的原因很复杂,急需采取措施缓解这一危机。
关键词:农村信任危机
社会信任是社会资本的重要组成部分,是保持人与人之间正常交往和维持社会正常运作的一个基本机制。但是,近些年来的相关研究表明,我国社会信任现状不容乐观,尤其是正处于急遽转型期的农村。在所有的信任危机当中,农村基层政权与农民之间的信任危机尤为严重,还有不断恶化的趋势,同时这一危机已经让农村基层政权在工作中付出了代价。如果不能够得到缓解,将会严重影响到新农村的建设进程,进而影响整个社会的稳定。
笔者针对这一情况,对家乡的信任情况进行了调查研究。通过实地调查、深入访谈和问卷调查的方法收集资料。希望通过调查了解当地居民的真实想法,并探析造成农村基层政权与农民之间的信任危机的原因,进而找到一些针对当地情况的行之有效的解决方法。
一、F村的基本情况
F村是重庆某县的一个“县级示范村”,全村辖7个社,有607户,总人口2030人,现有耕地2320亩,人均地1.14亩。海拔在600—800米,总面积7平方公里。由于地处高山,土壤比较贫瘠,主要农作物为稻谷和玉米。也间种小麦、油菜以及红薯。从2003年开始,为了防治长江上游的水土流失,该村积极响应国家号召,参与了退耕还林工程。由于耕地的减少,大批年轻人外出务工,留在家里的除了老人就是小孩。在2011年,该村突破了人均年收入10000元,其中外出务工的收入占了全收入的65%以上。
笔者主要通过实地调查和深入访谈的方法收集资料,因为当地很多居民都外出打工了,根本找不到人填写问卷,因此只发放了40份问卷作为辅助调查,问卷回收了40份,回收率为100%。样本的选取方法主要是分层抽样和偶遇抽样。
二、信任危机的现状
表1:你信任当地的村干部吗(N=40)频数
15百分比(%)2.5 10 25.0 37.5 25.0 有效百分比(%)2.5 10 25.0 37.5 25.0 非常信任 有效 数据 比较信任 一般 比较不信任 非常不信任
从上表可以看出,在调查的40里,“非常信任”当地领导的只有一人,“比较信任”的只有4人,两者一共只占总数的12.5%,而“比较不信任”和“非常信任”的共有25人,占总数的62.5%,足以看出农村基层政权与农民之间的信任危机的严重程度。在调查问卷中还设置一题为“你对当地领导满意吗”?满意率比信任率更低。经过调查访问,选满意的人,主要是跟村干部关系较好的,有亲属关系的。这样一来,村干部让他们家享受到了比其他村民更多的利益,如成为了低保户或者是五保户,拿到了国家拨的款。正是由于有这种不公平的现象存在,更在某种程度上导致了更多的村民对村干部的不满意和不信任。
三、信任危机的表现及原因
1、信任危机的表现
首先,农村基层政府社会管理和服务的难度很大。这点可以从很多方面反应出来,最主要的就是农民几乎不愿配合当地领导发起的任何活动,即使参与了也是怨声载道。比如春节前村干部打算修一段公路,由于上面没有足够的拨款,需要村民投钱,可当地村民没一个拥护这样的政策。经过访谈,村民们都认为上面已经拨了足够的款了,村干部这样做只是为了贪污更多的钱,即使他们交了钱公路也不一定会修的,或者修了也没有太大的用处。这样的情况以前有发生过,在去年当地村民有交钱安装自来水管道,安是安上了,可是现在管道里却没有水。这岂不是白安了。同时在调查的时候还发现一处水管破了近一周了,也没人修理。村民向村干部反映这一情况,村干部都搪塞过去了。这样一来,农村基层政府的社会管理和服务的难度势必要增大了。
其次,表现在村民对基层政府的公正性的怀疑与不放心。这点在当地的表现 尤为突出。在他们看来任何跟金钱、利益有关的东西,如确定低保户,这都是因为关系,关系好了就是低保户了,或者是因为有村民给基层领导送了礼,所以才让他享受了低保的待遇。这不是哪一个村民这样想,在访谈的时候很多人都有这样的想法,同时都觉得自己过得很困难,应该享受国家的补助,而某某家庭过得还比自己好,凭啥他能吃低保呢,自己却就不能吃低保呢?
2、信任危机的原因
(1)时代因素
中国正处在一个飞速转型的时期,在这一转型时期,旧的约束体制即中国传统社会中的“礼”,已经遭到破坏,而新的正式的机制却没有被有效的建立起来,使得农村社会呈现出不同程度的信任危机。村民变得不相信他人,更加不相信当地的领导。同时由于社会流动加剧,农村的内外环境发生了巨大变化,农村不再是原来相对独立与封闭的社会,开始了“迎进来,走出去”的历史演变进程。在这样一个时代,很多外出务工的人,见了世面,遇见更多有能耐的人,进而觉得当地村干部也就那样。农村发展了这么多年基本没有太大的进步,进而村民也就不相信村干部能带领大家走上致富的道路。
(2)社会因素
改革开放以来,由于经济的发展,当地农村每家每户都有了电视。经过调查村民农闲的时候的主要消遣方式就是看电视,或者是聚在一起聊天。因此农村不再闭塞,农民也不再是“两耳不闻窗外事”了,而是非常关注国家的动态。近年来,我国政府官员的腐败行为和庸俗行为受到越来越多的关注,很多贪官纷纷“落马”,造成了公众对政府权力的使用和政府形象的普遍怀疑。这些信息当然也传递到了农村。几年前,绝大多数农民只抱怨村、乡两级干部或组织,而坚信县级以上政府“是好的”,上面的“好经”被村、乡两级念“歪”了;现在,他(她)
们已经开始不相信县级政府。因此电视媒体给农村所带来的冲击力是可想而知的了。
(3)农民自身因素
经过调查发现,当地的年轻居民几乎都外出打工了,只有儿童和老人留守在家里。除了正在上学的儿童,当地很多农民都是只认识一些字,特别是农村妇女,有的连字都不认识。详细情况如下图:
表2:户主文化程度是(N=40)
频数
百分比(%)77.5 17.5 2.5 2.5 0 有效百分比(%)77.5 17.5 2.5 2.5 0 小学及以下 有效 数据 初中 高中 中专 大学及以上
从上面的表格可以看出,村民的文化程度总体来说很低。有77.5%的户主是小学及以下的文凭,上初中的也只有14人,占总数的17.5%。上高中及中专的更是少的可怜都只占了2.5%。而上大学的,全村没有一个。原因是多方面的,首先,那些有文化的几乎都外出打工了。其次,该县地处山区,上学条件很艰苦,因此总体的素质就不是很高了。
这一现状使得农民在很大程度上,他们的行为,价值观还很容易被外界所影响。只要村里有威望的人说当地政府腐败贪污,不干正经事,不管有没有这回事,他们都会认同有这回事。同时低学历,也给政府的宣传解释工作带来了一些阻碍,有时候可能政府解释了,但农民却没有听懂,甚至是曲解了领导的意思。
(4)、基础领导自身的因素
基层领导自身因素,是所有原因当中最关键的。首先是基层领导行政行为的失范。行政行为失范有很多,其中最主要的一个就是基层政府在其行政过程中常常出尔反尔。在改革的初期,基层政府由于缺乏经验往往跟风,市场上今天辣椒卖得好就让农民种辣椒,明天花生卖得好,就叫农民种花生;农民因此没少吃亏。现在F镇又再发起种油茶树,据当地的村干部说,这种油茶的前景很好,以后可挣钱了。但他们却没有看到这种植物的前期投入非常大,而农民却没有这么长远的眼光。同时油茶都是种在耕地里的,在很大的程度上将妨碍庄稼的收成。但当地政府可不管这些,为了他们所谓的前景在茂盛的庄稼地里栽油茶树。对此农民也是敢怒而不敢言。没准在明年又有其他东西吸引了当地政府的注意,这样一来又得改种其他的植物了,这种事情在当地没少发生。据我了解,当地已经种过柚子树、桑树、花椒树啥的。基层领导老这样出尔反尔,农民当然不相信政府了。
其次,基层领导的自身信仰衰微。农村基层干部处于现有科层体系的末端,是中国干部队伍中的弱势干部。上面的无论哪一级政府或哪一级部门都可以管他(她)们,他(她)们谁也不敢得罪。对于个别乡镇干部来说,共产党的信仰在他(她)们的头脑中只是“符号”了,做一天和尚撞一天钟。在我调查期间中小学开学了,一些村干部不在家里办事,而是住到了镇上照顾小孩,一个月也没见到回次家。一些干部甚至直接住到了县城里面,想要找当地的干部办点事情,不打提前打电话预约根本见不到人。在调查期间恰逢村里栽油茶树,村民因为这个争吵声一片,居然没有一个干部出来主持局面,实在让人费解。农村基层干部的这种行为怎么能让农民群众满意?农民们还怎么能信任他(她)们?
最后,基层领导能力不足。这一点跟当地人才流失严重有着莫大的关系。在当地几乎找不到未满40周岁的年轻人了。当地的基层干部都在50岁以上,只有一个委员稍微年轻一点,但年轻的也说不上话,得听书记的领导。同时在处理农民问题的时候,很多事情他们自己都不清楚,或许他们想要为人民服务,但是自己都不明白,怎么让农民明白呢?不明白就只有糊弄糊弄,糊弄多了,人民自然就不信任你了,顺理成章。
前面的分析表明,农村基层政权与农民之间的信任危机的确非常的严重,造成这一现状的原因也非常的多。要想改变这一现状,主要从基层干部做起,加强党员干部的廉政建设,提高党员的信仰以及加强培训提高干部的办事能力。只强化基层政府的公共服务职能,使其不乱“作为”而有作为。再一个就是在任何时候都不要侵犯到农民的利益,要守信用,只有你守信,村民才会相信你。针对村民的措施就是要加强教育,提高村民自身的素质,并指导农民创办微型企业,尽可能留住农村的精英人才,让大家一起为建设社会主义新农村贡献自己的一份力量。
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作者姓名:徐艳艳、电话:***、工作单位:福州大学、通讯地址:福州大学新区学生公寓43#105、邮编:350100、电子邮箱:xuy-yan@163.com