中日中学德育方法比较分析论文(汇编)

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第一篇:中日中学德育方法比较分析论文

1中国中学德育的主要方法

1.1灌输教育法

主要是系统地向中学生传授马克思主义理论知识,以单向的理论灌输为主。这种方法运用在中学的德育课程中,不利于及时掌握学生的学习动向和方法,不利于中学德育工作的顺利开展。

1.2典型教育法

典型教育法是利用典型的案例以启发教育学生的方法。典型教育法分为正面典型示范法和反面典型警示法。正面典型示范法也叫榜样示范法,以先进的典型来感染和启发学生。反面典型警示法是以错误的典型为反面教材来告诫学生,让学生引以为戒,从中受到启发的教育。这种方法尽量少用,以免产生适得其反的效果。

2日本中学德育的主要方法

2.1特别设置了

“道德时间”法这种课程是日本中学德育中一种公开化的方法,这是日本为强化专门的道德教育所采取的不同于其它国家的独特做法,特设“道德时间”是为了培养学生良好的道德习惯、提高自身的判断能力,提高道德的实践能力。

2.2心理咨询法

在日本中学中设有谈话室,以加强教师和学生之间的沟通与交流。教师通过一对一的心理辅导,来了解学生的心理状况,从而疏导学生的心理障碍,这种方法有利于学生的健康成长。

3中日中学德育方法异同及对我国启示

3.1中日中学德育方法的相同点

无论是在中国还是在日本,在中学都开设了德育的课程,教师通过课堂的讲述来传达知识。而且国家也都特别注重德育课程的开设,重视对学生的思想指导,启发学生的思维。引导学生参加各种实践活动,不断提高学生的思想觉悟。

3.2中日中学德育方法的不同点

3.2.1中国德育方法单一,日本“三位一体”方法。中国的德育主要是学校的德育教育,把家庭、社区与学校联合起来进行教育还是很少的,正处在摸索的过程中。日本将学校、家庭、社区教育活动联系在一起,家庭教育是人生教育的第一课堂,还设有一些家庭教育设施,对家庭教育给予补助,以社区为单位,发挥社区的德育功能,让学生在社区的福利院做义务劳动,以培养学生的爱心。

3.2.2中国侧重学生成绩,日本开设“青少年辅导中心”。中国的中学开设思想品德课,最终会以考试的形式来评定学生,只注重结果,而不注重过程,这严重抹杀了学生的学习兴趣,只是单纯地学为目的,而不是以培养学生的兴趣和爱好。日本非常重视学生的心理健康问题,专门设有“青少年辅导中心”,专门收留那些犯有错误又不构成犯罪的青少年,该中心与学校、家长有联系,学生改正错误便可以回学校上学,这对预防青少年犯罪具有显著作用。

4对我国中学德育的启示

4.1加强中学的心理健康咨询

中学的学生处于叛逆的严重期,容易受到各种思想的影响,虽然国家明文规定要在学校设立心理咨询机构,但在目前的中学很少有设立的,尤其是现在独生子女越来越多,他们拥有独特的性格,所以有必要设立心理咨询室,以防止学生心理不健康,出现自杀的现象。

4.2加强学校、家庭、社区三位一体的合作

在学校中,教师通过家长会与家长沟通,帮助家长树立正确管理学生的观念,用正确的方法管理学生,让家长尊重学生的个性发展,尊重学生的隐私,使教师和家长形成良好的沟通,促进学生个人习惯和行为的培养。

通过与日本中学德育的比较,可以发现我国中学道德教育在某些方面的不足之处,我们应从中吸取教训,不断地改善中学道德教育的方法,不断学习日本的优点,从而使我国的中学道德教育得到全方位的发展。

参考文献:

[1]王玄武等著.比较德育学[M].武昌:武汉大学出版社,2003.[2]檀传宝.学校德育原理[M].北京:教育科学出版社,2000.

第二篇:中日公务员考核制度比较与分析

中日公务员考核制度比较与分析

摘要:公务员考核管理是一个世界性难题,各国都努力探索科学有效的公务员考核模式。本文通过对中日两国考核制度的比较,分析了两国在考核目的、考核种类、考核方法、考核内容、考核等次、考核标准等方面的异同,并在此基础上对完善我国的公务员考核制度提出了一些建议。

关键词:中国、日本、公务员考核制度、比较与分析

所谓公务员的考核制度,就是各级行政机关根据有关法律法规,按照管理权限,对公务员的思想品德、工作成绩、工作能力和工作态度等进行考察,作出评价,并以此作为对公务员进行奖惩、任用、培训、晋级增资等的依据的制度。建立科学的考核制度,不仅有利于加强对公务员的激励与监督、增强工作效能,而且有利于落实政府部门战略目标、提升行政效率。中日两国是近邻,在历史、文化、习俗以及行政环境等方面有很多相似之处;日本作为亚洲先进国家,公务员考核制度建立较早,并且较为完备,通过对中日两国考核制度的比较与分析,对我国完善公务员考核制度有着积极的意义。

一、中日公务员考核制度比较 1.考核内容

我国公务员的考核内容包括德、能、勤、绩、廉五个方面。德主要包括政治思想和道德品质两个方面,是指思想政治素质及个人品德、职业道德、社会公德等方面的表现。能,是指从事本职工作的基本能力和应用能力。勤。是指责任心、工作态度、工作作风等方面的表现,主要包括公务员的出勤情况和努力工作的情况。绩,指工作实绩,主要包括公务员在履行职责中所完成的工作项目、工作质量、工作效率、工作效益等内容。廉,是指公务员廉洁自律的情况。

日本公务员的考核项目分为:勤务实绩、性格、能力以及适应力四项,各项之下又细分。勤务实绩项分为工作情形、工作速度工作态度及对部属的统领能力(限于主管人员);性格项分为积极、好辩、沉默、温厚、慎重、从容、性急、偏激、坦白等;能力项分为判断力、理解力、创造力、实行力、规划力、注意力及研究力等九项;适应力项分为规划项、性、研究性、会计性、总务性、审查性、接洽性、计算性及秘书性等九项。

2.考核等次

关于考核等次,中国《公务员法》第36条规定:“定期考核的结果分为优秀、称职、基本称职和不称职四个等次。”

在日本,分为A、B、C、D、E五个等级。A为优秀,可越级增加工资;B、C、D级的职员为良好或合格,都可能增加一级工资;被评为E级的职员为不称职。

3.考核结果应用

在我国,关于考核结果在工资福利保险制度中的运用,《公务员法》第74条规定:“公务员在定期考核中被确定为优秀、称职的,按照国家规定享受年终奖金。”关于考核结果在公务员职务升降制度中的运用,《公务员法》第47条规定:“公务员在定期考核中被确定为不称职的,按照规定程序降低一个职务层次任职。”关于考核结果在公务员辞退制度中的运用,《公务员法》第83条规定:“公务员在考核中,连续两年被确定为不称职的予以辞退。

日本公务员考核制度的目的是为工资和晋升管理提供依据,关于考核结果与公务员实际工资和利益挂钩的问题,日本各部门的一般做法是:(1)考核结果被作为对公务员工作的认定,根据能力和业绩主义的管理原则,是公务员加薪、晋升以及处分最有力的资料和依据。(2)考核结果反映出公务员的性格及其在工作中某些方面能力的欠缺,可以有针对性地选择某种形式的培训,进行强化训练,使其改进或克服不足。(3)考核结果作为人事记录长期保管,可以对公务员进行追踪管理,掌握公务员的全部工作经历,有利于公务员的能力开发。

4.考核主体

中国在《公务员法》体现中国是将被考核公务员的主管领导作为考核主体。日本的公务员绩效评价“由主管机关首长或由他指定的本机关内部的上级职员实施”,日本公务员的绩效考核主体包括考核者、调整者和确认者。考核者是从被考核者的主管领导中选出,一般由被考核者的直接上级担任。为了保证考核结果的客观公正,考核者的数量要保证在两名以上,调整者为考核者的主观上司,考核结果要送其审查,同意后签名。确认者为任命权者或其委托的实施权者,主要是负责评定结果的最后确认工作,一般由机关首长担任。

二、对完善我国考核制度的建议

1.在考核内容上,考核标准要合适,要尽量具体化、数量化。

建议首先要进一步建立健全岗位责任制,使每个公务员都有明确的职务、责任、权力和应有的利益,做到四者有机统一,为公务员考核提供科学依据,对定性的指标尽量进行量化。将德、能、勤、绩、廉五个方面分配合适分值。为体现重点考绩原则,宜将考绩分值比例适当提高;为反映定性和定量相结合的要求,德、能两方面可实行按等级计分的办法,若“能力”一项在总分中占25分,可以定为若干等级,获得一等可得22-25分,二等可得18-21分,依次类推,当然每一等级还要有具体标淮;而对勤、绩两个比较容易量化的方面,则可以将各岗位公务员的工作或服务态度、出勤率、工作数量、工作效果和贡献等各方面明确分值。考核标准量化以后,在考核中既容易掌握,又便于分出高低,就可以避免单凭主观意愿或随大流给被考核者评定等级了。

2.在考核等次上,适当增加考核等次,完善激励机制

我国公务员考核结果分为四个等次,大多数人都集中在称职等次上,优秀等次的人员一般都按照所给比例确定,基本称职和不称职两个等次的人员所占比例很小,不能反映我国公务员实际情况的复杂性,考核结果的激励功能也难以全面体现。对此建议在优秀与称职两个等次之间增加良好等次,来区别称职人员中一部分德才表现和工作实绩都比较好的公务员与一部分德才表现和工作实绩都比较差的公务员,做到考核结果的公正、合理,进一步完善考核的激励功能。

3.在考核结果应用上,强化绩效考核结果的使用,使考核结果的运用与考核目的相符。

我国公务员考核的根本目的主要体现在三个方面:一是客观公正评价公务员工作态度、工作状况和工作绩效,判断其对工作岗位的适应性。二是为公务员的奖惩、培训、晋级增资提供依据。三是培养、发掘优秀人才。目前,我国公务员的考核结果主要应用于人员的升、降、奖、惩,这在一定程度上确实发挥了激励竞争的作用,但要注意考核的目的不光只是激励人员,如果考核结果不能有效转化为对公务员的进一步培养、发展的途径,那么考核的激励、竞争作用会变得没有意义。因此,考核结果的运用要与考核的目的相符,不仅要切实与薪酬、晋升、培训、奖惩挂钩,还要与公务员的职业发展相联系,让公务员在为组织作出贡献的过程中,获得成就感和自我实现感。

4.在考核主体上,引入多元考核主体

尽管两国在考核主体的确定方式上略有差异,但基本思路比较相似,都主要是选择主管领导作为核心的考核主体,这也是国际上大多数国家的做法。但是引入多元考核主体对于公务员考核制度的科学性和公正性仍有着重要的意义,目前日本广泛使用的360度评价制度对我国公务员考核主体的确定思路有一定的借鉴意义。另外于日相比,我国公务员考核主体只有考核者一种角色,这就使得绩效结果受单一考核主体的主观因素影响较大,日本还有调整者和确认者两种角色,并且日本要求考核者的数量要在两个以上,有利于避免单一考核主体的主观误差。

[1] 张荆、赵晓霞、袁娟、冀雅儒.国家行政效率之本:中日公务员制度比较研究[M],知识产权出版社,2007年07月

[2]刘静、刘慧.中日韩公务员绩效考核制度比较分析[J].<才智>,2010年第11期 [3]舒放、王克良.公务员制度教程[M],中国人民大学出版社,2008年6月

[4]魏晓丽、伊士国。我国公务员绩效评估制度存在的问题及改进[N].中南民族大学学报 2006年6月 第26卷

[5]陈艳珍.公务员考核制度推行中的问题及对策[N].中共山西省委党校学报 ,2003年10月 第26卷第5期

第三篇:中日茶文化比较

要旨

中国のお茶の歴史は三国時代から遡る。長い間中国の茶が世界に影響を与え続けている名作は唐時代の陸羽が書いた「茶経」である。その時からお茶を飲む活動は次第に王候貴族から一般の庶民へと広がった。宋時代と明時代を通して茶道は大きく変化し茶の葉の改良、茶器の発展、また茶道思想の完善を経て、今のようになった。

日本のお茶は平安時代に僧侶の最澄によりお茶の苗を持ち帰た。その後、村田珠光、千利休、豊臣秀吉などの名人が茶道に新しい製作法や禅の思想を導入し日本独特な文化芸術となった。

中日の茶道は自国の文化や歴史の影響により違う所がたくさんある。例えば茶の葉の種類、茶道の規則と過程また国民の性格と美意識などの方面で食い違う。キーワード:茶道 中日文化 比較 茶道の活動 禅 摘要

中国的茶史可以上溯到三国时代。中国的茶在很长时间里对世界产生持久影响的是唐代陆羽写的《茶经》。那时开始饮茶活动就逐渐从王公贵族普及到平民百姓。经过宋、明两代茶道发生了很大变化。茶道从茶叶的改良、茶具的发展到茶道思想的完善逐渐成为今天的样子。

日本的茶最初是在平安时代由和尚最澄从中国带回日本的。之后,村田珠光、千利休、丰臣秀吉等人将茶道引入了新的制作方法以及禅宗思想使之成为日本特有的文化艺术。

中日茶道因本国历史文化的不同在茶叶的种类、茶道规则以及国民性格、美意识等面有很大差异。

关键词 茶道 中日文化 比较 茶道活动 禅 序論

茶道というと、みんな日本の茶道を頭の中に浮かぶだろう。中国ではいつも茶文化と言う。なぜ日本の場合は茶道と読むのか、それは道というのは日本の伝統的な文化の一つであり日本独特な読み方だからである。みんなご存知のように日本のお茶は中国から伝われ、そして絶えず発展し今のようになった。この点から見ればと中国は日本の先生と言ってもいい。でも日本の茶道は中国のと同じものではなく中国と違う道を歩んでいた。なぜその違いが出てくるかそしてその違いがどこにあるか、私はそれについて詳しく解明したい。1.中国の茶文化 1.1 茶道の定義

みんなご存知のように茶道は中国に源を発した。茶道の定義も時代の変化によって変わった。最初茶道の定義を決めたのは唐の時代にお茶を飲むことによって道を得ると言う意味だ。茶道の歴史は今まで発展しつつあり、茶道に対する定義もいろいろあった。ある学者は茶道を文化芸能としてお茶を飲む活動と文化を完璧に結び、つまりお茶の中には道があり、お茶を飲むことによって道を得ると定義した。ある専門家は茶道を一種の室内の芸能と呼ばれる。これらの定義を纏めると茶道とはお茶を飲む活動の形で精神的な感じと思想上の需要を満足すると言う意味である。ここでの茶道の活動は茶を植えることや茶の葉に対する研究ではなく、茶器、お湯やまたお茶を飲む場所に対する選択や飾りかたを含む活動である。1.2 茶道の起源と発展 1.2.1 様々なお茶を飲む活動

中国はずっと昔からお茶を飲む習慣があった。「三国志」によると呉国の皇帝が宴会で酒を飲めない大臣にお茶を賜った。その時からお茶を飲む習慣が始まった。最初は生理上の需要を満足するだけで、茶を飲む環境や茶器、茶の葉の質に対する特別な要求がない。その後感覚器官によって茶を味わう活動が出てきた。つまり特定の環境の中でお茶をゆっくり飲み味覚、視覚などを利用してお茶を味わう。これによって美を求め、人生の秘密を探求するという精神的な享受に達する。

もう一つの活動はお茶を入れる芸術(茶芸)だ。つまりお茶を味わうことと違い、人の主体性によって茶器やお湯にぴったり合うものを選び、茶の色、味、形などの品質を充分に発揮する活動である。そして茶道の思想もの中に入れてきた。1.2.2 茶道の起源と発展

茶道は中国の伝統文化の一つとしてその起源と発展はお茶を飲む文化の発展につれて生み出されたものだ。そして茶道の産生や形成また復興などは人間が自然や社会に対する認識、改造及び人類の活動と深い関係がある。

世界で第一回「茶道」という言葉が現れたのは唐の時代である。その時茶道は王候貴族の間に大いに行なわれてみんな茶がら付き飲む。それによって茶道が一定の格式を形成した。唐時代には政治、経済、文化がすごく発展し社会も安定していた。その条件の下で様々な茶道の流派が形成された。その中で一つは修行の形での茶道だ。この種類の茶道は一日中三回だけお茶を飲むと道を得ることができる。これは一般の人々にとっては難しいことだ。修行の茶道は古時代の詩人の陶淵明は都会から出て田舎に入って隠居の生活を送り、自分の希望や気持ちを花や森あるいは水の中に寄せるというような修行と同じ、僧侶が素朴な生活を送り現実中の悩みや不幸なこと、または不平等なことを回避するために茶道によって修行することである。一回だけお茶を飲むのは道を得られない。三回ずつ飲むと人間の肉体と心が徹底的に浄化され、神仙と人間を一体にする境界に達する。もう一つは茶芸の形で行う茶道である。この種類の茶道については陸羽さんの書いた「茶経」がその代表作である。「茶経」は世界で初めてお茶のことを系統的に述べる本であり、中国の茶の歴史の中でも一番深い影響がある本である。茶芸とは茶器や水などがお湯に対する影響もしくは茶の木の種類、栽培、加工、茶の葉の化学的な変化を研究することによってどのように質のいい茶を生産するかを考える過程である。そのうちにいろいろな道という精神的なものを得るのはこの種類の茶道の鍵だ。例えば、美味しいお湯を作るためにいろいろな調味料を適量に入れ、適当な火で煮る必要があるという例から国を治める時適材適当し、各階層の人間関係をうまく処理する必要があることが分かった。もう一つの例を挙げよう。「茶経」によるとお湯に適する水は一番いいのは山の水であり、次は海の水であり、最後は井の中の水である。この三つの水を見分けるために工夫をすることから物事に対する研究は表面に止まるのではなく、細かい所まで区別し物事をうまく把握する能力を育成する必要があることが分かった。つまり芸能という茶道は人類が世界のあらゆる物に対する認識のレベルや、身につける程度を反映する。三番目は風雅の種類の茶道だ。これは前の二つと違い、のどの乾きを癒すために飲むのではなく、お湯や茶器などを選び、いいお茶を飲むのではなく、お茶を入れる過程を実演する形で現れる。そのうちに芸術の趣が含まれ、鑑賞性や美術感に富む。この茶道の代表作は唐時代に出来上がった「氏を閉じてかぐことを閉じる」という本である。その本によると風雅の茶道とはお茶を飲む活動を通じて人々に精神文化の需要に実演の形での茶道を提供するということだ。つまり、物質的な享受と文化芸術の享受を結び、茶を飲む活動に鑑賞性や文化芸術性に富まらせることだ。これらの三つの種類の茶道の出現及び茶芸に趣味を持つグループの形成がこれからの茶道の発展に重要な影響を与えた。

宋時代になると風雅の茶道と茶芸の茶道が主流になり、以下の二つの特徴を持っている。第一、風雅の茶道は王候貴族から一般の庶民に普及した。その時国が繁栄し国内も安定している。貧しい人もお茶のことに注目を集めた。茶器も複雑から簡単に変わり庶民に受けられやすくなった。第二、茶芸の形での茶道及び茶道の思想が普及した。具体的に言うと、お茶の精細さ質の良さを比較することによって、人間が世の中の物事に対する認識や理解及び把握の能力を反映した。このような茶道の思想は一般の庶民の中に普及するのではなく王候貴族の間にもよく伝わた。人間は物質の生活が満足している上精神文化を追求するようになった。これも平和の社会に積極的な役割を果たした。

明時代の初め頃朱権を代表とする茶道が人気がある。唐時代の団茶は葉の形の茶に変わった。茶道の思想も変化した。お茶を飲んでいるうちにお客さんが自分の意見を述べ複雑な社会から離れ心を清潔する。朱権の『茶の明細』という本は茶道の過程を詳しく紹介した。明時代の末期になると茶道思想は哲理の意味が弱くなり今のようにお茶を味わう要求と大体同じになった。

清の時代には茶の葉に対する需要が拡大し有名な茶もそれにつれていろいろ出てきた。陶器の現れは茶器に大きな変化をもたらした。その時お茶の産地を重視し茶芸の活動も簡単になり茶を味わうようになった。改革開放後中国の生産力がずいぶん発展し物質の生活にゆとりがある。精神文化に対する需要が絶えず増えることは茶道活動の発展に条件を提供した。お茶を飲む活動はお茶を飲むことからお茶を味わうことまで茶芸から茶道までこのように少しずつ浸入し、より多くの科学的な内容や精神文化の内容を含むようになった。二十世紀八十年代後、茶芸の実演という形での茶道が盛んになった。そして実演の形も沢山ある。例えば宗教の形、風俗の形、古時代の茶道を倣う形などいろいろある。このような茶道は茶の自然科学と人文精神、文化芸術を結び、時代に応じて新しい内容と形式を含む。

2.日本の茶道

2.1 茶道の文化定義

日本の茶道は中国から渡来したものであり、千年あまりの歴史を持つ。そして日本の社会文化と人文文化の発展につれて完善され、大和民族の独特の環境の下で宗教、哲学、論理、美学、自然が一体になった。茶道が唱えられた「素朴、純粋、典雅」という精神は日本の茶文化を「道」の境界まで高めた。茶道は日本の伝統文化の代表として国民の生活の中でも不可欠なものになった。茶道の目的は渇きを癒すのではなく同じ茶の本質の優劣を鑑別するのではなく複雑なプログラムと儀式を通して情操を育成し静寂の境界に達するのである。2.2 日本のお茶の発展

中国の茶文化の歴史と比べると日本の茶道の歴史はそんなに長くなかった。歴史の資料によると、お茶が日本に初めて入ってきたのは平安時代であった。その時中国で留学していた僧侶の最澄によりお茶の苗を持ち帰ったそうである。奈良時代に上層の階級の間に喫茶の風習が始まった。その後、茶の木が近畿諸国をはじめ、各地に広く栽培された。鎌倉時代に栄西禅師をはじめ、沢山の禅僧が茶の製作方法と喫茶法を日本に伝えることによって茶道はどんどん進歩していた。喫茶の目的は鎌倉時代までは思想生活の伴侶として用いられたが(時には薬用)南北時代になると喫茶を遊戯的に用いた。つまり、闘茶として品種を飲み分ける競技の形で行なわれた。このような僧侶茶、武士茶は中国の茶文化に深い影響を受けた。これは日本茶道が生まれる前の歴史だ。本当の意味を持つ茶道は十五世紀の末ごろ村田珠光氏により創立された。村田珠光氏はお茶を飲む行為に思想を入れる初めての人であり、日本茶道の祖先と言ってもよい。その後武野紹鴎によりさらに推し広めていった。日本の茶道の精神も「茶と禅が一体になる」ような境地になった。千利休はもっと具体的かつ系統的な規則を定め茶道を庶民化にさせた。また茶会の種類、茶器の種類や茶室、庭の飾り方なども決めた。日本の茶道は今でも絶えず発展しているが茶道の基本的なものを決めたのはやはり千利休だ。でも茶道の大成については織田信長、豊臣秀吉の成果を無視してはならない。彼らは茶道を政治的に利用したが茶道に精神的な慰安を求めた。千利休は「謹敬清寂」を「和敬清寂」に変化させた。江戸時代に千利休の子孫と弟子が茶道を継続し「家元制度」注①を作り別の流派が現れた。千家流派は表千家、裏千家と武者小路千家三つの大きな流派になった。この時期は日本茶道の輝かしい時期であり、日本民族の特徴を持っている。また抹茶道、煎茶道も形成された。明治維新以来茶道に深刻な変化が現れ文化的な意味が強くなった。そして時代に応じて自国の特徴を持っていて今のようになった。

2.3 中国の茶文化が日本の茶道の発展に対する影響

日本の茶道の形成と発展が中国の茶文化と深い関係がある。まずお茶を飲む風俗は最初に日本に入ってきたのは平安時代のことだった。日本の天台宗の創始者である最澄は中国の仏教の経典と茶の木を持って帰った。そして栄西は鎌倉時代にもう一度中国の茶を持ち帰り、「喫茶養生記」という書物を作った。その本は日本の茶道の歴史的な転機と言ってもよい。また栄西は茶に対する栽培、茶の葉の摘む方法、飲む方法を詳しく紹介した。それと同時に中国から寺のお茶の飲み方を導入しお茶を飲む礼儀を定めた。例えば団茶、抹茶、闘茶などは全部中国から伝わられたものだ。ほかには毎年の春と秋、奈良で行なわれた茶会特に唐式の茶会は日本の茶道の源である。それは中国の唐と宋時代の茶会によく似、茶を飲む庭の飾り方や点茶の儀式及び闘茶遊戯などが含まれる。これだけではなく栄西は平安時代の終わり頃中国の宋に学び日本に禅宗を開いた。禅文化は日本の伝統文化の中で重要な内容であり、禅宗の導入と伝播につれて形成された。日本の茶道から中国の仏教思想の跡もよく見られる。日本の茶道の和敬清寂という精神は仏教の教義の中にはっきり書かれてある。「茶禅一味」注②という茶礼もそれと同時に導入され、室町時代になると五山僧の間に次第に定着して行った。3.中日茶道の比較

日本の茶道は中国から伝えられたが先生と言える中国とは違う道を歩んでいた。そこには中日の茶道に違うところがあると思う。特に日本茶道は中国の茶文化に深く影響され、自民族の特徴と精神を結び日本独自なものになった。3.1 茶の葉の種類 茶の葉の種類に対する標準が違い統一することができない。今の茶の学界には茶類に総合的な方法を取った。その方法によって中国の茶は二つに大きく分かれた。一つは基本的な茶であり、もう一つは再加工の茶である。基本的な茶には緑茶、紅茶、青茶、白茶、黄茶、黒茶、六つある。その中で緑茶は中国で一番歴史の長い、生産量も高い茶である。このような分類の方法は茶の作り方によるものだ。再加工の茶は前の六つの茶を原料として再加工後の茶である。その中には花茶、圧縮茶などがある。

日本の茶道に用いられた茶は主に緑茶である。そして茶の産地、栽培の方法、茶を摘む時期、茶を作る方法によって煎茶、ひき茶、玉露茶などの名前が付けられた。例えば、精製された茶の葉をスプンでひいて粉末としそれを茶碗の中に入れ、熱湯を注ぎかき回して飲む。煎茶は中国の明時代で流行したものであり、葉を乾燥し蒸したり揉んだり熱湯を注ぎその汁を飲む。玉露茶は煎茶の一種で今でも高級の茶として知られている。3.2 茶道の規則と過程

茶道の中での規範は人生の道徳心を涵養するために重要な内容であり、茶道の活動の各方面に含まれている。規範は人に良好な行為を養成させる。お茶を入れるなど細かいことや日常生活の中で規範を守り良好な気質、身振りを育成することができる。茶道を修行する人はその過程の中で礼儀、姿勢、順序、位置、服装などいろいろな規範を守らなければならない。茶道の活動にあるマナーは茶道の種類によって違う。例えば、お辞儀の仕方、跪く仕方、また、握手、目付き、など厳しい規則がある。それらの礼儀はお礼を表し、お客さんに尊敬の意を表し、茶道の中身を協調する規範である。

日本の茶道の規則は禅宗寺でお菓子を食べる規則から来たのだ。僧侶たちは朝ごはんと晩御飯だけ食べ、お腹が空くのでお茶を飲み始めた。それとともに懐石注③を食べる。現代の日本の茶道は面積の小さい優雅の茶室で行われる。茶室の中には珍しい骨董や掛け軸が壁に掛けてある。真中にはお湯を沸かし、器具が置いてある。茶室は飾り方によって違う。歴史の中で有名な茶室は小堀遠州による弧蓬庵、古田織部による燕庵、千利休による草庵茶室、秀吉による黄金の茶室だ。

茶会の前に主な客と陪客を確かめる。茶会をよくするために主人は忙しく、いい茶菓子を選び、茶室を綺麗にする。茶道に用いられたお菓子と言うとお茶の引き立て役といわれる物であり、一服のお茶をいかに美味しい味わっていただくかという重要かつ欠かせないものだ。茶会中いろいろな厳しい約束がある。主人もお客も「一期一会」の思いで茶会に参加する。主人はあらゆる手を尽くしお客を持て成しお客の方もこれから会えなくなると思っていて茶会に参加する。両方ともお互いに協力し合うことと感じる。3.3 国民の性格

文化は国民の性格を反映すると言ったように中国の茶文化は中華民族の伝統に影響され中華民族の性格を反映した。中国は礼儀を重視する国と言われたとおり茶文化は友達同士の友情や家族同士の愛情を体現する。茶を飲む形によって友達になるということは一般の庶民の中に普及されているのではなく集団や国の礼儀にも用いられる。新年の際、会社や工場などで茶話会を行い、上司は会社員に感謝の気持ちを表す。だから中国の茶道は日本より実用性を重視する。そして日本より庶民化を持ち礼儀と形に拘らず、実用性を大切にする。日本ではそれと反対に、厳しい形式を守り道徳を養成するために茶道の活動を行う。それは日本民族の発展と深い関係がある。日本は小さい島国であり、人口の増加と個人の生存に矛盾が出てきた。個人は生きていくために周りの環境がどれほど悪くても我慢する。苦しい状況の中で人間関係や、仕事をうまくいくためにいつも自分のことを我慢する。それは茶室の入り口が狭くて体を曲げて入らなければならないことからよく分かる。また悪い自然環境の中に形成した日本民族は集団意識も強いし、お互いに協力の意識も強い。茶道は集団による活動が多い。みんな連携して平和の雰囲気を造る。最後、日本では厳しい身分制度を実行し規範と礼儀を重視する。茶会中厳格なコースを守り形式的な話を言わなければならない。その点から見れば、日本の茶道は本当にお茶を飲むのではなく、人間に礼儀の教育を行う道徳修養の儀式である。このような形式を重視し実用性をあまり重視しない文化は人間の間に自然的な付き合いに悪い影響を与えるのかもしれない。3.4 茶道の中の美意識

中国の茶道の中にある美意識は茶道の活動中のメロデイ、対称、対比、異同、自然、対応比例などを通して表す。例えばメロデイは自然界の中に存在する永遠の変化と命のリズムを表し生き生きな表現の形式である。また、茶器の排列、動作や言語の音で表す。対称の美は中国の古典美学にある規則であり、バランスと安定性を持つ美学だ。茶道の活動の中で静態の物事の対称もあれば動態の物事の対称もある。人の位置や茶器の並び方などは中心線を基準として並ぶ。また、お茶を入れる動作や体の姿を対称的に行うことを通して観賞側に目や心を楽しませる効果が出る。自然の美は人類が自然に対する追求から表す。自然の中で生活しているのは人間の生まれながらの希望である。お茶を入れる時、緑の茶の葉は水の中で自然に広がるのは一種の自然の美である。茶道の比例の美というのは物事の大きさに適当な比例があることだ。

日本の茶道の美意識の主旨は「素朴」ということである。それも禅の本質である。村田珠光は素朴な美を重視しお茶を飲む時日本産の器具を使うことを主張した。千利休は既成の美意識に拘らず小さい茶室を造り朝鮮の陶器を導入し茶道を庶民化する。日本の美意識は素朴のほかいろいろな美もある。自然の美は庭園、建築、花を挿すことなどの配置から人間の注目を集める。欠陥の美は粗末あるいは指紋のある茶碗を上品と見なすことから表すものである。3.5 茶道が反映した思想

中国の茶文化は儒家の思想を核心とし儒教、道教、仏教を一体にすることによって茶文化の内容を豊かにする。儒家文化の本質は実用で中国の茶文化は日本より庶民化を体現する。また儒家の「礼仁徳」と中庸の思想及び道家の「無為、自然、」の思想も茶文化に深い影響を与えた。だから中国の茶文化は自然の美を崇拝しているが日本ほど儀式を重視しないのである。

日本の茶道は主に中国の禅宗思想を反映した。また禅文化は日本の伝統文化の中で重要な内容である。敬と寂という思想は禅宗からきたものだ。敬とは真如の前にみんな平等の地位を持つという意味だ。茶室に入って身分を言わずお互いに尊敬する。つまり茶室の中には平和の世界である。寂とは静寂でどんな時にも動かないで静かな心を持つという意味だ。和は禅宗の「心が穏やか」の意味であり、お互いが仲良くすることだ。それだけではなく「茶禅一味」という思想も室町時代になると五山僧の間に次第に定着していった。ほかには日本茶道の形成は仏教との関係もある。清という思想は仏教の「清らかである」ということから来たのだ。結論

本論文は中日茶道についての資料を集め調査を通して纏めたものだ。日本の茶道は中国から導入したものだが、中国と違う道を歩んだ。私はこの疑問を持って中日の茶道の歴史と発展を考察し、中日茶道の相違点を分析した。日本の茶道は中国の茶道の影響を受けるほか、日本民族の発展や日本独特な伝統文化からの影響も深い。だから中日茶道は茶の種類、茶道の規則と過程などの方面だけで違うのではなく、茶道が反映した国民の性格や思想も違う。中日の茶道の交流はこれから必ず絶えずに行われるうと思うが、実用性を重視する中国の茶道はより多くの日本人に受けられると私は思う。

本論文はこのような視点から中日茶道を比較したものである。個人の能力や知識の不足で文章の中に文法などの間違いや中日茶道に対する分析に足りないところがあると思うので、ご指導くださるようお願いする。謝辞

本研究を執筆するにあたり、始終適切な助言を賜り、また丁寧に指導して下さった王霜先生に感謝の意を表します。また、中須賀剛先生と黄金春先生をはじめ、多くの先生方が常に論文の書き方をご指導くださいました。本当にありがとうございました。注釈

①その流派の本家として、代々の芸道を受け継いでいる家

②茶が、古来、飲み物として禅の寺院で用いられていたことは知られていたがそこでは礼を持って茶と接していた。特に元の時代にあっては、礼のうちでもっとも重用な礼とされた。やがて茶が日本に伝わると、こうした茶礼も同時にもたらされた。

③茶の湯で茶を勧める前に出す簡単な料理。参考文献

【1】冈仓天心 茶内本 东京 岩波书库 1988年

【2】膝 军 《中日茶文化辩异与展望》 东京 东方出版社 1992年 【3】周文棠 《茶道》 ﹙2003年5月﹚ 浙江大学出版社 【4】赵丁 《茶的故事》﹙2003年1月﹚ 地震出版社 【5】周笑明 《日本国概况》﹙2000年9月﹚ 南开大学出版社 【6】杂志 《西北大学学报》﹙2005年7月﹚ 哲学社会科学版

【7】王勇,王宝平《 日本文化的历史踪迹 》﹙1991年﹚ 杭州大学出版社 【8】余悦 《中国茶韵》﹙2002年﹚ 北京 中央民族大学出版社,【9】杂志 第2卷第2期2003年6月北 《京林业大学学报》(杜会科学版)【10】傅树勤 《茶神陆羽》 1984年 北京 农业出版社

第四篇:中日文化比较心得

中日文化心得体会

这一学期选修了贾老师的中日文化课程,由于课程冲突,好多次没有去成,但我觉得通过这次课程让我认识到了中日文化的区别。

我们为什么总是讨厌日本人,也许是因为日本文化几乎全是中国传过去的,本来就是个蛮夷之地,蕞尔一岛;但它后来却又侵略中国,进行大屠杀这种惨无人道的行径。最重要的是那种不认罪的态度——否则,我也说不清中国人为什么要仇日不仇英法美。八国联军烧了我们的圆明园、屠杀了义和团。

其实关于国际关系,国家利益才真正左右一个国家的态度,本来就变得比狗脸还快,翻脸不认人常有。象我们这样持久地排日并不理智。我也无意为日本辩护,它有自己的民族劣根性,但日本文化和众多文化一起冲进中国大门,与年轻一代人紧密融合,再拒绝出去,绝不可能。

日本文化的确在影响这一代人,中国文化必然有比不上它的地方——没有什么文化和制度完美,任何文化都有不如别人的地方,我国改革开放不是去挑别人的毛病,而是学别人的优点,我们必须清醒。

中国人行事以中庸著称,但做道德判断却相当偏激。或者说二元化,不是君子一定是小人,不是好人一定是坏人,不是清官就是贪官;有句迎合皇上的话就是奸佞弄臣,非得抬着棺材死谏才叫忠臣。清官如岳飞、海瑞,要么被陷害死,要么与整个官场为敌。再比如,父母死了要守三年孝,什么事都不准干,一门心思地悲哀。当时,有个“大孝子”倒是守了二十年的孝——在这期间生了五个孩子,传为笑谈,但此人除此之外,没有杀人放火,没有违法勾当,孔融却一声令下就把他杀了,中国人虚伪得可以。孔融还以“不孝”的罪名杀了另一个他认为在父亲坟前哭得不悲的人——最后,曹操仍借着“不孝”的罪名杀了孔融,倒算首尾呼应。

而且似乎日本文化是更为灵活的,从物语文学可以看出,很早就可以抒发个人的情感。而中国,文人似乎永远是不得志的,活象一群怨妇。苏轼和辛弃疾并称苏辛,但辛不如苏,苏是士大夫兼文人,辛的范围就窄多了,几乎是职业“词人”,而填词不是正业,是野狐禅,只有科场和官场不得志,才去搞这种杂学,试想辛的心态会好吗?柏杨先生说:“日本虽然几乎吸收了中国的一切,但没有吸收科举,所以在明治维新可以一下完全崛起。”日本从中国吸收最多的似乎是李白、白居易而不是孔孟之道,可见它是有挑选的,决不接受文化倾销,倒是真的“拿来主义”。他拿到了罗盘,用作指南针,而不像中国人用它看风水;他们拿到火药,做出炮弹,而不像中国人用来放烟花。

说起来,如果日本都是从中国来的,但如今日本显然比中国发达;日本会挑选、会继承、会总结、会发扬。他们比中国更早学会向前看,中国官员在弹劾变法,日本在全民维新;日本没有中国的“利不十,不变法”,虽然也陷入闭关锁国,但立刻清醒,认清形势,抓住一切条件发展。而中国则被侵略得都快不知道自己是被谁侵略的了,还想维护“天朝尊严”,就是自取灭亡。天朝的幻想就和吸鸦片或精神胜利一样,它让我们永远认不清局势、不知道发展。

日本人还有强烈的危机意识,是受东西方文化冲击的产物。日本决不是什么地大物博,主要能源多靠进口。要发展,又不能轻易得罪美国,韩国仇日,俄罗斯强大,中国崛起,日本其实很难熬,居安思危就尤其很重要。空调不低于28℃是潜规则,结果到哪都是28℃;煮鸡蛋也要考虑怎么省一半的天然气。日本地震也很多,他们的孩子必须随时明白在危险中怎么做。

而中国,仿佛是小农意识太久了,没回过神,从来不知道什么时候危险,杞人忧天的少,莫名其妙枉死的多。安逸舒适一天,不想明天会有什么,不直面问题隐患,正如鲁迅先生打过的比方,只关注烧麦或北极,不看肮脏的桌子和地面。

说了很多中国人的缺点和日本的优点,不是媚外,崇洋和媚外根本是两个不同的概念,柏杨先生明确阐述,崇洋但不媚外。我们要学别人的优点,而不是自我陶醉,日本文化有自己的劣根性,正如中国文化有自己的劣根性一样,任何国家,任何民族都不例外。问题在于如何保持清醒的头脑,懂得批判亦懂得前进。

10电子信息

周 培

第五篇:中日幼儿园体育比较

中、日幼儿园体育教育比较浅析

文⊙王云红黄芳(河北医科大学河北省国际教育交流服务中心)

摘要:本文利用文献资料法对中、日两国幼儿体育教育进行比较,分析我国幼儿体育现状和差距,旨在探讨我国幼儿体育教育改进的方向。

关键词:中国;日本;幼儿;体育教育

一、日、中幼儿体育教育的横向比较 下面从四个方面作一比较:

1、观念上:

日本重视科学指导和自然适应训练。教师很注意幼儿体育锻炼的科学性。如:记录幼儿在一周中心率的变化,观察研究幼儿生活节奏和保育的关系;在幼儿体育运动后,及时测量幼儿机体生理活动反应,为掌握体育锻炼的运动量和时间提供科学依据;通过拍摄幼儿体育活动的录像,分析体育活动对幼儿身体发育的影响,分析幼儿动作发展情况,研究如何培

养幼儿正确的动作。

日本儿童衣服普遍穿得很少,体质较好。如5月初的日本,气温一般在2 0摄氏度左右,幼儿园的小朋友却只穿汗衫、短裤,即使在冬天儿童也是穿短裤的。在一天的活动中,儿童喝的全是凉的自来水(日本自来水消毒过滤较好,可以直接饮用)。午饭是孩子们早晨从家中带来的,在5月份的气温下,孩子们的盒饭不蒸热,中午直接吃冷食。这种做法可以锻炼孩子们的肠胃功能和增强他们对环境的适应能力。

中国由于独生子女较多,使我们对幼儿的卫生和安全问题非常重视,对幼儿的过度保护及对幼儿行为的过渡限制成为幼儿体育良好开展的瓶颈大部分幼儿园追随社会上重视学习知识的风气,特别重视知识技能传授,开设了弹琴、画画、外语等兴趣班。对孩子的安全教育和卫生教育、疾病预防十分重视,而对幼儿体育教育不够重视。有的把幼儿体育专业化和成人

化,认为只有开展这种体育才是体育教育,户外游戏只是瞎玩,对幼儿体育研究 的很不深入。

2、环境场地和设备建设:(1)日本一般幼儿园都有宽敞的体育活动场,地面一般铺着一种特制的红色沙土,松软而富有弹性。孩子早晨到园后,就身着汗衫、短裤,有的还赤着脚,在运动场上进行各项体育活动。场地四周设有各种运动器具,如秋千、单杠、平梯、山洞、滑梯、荡绳;此外还有一个大型多功能的攀登架,孩子们既可以攀登,滑滑梯,又可以在网绳上爬行。单杠、平梯在我国幼儿园中很少设置,担心悬吊动作会使孩子肩关节发生脱臼和肌肉扭伤。从实际情况看,这类运动很受幼儿喜爱。在运动场的一端有一个面积较大的沙坑(约有1 6平方米),配合玩沙游戏备有木铲、水桶、簸箕等。在这样的沙坑中,教师几乎可以带领全班幼儿在沙坑里挖山洞、堆沙丘、开水沟等。(2)体育设备多,条件好,注意利用园内的自然条件,开展体育活动。如他们在两棵树的树干上架一根较粗的木头,在木头上系着两根粗绳,绳上打着几个结,一根较粗的木头,在木头上系着两根粗绳,绳上打着几个结,幼儿坐在绳末端的结上,双手拉住绳,前后晃荡,犹如荡秋千。他们还在沙坑两边的树干上,分别在上下结两根粗绳,让年龄稍大的幼儿双手

拉着上面的绳子,双脚踩着下面的绳子,从一端一步步地走向另一端。通过这类活动,可以锻炼、培养幼儿的勇敢精神、平衡力和灵活性。而我国的人口众多,幼儿教育事业这几年处在高速发展阶段,幼儿入园率迅猛提高,而国家对幼儿园投入远远不够,从城市人口剧增,而幼儿园人数严重超员一般都达到每班40-50名。国家规定为35名以下。年龄越小人数越少。虽然人数很多,但场地普遍狭小,人均不足2平米的户外场地,人均不足1.5平米的室内活动场地的幼儿园在大中城市普遍存在。幼儿园虽然也有丰富的各种器械,但人均配置严重不足,严重限制了幼儿活动。

3、活动时间:

日本幼儿户外活动较长:孩子们从上午8:30入园一直可以活动到10:15(10:3 0有一次全班性的集体活动)。在这段时间里,每个幼儿都可以充分地活动,体力、脑力得到一定的锻炼。我国大部分幼儿园重视知识技能学习,规定幼儿园每天上下午有一个小时户外活动,但大部分幼儿园活动时间较短。而且有很多园为保证孩子安全,只要天气有所变化,就不组织幼儿户外活动,有的幼儿园只让孩子户外做操就回班学习。

4、组织自由开放:

日本幼儿园户外活动及没有区域的限制,也没有班级和年龄的限制,活动以幼儿为中心展开,幼儿可以根据自己的需要探索环境和自由地与任何孩子、教师交往,教师只是根据需要援助指导幼儿。允许幼儿根据自己的水平尝试一些非常规的、看似危险的活动方式。而我国大部分的幼儿园对每班孩子每天的活动地点、内容作了限制和规定,限制孩子的活动方式,更多地用同一种方式要求幼儿,一般不允许尝试非正规的活动方法,禁止幼儿在活动中进行看似危险的探索。教师在幼儿体育教育中更重视指导的直接性,场地安排的秩序性,防范安全 事故的严密性。

二、比较结果

1、观念上:日本注重活动的科学性研究,允许冒险。中国幼儿体育注重安全 教育,缺乏全面重视。

2、环境上:日本更注重高质量的丰富的物质环境的创设,我国因为资源投入不足,整体环境较差。

3、内容上:日本注重自然适应性自由活动,我国则注重全面保护下的器械游 戏。

4、时间上:日本幼儿园每天大部分时间组织幼儿户外运动,而我国幼儿活动 时间较短。

5、组织上:日本重视自主自由的活动探索,注重科学研究制定合理的指导方

案,进行科学性指导,我国对孩子的活动限制太多,对幼儿体育教育研究不够深入。

三、结果讨论与启示

(一)转变教师观念,树立体育教育的大教育观。

体育对幼儿的作用不仅是增强体质,它有着更为重要的教育功能。体育在促进幼儿身体发育、智力、和环境适应力及社会性发展方面有着特殊的教育作用。幼儿通过运动和感觉来认识环境,运动不仅有助于身体的健康发展,还有助于自尊和自信的确立。儿童这种对自己身体运动的掌控能力可迁移到日常生活中去,使他们能在各种不同的情境中应付自如。身体动作

也是社会交往的手段之一。注重培养幼儿自然适应能力,日本的自然适应法则在培养幼儿良好的自然适应方面给了我们良好的借鉴。

(二)把休闲体育和终身体育结合起来,把健康和发展放在首位。

幼儿休闲的自由体育游戏生活化,并与终身体育现结合才能真正为幼儿健康和发展服务。我们不仅要保证幼儿活动的游戏性,还要进行系统化的体育研究。日本的自主体育可以培养孩子更多的体育兴趣满足孩子的探索活动,增加锻炼的自觉性,为其一生的打下基础。

(三)增加幼儿园活动场地面积和

环境建设,保证幼儿开展活动的空间和时间。从日本的幼儿园体育教育可以看出,十分重视幼儿体育教育,特别是在提供给幼儿大量场地空间及材料环境方面给我们借鉴,空间是活动的物质保证,足够的空间可以减少场狭小带来的拥挤危险。在狭小的幼儿园,要尽量利用攀援墙、吊绳等空间玩具拓展空间。还可以利用社区场地远足等开展活动。保证幼儿的活动时间才能使幼儿身体得到充分锻炼,教师应该保证每天幼儿2个小时以上的户外活动时间。

(四)幼儿体育教育要进一步开放化和科学化,提高幼儿身体的综合素质。把孩子看成一个独立的个体,尊重孩子的运动兴趣和爱好,在体育教育中给孩子一定自主冒险的自由,进一步开放我们的头脑,容纳更多的运动方式和内容。进一步加强幼儿体育科学化研究,进一步加强家园结合,充分利用家庭资源,提高家长认识。重视幼儿体育的实效性就要加强幼儿身体素质练习。总之:要进一步提高人们对幼儿体育的重视,并进行科学理念和方法的指导,才能使我国的幼儿体育教育上一个新台阶。参考文献:

[1]许卓娅.学前儿童体育[M].南京:南京师范 大学出版社,2003.[2]潘浩瀚.幼儿体育活动身体素质内容的侧 重海拉尔学前教育网

[3]潘浩瀚.培养幼儿体育能力.海拉尔学前 教育网

[3]黄仁松日本幼儿园体育上海学前教育网

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